カレントアウェアネス
No.343 2020年3月20日
CA1968
映画評『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
国際日本文化研究センター図書館:江上敏哲(えがみとしのり)
元・京都シネマ:谷口正樹(たにぐちまさき)
関西大学文学部:門林岳史(かどばやしたけし)
1. はじめに
ワイズマン(Frederick Wiseman)監督による2017年公開のドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(以下「本作」)が、2019年5月から日本でも公開された。舞台となった米・ニューヨーク公共図書館(NYPL)は、蔵書数5,500万点、利用人数は年間1,700万人を超える、世界でも最大級の「知の殿堂」である(1)。ニューヨーク市の中心街・マンハッタンの5番街に面した本館は観光スポットとしても有名で、全体では4つの研究図書館(本館含む)と88の分館から成る。人類の遺産である稀覯書の保存・展示から、住民の生活に密着した地域サービスまで、その活動は幅広い。組織としては独立法人であり、運営資金は主にニューヨーク市からの出資と民間の寄付によるという(2)。公立ではないが公共・パブリックな施設であり、ニューヨークの多様な人種・民族・社会的立場の人々を受け入れる民主的な存在でもある。
ドキュメンタリーの巨匠と称されるワイズマン監督は、この映画でNYPLを様々な角度から捉えている。一見して「図書館らしくない活動」が次々に紹介され、またバックヤードや職員によるディスカッションなどの舞台裏が赤裸々に描き出される。パフォーミングアートやアフリカ系文化の紹介など特色ある図書館の活動や、種々のイベントでスピーカーが語る話題も印象的だ。ナレーションや解説、ストーリーらしきものが一切無く、先入観抜きで現場の映像に向き合えるのもまた魅力のひとつだろう。3時間を超すひとつのアーカイブかのようなこの映画を、図書館関係者に限らず多くの人が「目撃」し、図書館とは何か、その公共性と民主主義の柱としての意義を、あらためて広く伝えることに成功している。
本稿ではバックグラウンドが異なる3人の執筆者が分担執筆し、この映画で何を考えたか、どう感じとったかを、それぞれの観点から述べる。第1、2章は国際日本文化研究センター図書館司書の江上が、第3章は元・京都シネマ副支配人の谷口が、第4章はメディア論を専門とする関西大学文学部准教授の門林が執筆を担当した。
2. この図書館は特別なのか
新聞記事の報道等(3)にもあったように、この「図書館映画」が非図書館関係者の人々に幅広く届けられ、好意的に受け入れられたことを、まずは喜びたい。図書館が無料で本を貸してくれる場所だということも大事ではあるが、それだけにとどまらない多種多様な活動と、その背後にある重要なミッションとが、映画を通して多くの人々に理解されたのであればこれ以上の幸いはない。
この映画で描かれた図書館のあり方を考えるうえで、映画本編、本作のパンフレット類、ジャーナリスト・菅谷明子氏がNYPLの活動を紹介した著書『未来をつくる図書館 : ニューヨークからの報告』(4)の他に、目を通しておくべき重要な日本語のコンテンツとして以下の5つを挙げたい。特に④と⑤は、映画本編では語られなかった、あるいは深められなかった重要なことを補ってくれる。
- ① 「多からなる一 : フレデリック・ワイズマン監督『エクス・リブリス : ニューヨーク公共図書館』」(鈴木一誌氏)(5)
- ② 本作公開記念パネルディスカッション(E2137 参照)の抄録(6)
- ③ 本作公開記念パネルディスカッションの記録動画(7)
- ④ はてなニュース「スゴ本と読書猿が映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を語り尽くす」(8)
- ⑤ 「もうひとつの『ニューヨーク公共図書館』 : 映画の背景にあるものを読み解く」(豊田恭子氏)(9)
ナレーションや解説無しに現場やバックヤードを映し続ける手法について、菅谷氏は③のパネルディスカッションで「観客を「透明人間」として立ち会わせる」と表現している。非図書館関係者であれば見聞きしたことのないサービスや内輪の議論に「え、これが図書館?」と驚いたり感心したりで済むだろう。だが、図書館関係者、特に現役で働く司書にとっては内心穏やかではないかもしれない。自分がふだんどのような考えと心構えで職務にあたっているのかが、この映画への反応に現れてくる、という意味で「試される」ことになるからだ。他館のバックヤードに透明人間として立ち会うというのは、現役の司書にしてみれば異動・転職か在外研修で送り込まれた状態に近い。規模も活動内容の多様さも桁違いの現場と、同業者たちの議論を目の当たりにして、同じ司書としてはただ驚くのみという反応はまず無いだろう。未知の活動や多様さに戸惑うのか、興奮と希望を抱くのか、彼我の差に臍をかむのか、現実離れとして訝しく思うのか。
かく言う筆者自身は、この映画に描かれた図書館を「ごく自然なあるべき姿」として捉えた。図書館活動も、スピーチも、課題に対する議論と取り組みも、さほど目を見張るようなところはなく、おおむね図書館がそのミッションを果たすためにやるべきことをやっている姿であった。
たとえば、図書館が動画の素材となる際、(筆者も大好きな)本そのものや書庫の様子などが主役になるのが定番だが、この映画ではほとんど登場しない。そのことを人によっては不自然だと思うかもしれない。デューラー(Albrecht Dürer)の版画「サイ」について語る司書の様子などは図書館のイメージとして典型的だが、むしろこの映画内では少数派にすら見える。それよりも印象的なのは、対人活動の多彩さ、利用者の多様さであった。ネット等での感想の多くに、オランダの建築家による「図書館は人のためにある」というスピーチが登場するのも、その現れだろう。パブリックな場に人が寄り集まっている様子は、日本の公民館のようでもあり、あるいは広場や市場、本編でもたびたび映し出される公園にも似ていると言えるかもしれない。
では、公民館でも広場や市場でも公園でもなく図書館が、しかも本や書庫が登場しない映像の中で、市民に提供しているものとは果たして何だろうか。私は、それは “find” であろう、とこの映画から読み取った。レファレンスや読書で知識情報を「みつける」だけでなく、「わかる」「気付きを得る」様子も多く描かれている。そう考えれば、多くのスピーチや就活講座、ダンス教室も不思議ではない。そして、それによって見つけられる/得られるものこそが、作中でショーンバーグ黒人文化研究センター(NYPL の研究図書館のひとつ)館長が言う「必要な面倒ごと」なのだろう。不都合なことに目をつむるのではなく、世界の面倒ごとに真摯に向き合うこと。そのリソースと場所を提供するのが、図書館の役目である。真理がわれらを自由にする、とはそういうことではないか。
さらに言えば、それは単に誰かから与えられるものでも降ってくるものでもなく、市民たちからも働きかけてともに築いていくべきものである。ルーツ探しのレファレンスがユーザとのディスカッションのようになっていたことと、館長が図書館運営を公民協働として力説していたこととは、おそらく無関係ではない。
この映画に登場する図書館を筆者が「自然なあるべき姿」だと思うのは、これもパネルディスカッションの菅谷氏の言葉を借りれば「揺るぎない図書館のミッションがあり、それを軸にしつつも、時代やニーズの変化に応じてしなやかにサービスを変え」ているからだろう。そう考えれば、NYPL の活動規模と多様さは決して図書館の典型例ではないにもしろ、規模の大小やリアルな実践の有無はさほど問題ではないのではないか。図書館として果たすべきミッションがブレることなく明確であれば、結果として提供するものが紙かデジタルかはたまたダンスか、それは個々の図書館の事情と条件で様々に変わり得る。その距離は遠いかもしれないが、延長線上にある。この図書館の多彩でありながらどこかうなずけるものばかりである種々の活動は、そこが大都市ニューヨークだからできるのでも大規模館 NYPL だからできるのでもなく、ミッションがブレていないからできるのだ、ということを我々に教えてくれている。
(江上)
3. 本作は観客にどのように受け入れられたか
「最も偉大なドキュメンタリー作家」、「現代社会の観察者」と称されるワイズマン監督は、90歳となる現在に至るまで毎年1本のペースで新作を発表し続けている、まさに生ける伝説である。熱心なファンも多く、時おり開かれる特集上映やレトロスペクティブ(回顧上映)でこつこつと過去作を拾い集め、これまで監督した42作品をすべて網羅する強者もいる。さまざまな社会組織の構造を観察手法でとらえたその作風には一種の中毒性があるのかもしれない。近年の作品のほとんどが3時間を超える長尺であるにもかかわらず観客を飽くことなく惹き寄せているのがその何よりの証左であろう。
私たち劇場関係者としては本作の公開を大きな期待をもって迎えた。先駆けて公開した東京の岩波ホールでの盛況も伝え聞いていたのだが、想定を上回る数の人々の熱気に圧倒される。各種団体チケットの販売枚数や、劇場スタッフに届いた興奮気味の声、感想アンケートなどから従来のファン層に加え、多くの図書館関係者や教育関係者が劇場に足を運んでいただけたことが推測できた。後述するように、この映画は規模の大小を問わず、日々の努力を通じてそれぞれの現場で全力を尽くす人々の胸を打ち、さらに言えば奮い立たせたのだ。
映画の冒頭にこんなシーンがある。「ユニコーンは架空の動物か?」という電話の問い合わせに中世の文献を参照して丁寧に答えるスタッフ。映画パンフレットによれば「人力Google」と呼ばれるNYPLの名物サービスだという。ミニシアターで勤務していると同じような経験をする。時には別の映画館で上映される映画について詳しく説明して上映時間を案内することもあるほどだ。シネコンと呼ばれる現在主流の映画館の多くが電話対応には自動音声を採用しているため、結果的にうまく情報を検索できなかった利用者は機械ではなく生身の話し相手を求める。私たちはそのような方々が、次の機会に劇場に足を運んでもらえるよう上映館を問わず、可能な限り丁寧に案内するようにしている。同様の問い合わせは平均すると日に十数件、微小な数とする見方もあるだろうが既存のシステムからこぼれ落ちる対象から目をそらさないという姿勢は映画で描かれているNYPLの基本スタンスに通ずると感じた。
もうひとつ印象深いシーンが、映画の中盤で図書館建築に実績のある建築家が「図書館とは本の置き場ではない、図書館とは人だ」と語る場面である。実際映画の中でも図書館そのもの、つまり書架や受付カウンター、資料室だけを写した映像は驚くほど少なく、代わりにカメラは利用者や職員、図書館にかかわる多種多様な人々の営みを追っていく。漫然と散りばめられたように見える雑多なピースが次第に組み合わされ、NYPLという総体が色鮮やかに立ち上がる構成は圧巻と言える。この驚くほど精緻な編集の妙味がワイズマンをしてほかの凡百のドキュメンタリー作家には簡単に到達できない域へと導いている。スクリーンに登場する人々は階級、人種、民族というそれぞれ違う立場、異なるカテゴリーから別々の主張を繰り広げていて、米国の民主主義のしなやかさを見た思いである。
最後に蛇足は承知で付け加えたい。切り取られた多様な断片の中で唯一、映画の中に何度も繰り返し挿入される場面がある。それはNYPLを運営していく幹部たちの会議の模様である。資金繰りや地域行政、IT化への課題、よくここにカメラが入れたなあと感心するほど赤裸々な意見交換が記録されている。電子書籍か紙の本か、ベストセラーか推薦図書か。限りある予算の中でサービスのバランスをとることは非常に難しく、その点、映画館の番組編成と似通った悩みであり身につまされる思いで見た。ともあれ舞台裏で奮闘する職員たちの存在は、多くの人々を励まし、普遍的な共感を得たはずだ。それはこの作品が批評家の評価だけでなく興行的にも成功したひとつの要因と言えるのではないだろうか。
(谷口)
4. 書物から遠く離れて
「私にとって、図書館とは本のことではありません。……図書館とは人のことなのです」
図書館という被写体の複雑で多層的な面を描くこの映画をあえて一言で表現するならば、この言葉をおいて他にないだろう。本作のなかほど、関係者向けの説明会と思われるシーンにおいて、壇上に立つ女性建築家が発する言葉である。ナレーションとキャプションを一切排し、説明的なカット割りも最小限まで節約するダイレクト・シネマの手法で撮られているため、映画内でこの人物について知りうることは少ないが、少し調べてみると、この女性はオランダの建築家ホウベン(Francine Houben)であり、建築事務所mecanooを率いてこれまでに図書館を含む公共建築の設計を手がけてきた経歴を持つことが分かる。
この映画が撮影される2015年頃に先立って、NYPLは、歴史的な建造物である本館と、隣接する分館であるミッドマンハッタン図書館の大がかりな改築計画を進めてきた。本館に収蔵されている閉架の貴重資料や学術書を別の場所に移すことで、市民に開かれた広大な閲覧室を作り出し、現代的な機能を備えた図書館へとアップデートするとともに、老朽化が進んだミッドマンハッタン図書館の貸出図書館としての機能を本館に移設するというものである(当初の計画ではミッドマンハッタン図書館は売却予定)。しかし、英国の著名な建築家フォースター(Norman Foster)が設計を担当したこの計画は多くの批判の声にあい、紆余曲折を経て2014年に白紙撤回されてしまう。それを受けて2015年に代替の設計者として選出されたのがホウベン率いるmecanooであり、映画では、新たに選出された建築家を披露する会合のシーンが挿入されていると推測できるのである(その後mecanooは、ミッドマンハッタン図書館の改築から取りかかり、2017年に工事が始まっている)。
その席上、ホウベンが述べる「図書館とは人のことです」という言葉は、確かに図書館という公共施設が担うべき役割の本質をつくとともに、この映画が描く図書館の姿を要約してもいる。実際、3 時間を超えるこの映画の大部分は、図書館で働く人々や図書館を訪れる人々、とりわけ、図書館内で行われる様々なアクティヴィティを記録した映像で占められている。そのなかには『利己的な遺伝子』で知られる進化生物学者ドーキンス(Richard Dawkins)や英国のミュージシャン、コステロ(Elvis Costello)のような著名人による講演の模様もあるが、それ以外にも、ブロンクス地区にある分館内のスペースで勉強する地域の子どもたちとそれをサポートするスタッフたち、チャイナタウンの分館でパソコンの使い方を英語と中国語の両方で手取り足取り教えてもらう中国系住民、身体障害者に向けた住宅補助を受給する権利についてのレクチャーなど、実に多様であり、あらゆる市民に知識にアクセスする権利を与えるという図書館の使命は、図書館に人が息づいていてこそ果たされるのだと実感させられるだろう。
ここで先に触れたNYPL本館の大改築計画に立ち戻ってみよう。この計画の背景には、年々減少する図書館の予算とともに、情報化社会の波に押されて低下し続ける蔵書の利用率があったとされている。すなわち、超一等地にある本館を、稀にしか閲覧されない大量の専門的な書籍や資料から解放し、デジタル時代にふさわしい現代的で市民に開かれた空間とするとともに、分館売却によって図書館の機能を整理して運営コストを軽減させよう、という狙いがあったのである。その是非はともかく、情報技術の浸透とともに知識のあり方が抜本的に変貌しつつある時代に見合った提案であったことは否定できないだろう。実際、映画内でも、家庭にインターネットのアクセスがない市民にWi-Fi機器を無償で貸し出すプログラムの説明会や、貸出ニーズが増え続ける電子書籍タイトルのライセンス契約戦略について重役たちが議論する会議のように、図書館が提供するべき知識へのアクセス権のあり方が変貌しつつあるさまが描かれている。「図書館とは本のことではない」とは、図書館についての普遍的な箴言であるばかりでなく、デジタル化の流れのなかで揺れ動く図書館の姿を言い当てた言葉でもあるのだ。本映画のタイトル“ex libris”は、「~の蔵書より」という意味のラテン語であり、西洋諸語において「蔵書票」のことを指す。だが、この言葉を「書物から離れて」と解することも可能であろう。では、図書館は、綴じられた紙の束という物理的な書物の体制を離れて、どこへ向かうべきなのだろうか。人に向かうべきなのだ。映画を見終えた観客は、静かな感銘とともにそのことを確信するにちがいない。
(門林)
(1) “About The New York Public Library”. New York Public Library.
https://www.nypl.org/help/about-nypl, (accessed 2020-02-07).
(2) “Annual Reports”. New York Public Library.
https://www.nypl.org/help/about-nypl/annual-report, (accessed 2020-02-07).
(3) 余録 : 毎朝、当日券を求めて長い列ができる…. 毎日新聞. 2019-06-16, 朝刊[東京].
https://mainichi.jp/articles/20190616/ddm/001/070/116000c, (参照 2020-02-07).
(4) 菅谷明子. 未来をつくる図書館 : ニューヨークからの報告. 岩波書店, 2003, 230p., (岩波新書, 837).
(5) 鈴木一誌. 多からなる一 : フレデリック・ワイズマン監督『エクス・リブリス : ニューヨーク公共図書館』. 現代思想. 2018, 46(18), p. 69-77.
(6) “『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 公開記念パネルディスカッション : ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>”. ムヴィオラ.
http://moviola.jp/nypl/event.html, (参照 2020-02-07).
(7) ミモザフィルムズ. “『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 公開記念パネルディスカッション ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>第二部”. YouTube. 2019-05-06.
https://www.youtube.com/watch?v=GIciohenaq4, (参照 2020-02-07).
(8) “スゴ本と読書猿が映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を語り尽くす”. はてなニュース. 2019-07-13.
https://hatenanews.com/articles/2019/07/13/180000, ( 参照 2020-02-07).
(9) 豊田恭子. もうひとつの『ニューヨーク公共図書館』 : 映画の背景にあるものを読み解く. LRG = ライブラリー・リソース・ガイド. 2019, 28, p. 99-109.
[受理:2020-02-19]
江上敏哲, 谷口正樹, 門林岳史. 映画評『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』. カレントアウェアネス. 2020, (343), CA1968, p. 2-5.
https://current.ndl.go.jp/ca1968
DOI:
https://doi.org/10.11501/11471486
Egami Toshinori
Taniguchi Masaki
Kadobayashi Takeshi
Film review: Ex Libris: The New York Public Library