カレントアウェアネス-E
No.508 2025.09.04
E2818
江戸マップ:江戸切絵図を活用した地名と地理のデータベース
ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター/国立情報学研究所・北本朝展(きたもとあさのぶ)
●はじめに
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、江戸の都市空間と社会構造を土台とした人間ドラマである。都市空間としては新吉原などの歓楽街や日本橋などの商業地域が取り上げられているし、社会構造としては出版業を中心とした江戸の商人や幕府との関係、さらには災害の状況などが登場する。こうしたストーリーをより深く楽しむには、過去の世界を探求するための地名や地理に関する情報基盤が必要である。
江戸の地理空間については、各種の古地図が比較的信頼できる情報源として使えるが、中でも「江戸切絵図」と呼ばれる分割地図は、各種の情報が充実しており利用価値が高い。そこでROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)では2019年以来、『尾張屋版・江戸切絵図』29枚に含まれる各種の情報を機械可読データとして整備するとともに、画像情報と地理情報を統合して閲覧できるウェブサイト「江戸マップ」の構築を続けている。江戸切絵図を現代によみがえらせる試みには、他にも『復元・江戸情報地図』(吉原健一郎ほか編集、朝日新聞社、1996年)や、それをアプリ化した「大江戸今昔めぐり」などがある。それに対して「江戸マップ」は、江戸切絵図のビジュアルの再現ではなく、江戸切絵図に含まれる情報を再利用性が高い形式に再生させることを目的とする点が異なる。
●「江戸マップ」の作成手順
「江戸マップ」の情報源は、国立国会図書館デジタルコレクションからIIIF形式で公開されている「江戸切絵図」である。その作成手順は以下の通りである。
- IIIF Curation Viewerを用いて、地図に描かれた地名の画像座標と翻刻をキュレーション形式で収集する。
- 立命館大学の矢野桂司氏が公開する「日本版Map Warper」を用いて、江戸切絵図画像と現代地図の間で対応する基準点(GCP)を設定し、ジオレファレンスする。
- Map Warperから得られる座標変換パラメータを用いて、地名の画像座標に対応する緯度経度座標を推定する。
- 3で推定された地名の位置にマーカーを表示し、「れきちず」(後述)および現代地図の上で確認しながら、より正確な位置にマーカーを移動させる。
- 4を江戸切絵図1枚ずつに行うことで、全29枚の江戸切絵図の地名位置を修正する。
- すべての地名を1枚の地図に統合して表示することで、複数の地図に登場する同一地名を特定し統合する。
- 統合作業の過程で見つかった地名の誤りなどを修正した上で、「江戸マップ地名データセット」として公開する。
- 「江戸マップ地名データセット」を他のサービスと連携させて利用するため、GeoNLP地名語辞書を作成した上で地名情報処理基盤GeoLODに登録し、江戸マップ地名IDに加えて地名の汎用的なIDであるGeoLOD IDを付与する。
これらの作業の結果、全29枚の江戸切絵図から抽出した地名8,788件のうち、870件は複数の地図で重複する地名であり、重複を除いた地名は7,918件となることがわかった。そしてこの成果を基に、2025年6月に「江戸マップ」正式版を公開した。
●各種地図の比較
江戸切絵図は測量地図ではないため、単純なジオレファレンスは不十分である。特に江戸周辺地域では、遠方の名所を無理やり地図に入れるために、距離や方向を無視して名所を描き入れているものがある。そのため、江戸切絵図と現代地図とのギャップが大きくジオレファレンスは困難となるが、このギャップを橋渡しする役割を果たしたのが「れきちず」である。「れきちず」は歴史的な地図を現代の地図感覚で楽しめるウェブサービスであり、株式会社MIERUNEの加藤創氏が立ち上げから運営までを担っている。我々は、江戸切絵図の町家領域を「れきちず」上に表示するための「江戸切絵図」町家領域データセットをオープンデータとして作成した。さらにこれを「れきちず」に統合することで、道路形状を参照しながら江戸切絵図と現代地図の比較ができるようにした。そして現代地図として、各種の施設情報が豊富なGoogle Mapsに加えて、寺院情報が充実しているOpenStreetMapや、地形情報が充実している地理院地図も併用し、地名の現在位置を特定しやすくした。
●「江戸マップ」の利用
江戸地名の機械可読データは様々な研究の土台となる。CODHが江戸に関する各種のデータを公開する「edomi」ウェブサイトでは、江戸の商店や観光地の地名を「れきちず」上に表示し、江戸風の地図の上に多くの人々が訪れた場所を可視化している。また、江戸の日記に出現する地名をマッピングし、江戸の人々の移動履歴の可視化も試みている。一方、CODHが中心になって取り組む研究プロジェクト「歴史ビッグデータ」では、各種の資料に残された安政江戸地震の被害記録の地名をマッピングし、地震の被害状況を地理的な分布として地図に表示した。さらに江戸マップの地名分類を活用すると、寺院が江戸市域をベルト状に取り囲んでいたこと、それらの寺院の多くが現代まで存続していることなどもわかった。
このように「江戸マップ」と関連データセットは、江戸という空間を研究する、江戸のドラマを楽しむなど、過去の世界を探求するためのオープンデータとして様々な目的に利用できる可能性がある。江戸に関する地理データとしては、DHコンソーシアムプロジェクト(DiHuCo)でも町村や海岸線、主要街道などのオープンデータを公開しているので、こちらもあわせてご活用いただきたい。
Ref: “江戸マップ:江戸切絵図を活用した地名と地理のデータベース”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/ “江戸切絵図 尾張屋版”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/ 大江戸今昔めぐり. https://www.edomap.jp/ “江戸切絵図から探す”. 錦絵でたのしむ江戸の名所. https://www.ndl.go.jp/landmarks/edo/ 日本版Map Warper. https://mapwarper.h-gis.jp/ れきちず. https://rekichizu.jp/ “江戸マップ地名データセット”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/dataset/ “江戸マップ地名データセット”. GeoNLP. https://geonlp.ex.nii.ac.jp/dictionary/edo-kiriezu-owariya/ GeoLOD. https://geolod.ex.nii.ac.jp/ “「江戸切絵図」町家領域データセット”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/rekichizu/ edomi. https://codh.rois.ac.jp/edomi/ “歴史ビッグデータ”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/historical-big-data/ “DHコンソーシアムプロジェクト(DiHuCo):研究実践ハブ/地図・地誌類領域”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. https://codh.rois.ac.jp/dihuco/ 北本朝展, 橋本雄太, 大邑潤三, 加納靖之. “歴史ビッグデータ構造化による安政江戸地震被害記録の分析”. 人文科学とコンピュータシンポジウム じんもんこん2024論文集. 仙台, 2024-12-07/08, 情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会. 2024, p. 37-44. https://id.nii.ac.jp/1001/00241385/ 北本朝展. “地名情報基盤GeoLODによる地名識別子の収集・共有・活用と歴史ビッグデータ研究”. 人文科学とコンピュータシンポジウム じんもんこん2022論文集. 2022-12-09/11, 情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会. 2022, p. 7-14. https://id.nii.ac.jp/1001/00223152/ 北本朝展, 鈴木親彦, 寺尾承子, 堀井美里, 堀井洋. “地理的史料を対象とした歴史地名の構造化と統合に基づく江戸ビッグデータの構築”. 人文科学とコンピュータシンポジウム じんもんこん2020論文集. 2020-12-12/13, 情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会. 2020, p. 171-178. https://id.nii.ac.jp/1001/00208592/