E2792 – 奈良文化財研究所のウクライナ文化財保護支援の取組

カレントアウェアネス-E

No.502 2025.06.05

 

 E2792

奈良文化財研究所のウクライナ文化財保護支援の取組

国立文化財機構奈良文化財研究所企画調整部国際遺跡研究室長・庄田慎矢(しょうだしんや)

 

  2022年2月から続くロシアによるウクライナ侵攻で、多くの文化遺産が破壊・消失の憂き目にあっている。遺跡や遺物などの考古学資料もその例外ではなく、ドネツク州ライマン市の地方史博物館の完全破壊、ハリコフ州クピャンスク市の博物館の破壊と館長および職員の死亡、マリウポリ国立大学の考古学博物館の破壊など、その凄惨を極める被害は、枚挙にいとまがない。2023年のユネスコ世界遺産会議において「聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群、およびキーウ・ペチェルシク大修道院」と「リヴィウ歴史地区」が「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されたことは、事態の緊急性を如実に示している。

  こうした戦時下でも、首都キーウを中心とした各地の考古学研究所や博物館では、専門家らが文化遺産の調査・研究・保護のための業務を果敢に遂行している。ウクライナは欧州とアジアの結節点に位置し、考古学・人類学的に見て、世界的にも価値が高い貴重な文化遺産を有している。これらの文化遺産を可能な限り多く救済するための具体的な活動を現地と協働して展開することにより、人類共通の文化遺産の保存・継承に資する作業に、外国からも貢献することができる。

  奈良文化財研究所(奈文研)では、2023年5月以来、現地の状況把握や支援可能性の検討を進めてきた。同年6月には現地の声を日本へ伝えるべく、ウクライナ国立科学アカデミー考古学研究所(以下「考古学研究所」)の研究者らによる記事を翻訳し、オンライン公開した(「文化遺産の世界」ウクライナ戦争(1)文化遺産への挑戦、ウクライナ戦争(2)生物考古学標本の危機)。また、文化庁からの受託事業として、2023年11月から2024年3月までの「ウクライナ戦争被災地における文化遺産の保護に係る専門家交流事業」および、2024年11月から2025年3月までの「ウクライナ戦争被災文化遺産の保護のための専門家交流事業」を実施した。これらの事業では、考古学研究所をカウンターパ-トとして、同所における考古学・人類学資料の収蔵・保管・運搬についての助言や技術支援を行った。日本は埋蔵文化財の調査・整理・保管のノウハウや制度が世界的にも進んでいるので、それをウクライナの状況に合わせながら支援に役立てることを目指すものである。

  上記のプロジェクトでは、考古学研究所の現存の収蔵庫管理システムをより円滑に運用するためのシステムの構築と、爆撃等不測の事態による緊急的な国内・国外輸送に備えた収蔵方法の確立を目指し、オンラインでの情報交換に加えて現地専門家の日本への招へいを実施した。専門的な研修プログラムに加え、一般向けシンポジウムを開催することで、現在のウクライナの文化遺産をめぐる危機的状況を日本の専門家や一般市民と広く共有し、支援の必要性を訴えた。シンポジウムの内容がマスコミでも大きく取り上げられたことで、一定の成果が得られたものと考えている。

  これらに加え、ウクライナの先史文化のハイライトともいえるトリピリア文化の土器を対象とした日本とウクライナの共同研究も、三菱財団の支援によって実現した。戦争という非常事態により、資料が所在不明にならないよう、関連する遺物の収蔵状況を把握し、整理・保管を進められるように支援するとともに、その中から適切な資料を抽出して、ウクライナ国内では実施できない考古科学的分析を共同で行っている。これにより、ウクライナにおける国際的共同研究の幅を広げると同時に、若手研究者への集中的な技術移転によって、同国での考古学研究の潜在性をさらに高めることが期待される。

  先行きの見えない政治的状況の中、文化財をめぐる状況はますます緊急の度合いを増している。今後とも、国内外に支援の輪を広げながら、日本らしさを活かした支援を続けていきたい。

Ref:
“Ukraine: UNESCO sites of Kyiv and L’viv are inscribed on the List of World Heritage in Danger”. UNESCO. 2023-09-15.
https://whc.unesco.org/en/news/2608
“ウクライナ戦争(1)文化遺産への挑戦”. 文化遺産の世界.
https://www.isan-no-sekai.jp/report/9239
“ウクライナ戦争(2)生物考古学標本の危機”. 文化遺産の世界.
https://www.isan-no-sekai.jp/report/9253
“国際シンポジウム「ウクライナの文化遺産と戦災」”. 奈良文化財研究所.
https://www.nabunken.go.jp/fukyu/event2024.html#research08