E2840 – 欧米の人文社会科学分野における学術電子書籍出版のビジネスモデルに関する報告書

カレントアウェアネス-E

No.512 2025.11.06

 

 E2840

欧米の人文社会科学分野における学術電子書籍出版のビジネスモデルに関する報告書

京都大学総合研究推進本部・藤川二葉(ふじかわふたば)

 

  米国の非営利団体Ithakaの調査部門Ithaka S+Rは、米国と欧州における人文社会科学分野の学術電子書籍出版のビジネスモデルを巡る現状に関する調査報告書“The Current State of Academic E-Book Business Models: Access Strategies and Budgeting Realities”(以下「本報告書」)を2025年8月に公開した。

  予備調査に加え、図書館員、出版関係者、著者、そして複数の学術コンテンツを集約し統一されたプラットフォームで提供するコンテンツアグリゲーター提供者を含む17人へのインタビューが実施された。本報告書はこれらの結果にもとづき、多様なビジネスモデルの実態と各ステークホルダーの受け止め方を明らかにし、印刷物の現状と将来の役割などについての考察をもとに提言を示すものである。その主要な論点は以下の通りである。

●調達モデルの多様化、ビジネスモデルの変革と課題

  図書館は、コンテンツの需要、限られた予算と人員の制約に対応するため、複数の手法を組み合わせて電子書籍を調達している。利用データに基づいて購入を決定する合理的アプローチであるEBA(Evidence-Based Acquisition)モデルは、予算を効率的に使う方法として図書館職員の大半から高い評価を受けた。利用者の需要に応じて購入を決定するDDA(Demand-Driven Acquisition)モデルは維持管理の複雑さや多大な労力が課題となり、多くの図書館で他のモデルへの移行または中止の傾向が見られる。そのほかの調達方法には個別タイトル選定、新刊出版社のパッケージ、オープンアクセス(OA)モデルの購読などがあり、これらが組み合わされている。

  新たなビジネスモデルの導入は、出版社にとって多大な時間と労力が必要であり、図書館にとっては、複雑な調達業務を理解する経験豊富なスタッフの不足等の新たな課題を生じさせている。契約やライセンスの標準化が、業務の効率化と人的資源管理にあたって重要であると指摘されている。

  2025年にClarivate社が電子書籍の販売を買い切り型から購読型へ転換すると発表したことは、図書館関係者に大きな衝撃を与えた。この変更は、図書館が長年にわたり保持してきた永続的なアクセス権を突然喪失するという深刻な懸念を生じさせ、ライセンスと購入モデルの標準化の重要性を浮き彫りにした。

●OAの可能性と課題

  関係者の多くはOAが持つ可能性を認識している一方で、その持続可能性には課題が伴うことも認識している。出版社と図書館関係者は、単行書のOAモデル(例えば、Direct to Open(E2518参照)、Fund to Missionなど)に価値を見出しており、これらがアクセスの拡大と小規模出版社・大学出版局支援に変革をもたらす可能性があるとみている。また、よりオープンなコンテンツへの移行は一部の図書館にとって戦略的な優先事項となっているが、特定のOAモデル以外の方法でOA単行書を入手したり、その質を担保することは困難であるとしている。OAに対する著者の見解は分野によって分かれるが、障壁を減らして読者を拡大したいと考える著者は増加傾向にある。

  このように、本報告書は図書館と出版界の間に存在するいくつかの「隔たり」を浮き彫りにした。出版社側は、電子書籍の制作と流通への移行に伴い、大きな困難に直面している。一方で図書館側は、電子書籍の流通が持続可能性や管理上の信頼性が低い購入モデルを生むことに懸念を抱いている。この懸念は、特に予算における予測可能性と、長期的なコンテンツアクセス権の確保に関連している。

  以上をふまえて本報告書は次のような総括と提言で締めくくられる。学術電子書籍の出版は依然として進化途上にあり、紙市場への回帰を予測する声がある一方で、生成AIなどの技術革新による電子市場の継続的な進化を予測する見方もある。各ステークホルダー(出版社、アグリゲーター提供者、図書館、著者)からは、セクター全体でのより一層の連携強化が広く要望されている。これはプロセスを合理化し、資金や人的資源をより効率的に活用するために不可欠である。状況が変化し続ける中、これらの課題についてオープンかつ透明性のある議論を続けることが、学術コミュニケーションの健全な発展にとって不可欠である。

  議論の鍵となるのは、多くのインタビュー対象者が言及したという「ビブリオダイバーシティ」(bibliodiversity)という概念であると考えられる。もともとは出版における言語的多様性を意味していたが、現在では著者、資金の流れ、出版形態などを含むものと理解され、大学出版局や独立系出版社の持続可能性を支えるとともに、専門的であまり可視化されていない学術分野の知を、幅広い層に向けてキュレーションし普及させるという意図が込められている。各ステークホルダーは多様性への志向という共通点を持つことによって、簡単ではないとしても、長期的に連携の道を模索することができるのではないだろうか。本報告書は、ビジネスモデルの異なる日本においても、持続可能でオープンな学術書籍の流通を模索する際のヒントとなると考えられる。

Ref:
“The Current State of Academic E-Book Business Models”. Ithaka S+R. 2025-08-13.
https://sr.ithaka.org/blog/the-current-state-of-academic-e-book-business-models/
Bergstrom, Tracy; Skinner, Makala. The Current State of Academic E-Book Business Models: Access Strategies and Budgeting Realities. Ithaka S+R. 2025.
https://doi.org/10.18665/sr.323373
“Clarivate Unveils Transformative Subscription-Based Access Strategy for Academia”. Clarivate. 2025-02-18.
https://clarivate.com/news/clarivate-unveils-transformative-subscription-based-access-strategy-for-academia/