CA1466 – 動向レビュー:過去を未来へ−ニコルソン・ベイカーの願い− / 薬師院はるみ

カレントアウェアネス
No.272 2002.06.20

 

CA1466

動向レビュー

 

過去を未来へ−ニコルソン・ベイカーの願い−

 

1 図書館の行方:情報化の光と影

 情報化社会なるものの到来が語られ始めてすでに久しく,図書館の世界でも,随所でその影響が認められるようになってきた。図書館もまた,新しい情報技術や機器を導入し,情報提供機能を拡充させていくことで,情報化社会における自らの利用価値や存在意義を高めていこうとしているのである。

 ところが,こうした図書館の姿勢に対しては,賛辞ばかりが寄せられてきたというわけでもない。中でも,アメリカの作家ニコルソン・ベイカー(Nicholson Baker)による一連の抗議活動は,同国の図書館内外に反響を呼び起こし,最近ではイギリス等にまでその余波が及んでいる(CA1436参照)。ベイカーは,急速にハイテク化を進めつつある今日の図書館に対し,強い警告を発しているのである。

 この警告を、図書館の課題や発展を考えるための手がかりとしてのみ理解することはできない。そのような理解は、図書館側の価値観に囚われすぎているともいえよう。そもそも、ベイカーは、図書館員でも図書館学者でもないのである。本稿の課題は、図書館や図書館員といった立場や視点を一旦括弧に入れ、ベイカーの警告や主張そのものを直視することである。

 

2 カード目録という遺物:図書館の知的遺産

 1994年4月,『ニューヨーカー』誌上に,「ディスカーズ」と題した記事が掲載された(1)。この中で,ベイカーは,オンライン目録の導入後,多くの図書館が従来の目録カードを次々と廃棄している事態に疑問を投げかけた。カードには他では得られない貴重な情報その他が多く残されており,たとえすでに凍結されているにしても捨て去ってしまうべきではないというのである。例えば,件名目録カードに付着した手垢の量は,各主題に対する関心の大きさを示す指標であり,カードに記された分類番号やその修正の痕跡を調べることで,その時代の認識体系や世界観を洞察することができるという。また,それ以上に重要なこととして,カードには,「それらを作り上げてきた図書館員によるかけがえのない知性」が残されているのだと主張する。そのため,カードの処分は,「アレキサンドリア図書館の焼失にも値する近視眼的で反知性主義的な国家的発作」であるとまで述べているのである。

 後に,エッセイ集『ザ・サイズ・オブ・ソーツ』(2)に収められることになるこの記事は,図書館員の間に大きな波紋を投げかけた。実際,『ライブラリー・ジャーナル』のインタビューで,ベイカーは,図書館関係者から山ほどの手紙を受け取ったと答えている(3)。ただし,雑誌等に載せられたこの記事への批評や意見を見る限り,必ずしもすべての人がベイカーに反対しているというわけでもない。ベイカーの主張,特に,「目録カードは,今日の学者が将来の歴史家に受け継ぐ重要な遺産である」との見解に強く賛同している図書館員も存在するのである(4)

 一方,ベイカーへの反論として代表的なのが,「オンライン目録は,目録カードが持つ多くの問題を解決した非常に優れた検索ツールである」(5)との意見である。つまり,「目録カードはもはや有用性を失った検索ツール」(6)であり,保存の価値など存在しないというわけである。

 しかしながら,そもそもベイカーは,ツールとしてのオンライン目録を否定したのではない。それどころか,その利便性や作業効率の高さを認め,今や図書館で欠くことのできない道具であるとの見解さえ示しているのである。それにもかかわらず,何故多くの図書館員はオンライン目録における機能的優位性を強調することでベイカーに反論しようとしたのだろうか。その答を探る前に,まずはベイカーによる次なる抗議について概観しておく。

 

3 過去への犯罪:遺産なき文化施設の機能性

 1996年4月,サンフランシスコ公共図書館の新しい本館が開館した。ハイテク志向が強いことで知られる時の館長ドーリン(Kenneth E. Dowlin)が目指したのは,「世界に通用する」,「デジタル時代のモデル公共図書館」を実現することであったという(7)。とはいえ,それに至る道のりは必ずしも平坦ではなかったようである。

 開館に先立つ1月29日,地元新聞は同図書館が書物を大量に処分したことを報じた。確かに,従来より,多くの本は除架という形で処分されてきた。ただし,その際には必ず慈善団体等に連絡され,不要本の再利用が認められていた。だが,今回の処分は,外部に知らされることもなく秘密裏に実行された。加えて,その措置の主な目的は,新しい本の場所を確保することだったのではないかとの疑いまで持たれたのである。なお,同図書館は,この報道に迅速に対応し,翌日には,今後本を処分する際,必ず通知することを約束している(8)

 開館後も,いくつもの問題が噴出した。その一つが,目録カードの処分問題である。同図書館では,新本館への移転を機に,すでに実用性を失っていた古いカードを手放して競売にかけることを計画していた。これに対して,ベイカーを中心とする人々が異議を唱えたのである。すなわち,79年間使われてきた同図書館の目録カードは,サンフランシスコにおける重要な歴史的遺産であり,決して手放すべきではないという(9)。この問題に関しても,最終的に妥協することになったのは図書館の側であった。古い目録カードは保存され,新本館で利用者に対して公開されることが決められたのである(10)

 この決定が下された約1か月後,ベイカーは,サンフランシスコ公共図書館における諸事例を中心に,『ニューヨーカー』誌上で,再び図書館の問題を取り上げた。サンフランシスコを始め,いくつかの図書館では,電気通信や情報処理に関する新技術を導入し,さらにはそれを顕示することに熱心なあまり,堅持し続けるべき伝統的使命までをも疎かにする傾向にあるのではないかというのである(11)。ベイカーはこのような傾向を憂慮し,時には「過去に向けられた憎悪犯罪」という言葉さえ用いて,近年の図書館に対する否定的な意見を発し続けたのである(12)

 ただし,この問題に対して意見を発したのはベイカーだけではない。そもそも,サンフランシスコ公共図書館の新本館には全国的な関心が寄せられていた。建物の斬新さや最新式のコンピュータ技術が装備されていること等を理由に,21世紀に相応しい新しいタイプの図書館として注目されたのである。それは,地下を含めて全7階建ての壮麗な建築物であり,中央には大きな吹き抜けが設けられている。また,天窓より陽光が降り注ぐ開放的な館内には,無料でインターネットに繋ぐことのできる300台もの利用者用端末が設置されているのだという。

 だが,情報技術を満載した新しいタイプの図書館だという認知は,必ずしもそれを賛美することと同じではない。実際,『ニューズウィーク』誌は,それを通信網の張り巡らされた空港のようだと形容しながら,これが本当に図書館なのかという違和感を表明している。すなわち,この図書館は,「何かがおかしい」というわけである(13)。あるいは,『ロサンジェルス・タイムズ』でも,旧館時代からの熱心な利用者の一人が,この新館に「怒りと裏切りを感じた」と述べたことが紹介されている。つまり,新本館では,新技術の採用を急ぐあまり,その精神を置き忘れてきたのではないかというのである(14)

 もちろん,図書館の側も沈黙していたのではない。例えば,館長ドーリンは,批判者が「懐古趣味的な観点」から図書館を見ているとして反論した。すなわち,新本館の方針に批判的な人々は,「およそ6年も遅れており」,ベイカーにしても,「サンフランシスコの人々と彼らが望んでいるものを理解していない」というわけである(15)

 以上のように,サンフランシスコ公共図書館の新本館に加えられた様々な批判や賛辞,およびそれらに対する図書館側からの応答は,多くの場合,伝統的価値を重んじるべきか先端技術を重視するべきかという議論に終始し,結果的に一種の二律背反に陥る傾向にある。けれども,ベイカーによる批判は,必ずしもこのように単純な二者択一の片側に加担するものではない。注意深く見れば明らかな通り,ベイカーは,何も最新技術の導入自体を阻止しようとしているのではないのである。

 

4 未来への使命:単なる懐古趣味ではなく

 ベイカー自身も,インターネットを始めとする最新技術の利用者の一人であるに違いない。実際,彼もまた,自らの主張をオンライン上で発信しているのである(16)。それならば,いったい何が問題視されているというのだろうか。これを知るため,以下では,2000年7月の『ニューヨーカー』誌,および昨年発表された単著の中で提起されている問題を中心に概観する。

 数十年前より,英米を始め多くの図書館では,新聞や雑誌等をマイクロ資料に縮小複製することが進められてきた。それは,特に酸性紙等,時間とともに脆弱化していくとされる紙媒体資料をマイクロ化して保存することで,資料内容が永久に生かされ,また保存場所も大幅に節約可能であると考えられたためである。

 それに対し,ベイカーは,既存のマイクロフィルムの中には材質的に見て永久保存など望めないようなものも多い一方,新聞等の紙媒体資料でも,適切に保管しさえすれば,通常考えられているよりもずっと長い間保存可能であると主張した。加えて,質の良くないマイクロ化に起因して,図や文字の識別が困難となり,多色刷りの資料の色彩が失われてきたという事実をも明らかにした。

 ただし,ベイカーも認めているように,本質的な問題はマイクロ資料の品質ではない。原物資料さえ大切に保持しておけば,マイクロ資料は,たとえ質的に劣ろうとも,その有効な代替品になり得るに違いない。むしろ,彼が告発したのは,マイクロ化が原物自体を破壊してしまうという事態であろう。例えば,すでに製本された新聞や雑誌からマイクロ画像を撮影する際には背の綴じ代部分を切断せざるを得ず,原物の再利用を不能にしてしまうといった事実が問題視されているのである(17)

 だが,多くの図書館関係者は,ここでも実用性や効率性等の観点からベイカーの批判に応えようとした。例えば,コックス(Richard J. Cox)は,ベイカーの指摘を事実だと認めながらも,「全てを原物の形で残しておくなど……ほとんど時代遅れで好古趣味的な感覚である」と述べている。物理的および経済的な条件が有限である以上,保存価値の高い資料を選択するという方策が現実的であり,「新聞の原物を全て取っておくというのは少々やり過ぎだ」というのである(18)。クウィント(Barbara Quint)も,マイクロフィルムの欠点は認めながらも,それによって資料を利用できる人数が「指数関数的に」増えたことや,保管場所が有限であること等を論拠に,情報伝達の「形態ではなく中身が大切」なのだと主張している(19)

 確かに,情報提供機能の量的拡大および高速化は,現在の図書館が目指すべき方向であるに違いない。また,マイクロ化やコンピュータ化が,その非常に有効な手段であることも否定できない。だが,図書館の存在理由はもっと多様であったはずである。例えば,「図書館員には,書かれた記録を保存するという神聖な職務がある」との期待もまた否定し難いであろう(20)。コンピュータの機能性はカードの歴史を消去しない。マイクロ資料の有用性は原物の価値を落とさない。最新資料の必要性は古い書物を無用にしない。ベイカーの図書館批判の源泉はここにある。彼は,図書館の機能的な発展自体に異議を唱えているのではない。ただ,現に図書館が所蔵している古くからの諸資料,図書館に蓄積された文化や知性や歴史を,その唯一の所蔵者である図書館が自ら捨て去っているという事実を問題にしているのである。多くの図書館関係者にとって,ベイカーの批判には同調し難い点も多く,反論を加えるべき主張だと映るに違いない。日々現実的な使命を担う者は,それを優先せざるを得ないからである。しかし,情報提供機能の拡充という大義名分の下,我々が何かを失いつつあるのではないかという反省だけは,むげに拒否できないような気もするのである。

京都大学大学院教育学研究科:薬師院 はるみ(やくしいんはるみ)

 

(1)Baker, Nicholson. Discards. New Yorker 4 April 64-86, 1994
(2) Baker, N. The size of thoughts: essays and other lumber. Random House, 1996. 355p
(3)Dodd, D. Requiem for the discarded card catalog. Libr J 121(9) 31-32, 1996
(4)Grathwol, M. Review of the complaint of a catalog (card) lover. Colorado Libraries 20(3) 28-29, 1994
(5)Douglas, N. E. Debating ‘discards’: a response to Nicholson Baker. Rare Books Manuscr Libr 9(1) 41-47, 1994
(6)Max, P. J. What’s wrong with scrapping the card catalog? Chron High Educ40(43) A44, 1994
(7)Berry, J. A”World-class”library: LJ interviews SF city librarian Ken Dowlin. Libr J 121(7) 32-34, 1996 ; Oder, N.”Discard”charges roil Dowlin’s 21st-century library. Libr J 121(13) 14-15, 1996
(8)San Francisco Chronicle 1996.1.29 ; San Francisco Chronicle 1996.1.30
(9)San Francisco Chronicle 1996.8.7 ; Los Angeles Times 1996.9.3
(10) San Francisco Chronicle 1996.9.5
(11)Baker, N. The author vs. the library. New Yorker 14 October 50-62, 1996
(12)San Francisco Examiner 1996.11.9 ; Baker, N. Weeds: a talk at the library. Reclaiming San Francisco: history, politics, culture. City Lights Books, 1998. p.35-50
(13)Shapiro, L. Libraries: a mall for the mind. Newsweek 128(17) 84-86, 1996
(14)Los Angeles Times 1997.2.1
(15)Oder, N. loc. cit.
(16)American Newspaper Repository. [http://home.gwi.net/~dnb/newsrep.html] (last access 2001.3.1)
(17)Baker, N. Deadline. New Yorker 24 July 42-61, 2000 ; Baker, N. Double fold: libraries and the assault on paper. Random House, 2001. 370p
(18)Cox, R. J. The great newspaper caper: backlash in the digital age. Collect Build 20(2) 88-103, 2001
(19)Quint, B. Don’t burn books! Burn librarians!! Searcher 9(6) 6-17, 2001
(20)Block, M. Nicholson Baker strikes again. Libr J 125(14) 176, 2000

 


薬師院はるみ. 過去を未来へ−ニコルソン・ベイカーの願い−. カレントアウェアネス. 2002, (272), p.15-18.
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