E1716 – テクノロジーが拓く読書史研究の可能性<文献紹介>

カレントアウェアネス-E

No.289 2015.10.01

 

 E1716

テクノロジーが拓く読書史研究の可能性<文献紹介>

 

Matthew Bradley and Juliet John. Reading and the Victorians. Ashgate, 2015, 194p., (The Nineteenth Century Series).

 本書はヴィクトリア時代の英国の人々の読書を多角的に分析する論文集であり,第一部「私的な読書の公的な側面」(The Public Aspects of Private Reading),第二部「読書する関係」(The Reading Relationship),第三部「今日においてヴィクトリア時代人を読み解く」(Reading the Victorians Today)の三部から構成されている。本稿でそのすべての論文を紹介することは困難であるため,ここでは最先端の読書史研究の手法を紹介する第三部に注目し,そこから二編の論文を厳選して紹介しつつ,今後の読書史の展望を述べたい。

 まず,アター(K. E. Attar)による「ヴィクトリア時代の読者たちと今日における彼らの図書館記録」(Victorian Readers and Their Library Records Today)では,著名人3名(数学者オーガスタス・ド・モルガン,歴史家ジョージ・グロート,文筆家トマス・カーライル)による文献への「書き込み」に焦点が当てられている。この3名による書き込みの入った文献は今日ロンドン大学セナート・ハウス図書館に所蔵されているが,セナート・ハウス図書館の検索システム(Advanced search)はその書き込みまでも検索ができるよう構築されている。たとえば“De Morgan”などと入力したのち,さらに“note”や“annotat” (“annotated”,“annotations”等に対応させるため)と付け加えて検索することによって,書き込みを含む文献を容易に探し当てることができ,そのうえ出版年やテーマなどによってさらに絞り込むことも可能であるという(107頁)。これまで書き込みが価値あるものと見なされることは少なかった。しかしセナート・ハウス図書館の例のようにこうした書き込みに関する情報までも書誌情報として記述されるようになり,また書き込みのあるページのスキャン画像を載せるなど,OPACが大幅に改善されたことによって,読書史研究にも大いに恩恵がもたらされたとアターは述べている。

 さらにクローン(Rosalind Crone)による「クエリ:ヴィクトリア時代の読書」(Query: Victorian Reading)では,データベースUK Reading Experience Database(UK RED)を用いた様々なデモンストレーションを見ることができる。UK REDは1995年に英国のOpen Universityで開発されたデータベースであり,2011年2月には最新版が公開されるなど,刷新が重ねられている。クローンはこのデータベースの分析結果をいくつかのグラフに表しているが,たとえば,「1800~1899年における読者の社会経済的グループ」(115頁)では19世紀の読者層を職業集団ごとに分析する。このグラフによると,読者層として最も大きい職業集団は「プロフェッショナル/学者/商人/農場主/聖職者」の53%であり,最も少ないのは「使用人」の0.2%となる。また「ジャンルと題材」では19世紀の100年間を通して最も多く読まれたものがフィクションであるとされているが,「ジャンルと題材の年代別割合」によれば19世紀の前半には詩が首位を占めていたにもかかわらず後半でフィクションに取って代わられたことが明らかになっている(119頁)。さらに「社会経済的グループごとの読者が読んでいたものの割合」では前述の「プロフェッショナル/学者/商人/農場主/聖職者」が最も多く読んでいたものが書籍(Books)であるのに対し,「ジェントリと貴族」はパンフレット(Pamphlets)を,「事務職員/小売商/職人/小農」は新聞(Newspapers)を,さらに「労働者と使用人」はポスター(Posters)を最もよく読んでいたことが明らかになる(120頁)。その他にも「『朗読』を行っていた読者層」(121頁)を示すグラフが掲載されているほか,読者同士のネットワーク(124頁),ウォルター・スコットの作品の読者がさらに他の作品を読んだ例(125頁)など,かなり詳細かつ具体的な分析が可能であることが示されている。こうしたデータベースは,今後の読書史研究における定量分析の可能性を大きく広げるものである。

 読書史は歴史の浅い研究分野であり,多くの史料的制約がある。たとえば詳細な読書記録は本稿で紹介した書き込みの他,日記や書簡などに見られる例が多いが,そもそも日記などに読書記録をつける読者は中産階級以上の層にほぼ限られており,より広い層の読者の体験をすくい上げるのは困難であった。またその史料も,体系的に収集されることは稀であった。しかしこうした作業を容易にし,読書史研究を質的にも量的にも向上させるのが,OPACで検索できる書誌情報の種類を増やすことであり,またデータベースを充実させることである。それらに加えて,より多くの史料を電子化し,全文検索を可能にすることもまた,読書史研究の可能性を広げることにつながるだろう。テクノロジーの発達は他の多くの分野と同様,読書史研究に対して恩恵をもたらしている。「図書館員と学者が実りある協働をすること」(110頁)が,今後の研究成果を豊かなものにするために最も期待されている。

東京大学博士課程/トリニティ・カレッジ・ダブリン博士課程・八谷舞

Ref:
http://www.ashgate.com/isbn/9781409440802
http://catalogue.ulrls.lon.ac.uk/search~S1/X
http://yalepress.yale.edu/book.asp?isbn=9780300097207
http://www.open.ac.uk/Arts/reading/UK/
E1521
E1588