カレントアウェアネス-E
No.509 2025.09.18
E2826
国際学術会議Digital Humanities 2025<報告>
国立国会図書館電子情報部システム基盤課・村田祐菜(むらたゆうな)
デジタル人文学(DH)分野で最大規模の国際学術会議「Digital Humanities Conference 2025」(以下「DH2025」: E2538参照)が2025年7月14日から18日までポルトガル・リスボンにてハイブリッド形式で開催された。今大会は「アクセシビリティと市民権」をテーマに掲げ、1~2日目にワークショップ・パネル、3~5日目に研究発表(ショート・ロング)及びポスター発表が行われた。国立国会図書館(NDL)からは筆者が現地参加した。
発表総数は500件以上にのぼり、非常に活況を呈した。日本の研究機関・研究者からも多数の参加があった。本稿では基調講演と筆者が参加したセッションの一部について報告する。
●基調講演
開会式の基調講演では、中国・朝鮮中世史を専門とするチャ(Javier Cha)氏(香港大学)が、機械学習が歴史家の解釈作業に与える影響をテーマに発表した。氏は、伝統的な歴史研究とデジタルヒストリーの実践を可能な限り接合させることを目標に掲げているとし、大規模データを扱いつつも歴史家が重視する複雑なニュアンスを保持するための取り組みとして、いくつかの自らのプロジェクトを紹介した。その一例として、朝鮮の貴族・安東権氏の系図をオープンソースのグラフデータベースであるNeo4jでグラフ化し、同族結婚のパターンを発見した研究や、特定の課題に特化した小規模言語モデルのAIボット「AI朱熹」の開発が挙げられる。「AI朱熹」はきわめて具体的な問題に対して的確な回答を返すことができ、このようなLLMの支援を受けながら新しい視点で複雑なデータを読み解く方法を「アルゴリズム的読解」と呼んだ。
閉会式の基調講演では、リサム(Roopika Risam)氏(米・ダートマス大学)が登壇した。トランプ政権下の政策によって自身の汎アメリカ主義に関する研究の資金調達が困難になった現状に触れつつ、これを米国固有の問題ではなくDHの持続可能性に関わる課題として提起した。そうした状況下でDHを実践する上で重要な思考として「ミニマルコンピューティング」を挙げた。これは、限られた資金や技術環境のなかでプロジェクトに必要十分な技術のみを使うことを重視する考え方で、規模や新奇性を「革新的」とみなす価値観に対する抵抗である。実際にリサム氏のプロジェクトでは、通信環境が不安定な地域(グローバルサウス)のアクセシビリティ向上のために、優先度の低い機能を犠牲にして静的サイトを構築する方針をとったと述べた。
●図書館とデジタル人文学
国際デジタル・ヒューマニティーズ学会連合(Alliance of Digital Humanities Organizations:ADHO)の専門部会(SIG)「Libraries and Digital Humanities」が主催したセッションでは、著作権保護期間にある資料の共有のあり方が議論された。その中で、2000年代以降にコレクションのオープンで再利用可能な共有を推進してきた「Collection as data」の概念が専らパブリックドメイン資料に焦点を当ててきたという指摘がなされた。これを踏まえ、著作権保護下の資料を、法的・倫理的に管理しつつ共有可能にする方策が問われた。
米国政府による全米人文科学基金(NEH)等への公的資金援助の打ち切りによる影響も取り上げられた。すでにJSTORのテキスト分析プラットフォームであるConstellateの閉鎖(2025年7月)やHathiTrust Research Centerへの資金提供停止(2026年末予定)などDHの研究基盤への影響が生じている。この状況を受け、国際的な共同研究による資金調達の可能性が模索されるとともに、民間の資金提供者であるAI企業との関わり方についても話題にあがった。AI企業の中にも「責任ある倫理的なAI」を志向する動きはあり、図書館コミュニティとしてコレクションの提供等を通じて支援すべきAI研究を明確にすべきとの議論が交わされた。
なお、SIGは2025年で設立10周年を迎えることから、創立の経緯や理念の振り返りも行われた。2024年にはADHOの構成団体である人文学コンピュータ協会(Association for Computers and the Humanities:ACH)でも図書館関連のSIGが新設されており、DHにおける図書館員コミュニティの広がりと歴史の厚みが一層実感される内容であった。
●IIIF規格とAVコンテンツ
IIIF Presentation API バージョン3.0(2020年6月リリース)では音声・動画アノテーションの仕様が追加された(CA1989参照)。これに伴い、IIIF技術を基盤とした多様なツールが開発されている点が印象的であった。ここでは筆者が実際に確認した2つを紹介する。
AVAnnotate はクレメント(Tanya E. Clement)氏(米・テキサス大学)を中心に開発されたAVコンテンツのアノテーション・展示ツールである。ウェブベースで音声や動画に注釈・タグを付与できるほか、IIIF Manifestの読み込みや発行も可能であり、さらにコンテンツ解説を加えたウェブサイトの構築を容易に行える。ハート(Jacob Hart)氏(フランス・レンヌ第二大学)により開発されたArvestもWebベースのツールでテキスト、画像、音声、動画など様々な形式のコンテンツを一つのプラットフォームで管理・注釈できる点が特徴である。
IIIF対応のツール開発が進む一方で、18日のセッションではIIIF Manifestが未だ安定していないことが課題として指摘された。Image / Presentation APIはバージョン2.0と3.0の間で非互換の変更も多く、バージョンアップに際しては互換性の確保が今後重要であると思われる。
ほかにも手書き資料のOCR処理やRAG(検索拡張生成)に関する発表などテーマは多岐にわたった。各発表の要旨は公式サイトを参照されたい。
次回は2026年7月に韓国・大田で開催予定である。アジアでの開催は2022年の東京に次いで2度目となる。さらに2028年大会は南アフリカ・ケープタウンでの開催が発表されており、近年の非欧米圏での開催はDHコミュニティの世界的な広がりを示しているといえる。
Ref:
DH2025.
https://dh2025.adho.org/
Risam, Roopika. “DH2025 Keynote – Digital Humanities for a World Unmade”. Roopika Risam.
https://roopikarisam.com/talks-cat/dh2025-keynote-digital-humanities-for-a-world-unmade/
Risam, R.; Gil, A. Introduction: The Questions of Minimal Computing. Digital Humanities Quarterly. 2022, vol. 16, no. 2.
https://www.digitalhumanities.org/dhq/vol/16/2/000646/000646.html
Libraries and Digital Humanities Special Interest Group.
https://adholibdh.github.io/
Data Speculations.
https://dataspeculations.org/
“Plans for the HathiTrust Research Center”. HathiTrust. 2024-10-10.
https://www.hathitrust.org/press-post/plans-for-hathitrust-research-center/
“Constellate”. JSTOR Labs.
https://labs.jstor.org/projects/text-mining/
AVAnnotate.
https://av-annotate.org/
Arvest.
https://arvest.app/en
大沼太兵衛. 国際学術会議Digital Humanities 2022<報告>. カレントアウェアネス-E. 2022, (443), E2538.
https://current.ndl.go.jp/e2538
永崎研宣. IIIFの概要と主要APIバージョン3.0の公開. カレントアウェアネス. 2020, (346), CA1989, p. 13-16.
https://current.ndl.go.jp/ca1989