CA1745 – 外国児童文学の翻訳の歩み / 福本友美子

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カレントアウェアネス
No.308 2011年6月20日

 

CA1745

 

 

外国児童文学の翻訳の歩み

 

はじめに

 国際子ども図書館が開館したのは2000年5月だったが、開館記念の行事として、社団法人国際児童図書評議会との共催で「子どもの本・翻訳の歩み展」が行われた。これは日本の子ども達が過去に読んできた児童書のなかで大きな位置を占める、外国語から「翻訳」された児童文学を歴史の流れに沿って通覧しようという試みであった。国際児童図書評議会の会員として長年翻訳児童文学の歴史を研究してきた筆者は、この展示会の実行委員として参加した。

 本稿では、この展示会で発表した1960年代までの翻訳作品に、それ以降の翻訳の状況を加えて、外国児童文学の翻訳の歩みを概観する。なおここで取り上げる「外国児童文学」は、外国語で執筆され、日本語に翻訳された子どものための文学とし、絵本、ノンフィクションは含まない。

 参考文献とした子どもの本・翻訳の歩み研究会編 『図説子どもの本・翻訳の歩み事典』は、上記展示会の実行委員が中心となって編纂した書物である。

 

児童文学翻訳黎明期から戦前まで

 日本で子どものために翻訳された最初の本といわれているのは、幕末の1857年に「ロビンソン・クルーソー」をオランダ語版から重訳した『魯敏遜漂行紀略』である。これを皮切りに、「ガリヴァー旅行記」やヴェルヌの空想科学小説などが盛んに翻訳された。長い鎖国が終わり、新しい世界に目を向けようという気運が感じられる。

 明治時代には若松賤子訳のバーネット作『小公子』(1891)と、森田思軒訳のヴェルヌ作『十五少年』(1896)が二大名訳といわれた。若松の訳文は滑らかな言文一致体で、その後の翻訳文体に多大な影響を与えた。また「翻案」をせず、原作の雰囲気を忠実に伝えようとした翻訳態度は画期的であった。森田の訳文は漢文調だったが、緊迫した描写を精密に訳し、原作者の精神を生かした名訳とうたわれた。

 「翻案」とは外国の風物になじみのない日本の読者に配慮して、人物名を日本名に、物語の舞台を日本の地名に移し変えることで、明治・大正時代に盛んに行われた。菊池幽芳訳の『家なき児』(1912)では、主人公のレミを民、シャバノン村を鯖野村と訳すという具合である。他にも、ハイジは楓ちゃん、オリバー・ツイストは小桜新吉になった。また子どものために原作をやさしく語り直した「再話」や、複雑な部分を省略した「抄訳」も多く行われた。

 大正時代には冨山房の『模範家庭文庫』、精華書院の『世界少年文学名作集』、世界童話大系刊行会の『世界童話大系』などの豪華で高価な叢書が刊行され、家庭の本棚に翻訳文学が教養として備えられるようになる。これらの叢書に収められた古典作品が、その後も長いあいだ外国児童文学の名作として定着していく。昭和に入っても繰り返し翻訳され定番となったタイトルには、英国の「ロビンソン・クルーソー」「宝島」「ガリヴァー旅行記」「不思議の国のアリス」「ピーター・パン」「ジャングル・ブック」「黒馬物語」「フランダースの犬」「クリスマス・カロル」、米国の「王子と乞食」「トム・ソーヤーの冒険」「小公子」「秘密の花園」「若草物語」、フランスの「ああ無情」「三銃士」「十五少年漂流記」「家なき子」、イタリアの「クオレ」「ピノッキオの冒険」、スイスの「ハイジ」、ベルギーの「青い鳥」、スウェーデンの「ニルスの不思議な旅」などがあり、「グリム童話集」「アンデルセン童話集」「アラビアン・ナイト」も人気があった。自国以外の児童文学の中に、皆が共通して知っているタイトルがこれほど多い国は世界でも稀であろう。

 昭和初期には児童文学も大衆化の時代を迎え、大量生産による廉価な叢書が出版された。アルス社の『日本児童文庫』全76巻と興文社・文藝春秋社の『小学生全集』全88巻は互いに激しい宣伝・販売合戦を繰り広げた。この中にも名作の翻訳が多く含まれている。

 

戦後から現代まで

 戦後になってやっと各国の児童文学の新しい作品を紹介しようという動きが出てきた。1950年から刊行された『岩波少年文庫』と講談社の『世界名作全集』は、定番の名作を残しながらも同時代の新しい作品を意欲的に翻訳し始めた。『岩波少年文庫』には、ソビエト児童文学から『こぐま星座』や『ヴィーチャと学校友だち』、ドイツからケストナーの『ふたりのロッテ』ほかの作品、英国からランサムの『ツバメ号とアマゾン号』やルイスの『オタバリの少年探偵たち』、米国からワイルダーの『長い冬』など、新しい時代の息吹を感じさせる児童文学が次々に翻訳された。少年少女の日常生活を細部にわたってリアリスティックに描いた作品が目立つ。

 一方空想的な物語は英国に多く、『とぶ船』『風にのってきたメアリー・ポピンズ』『床下の小人たち』『クマのプーさん』などが翻訳された。フランスの『星の王子さま』、アメリカの『ドリトル先生アフリカ行き』、チェコの『長い長いお医者さんの話』、イタリアの『チポリーノの冒険』なども、独特の楽しい世界を繰り広げた(1)

 同じころ相次いで刊行が始まった創元社の『世界少年少女文学全集』(1953~1958)と講談社の『少年少女世界文学全集』(1958~1962)は、世界の児童文学を全50巻の中に網羅的に収録した大規模な全集である。社会の安定と共に家庭の購買力が上がり、子どもに良質の文学を読ませたいという親の意識も高まって、これらの全集は爆発的な売れ行きをみせた。

 1960年代から70年代には、児童図書の出版も年々盛んになり、出版社も増えた。欧米の児童文学の研究が熱心におこなわれ、新しい情報も容易に手に入るようになって、児童図書賞の受賞作など評価の高い作品がいち早く翻訳されるようになった。あかね書房、学習研究社、評論社、偕成社、福音館書店、冨山房などから、質の高い充実した翻訳シリーズが次々に刊行されている。第二次世界大戦後の児童文学には、困難をのりこえて成長する子どもの姿を描いた理想主義的な作品が多く、日本の作家たちにも大きな刺激となった。

 20世紀の終わりには児童文学も現代社会の諸相を映し、テーマは多岐にわたるようになる。物質的な豊かさとは裏腹に、家族の崩壊や老人問題、差別などの深刻な問題が扱われ、子どもの心の内側を深く掘り下げる作風が注目された。

 21世紀に入ってすぐに一大旋風を巻き起こしたのは「ハリー・ポッター」シリーズである。1997年に英国で出版されるや欧米諸国で一躍ベストセラーとなったローリングのファンタジーが日本でも翻訳され、子どもばかりか大人にも人気を博して驚異的な売り上げを記録した。不況続きの出版界ではこれにあやかろうと次々に古いファンタジーを復刊したり、新作を捜し求めたりする傾向が見られた。

 

おわりに

 このように児童文学の翻訳出版には長い歴史があるが、翻訳されるのは児童文学の長い伝統を誇る英国と、常に新しい時代をリードしてきた米国の作品が圧倒的多数を占める。欧州からは、ドイツ語、フランス語、ロシア語の作品が古くから翻訳されてきたが、北欧、南欧、東欧諸国の文学はまだ少ない。アジアについては、中国、韓国の作品が少しずつ訳されているが、その他の国々の作品はほとんど紹介されていない。アジア諸国では児童文学の出版自体がまだ発展途上にあることや、多岐にわたるアジア言語の翻訳者が少ないことも一因である。

 21世紀は、異文化を知り国際理解を深めるグローバリゼーションの時代といわれる。これまでごく少数だったアフリカを舞台にした作品も翻訳され始めた。英米主導の児童文学も少しずつその地平を広げつつある。

 日本では世界の先端を行く児童文学が翻訳されると同時に、古典作品が訳者を新しくして訳し直されてきた。明治から平成の長きにわたり外国の名作を翻訳で読み続けられたのは日本ならではの幸せだが、現代の子ども達に供するには注意を要する点もある。児童文学はその時代の社会の価値観を反映する傾向にあるので、古い時代の作品には今と異なる価値観で描かれた部分が少なくない。例えば名作物によく登場する「孤児院」のイメージは今の養護施設の状況と全く異なるし、職業、貧富の差、障碍に対する考え方も変化している。作品によっては、時代背景をまだ理解できない年齢の読者には誤解を与える危険性があるので、新訳の際に時代背景について解説を加えたものもある。図書館では新訳が出るたびにそういった観点からも作品を見直し、現代の読者への提供の方法に配慮することが望ましい。

児童図書研究・翻訳家:福本友美子(ふくもとゆみこ)

 

(1) 現実の暮らしの中に妖精や小人が出現して不思議なことがおこるエブリデイマジックの手法は、日本でいぬいとみこの『木かげの家の小人たち』や佐藤暁の『だれも知らない小さな国』に生かされ、両作の出版された1959年は日本の現代児童文学が成立した年といわれている。従来の「童話」や「メルヘン」に代わって「ファンタジー」という用語が使われ始めたのはこのころからである。

 

Ref:

子どもの本・翻訳の歩み研究会編. 図説子どもの本・翻訳の歩み事典. 柏書房, 2002, 398p.

 


福本友美子. 外国児童文学の翻訳の歩み. カレントアウェアネス. 2011, (308), CA1745, p. 6-7.
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