1 はじめに
本章では、1995年から2010年までを中心とする約15年の文献から、障害者サービスのこの間の動向を概観する。1995年を起点とする理由は2つある。1つめは、1995年が現代の日本を俯瞰する上で、きわめて重要な年であることである。背景を簡略に述べると、1995年前後の特徴的なできごとは、以下の通りである。
- この年、Windows95が発売され、これによりはじめて、日本ではインターネットが、真の意味で市民生活に入りこむようになった。
- この年、阪神淡路大震災がおこり、全国からボランティアが集まり、1995年はボランティア元年とされる。また、この時期前後から、日本社会では、国際化、高齢化等が時代のキーワードとなっていく。
2つめは、1995年前後に、今日の公共図書館の障害者サービスの枠組みが、ほぼ定まったといってよいからである。これについては、日本図書館協会障害者サービス委員会が、1994年に入門書『すべての人に図書館サービスを』1) を刊行し、今日の障害者サービスの範囲を明らかにした。そして、それをさらに深めた姉妹編として、1996年に同委員会は当時のこのサービスの到達点である『障害者サービス』2) を「図書館員選書」のシリーズとして出版し、その後の障害者サービスの枠組みと理論基盤の整備を行った。この枠組みは大筋において、今日でも有効であり、本章で扱う時期は、この1996年の『障害者サービス』で言及された内容の普及期と位置づけることができる。
2 サービスの普及
2.1 全国調査の傾向
本章でとりあげる時期に、日本図書館協会障害者サービス委員会は、1998年と2005年に2回の公共図書館全国調査を行っている。これに加えて、それ以前の時期と、今回の質問紙調査の調査結果の「障害者サービス実施の有無」だけをとりだしたのが、以下の表1-1である。
調査年 | 回答館数 | 実施館 | 実施率 |
1976年 | 1,050 | 270 | 25.7% |
1981年 | 1,362 | 517 | 38.0% |
1989年 | 894* | 483* | 54.0% |
1998年 | 2,326 | 1,146 | 49.3% |
2005年 | 2,843 | 1,598 | 56.2% |
2010年 | 2,272 | 1,503 | 66.2% |
1976年からの経年的な傾向として、若干の異なる部分もあるが、ほぼ実施率、実施館数をあわせて考えると、数的増加傾向にあると捉えることができる(今回の調査の詳細については、第3章参照)。
2.2 施設・設備の整備
1994年に「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(ハートビル法)が、2000年に「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」(交通バリアフリー法)が施行され、両法が2006年に「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(バリアフリー新法)に統合されたため、この時期、施設の整備もまた大幅に進んだ。この背景には、バリアフリー、ユニバーサルデザイン、ノーマライゼーションという概念が社会に浸透してきたということを挙げることができる。
2.3 マニュアルの継続的発行と蓄積
これは、本章で扱う時期以前からの傾向であるが、障害者サービスでは、広い意味でのマニュアルが継続的に発行され、その蓄積がなされている。代表的なものとしては、1995年に初版が出た『これからはじめる図書館のための視覚障害者サービスマニュアル』3)等が版を重ねてきている。これは、a.サービスの模索から経験を共有する必要性があり、その人的ネットワークも存在したこと、b.多くのサービスが「ボランティア」等によって支えられていた実態が多かったため、「初心者」へのマニュアルが必要であったこと等の理由によると思われる。
前述の『障害者サービス』も、言葉の最も広い意味ではマニュアルの1つということもでき、後述の『見えない・見えにくい人も「読める」図書館』4)も、実践的な意味から、最良のマニュアルの1つと位置づけることもできる。
2.4 情報通信技術(ICT)の進展とメディア
「はじめに」で述べた1995年以降の急激な情報通信技術の進展は、公共図書館の障害者サービスに劇的な変化をもたらした。具体的に特筆すべきは(1) テキスト読み上げソフト、(2) 点訳ソフトの開発と普及、(3) ネットワーク技術の進展、(4) DAISY(詳しくは第2章で詳述)である。(1) の技術は、スクリーンリーダとの組み合わせにより、視覚障害者がウェブサイトをはじめとするパソコンから情報収集を行うことを容易にし、OCR技術との組み合わせにより、改善の余地があるとはいえ音訳の一定程度の「半自動化」も可能にした。(2) については、1995年以前の時代から進展がみられ、1987年に発売された誰でも購入して使うことのできる「コータクン」が日本で最初のものとされている。1995年以降のパソコンの一般的普及と低廉化等がさらにそれを推し進めたと考えられるが、点訳ソフトによって、それまで一度点訳を行うと修正が困難であった苦労が大幅に軽減され、また一度点訳されたデータの共有と複製が容易になった。(3) については、1988年に「てんやく広場」として点訳ボランティア団体を中心に誕生した点字図書ネットワークは、1998年に点字図書館を中心とする特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)運営の「ないーぶネット」となり、2010年に「サピエ」として幅広い情報ネットワークとなった5)。(4) については、マルチメディアDAISYへの広がりにより、視覚障害者のみならず、肢体障害や発達障害の読書環境をも改善しつつある。
また、出版社側からのアプローチとして、バリアフリー出版、出版のユニバーサルデザイン等が提起されるようになったのもこの時期の特徴である。
3 障害者サービスを支える人々
この時期は、障害者サービスを支える人々に焦点が当たった時期でもある。公共図書館に正規職員として視覚障害者が採用されたのは、1974年の東京都立図書館であるとされているが、その後、障害を持つ職員は確実に増加し1989年に全国の公共図書館で働く視覚障害者が10人になったことをきっかけに、「公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)」が結成された。同会は2009年に設立20年を記念して、『見えない・見えにくい人も「読める」図書館』を刊行している。同書は今日の視覚障害者への図書館サービスの包括的解説書となっている。
また、日本図書館協会障害者サービス委員会の活動も注目される。これまでに述べた図書の発行や、調査の実施、研修講師の派遣などの他に、2005年に「公共図書館の障害者サービスにおける資料の変換に係わる図書館協力者導入のためのガイドライン:図書館と対面朗読者、点訳・音訳等の資料製作者との関係」6)を打ち出し、明確にメディア変換はボランティアではなく「図書館協力者」の手によって行われるべきことを提唱した。
4 サービス対象の多様化
公共図書館の障害者サービスは、大きな流れで見るならば視覚障害者へのサービスを中心にして始まってきたといえる。しかし、前述の『すべての人に図書館サービスを』で示されたように、図書館の障害者サービス=図書館利用に障害のある人々へのサービス、と定義が広げられることにより、その対象は、視覚障害者/聴覚障害者/肢体障害者/内部障害者/知的障害者/発達障害(ディスレクシア等)などの心身障害とともに、高齢者/外国人/非識字者/病院患者、矯正施設入所者等も含むものと考えられるようになった。すべてをとりあげる紙幅はないが、この時期、特徴的なものである病院患者と発達障害、高齢者について述べる。
4.1 病院患者
病院患者へのサービスについては、近年病院自身がインフォームド・コンセントや患者のQOL(生活の質)の観点から患者図書室を設ける例が多くなっており、今回の質問紙調査の調査結果にもあらわれているように公共図書館の関与にも進展がみられる。新聞などにも多くの記事が載せられるようになってきた。もとより、病院の設ける患者図書室と、本調査研究の対象である公共図書館の患者へのサービスは、実施主体が異なるので、同等に論じることはできないが、今後、両者の緊密な関係が期待される。2001年には『病院患者図書館:患者・市民に教育・文化・医療情報を提供』 7)が出版された。
4.2 発達障害(ディスレクシア等)
学習障害については、文部科学省が2002年に全国の小中学校の通常学級に在籍する児童生徒約4万人を対象として実施した実態調査において、「知的発達に遅れはないものの学習面や行動面で著しい困難を示すと担任教師が回答した児童生徒の割合が6.3%で、うち男子8.9%、女子3.7%」との結果が出され8)、社会的な認識が高まった。
これらの人々への資料提供として、マルチメディアDAISYが有効な手段の一つであることが、確認されつつある。また、「読みやすい図書(Easy-to-Read Materials:日本では、スウェーデン語の略語からLLブックと紹介されることが多い)」の出版もまだその端緒についたばかりであるが、2009年にはその概説書である『LLブックを届ける』 9)が出版され、今後の普及が期待される。
4.3 高齢者
人口的には最も多く、実際に図書館に数多く来館している高齢者であるが、堀薫夫は、2010年のレビュー論文で、「社会の高齢化とは裏腹に、日本では、図書館サービス論の『利用対象に応じたサービス』の一部に位置づけられているものの、翻訳書以外には、まだ図書館の高齢者サービスに関する体系的な著書は刊行されていないといえる 10)と述べている。高齢者独自のニーズにあわせた図書館サービスが現在模索されている段階である。
また、他に新しい動きとして、2010年には長らく「手つかず」であったといっていい、矯正施設への図書館サービスの全国的運動として、「矯正と図書館サービス連絡会」が立ち上がるなど、未来に向けた動きもあり、公共図書館の障害者サービスの対象者は広がっていく傾向がある。図書館サービス全般の中でも今後の動きが注目される分野であるといってよいだろう。
5 おわりに
最後に2010年の著作権法37条の改正により、障害者の情報利用の機会確保のために権利者に無許諾で行える範囲が拡大した点を指摘しておきたい。
具体的には視覚障害者等関係(第37条第3項)と聴覚障害者等関係(第37条の2)とに分かれるが、著作物の複製等は公共図書館等も可能となり、対象者も発達障害等にまで広がった。さらに利用者の必要な形式での複製、自動公衆送信が可能となった。この改正に対応した公共図書館のサービスは、今後各図書館が積極的に取り組んでいくべき課題であろう。
なお、本章で取り上げた時期のうち、1998年から2009年までの個々の論文等については、筆者(小林)らのレビュー論文11)も参照されたい。
1) 日本図書館協会障害者サービス委員会編. すべての人に図書館サービスを: 障害者サービス入門. 日本図書館協会, 1994, 108p.
2)日本図書館協会障害者サービス委員会編. 障害者サービス. 日本図書館協会, 1996, 300p,(図書館員選書, 12).
なお、同書は2003年に補訂版が出されている。
3)近畿点字図書館研究協議会図書館サービス委員会編. これから始める図書館のための視覚障害者サービスマニュアル. 近畿点字図書館研究協議会, 1995, 162p.
4)公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)編著. 見えない・見えにくい人も「読める」図書館. 読書工房, 2009, 239p.
5)加藤俊和. 視覚等の障害者が必要とする情報とは?: サピエが広げる情報と公共図書館等への期待. 図書館雑誌. 2010, 104(12), p. 822-823.
6)日本図書館協会障害者サービス委員会. “公共図書館の障害者サービスにおける資料の変換に係わる図書館協力者導入のためのガイドライン: 図書館と対面朗読者、点訳・音訳等の資料製作者との関係”.日本図書館協会.
http://www.jla.or.jp/lsh/guideline0504.html, (参照 2011-02-17).
7)菊池佑. 病院患者図書館:患者・市民に教育・文化・医療情報を提供. 出版ニュース社, 2001, 366p.
8)特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議. “「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」調査結果”.文部科学省.
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/toushin/030301i.htm, (参照2011-02-17)
9)藤澤和子ほか編著. LLブックを届ける: やさしく読める本を知的障害・自閉症のある読者へ. 読書工房, 2009, 327p.
10)堀薫夫. 高齢者向けの図書館サービス. カレントアウェアネス. 2010, (306), p. 9-12.
11)小林卓ほか. 「図書館利用に障害のある人々」へのサービス. 図書館界. 2010, 61(5), p. 476-494.