第4章 まとめ (4.4 ヒアリング調査のまとめ)

4.4 ヒアリング調査のまとめ

4.4.1 秋田県下調査

 秋田県では1879年に東北初の秋田公立書籍館を設立し、1899年に創立した秋田県立図書館で近代公共図書館の基礎を確立した2代館長佐野友三郎の活躍は著名である。また、戦後すぐに「図書館の使命は重大であり、日本再建に即応する図書館活動を促進するため」として大日本図書館協会秋田県支部を設立し、その事業の柱に郷土関係資料の収集、複製、刊行を挙げている。

 1977年と1998年に全国図書館大会を開催するとともに、2002年の全国公共図書館整理部門研究集会が「地域資料再発見〜新しい時代における資料のあり方を考える〜」というテーマで開催されたことは、記憶に新しい。その上、「あきたプラン15−秋田県公立図書館振興のための提言と設置及び運営に関するガイドライン−」には、図書館のはたらきとして「地域文化に関する資料情報を収集・提供し、地域文化の振興、発信を図る。」としている。これらのことからも明らかなように、秋田県は図書館経営理念の中に早くから地域資料を位置づけ、着実な活動を展開してきた興味深い地域といえる。

[秋田県公文書館]

 1993年に県立図書館との併設の施設として設立し、30名(専任11名、併任7名、非常勤嘱託10名、臨時職員2名)の職員で運営している。組織編成は、総務班、公文書班、古文書班となっており、総務班の7名は図書館との併任で、専門職員は6名(公文書班2名、古文書班4名)である。

 所蔵資料の総数は156,903点である。佐竹文庫をはじめとした秋田藩に関する古文書や地方文書が6万点、行政文書は70,974点で、毎年10,000件の資料が移管され、評価選別して2,000冊程を保存する。その他寄贈・寄託・購入によって古文書の受入がある。

 公文書館法に基づく施設として資料の保存・利用以外に調査研究機能を持ち、企画展示及び歴史講座・古文書解読講座等の研修事業や市町村史編さんのための資料提供、文書目録や翻刻本の刊行、合併に伴う公文書散逸防止の指導等の仕事をしている。

 図書館と併設ということで、資料の貸出や複写、協力レファレンス、利用者の紹介、共同研修会などを行っている。レファレンス件数は年間240件と図書館に比べると少ないが、その半数が県の職員からである点が特色といえる。

 公文書や古文書について県の公文書館は助言をするだけで、主体はあくまで地元の市町村である。合併に伴う調査として古文書調査をしたが、どこに何の資料があるのかわからなくなっているケースも少なくない。公文書は庁舎が壊されたり、担当職員が代わると分からなくなっていくし、古文書は代替わりした当主に関心がなければ散逸してしまう。そのため勉強会を開催して地元の意識を喚起していくことが課題である。

[秋田県立図書館]

 1899年に創立され、翌1900年から03年までの3年間佐野友三郎が専任館長として着任し、近代公共図書館の基礎を確立した。その経営施策の一つとして郷土資料の収集を位置づけ、秋田に関する旧記の収集を行った。また、1951年には現在の地域資料の柱となる佐竹・東山・戸村などの文庫を整理して次々と郷土文献目録を刊行し、1969年には郷土資料コーナーを設置している。

 県立図書館は、創立以来秋田市千秋公園の中に設置されていたが、1993年には秋田市山王地区に現在の新館を開設し、150万冊の書庫の設置とコンピュータシステムの導入を図った。また、県立公文書館を併設し、佐竹家の資料をはじめとした古文書・古記録等の歴史資料を移管した。

 図書館にとってオンリーワンの資料が地域資料だと考えているという話が本調査の冒頭にあったように、年間3,300万円の資料費の中から地域資料に300万円程度を支出して資料収集に努め、秋田県に関する資料を豊富に所蔵している。これらの地域資料は県立図書館で独自入力し、件名まで付与していて、県下の図書館は県立図書館のデータベースを利用してデータ作成を行っているということである。地域資料の担当者は、専任3名、嘱託職員2名、臨時職員1名の体制であるが、嘱託職員と臨時職員は資料班の他の業務と兼任なので地域資料だけに携わっているわけではない。

 このような状況の中で、地域資料のデジタルコンテンツの作成やホームページによる情報発信にも積極的に取り組んでいる。ホームページのデジタルライブラリーには、郷土雑誌の紹介、名勝案内による秋田の昔の旅、秋田県の民話、秋田県のお祭り、秋田の人と本の紹介などが掲載され高く評価されている。

 資料保存の取り組みとしては、貴重書等のマイクロフィルム化と保存環境の整備を積極的に進めていることが挙げられる。特に、閉架書庫に入って圧倒されたのが中性紙の保存箱に収納された資料が整然と並んでおり、その数の多いことである。

 課題としては、収集した地域資料の開架スペースが少ないことと、専門職員や研修の不足が挙げられていた。公文書館との併設であり、開架部分がワンフロアーにまとめられた設計の中で、メリットを生かしながらどのような調整を図ればよいのか検討する余地はあるように思われる。最大の課題は人の問題で、地域資料データベースセンターとして機能しているシステムが、ベテランの専門職員の異動によって支障をきたすようなことがあれば、秋田県下の市町村に及ぼす影響も少なくないと思われる。

[秋田市立中央図書館明徳館]

 秋田市立図書館としては、1902年設立の南秋田郡立図書館からの歴史のある土崎図書館と1962年設立の新屋図書館がある。しかし、いずれも小規模なもので秋田市民は県立図書館に頼らざるをえなかったが、1983年に当館が創設されたことにより飛躍的に市立図書館の利用が伸びた。

 秋田市は2005年に隣接する河辺町・雄和町と合併して面積が2倍になり、雄和図書館が市立図書館に加わった。

 明徳館の2階には参考資料調査室があり、参考資料と地域資料を収蔵するとともに専用カウンターを配置している。地域資料の担当者は7名おり、正職員4名、常勤嘱託2名、非常勤嘱託1名である。正職員は全員司書で、兼任ではあるが図書館業務を長く担当しているものを地域資料に配置している。この他に地域資料関係の施設としては石川達三記念室と貴重書庫があり、貴重書庫には秋田藩の御用商人那波(なば)家文書6,860点をはじめ、8,639点の古文書・古記録を所蔵している。

 コレクションとしては、秋田に関するものは積極的に収集しており、ホームページに郷土雑誌一覧として掲載されている124誌をはじめ、逐次刊行物としてはタウン誌・サークル誌・フリーペーパー類まで集めている。その他に市内小・中・高校の学校の文集、企業や民間団体の資料、郷土人の資料を収集しているが、文集は個人情報保護の関係で閲覧に供していない。また、新聞切抜きを7〜8年前から実施しているが、職員の業務用に利用しているだけである。

 課題としては、収蔵スペースの問題と専任職員不足が挙げられているが、収蔵能力が50%近くもオーバーしていることを考えると、書庫の増設や除籍等の抜本的な対策が必要だと思われる。

[能代市立図書館]

 1902年に山本郡立図書館として創設され、1923年の郡制廃止により県立図書館能代分館となった。1932年には県の経済緊縮により分館が廃止され、地元に移管されたことにより能代港町立図書館となるといった変遷を辿った。昭和40年代から郷土資料の収集整理が意欲的に進められており、現在の図書館は1990年に新築移転した。

 能代市は材木の集積地として発展し、1940年に市制を施行している。2006年の二ツ井町との合併に伴い、かなりの数の行政資料を譲り受けている。

 地域資料の専任はおらず兼任で担当していて、資料は開架フロアーの郷土誌コーナーと書庫に排架している。印刷物は積極的に収集しているが、小冊子は整理のノウハウと時間の関係で整理していない。古文書・古記録については1,000点以上の資料を所蔵しているが、整理できる者がいないので未整理である。それ以外については寄贈もしくは対象としないものが多い。

 司書資格のある人材の補充と資料費の確保が課題としているが、この課題を解決するためには、地域に必要とされる質の高いサービスに的を絞り、地域資料を活用したビジネス支援や優れた先進事例等に学び、実践することが必要だと思われる。

[仙北市総合情報センター学習資料館(旧角館)]

 1920年に秋田県で初めての町立図書館として角館町立図書館が設立され、初代館長石黒直豊から1,000円の寄付を受け、角館町出身の新潮社の創始者佐藤義亮から同社の発行図書と書架の寄贈を受けている。1964年には全国で2番目の農村モデル図書館として新館を建設し、秋田県で2番目の移動図書館車の運行を開始している。新潮社からの寄贈は今も続いていて、その数は19,000点ほどになり全蔵書の約20%を占めている。このこともあって、2000年に現在の学習資料館を新設し、同氏を顕彰するために併設の新潮社記念文学館が創設された。

 2005年に田沢湖町・西木町・角館町の3町が合併して仙北市になったが、図書館の運営も業務システムも統合されていない。

 地域資料は郷土・レファレンスコーナー、閉架書庫、貴重書庫に配置されていて、8,873冊の蔵書があり、古文書や古記録も所蔵しているが未整理である。開架には主に市町村史類しか排架されておらず、閉架書庫には相当数の行政資料や観光関係資料が収蔵されていて禁帯になっている。レファレンスは郷土関係が最も多く、観光地という土地柄から市外の方からの問い合わせが多いにも関わらず、行政資料は閲覧用資料として整理しているものではないと説明しており、多くの利用者にその存在も利用も閉ざされているのは勿体ないだけでなく、戦略不足の感が否めない。資料収集・保存・レファレンス等の地域資料業務は兼任で、館長と地域資料担当の2人で担当し、カウンターはパート職員に任せている。

 課題としては、資料を整理するだけが図書館の仕事ではなく、図書館サービスと経営理念を持って積極的に事業展開を図るための研修と職員の意識改革が必要だと思われる。

[まとめ]

 秋田県は図書館活動の歴史があり、戦後すぐに大日本図書館協会秋田県支部が設立され、事業の柱として郷土関係資料の収集、複製、刊行を掲げていたこともあって、地域資料に対して積極的であり資料の充実も図られている。県立図書館が優れた企画と実践をしている事例に習い、これからは厚く蓄積された地域資料という財産を活用し、地域の情報拠点として機能していくための戦略の構築と、サービスの実践が課題になる。

 

4.4.2 沖縄県下調査

 沖縄県を調査対象に含めたのは、ここが日本本土とは異なる政治的歴史的文化的な背景をもっているためである。今回の実地調査で関係者に伺った話として、歴史的に琉球王朝は中国と薩摩藩との外交関係を重視し、とくに中国歴代王朝の文書管理の考え方の影響を受けていたために、日本本土と比べると文書を公的に管理するという考え方が強く、扱いは丁寧である。字(あざ)を単位とする字史を整備している地域は日本には沖縄と滋賀県にしかないとも聞いた。

 しかしながら、そうした文書類は沖縄戦でほとんどが失われた。沖縄の人々が返還後に、記念碑の建設、資料の複製事業や聞き取りによる歴史の再現にこだわる理由はこのあたりにあると考えられる。現在、沖縄の公的な機関が保持している史料類の多くは戦後のものか、沖縄外の他機関が保存していた史料を複製して入れたものになるということである。

[浦添市立図書館]

 今回、調査した中で最初に訪問した浦添市立図書館は、「沖縄学研究室」を併設しているという点で日本の公立図書館のなかで特筆すべき存在である。図書館は1985年に設立された比較的新しいものだが、当時の一般的な図書館づくりが市民生活に直結したサービスを提供しようとしたのに対して、最初からここを文化的拠点にする意図があった。準備段階から郷土資料を重視し「琉球王国評定所文書」(首里王府の公文書)の編纂事業を始めている。まもなく市史編纂事業の終了にともないそれまで収集した資料を図書館に移管することがあり、1990年に2代目の館長に沖縄学の専門家高良倉吉氏(現琉球大学教授)を迎え「沖縄学研究室」が設置されたということである。

 ここは、沖縄に関する資料を網羅的に収集するだけでなく、史料編纂事業に伴う複製一次資料のコレクションをもつことで、単なる郷土資料のコレクションではなく文字通りの「沖縄学研究室」になっている。ここのサービスはもともと市史編纂事業を担当していたベテランの職員(嘱託)が複数担当することで、主題内容に踏み込んだレファレンスに対応できるようになっている。また、基礎自治体レベルではほとんど例がないと思われるが、図書館学と沖縄学研究のための研究紀要(15号までは図書館紀要、現在は統合されて文化部紀要)が発行されている。郷土資料/地域資料と研究室の有機的な統合や職員の世代交代に伴う専門知識の引き継ぎといった課題は残されるが、沖縄に関する地域文化を収集、編集、発信するという理念で出発し、一定の成果を挙げてきたと思われる。

[沖縄県公文書館]

 沖縄県公文書館では、公文書を含めた所蔵資料を「地域資料」とよんでいる。「沖縄県文書」(公文書)だけでなく、アメリカの沖縄統治関係資料も琉球政府文書や琉球王国時代の資料も、広義の「地域資料」であるととらえる。

 また、公文書館の県民への普及は、1995年4月の開館以来力を入れてきており、離島や北部などの公文書館から遠隔の地でも、その地域の資料を中心に展示する移動展も実施している。自治体史や地域史(字史)の編纂がさかんで、そのための利用者も多い。さらに利用者を増やすために、公文書館の資料を使っての大学生のためのアーカイブズ入門講座、小中学生の夏の学習(夏休み上映会)、教育センターでの総合学習の働きかけなどをしている。

 資料保存のスペースの問題があり、今後は「地域資料」を減らす方向であるという。そのための収集資料の見直しが必要となり、公文書館、博物館(文書資料も保存)、図書館(郷土資料も保存)、平和資料館などが、地域資料の保存と利用のすみわけを検討しようと、2007年2月に協議会を立ち上げることになっている。こうした動きのなかで、公文書館で5年間にわたって整理してきた芥川賞作家文書は、今後は図書館へ移管されることになっている。公文書館は「公文書」を保存し利用するというように特化されていくのであろうか。今後の協議会のうごきに注目したい。

 沖縄県公文書館は、2007年4月から指定管理者制度を導入する。財団法人沖縄県文化振興会(沖縄県公文書館指定管理者)となり、この常務理事が公文書館長、総務企画課長が副館長となる。指定管理者移行にともなって、個人所蔵文書の受け入れは控えていく方向という。公文書館の指定管理者への移行後の「地域資料」のあり方は、ほかの自治体の動きとあわせて、さらに考えていきたい。

[沖縄県立図書館]

 1910年の創設時に沖縄学の先駆者伊波普猶が館長を務めたことで知られる。当然、地域資料の蓄積は相当あったはずだが、沖縄戦ですべて失われて、戦後の再出発を余儀なくされている。現在の建物は1983年に建てられた際に、1階は通常の開架スペースで、2階は郷土資料とした。このような構造の図書館は少なくないが、建築構造上2階の隅に追いやられているところが多い。ここは、1階ほどの広さはないにせよ2階を全部郷土資料のためのスペースとしたことで、むしろ積極的に沖縄のアイデンティティを表現する場を確保したというように見える。

 沖縄は郷土出版社がたいへん多く、出版も盛んである。宮古分館、八重山分館の分も含めた地域資料関係の資料費は年間で1千万円近くもあって、これは図書館全体の資料費の3分の1近くを占める額であり、上の印象を実証している。図書館全体として、沖縄関係の資料をしっかり収集保存する体制はできているといえる。地域資料専任の担当者も2人配置されている。だが、地域資料の専門家を充てることはできず、レファレンス担当のローテーションに位置づけられている。

[那覇市立歴史博物館]

 那覇市史編集室から歴史資料室となり、2006年に歴史博物館(市長部局)となった。1986年からはじまった市史の編集は総索引を刊行して2007年度に終わる。市史編纂開始時に資料館構想があったが、財政難で計画が変更となり、文書館構想も立ち消えとなり、歴史博物館として開館した。

 当館は、条例によっているが、博物館法・公文書館法を根拠法にはしていない。名称は博物館であるが、市史編纂で調査・収集された地域資料を保存・利用してきていることが特色といえる。

 当館の場所は、市役所内から市立図書館、そして現在地へと何回も変わっってきている。地域資料の保存場所は、当館内の書庫・特別収蔵庫以外に3か所(小学校の一部、市の庁舎など)に保存している。収蔵スペースをいかに確保していくのかについては、同じ悩み・課題をもつ館は多い。

 那覇市の行政文書は、1989年から移管システムをつくって博物館でデータベース化している。また、家譜の所蔵が多いが、レファレンスにも対応しており、その家譜の問い合わせが多いという。年4回の企画展も実施している。すでに目録化されている横内家文書(1万8,000点)は、東京にのこっていた沖縄の近代文書である。

 行政文書を扱い、家譜などの地域資料の保存をし、利用に供しており、文書館的機能を果たしている館といえる。

[名護市立中央図書館]

 沖縄県北部の中心都市名護に1999年にできた比較的新しい図書館である。現代的な図書館建築のコンセプトを生かしたゆったりした施設をもち、また、司書職制度をおいてサービス面でも力を入れている。地域資料についても開館準備時代からかなり力を入れて整備してきた。出身者の徳田球一関係資料ややんばるくいな資料など地域性を生かしたコレクションをもち、基本的な地域資料の収集提供体制はつくられているといえる。これを担当するのが司書職の兼任職員1名で、それも全体の仕事の20%ほどが地域資料に充てられるにすぎない状況ではなかなか多くは望めないが、恵まれた施設と地域資料を生かす力をもった図書館とみた。観光客を含めた潜在的な利用者の開拓やITを積極的に利用した全国に向けての情報発信などの可能性がある。

[那覇市立中央図書館]

 上記の県立図書館のすぐ向かい側にこの図書館が置かれている。占領時代に琉米文化会館(本土のアメリカンセンターに相当)として設置された施設が返還後、自治体に払い下げられ1975年に那覇市立中央図書館となった。県立図書館はその後この地に新館が建設されている。互いにこれだけ接近していて、なおかつ県立がインフラや提供資源の点で規模が大きいのに対し、こちらの図書館の建物は古く投入される資源は小さい。歴史的な資料については歴史博物館があるので、地域資料については、市に関する一般的な資料を収集提供するセンターという機能に徹した存在である。

[沖縄県庁内行政情報センター]

 最後に少し時間があったので、県庁内の行政情報センターに立ち寄った。情報公開窓口と行政資料の閲覧を主たる業務にしているところである。行政職の職員に加えて司書資格をもった臨時職員が1名配置されていた。ここの一つの特徴は県刊行物の配送センターとなっていることである。この業務は、「行政資料収集管理規程」に基づいて、一定部数(17部)を発行部課からまとめて受け取り、センターで閲覧に供するほか県立図書館、県公文書館などに既定の部数を配送することになっていた。質問紙調査では、行政資料の納本条例・規則をもつところが県で29.4%ということであったが、さらにこのような配送の仕組みがあると制度として格段に機能しやすくなる。また、規程に基づいて行政刊行物のしっかりした目録が毎年発行されている。

[まとめ]

 沖縄には歴史資料を収集保存するだけではなく、今、発生している資料を積極的に収集して、沖縄の人たち(ウチナンチュー)のアイデンティティの源泉にしていこうという意識が存在している。本土と比べて地域資料に対して積極的であることは間違いない。これまでは特定の都市や特定機関、特定の館長によるリーダーシップに依存したいわば「点」のサービスだったが、今後は県全体として地域資料をどのように扱っていくのか、図書館、文書館、博物館等がどのようにかかわっていくのかといった「面」のサービスが課題になる。その際に、県公文書館が収集対象の範囲を縮小する方向にあることが相互の関係に影響を与えそうである。また、図書館に関しては、地域資料の重要性に対する認識はあっても、それをうまく図書館の事業に結びつけるための戦略が不足しているように見受けられた。

 

4.4.3 滋賀県下調査

 滋賀県を調査対象に含めたのは、都市近郊で比較的人口が多い地域の図書館の地域資料について実態を把握したいと考えたことによる。さらに、この地域は、日本の重要な歴史的背景をもっており、それらの資料についても各図書館で収集している可能性があった。また、滋賀県は、図書館サービスの先進県として知られており、振興された市町村図書館が多数ある。そのような状況の中で地域資料がどのように位置づけられているかも大変興味深いと考えたことによる。

[滋賀県立図書館]

 滋賀県立図書館は、滋賀県の図書館の中で、バックボーンとして、大きな存在となっている。また、他の都道府県立図書館と比較しても、多額の資料費と、専門職員を有している。今回の調査では、市町村図書館訪問に先立ち訪問し、県立図書館として地域資料へ取り組み方についてお聞きした。

 滋賀県立図書館では「地域資料」のひとつとして「滋賀資料」と呼ぶ資料を収集している。さらに別途「水資料」の収集が行われており、これは滋賀県だけでなく、水に関しての全般的な資料群である。「水資料」は10万点レベルの点数があり、日本有数の水に関するコレクションと言うことができる。地域資料と一般資料費の明確な区分はないということであるが、「滋賀資料」と「水資料」では、予算上は1,000万円を計上しており大変大きなものである。

 行政資料については、滋賀県文書管理規定により、県立図書館に自動的に資料が届けられることになっており、この点も他県と比較して、優れている点である。地域資料のデジタル化も積極的に行われており、特に新聞記事索引は月1,800件程度を採取し、同館のホームページでも公開されている。

 なお、今回のアンケートの回答では、未整理な資料とされているものが数多くあるが、これは県立図書館として、完全な形で利用者に提供されていない状態は、「整理済み(整理中)」としないことを館のポリシーとしているためである。地域資料の課題としては、開架スペースの拡大や資料保存のノウハウの不足等となっている。

[東近江市立能登川図書館]

 東近江市は、7つの市町が合併した市であるが、現在市内には6つの図書館と1つの公民館図書室がある。旧能登川町は、合併前は人口2万3千人の中核的な町であった。能登川図書館は外部から招聘した専門職館長を筆頭に、全国公募を含めた8名の職員で運営され、内6名が司書という比較的恵まれた職員体制で運営されている。そのため、住民の図書館利用も活発である。

 地域資料については、基本構想時から「地域資料」という名称を採用しており、狭義では、能登川に関する資料を収集し、一部は周辺地域の資料も対象としているが、データ上の区分はない。図書館に博物館が併設されており、館長も兼務ということから、図書館としては普通収集しない資料も博物館との一体の資料として収集されていることも特徴のひとつである。

 行政資料については、合併前は、館長が町の部課長会議等に出席し、網羅的な収集を図ることができたが、合併後は難しくなっているとのことであった。資料のデジタル化は、現在のところあまり進んでいないが、博物館と地域オリジナルデータベースを作成している。地区内の学校との連携も博物館をベースとして行われており、図書館と博物館は類縁施設と言うよりは、それぞれの特徴を生かしながら一体となって運営されている。今後の課題としては、職員研修を上げており、地理的な条件や後進の育成等が問題と考えている。

[近江八幡市立図書館]

 明治時代の八幡文庫が現在の図書館の礎になっており、図書館としては100年の長い歴史を持っている。現在の図書館は、1997年に建築された近代的な建物となっている。地域資料の名称は、「郷土資料」としており、開架フロアーに「あきんどの里資料室」を設けている。地域資料の対象としては、近江八幡市及び滋賀県に関する資料としており、「近江八幡文学講座」を開催し、資料の発掘にも役立てている。町自体が古い歴史を持つことにより、図書館にも歴史的な資料が数多く収集されている。

 これらの資料に対しての住民の関心度も高く、地域の活性化に地域資料が役立っている。さらに図書館の立地上、観光施設としての役割を図書館が持っている点も同館ならではの特徴である。現在は、地域資料のデジタル化や担当職員の研修が課題となっている。

[彦根市立図書館]

 1916年に設置された滋賀県の中でも設立が古い方の図書館で、現在の図書館は3代目である。職員は15名であるが、司書資格者は1名しかいない。

 地域資料の名称は「郷土資料」としており、現在は、旧彦根藩領を対象地域としている。文庫や古文書等が郷土資料の多くを占めている。行政資料や企業の資料については、市の刊行物は、会議や事務連絡で依頼しているが、他の機関や企業資料の収集は難しい状況にある。

 地域資料は、NDCで分類整理しており、司書資格のある職員が担当している。新聞の切り抜きは、丁寧に実施されており、利用も多いようであった。同館の方針として、貸出とレファレンスサービスを両輪として図書館運営を行ってきたとのことである。今後は、現代的な地域資料の収集とデジタル化等のノウハウの取得、資料購入費の増額を図っていきたいとのことであった。書庫スペースの不足と後進の育成を特に大きな課題としている。

[愛荘町立愛知川図書館]

 2000年に新しく愛知川町立図書館として誕生したが、2005年に秦荘町と愛知川町が合併し、愛荘町立愛知川図書館となった。小さな町であるが、資料費は3,000万円を確保しており、貸出冊数も25万冊と多い。館長や職員も外部から招聘されおり、全国的にも優れた図書館運営として著名であるため、図書館関係者の見学者が多い。

 地域資料の名称は「地域行政資料」としており、図書館の中核的な資料群となっている。特に行政資料については、積極的に収集している。地域資料の資料費としては80万円程度であるが、フリーペーパーやチラシ等も積極的に収集され、利用に供されており、他の機関との連携も十分に行われている。併設施設として「びんてまりの館」があり、館長も兼任である。

 ここでは町史編纂に職員がかかわり大学とも連携しながら編纂した。「まちのこしカード」というユニークなシステムを持っており、図書館が資料を一方的に提供するのではなく、住民も情報収集に参加できる仕組みを持っていることは大いに評価できる点である。前述の近江八幡市立図書館と同様に地域資料を町の活性化の資源のひとつして活用しようという意志が感じられ、そのことを実際の図書館サービスの中でも具現化している。合併があったため、町内のもうひとつの図書館である秦荘図書館との運営方針の摺り合わせ等が現在の課題となっている。

[まとめ]

 滋賀県内の図書館は、貸出冊数や利用の多い図書館が数多くあり、そのような状況での地域資料への取り組みについては、当初多少の懸念もあったが、実際にはそれぞれの図書館で、職員の努力とアイデアにより様々な試みが行われていた。貸出サービス等の量的なサービスと地域資料やレファレンスサービス等の比較的手間のかかるサービスの両立は難しいのではと考えていたが、滋賀県の調査ではある面では相互に関連しながら、住民に役立つサービスとして提供が可能であることを確認することができた。