E1521 – 1840年代のロンドン図書館とフランス小説の受容<文献紹介>

カレントアウェアネス-E

No.252 2014.01.23

 

 E1521

1840年代のロンドン図書館とフランス小説の受容<文献紹介>

 

 Atkinson, Juliette. The London Library and the Circulation of French Fiction in the 1840s. Information & Culture: A Journal of History. 2013, 48(4), p. 391-418.

 本論文は,これまでヴィクトリア期英国では受け入れられなかったとされてきたフランス小説について,1840年代のロンドン図書館(The London Library)での貸し出しの様子を例にとり,その受容実態を検討するものである。

 筆者によれば,フランスの小説はヴィクトリア期英国において注目を集めなかったとする論調はすでに1870年代ごろから始まり,2011年の時点でもほぼ変わらないまま“The Oxford History of the Novel in English”においても踏襲されている。しかしこの解釈の主な根拠は,ヴィクトリア期の倫理観に照らし合わせてフランス文学が非倫理的と考えられていたことであり,人びとが実際にフランス小説を「避けて」いたかどうかという点についての実証研究は不足している。本論文において筆者は,1841年にトーマス・カーライルによって知識人(high-brows)を対象に創立されたロンドン図書館を例にとり,貸出記録から利用者の日記に至るまで公的・私的な史料を駆使して,フランス小説がどれほど,またどのように利用されていたかを見ることで,この研究上の間隙を埋めることを試みている。

 まず筆者は,ロンドン図書館の蔵書選定に際し,図書館委員会(library committee)によって寄付者(subscriber)の要望や好み,英国のみならずフランスの文芸の風潮なども併せて検討され,それが「軽めの」蔵書の増加につながったと指摘する。特に1847年の蔵書目録によると,創立から6年の間にフランス小説が増加したことが明らかである。続いて筆者は貸出記録の分析を行うが,貸出記録が(1)貸し出された本が実際に読まれたかどうか,(2)借主以外の人物によっても読まれたかどうか,(3)読者がどのように反応したか,などまでは明らかにできないという史料的制約を持つことを踏まえ,それを補完し分析の可能性を広げる日記や書簡などの私的な史料を併せて用いている。筆者は貸出記録から,特にポール・デュ・コックの小説は1841年から1849年の間に905件の貸出が記録されるなど,通俗的との批判を受けながらも人気を博していたことを明らかにしつつ,私的な史料の例としてカーライルの妻ジェインが彼女の従妹に宛てた書簡を紹介する。その中でジェインは,ロンドン図書館で「エラスムス・ダーウィン(Erasmus Darwin)」という偽名を使ってポール・デュ・コックの小説を借りたことを告白している。また,労働者階級向けには廉価な翻訳版が,中産階級向けには仏語版と英語版が,そしてロンドン図書館利用者のような教養層向けには仏語版が流通するといったように,読者はその教養や階級によって最適な版を選び,また図書館を使い分けていた状況も明らかにされている。こうした分析結果は禁欲的・倫理的といったイメージが先行するヴィクトリア期研究に警鐘を鳴らすものであると筆者は指摘している。

 さらに,これまでフランス小説の主な読者と想定されてきた女性に関しても,筆者はより詳細に利用実態を明らかにすることを試みている。筆者は,フランス小説を享受できた女性が基本的に(1)貴族であるか,(2)都市部に住んでいたか,(3)ヨーロッパ大陸に住んでいたなどコスモポリタンな来歴を持つかによって分類されることを踏まえたうえで,たとえば貴族やインテリがアレクサンドル・デュマやジョルジュ・サンドを好み,そうでない読者は大衆的なポール・デュ・コックを好んだというように,作家によってもその読者層は異なることを指摘している。

 読書傾向はその時代の支配的な倫理観によって判断されがちである。しかしながら,本論文の結論から浮かび上がってくるのは,何を読むべきで何を読むべきでないかといった戒告にとらわれず,むしろしばしば「推奨されない」書物を選び楽しむ生き生きとした読者の姿である。本論文は性質の異なる複数の史料を補完的に用いることによって,読書のようなごく私的な営みさえも再現され得ることだけでなく,人びとが読書を「どのように楽しんでいたか」までも明らかにした点において,文化史・社会史の記述に新たな地平を開いたと評価できる。この研究が契機となり,読書の歴史がより色彩豊かに描かれていくことが望まれる。

東京大学博士課程/トリニティ・カレッジ・ダブリン歴史学部博士課程・八谷舞

Ref:
http://www.londonlibrary.co.uk/