カレントアウェアネス
No.245 2000.01.20
CA1299
英国の書籍再販協定消滅の影響(2)
前号に続き,本号では,英国におけるNBA消滅の影響についてのクランフィールド(Cranfield)大学による調査報告書の中から,公立図書館の資料収集が受けた影響に関する調査結果を紹介する。
まず,参考までに,英国における図書館向け書籍販売状況を1995年4月から1996年3月までの会計年度についてみておくと,公立図書館向け販売総額が1億990万ポンド,大学・専門図書館向けが4,490万ポンドであった。双方の販売額を合計すると約1億5,500万ポンド弱となり,この数字は,1995年1年間(暦年)の英国における全書籍の年間総売上額約27億5,600万ポンドのおよそ5.6%に該当するという。この割合は,けっして些少とまではいえないと思われるものの,過去と比較した場合には,例えば,1985年には全書籍売上総額の約6.6%を占めていたことからも窺えるように,漸減の傾向にある。売上額の減少は,特に公立図書館向け販売について顕著であるとみられている。
図書館による書籍購入に関しては,NBAの存続時にも例外的な値引きが認められており,無償で閲覧サービスを行い,かつ,出版者協会の承認を得た図書館に限って,図書館向け書籍販売業者としての指定を同協会より受けた業者から,最大10%の値引きを受けられることとされていた。実際に,業者が図書館へ書籍を販売するに当たっては,限度一杯の10%の割引を行うのが常であった。
また,図書館に対する書籍の販売には,通常,ラベルの貼付,図書館資料専用のカバー加工処理などの特別のサービスが伴う。このサービスについて,NBAに付随する協定では,費用の全額が図書館から支払われねばならないこととされていた。しかし,ここでいう「費用」とは材料費のことであり,人件費や間接費(設備費,光熱費など)は入らないとされていたので,図書館専門の書籍販売業者の間では,そのような図書館が対価を支払わなくてもよい部分でのサービスをめぐり,従来から厳しい競争が繰り広げられてきた。
今回の調査結果によれば,公立図書館を対象とする書籍販売は,NBAの消滅によって最も大きな影響を受けた分野の一つであるという。個人消費者と異なり,図書館では,資料購入に当たり,図書館専門の販売業者との間で,購入しようとする複数の書籍全体の価格につき,一括して交渉することができる。したがって,NBAによる拘束(割引率の上限を10%とする制約等)が無くなった場合において,広範囲にわたる値引き競争が始まる可能性があることは容易に想像し得る。ただ,この点に関して,調査開始前には,逆の予想もあった。即ち,図書館を対象とする書籍販売については,5つの大手専門業者だけで英国における65%以上の公立図書館の資料収集を取り扱っており,市場が寡占状態にあることから,業者間で共倒れを回避しようとする意向が働き,本格的な価格競争は起こり得ないのではないかとも考えられたのである。しかしながら,実際に調査を行ってみると,購入予算を切り詰めるため少しでも低価格の業者から購入しようとする公立図書館の動きや,新規業者参入の脅威などが強い要因となって,熾烈な値引き競争が生じていた。1996-97会計年度でみると,値引率に関する設問に対して回答のあった75の公立図書館(調査対象となった公立図書館総数は100)の内,半数以上(39館)が21%以上の値引率を得ており,調査報告者が統計学的手法を用いて計算したところによると,値引率の平均値は,約24.7%と推定されるという。また,取引額の規模と値引率との間に相関性はみられず,販売業者側は,小口の取引であっても受注のために大口取引と変わらぬ値引きを行っていた。
また,当然のことながら,値引率が上昇すれば,図書館に対する特別サービスの対価の額が値上がりするという関係もみられた。調査対象となった公立図書館のうち15%以下の値引率しか得ていない24館の中では,以前と変わらぬ対価によりサービスを受けているところが20館あったのに対し,16%以上の値引率を得ていた76館の中で,サービスの対価の値上げがなかったのは4館のみであった。ただし,販売業者に対する調査によれば,サービスの対価を全額支払っている公立図書館はほとんど存在しないことも判明した。
地方自治体における公立図書館の書籍購入予算額に関する調査では,1996-97年度予算と1997-98年度予算とを比較すると,データを入手し得た90の公立図書館の書籍購入予算合計額は,平均して約10.8%の減少となっている。この購入予算額の減少については,一般に公立図書館を所管する各自治体では,以前よりも大きな書籍の値引率が獲得されても,そのことが前年度と同額の予算措置により購入書籍冊数を増加させるという考え方に結びつかず,むしろ予算削減という事態につながりやすいために生じているのではないかと推測される。
この点に関連し,NBA消滅により以前と比較して大きな値引率を獲得したことについて,自らにとって利益となったと感じているか否かを訊ねたところ,NBAの消滅が自らの利益につながったと考えている公立図書館は,それ程多いわけではなく,調査対象の44%に留まった。この公立図書館側の実感については,書籍の値引きにより節約できた額が公立図書館の自由にならず,むしろ書籍購入予算を削減されてしまう例が多いことから,自らにとってプラスとなったという意識を持ちにくいことが一因なのではないかとの説明が可能だろう。
他方,書籍購入予算削減の当然の帰結として,図書館向け書籍販売は困難なものとなりつつある。例えば,図書館専門書籍販売の大手5社について,1997年の売上高合計額を,NBAが存在した最後の年である1995年の数字と比較してみると,14%の減となっており,また,当該5社の経常利益合計額を比較すると,2億6,800万ポンドから1億4,700万ポンドへと減少している。この結果,これら5社の調査時点に最も近い決算期における利益率は,平均して売上高の3.4%しかなく,各販売業者は,徹底した経営の合理化と,全従業員の20%を対象とする人員整理とにより,辛うじて生き残りを図っているものの,経営状態は極めて厳しい。
調査を行ったフィッシュウィックらは,このような図書館専門の書籍販売業者の危機的な経営事情について,現在のように,公立図書館の予算が削減される中,対価以上のサービスを提供しながら,大幅な値引き競争が続けば,これらの販売業者たちがもはや負担に耐え切れなくなるのは時間の問題であると憂慮している。
なお,公立図書館向けの書籍販売がNBAの消滅から少なくない影響を受けているのに対し,大学・専門図書館向け書籍販売の分野における影響は,それ程深刻なものではなく,値引き競争の弊害等もあまりみられないようである。その理由としては,(1)大学・専門図書館向け書籍販売の分野では,販売対象となる学術書・専門書の利益率が一般の書籍より相当低いために大幅な値引き競争などをそもそも行いようがないこと,(2)図書館側が業者の選定に当たって,価格のみならず,注文された専門書を他の本と間違えたりせず短期間に納入し得る能力を重視する傾向があり,業者に専門的な知識と豊富な経験が必要とされるので,値引きによって他の業者に顧客を奪われる恐れや,新規業者参入の脅威等がそれ程問題となっていないこと,(3)これらの図書館では,NBAの対象外だった学術誌等の定期刊行物が資料費に占める割合が高く,さらに,電子出版物の割合も増加しているため,資料費中における書籍購入額の占める割合が相対的に低いこと等が挙げられている。
実は,今回の調査結果をみる限り,書籍販売一般については,NBAの消滅により,予想された程の大きな混乱は現在のところ生じていない。とはいえ,懸念されていた出版点数の減少や価格上昇等の悪影響の兆しがないわけではない。そして,とりわけ,公立図書館への図書販売の分野では,あまり望ましくない方向へと事態が動きつつあるようである。しかしながら,報告者達が述べているように,NBA消滅の影響を本格的に論ずるには,いま少しの時間の経過が必要であり,今回のようなデータ収集が継続的に行われねばならないだろう。本調査は,そのような長期的な影響評価の第一歩として,極めて意義深いものである。
寺倉 憲一(てらくらけんいち)
Ref: Fishwick, F. et al. Report into the Effects of the Abandonment of the Net Book Agreement. London, Book Trust, 1998. (British National Bibliography Research Fund Report 85 / British Library Research and Innovation Report 34)
Fishwick, F. et al. The cost of cut-throat competition. Libr Assoc Rec 100 (5) 244-245, 1998.
Fishwick, F. The Net Book Agreement: quietly lamented or just forgotten? Br Lib Res Innov Cent Res Bull (20) 7-8, 1998.