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第一福祉大学 人間社会福祉学部 清重 知子(きよしげ ともこ)
アメリカのホームレスの数は推定年間350万人と言われ、これは総人口の約1%に相当する(1)。このうち18歳以下の児童は推定135万人(約39%)、世帯別に見ると児童を含む世帯の占める割合は約33%であり、児童及び児童を含む世帯がホームレス者の内訳として近年最も増加している。ホームレス化の要因としては、安価な賃貸住宅の減少、貧困の拡大、社会保障の縮小、障害者やDV被害者への社会的支援の不足などが挙げられる。ホームレスは経済的困窮の結果住居を失った状態であるだけでなく、社会的排除、すなわち、制度的、社会的居場所を失い、異質な存在として周縁化された状態でもある。私的生活空間を失ったホームレスは公共空間での生活を余儀なくされ、日常的に誰の目にもとまる存在でありながら、もはや通常の社会の中に属さない者として排除され生きている人たちと言える。
ホームレスの姿はアメリカの公共図書館では日常的であるが、彼らの具体的な利用形態や利用者数などの実態調査は筆者の知る限り行われていない。現場の実践報告等によると、ホームレスの公共図書館の主な利用方法として、情報収集、読書、インターネット利用など図書館の本来事業の活用と、安全・安心・快適な過ごし場所、睡眠、洗面、洗髪の場など生活空間としての活用が見られる(2)(3)(4)(5)(6)。ホームレス者の持つ情報ニーズは過小評価されがちだが、彼らは福祉、住宅、就労、医療など死活に関わる重要な情報をしばしば公共図書館を通して得ていることが報告されている。また、公共図書館が提供する無料メールアドレスは彼らにとって通信手段であるだけでなく、私的情報の保管場所としても大変便利で、図書館端末利用者の約3割がホームレス者という推測もある。アメリカのシェルターは夜間運営のみの所が多く、彼らは日中の居場所やトイレ、水道の確保に苦労するが、公共図書館はそんな彼らにとって格好の居場所でもある。また、公共図書館は実用的な役割があるだけでなく、彼らにとって数少ない地域社会との接点であることも見過ごせない。
このように公共図書館はホームレスにとって貴重な社会資源の一つであるが、公共図書館の彼らに対するスタンスは、その利用に対し消極的な立場と、積極的なサービスを提供するという対照的な二つの立場に別れ、業界としてのコンセンサスに至っていない(7)(8)(9)(10)。前者はホームレスの体臭や不衛生な身だしなみが他の利用者の利用を妨げている点や、睡眠、清拭など図書館の本来の趣旨に反する利用方法、本来福祉事業が担うべきホームレスへの支援を図書館が行うことの矛盾を指摘し、安全で快適な読書環境を維持する責任を重視する立場である。この考えに立つ公共図書館は、利用規則や館内巡回の強化を通して不適切と判断したホームレスの退館を強化する方向にある。この立場が法的根拠とするのは、ニュージャージー州モーリスタウン図書館が設けた利用規則を不服としたホームレスR.クライマーによって起こされた有名な訴訟「クライマー事件」の判例である(11)。この裁判では争点となった当該利用規則そのものの合法性については一・二審で判断が分かれたものの、両判決とも他の利用者の利益に配慮し館内を静かで平穏な場に保つという目的に合致した差別的でない利用規則であれば、図書館がそれを定める権限を認めるものであった。
一方、後者は図書館が歴史的に担ってきた民主・自由社会の発展への貢献という使命の中にホームレスとの関わりを位置づけ、全ての人々の社会的包含は図書館専門職の中核的価値にあたるとする立場である。この立場は問題とされるホームレスの体臭、服装、行為は当事者の選択的行動ではなく、彼らの置かれている貧困という状況であり、これらを理由にホームレスの図書館利用を拒むのは社会的排除にあたると主張している。アメリカ図書館協会は後者の立場を表明しており、1990年の「貧困者に対する図書館の指針」の採択や、1996年の「飢餓・ホームレス・貧困対策委員会」の設置などを通して、貧困者の民主社会への完全参加の推進を図書館の目標として掲げている(12)。
80年代からのホームレス者の増加や前述のアメリカ図書館協会の指針を受けて、ホームレスに特化したサービスを提供する公共図書館が増えているようである。具体的な実践としては、その地域の医療・福祉・住宅サービス等に関する情報資料集の作成、各種行政手続きの申請用紙の設置・配布、福祉関連相談窓口の設置、シェルター内の読書コーナーの設置、ホームレスの日常に即したリテラシープログラムなどが報告されている(13)(14)(15)(16)。また、増え続けるホームレス児童の情緒的発達や教育の問題が社会的関心を呼ぶ中で、司書がその専門性をこの領域で発揮することへの社会の期待と専門職者の役割意識が高まり、シェルターに住む児童を対象とした様々な図書館サービスが普及している(17)(18)。実践事例としてはシェルターでの本の読み聞かせ、読書コーナーの設置、児童の学齢に合った図書の選定・紹介、保護者に対する読書教育などがあり、こうした実践が主要な公共図書館の少なくとも3分の2によって行われていると見られる。これらの取り組みの中で強調されているのは福祉領域との連携の重要性であり、福祉事業主体と図書館の協同事業や人材交流、相互研修などが進められている。今後更にホームレスに対する図書館の役割について議論を深めるに際し、こうした取り組みの実態調査や効果の実証的検証が求められよう。
(1) National Coalition for the Homeless. “Facts About Homelessness”. http://www.nationalhomeless.org/publications/facts.html, (accessed 2007-02-04).
(2) Hersberger, Julie.; De la Pena McCook, Kathleen. The Homeless and Information Needs and Services. Reference & User Services Quarterly. 2005, 44(3), p.199-202.
(3) Flagg, Gordon. Hooking Up the Homeless. American Libraries. 2000, 31(5), p.38.
(4) Grace, Patrick. No Place to Go (Except the Public Library). American Libraries. 2000, 31(5), p.53-55.
(5) Lesley, J. Ingrid. “The homeless in the public library”. Libraries and Information Services Today: The Yearly Chronicle. 1991.ed., Chicago, American Library Association, 1991, p.12-22.
(6) Rogers, Michael. Infotech: The Homeless Take to the Net Using Library Connections. Library Journal. 1999, 124(7), p.27.
(7) Hersberger, Julie.; De la Pena McCook, Kathleen. The Homeless and Information Needs and Services. Reference & User Services Quarterly. 2005, 44(3), p.199-202.
(8) Buschman, J. et al. “Theory and Background”. Venturella, Karen M.(ed). Poor People and Library Services. McFarland, 1998, p.16-34.
(9) Cronin, Blaise. What a Library is Not. Library Journal. 2002, 127(19), p.46.
(10) Simmons, R. C. The Homeless in the Public Library: Implications for Access to Libraries. RQ. 1985, 25(1), p.110-120.
(11) 川崎良孝. ホームレスの図書館利用と公立図書館の基本的役割:クライマー事件、修正第1条、アメリカ図書館協会. 京都大学教育学部紀要. 1996, (42), p.53-72.
(12) American Library Association. “Library Services for the Poor:ALA Policy Manual”. http://www.ala.org/ala/ourassociation/governingdocs/policymanual/servicespoor.htm, (accessed 2007-02-04).
(13) Flagg, Gordon. Hooking Up the Homeless. American Libraries. 2000, 31(5), p.38.
(14) Grace, Patrick. No Place to Go (Except the Public Library). American Libraries. 2000, 31(5), p.53-55.
(15) Lesley, J. Ingrid. “The homeless in the public library”. Libraries and Information Services Today: The Yearly Chronicle. 1991.ed., Chicago, American Library Association, 1991, p.12-22.
(16) Dotson, M. et al. “Programs in Shelters and Public Housing”. Venturella, Karen M.(ed). Poor People and Library Services. McFarland, 1998, p.126-151.
(17) Carlson, Pam. et al. Libraries can serve homeless children. Jounal of Youth Services in Libraries. 1994, 7(3), p.255-271.
(18) Dowd, F. S. Homeless children in public libraries: A national survey of large systems. Journal of Youth Services in Libraries. 1996, 9(2), p.155-164.