E2714 – ライブラリーカフェ:百年前の人々が本を手にするまで<報告>

カレントアウェアネス-E

No.483 2024.07.11

 

 E2714

ライブラリーカフェ:百年前の人々が本を手にするまで<報告>

関西館アジア情報課・向井紀子(むかいのりこ)

 

  2024年3月15日に、国立国会図書館(NDL)関西館で、令和5年度関西館ライブラリーカフェ「百年前の人々が本を手にするまで-近代奈良の書物文化環境をたどる」を開催した。関西館では、2020年度から「関西館ライブラリーカフェ」を開催している(E2509 参照)が、初めてオンラインではなく、会場に12人の参加者を迎えて実施することができた。本稿ではこの概要を報告する。

●企画意図

  「関西館ライブラリーカフェ」は、「次に開く一冊に出会う」をコンセプトに、専門家による話題提供、関西館の関連資料の紹介、参加者を交えた懇談を組み合わせた催しである。

  今回は、磯部敦氏(奈良女子大学研究院人文科学系教授)を専門家として迎え、近代奈良の出版史・出版事情を主題にした。

  書物は、印刷、製本等の関係業者の手を経て形になり、書店、貸本屋、図書館等を通じて人々の手に届く。デジタルシフトが進む現代において、書物そのものの手触りや関係者の息遣いを感じ、その意義を改めて考える機会を得ることが企画理由の一つである。また、関西館は「古都」と呼ばれる奈良・京都の境に立地する。「古都」が、国民国家形成に必要な共同体への帰属意識を形成し、国際社会にアピールする仕掛けとして、近代に成立したという近年の研究をふまえ、とりわけ近代奈良における出版流通や書物をとりまく環境を探ってみたいと考えた。

●当日の様子

  「話題提供の部」と「情報交換の部」の2部構成をとり、「話題提供の部」では、「百年前の「当たり前」を知るために-近代奈良書物文化環境へのアプローチ」と題して磯部氏が講演を行った。

  「書物文化環境」とは、誰が、いつ、どこで、どの書物を、なぜ購入し、どのように読み、どのように扱ったのかという、書物をめぐる日常の風景を指す。当たり前の風景は記録に残りにくく、記録に残すときはもはや日常ではなくなりつつあるものである。

  講演では、まず地方の書物文化環境にどのようにアプローチするか、大都市から地方への波及という観点ではなく、地方の実状にあった形で明らかにしたいという同氏の問題意識が語られた。

  続いて、近代奈良を例に、資料の広がり、人や物の動き、現場で起きていた実態の三つの観点から、調査のための方法論が解説された。同氏は、書物文化環境を、文献等の記述内容だけでなく、書物をめぐる様々な痕跡を証拠として積み上げることで追跡していく。国立国会図書館デジタルコレクション(以下「デジコレ」)等のデータベースや名鑑・商業案内等の出版物、公文書のほか、同氏持参の購書目録、領収書、同人誌、地図といった多数の史料や写真を駆使して、当時の書物をめぐる日常を解明する過程が明かされた。

  関西館からは、所蔵資料及びデジコレを中心に出版史関連資料を紹介し、お役立ちツールとして、デジコレ及びリサーチ・ナビから「出版人を調べる」等を案内した。なお、紹介した関連資料の一部は、本イベントに連動して関西館総合閲覧室で開催したミニ展示「近代出版事情―明治から昭和初期までを中心に―」でも展示した。

  「情報交換の部」では、参加者からたいへん活発に質問や意見が寄せられ、時間を延長するほどであった。絵葉書の流通実態や郷土史家ネットワークの地域的・年代的広がりを探る手掛かり、研究者目線での図書原簿の見方、近代奈良の印刷技術等、幅広いテーマについてやりとりがあった。また、同氏の資料・情報整理術や研究上注目の地域についての質問もあった。

●開催を終えて

  近年の近代出版への関心の高まりや研究の深化を背景としてか、盛況のうちにイベントを終えることができた。市井の人々の日常を大切にし、消え去ってしまうものを辿ろうとする同氏の研究対象・手法が、民俗学や社会学、歴史学等に通じることも、多様な分野に関心を持つ人々の参加につながったかもしれない。専門家の情報提供を踏まえ、資料を傍らに、少人数で自由に語る場を作ることはできたと思われる。今後も参加者の「次に開く一冊」につながる催しを提供していきたい。

Ref:
“令和5年度関西館ライブラリーカフェ「百年前の人々が本を手にするまで-近代奈良の書物文化環境をたどる」”. NDL.
https://www.ndl.go.jp/jp/event/events/librarycafe_20240315.html
高木博志. “論考「日本美術史」の形成と古都奈良・京都”. 学問をしばるもの. 井上章一編. 思文閣出版, 2017, p. 72-85.
関西館ミニ展示資料リスト : 近代出版事情-明治から昭和初期までを中心に-. NDL, 2024, 4p.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/file/gallery/kansai_exhibitions/past/202402_kindaisyuppan.pdf
磯部敦. 書籍はどう動いたのか: 近代書籍流通史料の世界(1). 書物学(Bibliology). 2020, 18, p. 60-65.
磯部敦. 書籍はどう動いたのか: 近代書籍流通史料の世界(2). 書物学(Bibliology). 2022, 19, p. 102-106.
磯部敦. 書籍はどう動いたのか: 近代書籍流通史料の世界(3). 書物学(Bibliology). 2022, 21, p. 87-91.
岸政彦. “第3章 生活史”. 質的社会調査の方法 : 他者の合理性の理解社会学. 有斐閣, 2016, p. 155-240, (有斐閣ストゥディア).
工藤哲朗. 2021年度第2回関西館ライブラリーカフェ<報告>. カレントアウェアネス-E. 2022, (437), E2509.
https://current.ndl.go.jp/e2509