カレントアウェアネス
No.225 1998.05.20
CA1188
ユネスコ公共図書館宣言とロシア
いささか古い話で恐縮であるが,ロシアの図書館専門誌『ビブリオテカ』(1996年11月号)に,「歴史を繰り返さないために−ロシアにおけるユネスコ公共図書館宣言,比較分析」と題する論文が掲載された。
ユネスコ公共図書館宣言といえば,IFLAの枠組みで作成され,公共図書館の活動に関して推奨すべき模範的モデルを定義した国際的文書である。最初の宣言は1949年に採択され,1972年,さらに1994年に改訂が行われた(CA939参照)。名前のとおり宣言としての性格を有するものであるが,1949年宣言はアメリカ合衆国とスカンジナビア諸国の図書館の発展に多大な影響を及ぼし,同様に1972年宣言は第三世界の諸国の公共図書館の発展において重要な役割を果たしたことが指摘されている。一方ロシアでは,1972年宣言は採択と同年に専門誌上で公表されたにもかかわらず,図書館現場においても図書館学界においても何ら広汎な議論を呼び起こすことがなかった。
『ビブリオテカ』に掲載された論文は,そのような過去への反省の上に立って,宣言の内容とロシアの公共図書館(大衆図書館)の特質とを照らし合わせ,2度の改訂(1972年および1994年)の間におけるロシアの図書館の発展の傾向を検討したものである。そこには,今日のロシアの図書館が置かれている全般的状況に関する興味深い情報が含まれている。以下に同論文に基づきその要旨を紹介したい。
ロシアでは,地域の市民に対する図書館サービスの中核であるいわゆる公共図書館に相当するものとして,ロシア連邦文化省の管轄下にある「大衆図書館」(マス・ライブラリー),あるいは地方自治体が設置する公立図書館がある。1986年頃から,大衆図書館において利用者の図書館離れの傾向が始まった。国家統計は図書館資料の利用に関するあらゆる指標において数値の減少を示した。専門雑誌のみならず,一般誌の誌上においても図書館の危機というテーマがとり上げられた。この否定的現象は1992年まで続いた。しかし,1992年から再び図書館に対する関心は高まりはじめる。この間に,ロシアの図書館は著しい変化の時代を体験した。
社会に対する図書館の能動的姿勢
1994年のユネスコ公共図書館宣言は,1972年宣言と比較して,図書館の社会に対する能動的立場や責任をより強調している。図書館の社会的責任の強調という傾向は,ロシアにおいては1989年か1990年までに見られなくなったものである。ペレストロイカに始まった「脱国家」の現象は,市民の内面的要求を著しく個人的なものへと変える方向に作用した。脱国家は文化の領域に及び,図書館の自主・独立を大きく促すことにもなった。新しい図書館のモデル,たとえば社会に対してではなく具体的な利用者に対して責任を負おうとするマーケティング・モデルと呼ぶべきものが模索された。一定の脱社会化の証拠として,専門雑誌等の誌面から図書館の社会的役割や機能に関する記事が見られなくなった。
1990年代の初め頃から,ロシアの図書館学界ならびに図書館現場において「読書指導理論」を否定する動きが起こった。一方,1994年宣言においては初めて,子どもに対してのみならず大人に対しても,図書館員の積極的役割が広く規定されている。それらは,今日のロシアの図書館員にとっては,「非難すべき」読書指導理論に由来するものである。
国家の責任
1994年宣言における図書館の社会的使命への注目度の強まりは,法律的には図書館の発展を担うべき国家の責任の強化を伴う。
周知のように,1970年代から1980年代初めにかけての時期は,世界の大多数の国において,文化の保護に関する中央政府機関の権限の大幅な制限という一般的傾向が見られた。これは,公共図書館にとっては,あらゆる責任を地方機関に移管すること,すなわち地方公共団体が自ら公共図書館を創設し,自らその運営に責任を持つことを意味した。
ロシアでそのような傾向が強まりはじめるのは,ようやく1990年からである。この時期,国有財産の整理(国家レベルでの土地や施設の再分配)に関連して,ロシア文化省の図書館システムの解消が,法律的に(後には法律に先立って)進行する。国家の非集権化の全般的過程の帰結として,地方政府機関が大衆図書館の業務に対して全面的に責任を負うこととなった。
一方,1994年宣言は異なった傾向を示している。同宣言には,公共図書館の業務に対し,地方自治体と同様に中央政府機関の責任が初めて規定された。また宣言には,遠くない過去にロシアにとって馴染み深かった公式,すなわち,公共図書館は文化や情報提供,識字率と教育の向上といった分野における国家の長期的・戦略的プランにおいて常に不可欠の要素であらねばならず,そのための活動は中央および地方政府機関の財源によって保障されなければならない,という公式が規定されている。
情報センターとしての公共図書館
1949年の宣言は,何よりもまず,教育および自己教育の可能性を提供する手段としての図書館の意義を強調した。1972年の宣言は,どちらかと言えば,文化センターとしての図書館の活動について検討している。1994年の宣言は,情報提供活動にプライオリティを置く。
今日,ロシアの公立図書館は,未来の統合的な情報図書館ネットワークに自由にアクセスし,情報を利用するための窓口となると見なされている。1994年宣言における情報センターとしての公共図書館は,それとはいささか異なったものとして想定されている。公共図書館は何よりもまず,「あらゆる種類の地方行政情報へのアクセスを市民に保障する」という意味で「サービス対象となる地域にとっての情報センター」であらねばならない。このような役割は,諸外国の大半においては,まず第一に,蔵書中に地方のすべての公文書や大量の未公刊資料(企業や役所の事務文書等)を加えることによって,第二に,スタッフ中に情報アナリスト,すなわちファクト情報を扱う専門家を用意することによって,保障されている。まさにそれ故に,公共図書館は地域社会の生活の諸問題について,地域の必要性や諸条件に応じて,任意の情報を提供することが可能になるのだ。こういった機能はロシアの図書館にとって根本的に未知のものである。
図書館サービスの無料制
1972年宣言においては,「図書館サービスは無料でなくてはならない」と記録された。しかし,多くの国で図書館の現状はそのような要求を満たしていない。大半の図書館において,補完的なまた手間のかかるサービス(コピーの提供,コンピュータの供与,分析的リストの作成,複雑なレファレンスなど)に対して料金を課している。多くの場合,有料で提供されるのは,原則的に新しいサービスであり,ある種の装置(たとえばCD-ROMドライブ)の購入や習熟の必要性に関連するものである。
1994年宣言の公式見解は,より相対的なものとなった。すなわち,「公共図書館サービスは,原則として無料である」。ロシアの図書館における有料サービスの導入はソ連時代,1989年以降であり,導入に際しての条件や理由は諸外国とほぼ同様であった。
障害者へのサービス
障害者への配慮の高まりは,最近25〜30年の間における特徴の一つである。すでに1972年宣言は,この問題に関して特に1章を費やしていた。1994年宣言も(特に章を割り当ててはいないが),同様にこの問題に言及している。その要点は,これらの利用者に対しては特別の種類のサービスまたは資料の提供が不可欠であるということだ。
ロシアの図書館に関していえば,ただ一つの成果を指摘し得るのみである。ロシア国立図書館(モスクワ)によって行われた調査によれば,障害者へのサービスに対する図書館の責任についての認識が,90年代に入って徐々に,図書館人の職業意識の中で確立されつつある。しかし,財源上の保障がないために実務的な対応は遅れている。アメリカ合衆国では,公共図書館における視覚障害者サービスに関する国家プログラムが,LCの予算で進められている。このような国家的プログラムによる財政支援の必要性は,ロシア連邦図書館法(CA1114参照)にも規定されている。しかしこの法律は,この問題に関しては,今のところ単なる「宣言」でしかない。
図書館資料の検閲
「蔵書およびサービスは,いかなるイデオロギー的・政治的・宗教的検閲も,受けることがあってはならない」という主張は,1994年宣言で初めて表明されたものである。これは一見すると奇妙なことである。なぜなら,民主的な国家機構を備えた諸国においては,国家の検閲ははるか昔に解決されたはずの問題であるから。ところが,この問題は,まさに先進的な民主主義諸国にとってこそより切実なものである。これらの諸国は,新しい,国家の検閲に劣らず危険な現象に直面しているのである。それは,地域の社会運動や政治的・宗教的党派,あるいは単に諸々の社会集団の側から図書館蔵書に加えられる検閲の試みである。図書館の蔵書から特定の書物(著者,出版者)を排除しようとする議論は,諸外国の(専門誌を含む)刊行物に顕著に広まっている。この意味では,ロシアは最も自由な国の一つであると想像される。というのも,国家の検閲が廃されたロシアは,未だ社会的検閲に直面していないからである。
以上の分析は総合的なものではなく,単に,ロシアの公共図書館の現実と世界の規範となる推奨的モデルとの比較において,最も興味深く,根本的と思われる要因を取り出したに過ぎない。比較してみると,ロシアはある面では遅れているが,すべての面でそうであるとは必ずしも言えない。ロシアの図書館は,人道的・能動的原理で運営され,図書館員の社会的責任感も強い。いずれにしろ,1972年宣言がロシアの図書館にいかなる影響ももたらさなかった過去を反省し,新宣言についてはプロフェッショナルな議論を展開することが不可欠であると,同論文は結んでいる。
若干補足しておきたい。1997年の暮れに国立国会図書館において「第7回日ロ国立図書館セミナー」が行われ,プログラムの一環としてロシア側参加者による「ソ連からロシアへ」と題する特別講演会が開かれた。席上,ロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルグ)館長のV.N. ザイツェフ氏が行った図書館・出版界における変化についての報告の中で,上に記したような事情,すなわち国家による検閲の廃止,文化活動における地方行政権限の強化,近年の図書館利用者の増加傾向などが確認された。そのほかに,現在ロシアには2つの国立図書館(モスクワとサンクト・ペテルブルグ)と地方行政単位ごとに14の中央図書館があること,ソ連邦の崩壊が特に図書館の収集活動に痛手をもたらしたこと,正当な予算分配の遅滞による財政難,1996年の時点で図書館の総数が14%減少したことなどが紹介された。
岩澤 聡(いわさわさとし)
Ref: Firsov, V. Chtoby istoriia ne povtorilos'. Manifest Iunesko o publichnykh bibliotekakh v Rossii: sravnitel'nyi analiz. Biblioteka 1996 (11) 30-34, 1996
ユネスコ公共図書館宣言 1994年 図書館雑誌 89(4)254-255,1995