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カレントアウェアネス
No.287 2006.03.20
CA1586
動向レビュー
電子ジャーナルのビッグ・ディールが大学図書館へ及ぼす経済的影響について
1. はじめに
1990年代後半から大手商業出版社や学会が提供を開始したことによって急速に普及した電子ジャーナルは,一方で新しい価格設定や契約の方式を出版社と図書館との間に生み出した。本稿では,電子ジャーナルのサイトライセンス,一括取引,特にビッグ・ディールが大学図書館に及ぼす経済的影響を展望する。
2. 電子ジャーナルの価格体系(1)(CA1512参照)
電子ジャーナルの利用は,出版社やベンダーの電子ジャーナルのサーバにインターネットを介してアクセスするものが大半であり,その契約は物品の供給契約ではなく,サービスのライセンス(使用許諾)契約である。
電子ジャーナルの商用サービス開始時期には,電子ジャーナルの契約は印刷体雑誌契約のオプションであり,無料か利用料金を追加する形態が主流であった。電子ジャーナルの利便性が認識され,電子ジャーナルの利用が増加すると電子ジャーナルの契約は印刷体雑誌の契約と分離されるようになり,電子ジャーナルの価格は印刷体雑誌と同額か,あるいは低く設定されるようになった。また,Blackwell 社のように印刷体雑誌のみの価格設定はなく,実質的に電子ジャーナルの価格が大部分を占める出版社もある。
3. 電子ジャーナルのサイトライセンス
テノピア(Carol Tenopir)が指摘しているように,研究者による学術雑誌の利用の中心は,個人が購読する雑誌(individual subscription)から図書館などの機関が購読する雑誌(institutional subscription)へ移行した(2)。また,電子ジャーナルの登場によって,学術雑誌の利用は図書館内での利用から大学やキャンパスを単位とするサイトライセンスによる利用に変化してきた。
サイトライセンスは「ソフトウェア製造者あるいはベンダーが,ライセンシーによる年間契約料金の支払と交換に,会社,法人,組織,機関内の一定のIPアドレスあるいはIPアドレス帯域に属する全コンピュータに対し,特別な条件下でソフトウェア製品使用についての公式許可を与えることである。価格設定は,コミュニティ内の利用者数,同時利用者数,特定コンテンツに対する潜在的利用者数またはその組合せに基づく」と定義されている(3)。
通常,商業出版社は,印刷体雑誌に10%から25%の追加料金で電子ジャーナルのサイトライセンスを含めるか,電子ジャーナルのみの購読を印刷版とほぼ同じ価格で提供する。非営利雑誌の電子ジャーナル購読価格は極めて多様である。例えば2001年の時点でScienceの電子ジャーナルのサイトライセンス購読価格は1,500ドルから5,500ドルであり,印刷体雑誌の機関購読価格370ドルの何倍にもなるが,PNASは970ドルで印刷体雑誌を購読している機関に追加料金なしで電子アクセスを提供した(4)。
また,商業出版社や非営利出版社は,階層価格体系(tiered pricing)を導入した。階層価格体系は「購読機関を(規模などによって)カテゴリー化し,紙版と電子版の両方を購読する場合の一雑誌ごとの(紙版と電子版の合計)購読料金を,カテゴリーによって差別化する料金」である。これによって小規模な機関は大規模な機関に比べて低い購読価格が査定されている(5)。
4. 電子ジャーナルの一括取引(bundled deal)あるいはビッグ・ディール(big deal)
出版社による電子ジャーナルの販売は,従来のタイトル単位の他に,分野別のコレクションや全タイトルを対象とする一括取引が提供されている。一括取引では,タイトルごとに購読するよりも著しい値引きで出版社の全タイトル購読することができる。このような雑誌コレクションの一括販売はビッグ・ディールとも呼ばれる。この用語はウィスコンシン大学マディソン校の図書館長であるフレージャー(Kenneth Frazier)が2001年にD-Lib Magazineに執筆した意見記事で名づけた(6)。
ビッグ・ディールは,図書館や図書館コンソーシアムが,既に購読している雑誌の支払実績にアクセス料金を加えた費用で,出版社の雑誌のすべてか大部分へのアクセスする権限を購入する,包括的なライセンス契約である。複数年のビッグ・ディール契約では,図書館が個別雑誌の購読を継続した場合に適用される価格の値上りよりは低い年間の値上りが明示されている一方で,出版社は図書館が購読を中止し,支払費用を削減する可能性を制限するのが一般的である(7)。
ビッグ・ディールは,学術雑誌の価格の高騰と図書館予算の削減という大学図書館における雑誌の危機(serials crisis)への対応策として登場した(8)。
5. ビッグ・ディールが大学図書館にもたらすもの
北米研究図書館協会(Association of Research Libraries: ARL)のデータによれば,1997年から2003年にかけて北米の大規模研究図書館での雑誌の平均受入タイトル数は約20%増加し,特に小規模図書館の成長率が著しく向上した。これは,一部の批判はあるにせよ,多数の学術機関が受け入れているビッグ・ディールによるものである。このモデルによって図書館は,印刷体雑誌では不可能であった多数のタイトルの利用とコレクションへの多くの新規タイトルの追加が可能となった。それは特に,コンソーシアムに参加した小規模の大学図書館に著しい(9)。例えば,米国ニューヨーク州のコンソーシアムであるPi2では2001年にScienceDirectの3年間のシェアードアクセス・ライセンスを締結した。その結果,2003年にはElsevier社の雑誌を16タイトルしか所蔵していないシエナ・カレッジ(Siena College)は1,285タイトルにアクセスすることができた(10)。
ビッグ・ディール導入は明らかな成功を収めたにも関わらず,財政状況の悪化に伴って特に大規模図書館からの抵抗が発生した。それは,1)印刷体雑誌よりは低く抑えられているが,毎年価格が上昇する(5%程度),2)価格算定の際に過去の支払額の実績(historical spend)が基礎となり,その維持が条件となる,3)契約期間中に購読の中止が全く認められないか,非常に制限される,という問題に起因するものであった。
5.1. 大学図書館の対応
事実,米国では,大学図書館における雑誌の増加する購入費用と雑誌を購入するための予算の減少あるいは停滞という課題がある一方で,新規タイトルを購読するための購読中止の禁止という制約があるため,2003年にビッグ・ディールの更新が大きな問題になった。コーネル大学,デューク大学及びノースカロライナ大学チャペルヒル校を含む一部の主要大学は,出版社の条件を拒絶するという措置をとり,2004年にビッグ・ディールから手を引いた(11)。
コーネル大学はElsevierとのビッグ・ディールを中止し,Elsevierの数百タイトルの購読を取りやめた(12)。トライアングル研究図書館ネットワーク(Triangle Research Library Network: TRIN)の4つの参加館であるデューク大学,ノースカロライナ中央大学,ノースカロライナ州立大学及びノースカロライナ大学は,Elsevier社のScience Directのシェアードアクセス及びBlackwell社のシナジー(Synergy)の全タイトルを更新しなかった。その代わりに必要に応じて2社が出版する雑誌を個別に購読し,あるいはドキュメント・デリバリーにより論文を提供しようとした。それは,ビッグ・ディールを契約する限りは,研究者の変わりつつある情報要求に応じて新しいタイトルを購読できないという認識に立ったものであった(13)。
オハイオリンク(CA1530参照)は,オハイオ州の財政の悪化を受けた予算の削減により,2005年から利用頻度の少ないSpringer社の346タイトル及びBlackwell社の144タイトルの中止を行った(14)(E296参照)。
オランダでは,オランダ大学・王立・王立科学アカデミー図書館協会(UKB)がElsevierを始めとするいくつかの出版社と5%から6%の上限値上げ率の設定(プライスキャップ),電子ジャーナルのみの別のオプション契約等を条件とする3年から5年の全タイトルアクセスパッケージ契約を結んでいたが,2004年6月から交渉を行い,新しい削減モデルを締結した(15)。
英国では,大学図書館におけるビッグ・ディールからの撤退について具体的な報告はないが,コンソーシアム・サイトライセンス契約とビッグ・ディールが大学図書館の予算構造に圧迫を加えている。スコットランド,グラスゴーのストラスクライド大学,グラスゴー・カレドニア大学及びグラスゴー大学における雑誌予算の配分方法の展開を検討したロバーツ(Michael Roberts)ら(16)は,電子ジャーナルのビッグ・ディールに柔軟に対応するには各学部への委譲予算ではなく,図書館による雑誌予算のある程度の集中管理が不可欠であることを指摘している。
5.2. 経済的影響の一般的考察
ベルグストロム(Carl T. Bergstrom)ら(4)は,情報財(information goods)としての学術雑誌や電子ジャーナルの市場特性を,1)電子ジャーナルは他の多くの利用者にそれほど経費をかけずに転売できる,2)電子ジャーナルは出版社やベンダーがサイトライセンスによって企業や大学に対して電子ジャーナルのセットへの一括アクセス(aggregated access)を販売できる,3)学術雑誌の市場には新たな競争雑誌の搬入をはばむ明確な法律上の障壁がないにも関わらず,主要な商業出版社が強い独占権を享受し,それが著作権法によって維持されている,4) 電子ジャーナルの一括販売とサイトライセンスには類似性があり,両方の装置は買い手の支払意欲を減らすことによって独占販売者の利益を増加させる,と指摘している。さらに,基礎的なミクロ経済学と初等統計理論を使ってサイトライセンスの費用と便益について分析し,出版社の利益を最大化するように価格設定された営利雑誌のサイトライセンスは大学にとって経済的に不利になり,平均費用を回収すると同時に購読部数を最大化するように価格設定された学会及び大学出版会の非営利雑誌のサイトライセンスは,科学コミュニティに広く有益である,とまとめている。
一方,ジェオン・スローター(Haekyung Jeon-Slaughter)ら(17)は,大学のような機関向け電子ジャーナルのビジネスモデルについて検討し,一括販売の電子ジャーナルとサイトライセンスは,個人購読の減少によって失われた利益を取り戻そうとするものであり,このような市場戦略は学術雑誌市場では,1)機関の予算が大幅に削減され,実際の値引きの代わりに一括販売が本質的に引き起こす無駄が無視できなくなっている,2)一括販売価格が利用可能な総経費に近づいた場合,一括販売が進むか,コミュニティが求める情報のほとんどが利用できなくなる,3)機関購読(の中止)が個人購読の決定に及ぼす影響よりも個人購読(の欠落)が機関の決定に及ぼす影響が大きい,ので機能しないと述べた。さらに文献調査によって出版社の将来の市場占有率が限定されることを示し,出版社が独占力を持っていることを前提とした電子ジャーナルの一括販売はもはや適正なビジネスモデルではない,と主張している。
6. おわりに
わが国では国立大学図書館協会,日本医学図書館協会・薬学図書館協議会及び私立大学図書館による電子ジャーナル・コンソーシアムが成立している(18)。コンソーシアムによる電子ジャーナルの契約内容は出版社との契約で非開示となっているため,わが国の大学図書館では導入の経緯や利用についての報告や紹介はあるが,経済的影響についての言及は全体レベルに留まっている(8)。今までのレビューからも分かるように電子ジャーナルのビッグ・ディールが大学図書館に及ぼす経済的影響は大きく,わが国の大学図書館でも少なからず問題になっていると仄聞している。大学ないしは図書館内部の検討に留まっていると思われる電子ジャーナルのビッグ・ディールの経済的影響について,オープンアクセス等の新たな学術コミュニケーションのモデルの検討とあわせて,導入タイトル,利用データ,経費等の基礎的データに基づく調査や検討が進展することを期待したい。
山形大学附属図書館:加藤信哉(かとう しんや)
(1) 岩崎治郎. 電子ジャーナルの価格体系・契約形態の変遷と現在. 情報管理. 47(11), 2005, 733-738.
(2) Tenopir, Carol et al. Patterns of journal use by scientists through three evolutionary phases. D-Lib Magazine. 9(5), 2003. (online), available from < http://www.dlib.org/dlib.may03/king/05king.html>. (accessed 2006-02-14).
(3) Reitz, Joan M. Dictionary for library and information science. Westport, Conn., Libraries Unlimited, 2004, 664.
(4) Bergstrom, Carl T. et al. The costs and benefits of library site licenses to academic journals. PNAS. 101(3), 2004, 897-902. (online), available from < http://www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.0305628101 >, (accessed 2006-02-14).
(5) Hahn, Karla L. Tiered pricing: implications for library collections. Portal: Library and the Academy. 5(2), 2005, 151-163.
(6) Frazier, Kenneth. The librarian’s dilemma: contemplating the cost of the “Big Deal”. D-Lib Magazine. 7(3), 2001. (online), available from < http://www.dlib.org/dlib/march01/frazier/03frazier.html >, (accessed 2006-02-14).
(7) Frazier, Kenneth. “What’s the Big Deal?” Growth, creativity and collaboration: Great visions on a great lake. The Haworth Information Press, Binghamton, NY, 2005, 49-59.
(8) 土屋俊. 学術情報流通の動向. 現代の図書館. 42(1), 2004, 3-30.
(9) Schonfeld, Roger C. et al. Digital savings. Library Journal, March 1, 2005. (online), available from < http://www.libraryjournal.com/article/CA504648.html >, (accessed 2006-02-14).
(10) Ebert, Loretta “What’s the Big Deal? “Take 2” or, how to make it work for you…”Growth, creativity and collaboration: Great visions on a great lake. The Haworth Information Press, Binghamton, NY, 2005, 61-68.
(11) Suber, Peter “University actions for open access or against high journal prices”. Open-Access Lists. (online), available from < http://www.earlham.edu/~peters/fos/lists.htm#actions >, (accessed 2006-02-14).
(12) Knight, Jonathan Cornell axes Elsevier journals as price rise. Nature. 426(6964), 2003, 217.
(13) Gibbs, Nancy J. Walking away from the ‘big deal’: consequences and achievements. Serials. 18(2), 2005, 89-94.
(14) Facing Funding Shortfall, OhioLINK To Cut Resources. Library Journal. February 7, 2005. (online), available from < http://www.libraryjournal.com/article/CA501648.html >, (accessed 2006-02-14).
(15) Verhagen, Nol. All or nothing: towards an orderly retreat from big deal ? recent negotiations in the Netherlands. Serials. 18(2), 2005, 95-97.
(16) Roberts, Michael et al. The impact of the current e-journal marketplace on university library budget structures: some Glasgow experiences. Library Review. 53(9), 2004, 429-434.
(17) Jeon-Slaughter, Haekyung et al. Economics of scientific and biomedical journals: where do scholars stand In the debate of online journal pricing and site license ownership between libraries and publishers. First Monday: Peer-reviewed journal on the internet. 10(3), 2005. (online), available from < http://www.firstmonday.org/issues/issue10_3/jeon/index.html >, (accessed 2006-02-14).
(18) 宇陀則彦. 電子ジャーナル・コンソーシアムの現状. 電子情報環境下における科学技術情報の蓄積・流通の在り方に関する調査研究(平成15年度調査研究). 京都, 国立国会図書館関西館, 2004, 45-57. (オンライン), 入手先< http://www.ndl.go.jp/jp/library/lis_research/no2/lis_rr_026.htm >, (参照2006-02-14).
加藤信哉. 電子ジャーナルのビッグディールが大学図書館へ及ぼす経済的影響について. カレントアウェアネス. (287), 2006, 10-13.
http://www.ndl.go.jp/jp/library/current/no287/CA1586.html