2.1 出版社と電子書籍

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2.1.1 電子出版としてのCD-ROM

 1985年10月、三修社が『最新科学技術用語辞典』(定価6万円)を発売したのが、CD-ROMの商品化第1号と言われている。そして2年後の1987年7月に岩波書店が『広辞苑』CD-ROM版(定価2万8,000円)を発売したことで、広く社会に認知された。1988年には『現代用語の基礎知識』(自由国民社、定価2万円)、『職員録』(大蔵省印刷局、定価2万円)、『模範六法』(三省堂、定価12万円=CD-ROM3万円+検索ソフト9万円)などが刊行された。なお『広辞苑』『現代用語の基礎知識』『模範六法』は当初、富士通製日本語ワードプロセッサー「OASYS100-CD」でしか稼動しない「WINGフォーマット」のみであった。

 1988年4月に日本経済新聞社が日本電子出版協会の協力を得て開催した「EP’88 第1回電子出版システム展」では紀伊國屋書店、日外アソシエーツ、日立製作所の3社共同によるCD-ROMを使った電子出版情報サービス「電子書斎バイブルズ」をはじめ、CD-ROM商品を17社が出品するなど、1980年代後半にはCD-ROMを中心とする電子出版への期待が高まっていた

 「電子書斎バイブルズ」は図書内容情報、新聞雑誌記事情報、人物情報、辞典、事典、世界各国情報などをCD-ROMに収録したもので専用検索機、CD-ROMドライブ、検索ソフトと10種類の情報ソフトを含めたシステム価格は128万円(5年リース月額2万5000円)を設定し、企業、大学、官公庁などを対象に販売が行われた。

 また日本図書館協会は1988年4月、大日本印刷の技術協力により、国立国会図書館の『日本全国書誌』をもとにした「JAPAN MARC」のCD-ROM版『J-BISC』を発売した。1枚のCD-ROMに約10年間分、50万点の書誌データが収録されたもので、これまでの磁気テープ(MT)での提供では年4巻で80万円だったため大型コンピュータが導入された38機関に限られていたのが、CD-ROM化することによって年4回のデータ更新で年間12万円と公共図書館、短期大学、高等学校の図書館にも購入の道が開かれたのである。つまり、この時期には書誌情報検索の分野におけるCD-ROMの至便性も注目されたのである。

 このようなCD-ROM出版への期待を背景に、規格標準化の動きも急速に展開した。日本電子出版協会(前田完治会長=当時)は、ISO(国際標準化機構)で承認されたCD-ROMの国際的な標準規格を基に日本の実情に合わせて標準化を進め、1988年3月に開催した臨時総会で日本電子出版協会システム標準化委員会およびワーキンググループがまとめた「日本語対応CD-ROM論理書式に関する標準化案」を承認した。

 日本電子出版協会は、1988年9月には標準規格によるCD-ROMのサンプルディスクを1万枚製作し、CD-ROM商品および標準規格の普及を図ることに努めた。

 そして1989年7月、この標準規格に基づくCD-ROM「和同開珎」の開発に成功したと発表した。このCD-ROM「和同開珎」には通商産業省(当時)、国立国会図書館、アスキー、岩波書店、学習研究社、新学社、東洋経済新報社、日外アソシエーツなど22社・団体が提供した出版コンテンツを収録しており、「PC9800」(日本電気)、「FMR」(富士通)、「B16」(日立製作所)などをはじめとする、マイクロソフトの基本ソフト(OS)“MS-DOS”が動作するパソコンで読み出しができるようになったのである。ただし、個別コンテンツの対応については、なおハードウェアに依存するものであった。

 

2.1.2 「電子ブックプレイヤー」と「電子ブック」の登場

 CD-ROMを利用するためにはパソコンのほかにCD-ROMドライブやインターフェイスボードといったシステムが必要で、CD-ROMドライブだけでも当時の価格で20万円以上はしていた。そのため1980年代のCD-ROM出版は個人ユーザー向けではなく、図書館や研究所といった機関ユーザーを販売対象としており、CD-ROM自体の販売価格も非常に高額であった。このような制約を乗り越えて、個人ユーザー向けのCD-ROM市場を開拓したのがソニーであった。

 1990年7月、ソニーは8センチCD-ROM専用の電子ブックプレイヤー「データディスクマンDD-1」を発売した。付属の「電子ブック」は三省堂の『現代国語辞典』『ニューセンチュリー英和辞典』『クラウン和英辞典』『コンサイス外来語辞典』『ワープロ漢字辞典』が1つに入った8センチCD-ROMで、これらの辞書5冊で約17万語が収録されていた。そのコンテンツを検索するのが電子ブックプレイヤー「データディスクマンDD-1」であり、付属品としては電子ブックのほかにビデオ接続コード、充電式バッテリーパック、単3電池ケース、ACパワーアダプターがセットされていた。

 出版社はソニーの「データディスクマンDD-1」の発売に合わせて「電子ブックコミッティー」を共同で設立し、別売ソフトとして『広辞苑 電子ブック版』(岩波書店、7,500円)、『現代用語の基礎知識 電子ブック 1990年版』(自由国民社、3,800円)など18タイトルを発売し、その後もタイトルを増やした。本報告書のインタビュー調査でもPHP研究所が『間違いことばの辞典』、また小学館もコンテンツを提供したと答えている。

 ソニーに続いて三洋電機、松下電器産業、NECが電子ブックプレイヤーを発売するが、その後、パソコンにCD-ROMドライブが標準装備されるようになると、電子ブックプレイヤーはその役割を終えることとなる。例えば1995年にWindows版エキスパンドブックを発売したボイジャージャパン、新潮社、NECインターコンチネンタルの3社が『CD-ROM版 新潮社文庫の100冊』(CD-ROM1枚、1万5,000円)を共同制作し、冊子体よりも安価であったことから読者に受け入れられた。また縦書きルビ付き表示、マルチメディア注釈機能、検索機能などがコンピュータと読書を結びつける新しいスタイルとして注目された。

 電子ブックプレイヤーは、今日では辞書コンテンツを半導体メモリに収めた専用機としての電子辞書に引き継がれているといえよう。『電子書籍ビジネス調査報告書2007』によると、電子辞書市場は2007年に300万台、650億円、平均単価2.17万円と推計(カシオ計算機公表資料より/予測値)されているが(1)、本報告書では電子辞書を電子書籍に含めず、調査の対象とはしていない。

 

2.1.3 CD-ROM出版その後の展開

 1990年代に入り、CD-ROM出版に新たな展開があった。

 1991年9月、岩波書店、ソニー、大日本印刷、凸版印刷、富士通の5社は「EPWINGコンソーシアム設立発表会」を開催し、CD-ROMの標準規格として「EPWING規約」を制定し、この規約に基づくCD-ROM検索システムおよびCD-ROM出版物の普及を目指す機関としてコンソーシアムを1991年10月に設立した。この規約に則って出版されたCD-ROMは『CD-ROM最新医学大辞典』(医歯薬出版)、『角川新類語辞典』(角川書店)、『ニューセンチュリー英和・新クラウン和英辞典』(三省堂)、『ワードハンター―マルチROM辞典』(三省堂)、『現代用語の基礎知識1992年度版CD-ROM』(自由国民社)などである。

 また1992年、化学メーカーのクラレはこれまでのCD-ROM出版にくらべて数分の一のコストで出版を可能にする「PICTO-ROM」システムを開発した。また絶版や品切れ本、あるいは紙で復刻することを考えていた出版物をCD-ROM化することで再び読者に提供できないかという出版社の発想から、「PICTO-ROM出版研究会」(代表幹事:清田義昭出版ニュース社代表)も発足した。PICTO-ROMは、従来の文字情報を基本に検索機能を付加したシステムと異なり、光磁気ファイリングによって取り込んだイメージ情報をCD-ROMに転写し、ディスプレイ上では図版・写真など入力画面をそのまま再現するデータベースシステムである。このPICTO-ROMを経葉社が改良を重ねて「経葉」というソフトウェアを作り、その商品化第1号として大正・昭和初期の文芸投稿誌『文章倶楽部』が1995年8月に八木書店から発売された。続いて1996年11月には、活版印刷の衰退により当時絶版状態であった『マルクス=エンゲルス全集』が、大月書店から発売されて話題となった(2)

 また百科事典の分野でもCD-ROM化が急速に進展する。すでに1988年10月、TBSブリタニカは『ブリタニカ国際大百科事典』(全29巻)のうち小項目事典6巻分を1枚のCD-ROMに収めた『賢作くん』を総合辞典の分野で初めて開発したと発表していた。しかし、1993年にアメリカで1枚のCD-ROMとして発売されたマイクロソフトのマルチメディア百科『エンカルタ エンサイクロペディア』の日本語版が、1997年2月に刊行され、百科事典分野におけるCD-ROM化が注目を集めたのである。

 『エンカルタ エンサイクロペディア』日本語版は、冊子体の百科事典とは異なり約1万8,000項目の解説文中に10万5,000を超えるリンクが張られ、瞬時に関連項目へジャンプすることが可能であった。百科事典のCD-ROM化はこのように保管場所をとらないということだけなく、これまでの知識へのアクセスのしかたそのものを変化させるものであったと言ってよい。

 日本の出版社は1997年に日立デジタル平凡社が『マイペディア97』、1998年に『世界大百科事典』をCD-ROMとして発売した。『世界大百科事典 CD-ROM プロフェッショナル版』(刊行記念特別定価5万7,000円)は、48万項目から索引検索、本文7,000万字から全文検索、人名、地名などのグループ1,600項目から項目グループ検索が可能で、同一画面で参照できるマルチウィンドウや必要なページを精細にプリントできる機能などを特徴としていた。

 小学館も1998年、『日本大百科全書』と『国語大辞典』を合わせてCD-ROM化、音声、動画、静止画も収録し、インターネットにアクセスできることを特徴とした『スーパー・ニッポニカ 日本大百科全書+国語大辞典 CD-ROM版』(4枚組、7万8,000円)として発売した。

 百科事典のCD-ROM化競争は1999年になると今度はDVD-ROM化へと進展していく。日立デジタル平凡社は全35巻の『世界大百科事典』をDVD-ROM1枚に収録した『世界大百科事典 第2版 プロフェッショナル版 プレミアム』(4万8,000円)、競合するマイクロソフトもDVD-ROM版の『エンカルタ総合大百科2000』(オープン価格)、小学館は2000年に『スーパー・ニッポニカ2001 日本百科全書+国語大辞典DVD-ROM版』(発売事前予約価格3万4,000円)を発売した。ちなみに現在では小学館の『日本大百科全書』は絶版であるが、2008年11月、Yahoo! JAPANと提携し、「Yahoo! 百科事典」として、毎月、新たな項目やマルチメディア・データを追加する形で、ウェブサイト上での無料公開を開始している(3)。これは2001年にアメリカで始まったWikipedia(ウィキペディア)のようなインターネット上にボランティアが作り上げる無料の百科事典とは異なり、各分野の権威の手で編纂されたことが強調されているネット百科である。

 一方、冊子体で1977年から発売されてきた日本書籍出版協会の『日本書籍総目録』が2001年版をもってその刊行を中止し、2002年版からCD-ROM化され『出版年鑑 2002年版』とセットで発売されたことは、「『本の本』が本でなくなる!?」と報道され話題を集めた(4)。これは1997年9月、日本書籍出版協会が書籍検索サイト「Books」(http://www.books.or.jp)を開設し、『日本書籍総目録』のデータを無料公開したため、冊子体の販売が激減したためであったが、CD-ROM版も『出版年鑑 2004年版』のセット販売を最後にその刊行を中止した。CD-ROMがパッケージ系メディアであることの制約から、データが日次更新される「Books」に移行したという点で、まさに情報検索の局面におけるCD-ROMの限界を象徴する出来事であったと言えよう。

 

2.1.4 「電子書籍コンソーシアム」の実証実験

 日本の出版業界における電子出版の歴史を語る上で欠かすことができないのが、「電子書籍コンソーシアム」の実証実験である。これはデジタル化された出版コンテンツを通信衛星の回線を用い、全国の書店、コンビニエンスストア、大学生活協同組合に配信し、そこに置かれた販売端末から「Clik!」という記憶媒体にダウンロードして高精細度液晶読書専用端末で読むという次世代電子書籍システムの実証実験であった。

 電子書籍コンソーシアムはこれまで先進的に電子出版にかかわってきた出版社が発起人企業となり、1998年10月の設立総会で正式に発足した。

 この電子書籍プロジェクトの特徴は、まず紙の本のもっている特性を継承させるために安くて持ち運びに便利な高精細度液晶の読書専用端末を開発したことである。また、書籍の電子化を安く大量に行うために紙の本を画像データとして取り込む技術を使ったこと。さらに、画像データの宿命である大容量化に対応するため、情報の配信経路としては通信衛星、光ファイバーなどを使ったことが挙げられる。

 このプロジェクトは1998年、政府の「先進的情報システム開発実証事業」に応募し、8億円の予算を獲得し「ブック・オン・デマンド総合実証実験」として始まった。実証実験の概要は次のようなものである。

  •  第1に、電子化センターで紙の本として発行された書籍を高画質の画像処理をしながらスキャナで画像として取り込む。実験期間中に約5,000タイトルの電子書籍が用意された。
  •  第2に、配信センターで電子書籍の情報を蓄積管理して、衛星やインターネットに配信する。
  •  第3に、販売端末を書店、コンビニエンスストア、大学生活協同組合に20台設置する。一方、インターネットで読者のパソコンに直接、配信することも実験に取り込む。
  •  第4に、読書端末は高精細度の液晶を使った読書専用端末を500台用意し、モニターに提供する。一方、パソコンで読む人のためにPCビューワを配布する。

 この実証実験は1999年11月1日に始まり、コンテンツの販売期間が2000年1月31日まで、電子書籍リーダーの利用機関が2000年2月19日まで、PCビューワの利用機関が2000年3月31日までとなっていた。また、募集人員は電子書籍リーダー協力読者が500人、PCビューワ協力読者が1,000人、コンソーシアムに参加している企業は145社であった。

 この「電子書籍コンソーシアム」が画期的であったのは、これまでのCD-ROMや「電子ブック」などのハードメーカー主導型ではなく、出版社主導型の組織であったこと。また、これまでのCD-ROMが検索機能や音声が出ることを強調されすぎたことの反省から、読書端末として文字が正しく表現できるモノクロの高精細度の液晶の開発に力点が置かれたことである。

 2000年3月、この実証実験の結果が『電子書籍コンソーシアム成果報告書』としてまとめられ、公表された。この報告書によると、テスト用データとしては販売に提供されたコンテンツ総数は3,464点であった。そして実験に参加した読者のアンケート結果では、電子書籍リーダーの評価は必ずしも高いものではなかった。読書専用端末が重く、片手で持ちにくいこと。電池寿命が短いこと。この実験のために開発された記憶媒体「Clik!」の容量が小さく、2枚目を購入しようとすると価格が高いこと。電子書籍の購入手順が煩雑で、購入に要する実時間が思ったよりかかること。また読書専用端末での読書そのものに抵抗感があること、などが指摘されている。

 電子書籍コンソーシアムの実証実験はその後、日本の出版業界の中でそのまま事業として立ち上げられたわけではない。しかし、この実証実験によって少なくとも国の予算で3,464点の電子書籍のコンテンツが出現したことの意義は大きく、その後の電子出版へとつながっていくのである。

 

2.1.5 「電子文庫パブリ」と出版社

 1999年12月、「電子文庫出版社会」が発足する。これは角川書店、講談社、光文社、集英社、中央公論新社、徳間書店、文藝春秋の8社が共同で「電子文庫」をインターネット経由でダウンロード販売することに合意し、2000年にオープンすると発表したのである。このように出版社が共同で電子書籍を販売することは日本の出版業界では初めての事例で、ネット上のモールの名称を「電子文庫パブリ」とした。

 2000年9月にスタートした「電子文庫パブリ」では、電子書籍コンソーシアムの実証実験とは異なり、画像データではなくテキストデータを扱い、パソコンやPDA(携帯情報端末)などの既存のインフラを視野に入れて事業展開を図った。

 その後、小学館、祥伝社、筑摩書房、双葉社、学習研究社が加わり、会員社は13社(2009年1月現在)となっている。

 今日では著者が出版社と交わす出版契約に「第1条(独占出版の許諾)」の「表記の著作物を独占的に複製・譲渡することを許諾する」の次に「2 前項の許諾には、オンデマンド出版またはオンライン出版で頒布することを含む」と明記していることが通例だが、電子書籍販売サイトが現れ始めたころにはこのような規定は一般的ではなかった。したがって、文庫を持っていない出版社が既刊の単行本を他社に「文庫化」されてしまう事態と同じように、「品切れ重版未定」の状態で置いていた出版社の頭越しに、著者がコンテンツプロバイダーの勧めに従って電子書籍化する契約を結ぶということも起こり得た。出版社が電子書籍をラインアップしておく今日の動向にはこのような戦略も垣間見られるのである。

 

2.1.6 読書専用端末と「電子書籍元年」

 2004年、読書専用端末であるΣブックとLIBRIeが発売され、これまで電子書籍に取り組んできた出版社、コンテンツプロバイダーなどの関係者からは今度こそ「電子出版元年」であると期待の声が高まった。

 2003年4月、松下電器は読書専用端末「Σ(シグマ)ブック」を発表し、出版社や印刷会社は2003年9月に任意団体「電子書籍ビジネスコンソーシアム」(発起人:勁草書房、松下電器産業・パナソニックシステムソリューションズ社、東芝、イーブックイニシアティブジャパン、大日本印刷、丸三書店、ハドソン、ソフトバンクパブリッシング、ケンウッド、弘文堂、旭川富貴堂、イースト、平凡社、デジタルパブリッシングサービス、図書印刷、原書房、旭屋書店、凸版印刷、岩波書店の19社)の発起人会を開催した。

 Σブック(本体希望小売価格3万7,900円・税別)は2004年2月、全国の46書店とその書店の通販サイトなどで発売された。Σブックのコンテンツ提供サイトやイーブックイニシアティブジャパンが運営する電子書籍販売サイト「10daysbook」などで購入した小説やマンガなどをSDカードに入れ、端末機で購読するしくみである。当時のカタログによると「持ち運びが便利:A5判とほぼ同じ大きさの約520gの軽量・コンパクト設計」「目に優しい:約7.2インチの反射型・液晶モニター」「長時間使える:単3電池2本で約3ヶ月使える日本初・記憶型液晶採用(1日約80ページ閲覧時)」「大容量メモリー:SDメモリーカードにお好きな本を記憶。自分だけの書棚が手のひらに!!」の4つのポイントが強調されていた。

 Σブックがなぜ家電店ではなく、まず書店で販売されたのかには理由がある。Σブックの開発に取り組んできた早川佳宏・パナソニックシステムソリューションズ社電子書籍事業リーダーは、コンテンツ配信系の新ビジネスを立ち上げるために協力を得ようとイーブックイニシアティブジャパンの鈴木雄介社長を訪ねた。そこで、見開きで印刷と同じくらい高精度でルビまで液晶に表示する読書専用端末の必要性、そして家電ではなく本として書店と協力することが大切だという鈴木社長の提案を聞いたからである(5)

 Σブックは2004年2月、青山ブックセンター、旭屋書店、紀伊國屋書店、ジュンク堂書店、丸善、八重洲ブックセンターの6社・48店舗とそれぞれの書店サイト、そして松下電器産業のサイト「パナセンス」で予約受付、販売を行い、初回200台が発売早々品切れになる出足であったが、その後は売れ行き不振から販売を中止。Σブックに続き2006年12月に発売された第2世代の読書端末である「WordsGear(ワーズギア)」(松下電器、角川モバイル、東京放送の共同出資会社「ワーズギア」が発売・コンテンツは電子書籍サイト「最強☆読書生活」などが販売)は、書籍のほか音楽、動画、静止画が再生できるものであったが、これも現在では生産を完了している。

 一方、ソニーも読書専用端末「LIBRIe(リブリエ)」を2004年3月に発表し、それに先立つ2003年11月に電子書籍事業会社として「パブリッシングリンク」(講談社、新潮社、ソニー、大日本印刷、凸版印刷、筑摩書房、NOVA、読売新聞グループ本社、朝日新聞社、岩波書店、角川書店、光文社、ソニーマガジンズ、東京創元社、文藝春秋、15社が出資)を設立した。パブリッシングリンクが提供する電子書籍サービスは「Timebook Town」と呼ばれ、ダウンロードから2ヶ月間が過ぎると書籍データにはスクランブルがかかり、読めなくなる閲読期間限定のサービスである。月額210円で会員登録を行い、1冊につき315円の利用料金を支払うほか、割引サービスやサービスメニューも提供する。

 そして2004年4月、ソニーマーケティングからLIBRIe(オープン価格、市場販売推定価格4万円前後)が発売された。LIBRIeはパソコンにダウンロードした電子書籍データを本体内蔵メモリやメモリスティックに記録して閲覧するもので、本体内蔵メモリは約10MBで、1冊250ページの書籍なら約20冊分を記録することができる。表示部分には新たに開発した「E INK(イーインク)方式電子ペーパー」技術によって紙のような表示をめざしている。本体の厚さは13㎜で、重量は190g。単4電池4本で本体を標準モードに設定した場合、約1万ページの閲覧が可能という。

 2007年9月、パブリッシングリンクは電子書籍配信事業を独立法人化し、新会社「タイムブックタウン」を発足させたが、これはソニーがLIBRIeの新機種開発を凍結し、事実上読書専用端末事業から撤退することを受けたものであった。その後、Timebook Townは2008年4月1日付けで「サービス終了のお知らせ」を以下のようにサイト上で告知した(6)

サービス終了日:終了するサービス
2008年09月30日:入会受付終了
2008年12月25日:コンテンツ販売終了
2009年02月28日:すべてのサービス(Timebook Townでのコンテンツ販売、会員向けサービス、Webサイト、カスタマーサポートを含むすべてのサービス)を終了

 パナソニック(松下電子産業が2008年10月1日付で社名変更)システムソリューションズ社も2008年10月1日付で「ΣBook.JP、最強☆読書生活(PC版)の、閉店のお知らせ」として、2008年9月30日の営業を最後に閉店したことをホームページ上で告知している(7)

 このような読書専用端末の開発と販売中止の経緯を見ると2004年もまた「電子書籍元年」ではなかったことが判明するのである。

 

2.1.7 読書専用端末から汎用型デバイスへ

 日本における読書専用端末が相次いで挫折していく中、2007年9月にボイジャージャパンはオンライン書店や「青空文庫」からダウンロードしてiPod touchやプレイステーションポータブル(PSP)で読むサービスを開始し、任天堂は2007年10月にニンテンドーDSで読む『DS文学全集』(メーカー希望小売価格2800円)を発売している。つまり読書専用端末は読者に支持されず、携帯電話、iPod touch、PSP、DSといった汎用型デバイスが注目されているのが現状と言えよう。

 例えばDSに関しては、携帯ゲーム機の動画ソフトなどを販売する「am3」に大日本印刷が筆頭株主として資本参加し、2008年7月から「DSVision.jp」サービスというDS向けコンテンツの配信事業を開始した。これはインターネットを使ってDS及びDS Liteの端末にゲーム以外の電子書籍や動画、音楽などのコンテンツをダウンロードできるサービスである。ダウンロードには専用の「microSDカード」とカードを格納してDSで読み込めるようにする専用のアダプタ、カードをパソコンに接続するためのUSBカードリーダーが必要ではあるが、2ギガのカードに書籍4,000冊分、コミック200冊分、映画16本分の収録が可能である。

 また2008年7月に日本でも発売されたiPhone3Gは、これまでの多くの携帯電話とは異なり、キーパッドが存在せず、タッチパネルによるインターフェイスを採用している。電子書籍を読む場合、iPhone上からApp Store(AppleのiPhone 3GおよびiPod touch向けに開発された配信チャネル)にアクセスして、購入したいタイトルのページにジャンプする。そこから画面の指示にしたがって購入することになる。

 ところで読書専用端末が普及しないことについて、筑瀬重喜・朝日新聞大阪本社グループ戦略本部主査は「シグマブック以降のすべての読書端末は、『どれだけ画面が精細で紙に近いか』『どれだけペーパーライクか』を競っている」と批判的に検証し、実際に電子書籍コンソーシアム実証実験のモニターに参加した経験から次のように結論づける。

 

「電子書籍が受け入れられるのは、特定の種類の読書だけであり、それ以外では身体が拒むからである。つまり直読型文章を通読ないし検索する読書と、解読型文章を検索するタイプの読書は電子書籍に適している。だが、解読型の文書を通読するタイプの読書(これが大半の読書を占める)には、電子書籍は適合しないのである。」(8)

 

 ここでいう直読型文章とは「駐車禁止」のような瞬時に理解できるタイプの文、解読型文章とは文芸や教養書、新聞などの文であり、「解読型の文を通読の意図で持って読むこと」は書籍、「直読型の文を通読の意図を持って読むこと」はケータイ小説、「直読型の文を検索の意図を持って読むこと」は電子辞書、「解読型の文を検索すること」は文学研究などで調べる場合に対応すると、「文の性質」と「読み手の態度や姿勢」の二つの軸をもとにマトリックスを描いて説明している。

 つまり読書専用端末の失敗は、紙や書籍の代替としては社会に受け入れられないことにあり、ケータイ小説や電子コミックが受け入れられたとしても電子書籍への全面移行にはならないとする「読み手」を視野に入れる立場からの批判である。

 

2.1.8 アマゾン「Kindle」と「なか見!検索」

 日本では読書専用端末が一般読者に受け入れらないことが次第に明らかになってきた頃、2007年11月に米国のアマゾンが読書専用端末「Kindle(キンドル)」(発売当初価格は399ドル、約4万円)を販売した。Kindleは通信機能を有しているという点において、従来の読書専用端末と一線を画していた。利用者は無線LANで接続した端末を通じ、“amazon.com”に設けられた“Kindle Store”から書籍を選んでコンテンツを購入できる。アマゾンが用意した電子書籍は、発売当初の段階で9万タイトルにも及び、ベストセラー本も紙よりかなり安い9.99ドルで購入できる。つまり音楽コンテンツにおけるアップルのiPodとiTunesの関係と同じように、電子書籍の分野でブレークする可能性もあり得ると指摘する論者は多い。

 ところで日本で2005年11月にサービスが始まったアマゾンジャパンの書籍全文検索サービス「なか見!検索」は、2008年10月31日現在、参加出版社数約1100社、和書7万点が登録済みである。また2008年1月30日にアマゾンジャパンが発表した2007年と2006年の和書の出版社別売上げランキング上位100社のうち「なか見!検索」に参加している出版社は59社であった(9)。キーワードで検索して書籍の本文を確認するという購読スタイルは、いわば紙の本ではリアル書店の立ち読みに該当する。

 では紙の本をオンライン書店で取り寄せることなく、通信機能をもった読書専用端末で購入して、読むという読書スタイルははたして出現するのであろうか。

 米国で発売されたKindleはアマゾンによれば「1.読みやすいディスプレー(電子ペーパー採用)、2.直感的インターフェース(取扱説明書不要)、3.PC接続不要(携帯データ通信内蔵)、4.豊富なコンテンツ(書籍、新聞・雑誌:18.5万冊以上)」を特徴としている。日本での発売時期について筆者は2008年11月、アマゾンジャパンの関係者に直接質問したが未定とのことであった。

 

(1) 電子書籍ビジネス調査報告書2007. インプレスR&D, 2007, p206, (インプレスR&D インターネット総合研究所 調査報告シリーズ).

(2) “4万ページがCD-ROM7枚に 絶版のマルクス・エンゲルス全集”. 朝日新聞(夕刊), 1996-11-14, p.11.

(3) ヤフー. “新サービス「Yahoo!百科事典」を公開:小学館『日本大百科全書』を完全無料で検索できる”. http://pr.yahoo.co.jp/release/2008/1127a.html, (参照 2009-02-11).

(4)“「本の本」が本でなくなる!? 「日本書籍総目録」CD-ROMに”. 朝日新聞, 2002-01-21, p32.

(5) かつて松下電器のウェブサイト上で、「シグマブック/電子書籍への挑戦・Σの名のもとに」として公開されていたが、2009年1月26日現在確認できない。参考として、かつて筆者が披見した2004年7月30日付けの書誌を記載する。
松下電器. “シグマブック/電子書籍への挑戦・Σの名のもとに”. http://matsushita.co.jp/ism/sigmabook/html/00.html, (参照 2004-07-30).

(6) タイムブックタウン. “Timebook Townサービス終了のお知らせ”. http://www.timebooktown.jp/Service/info/2008/info_s080401_01.asp, (参照 2009-01-26).

(7) 本ホームページ自体も、すでに閲覧することができない。

(8) 筑瀬重喜. 読書端末はなぜ普及しないのか. 情報化社会・メディア研究. 2008, 5, p.39.

(9) “アマゾンジャパン 出版社別ランキング初公開 出版社別年間売上ベスト100”. 新文化, 2008-02-07. p3.

 

参照ウェブサイト

“iPhone3G”. アップルジャパン. http://www.apple.com/jp/iphone/, (参照 2009-02-10).

“青空文庫”. http://www.aozora.gr.jp/, (参照 2009-02-11).

“amazon.com”. http://www.amazon.com/, (accessed 2009-02-11).

“Kindle Store”. Amazon.com. http://www.amazon.com/kindle-store-ebooks-magazines-blogs-newspapers/b?node=133141011, (accessed 2009-02-11).

“DSVision.jp”. am3. http://www.dsvision.jp/, (参照 2009-02-11).

“iモード”. NTTドコモ. http://www.nttdocomo.co.jp/service/imode/, (参照 2009-02-11).

“Googleブック検索”. Google. http://books.google.com, (参照 2009-02-11).

“EZWeb”. KDDI. http://www.au.kddi.com/service/ezweb/index.html, (参照 2009-02-11).

“Yahoo!ケータイ”. ソフトバンクモバイル. http://mb.softbank.jp/mb/service/3G/yahoo_keitai/, (参照 2009-02-11).

“e-Book Japan”. 電子書籍コンソーシアム. http://www.ebj.gr.jp/, (参照 2009-02-11).

“電子文庫パブリ”. 電子文庫出版社会. http://www.paburi.com/, (参照 2009-02-11).

“日本ペンクラブ電子文藝館”. 日本ペンクラブ. http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/, (参照 2009-02-11).

“ブッキング”. http://www.book-ing.co.jp/, (参照 2009-02-11).

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