カレントアウェアネス-E
No.431 2022.03.03
E2477
文化遺産のための欧州共通データスペースに関するEC勧告
関西館図書館協力課・木下雅弘(きのしたまさひろ)
2021年11月,欧州委員会(EC)が「文化遺産のための欧州共通データスペースに関する勧告」(以下「本勧告」)を公表した。欧州連合(EU)の加盟国に対し,文化遺産のデジタル化を推し進め,その保護・保存を図るとともに,教育・観光・創作といった様々な分野での二次利用を促進するよう求めている。ロシアによるウクライナ侵攻が人命に加え文化遺産にも危機をもたらしている今,その内容はさらに重要性を増していると言えよう。以下,本勧告の概要について紹介する。
本勧告は,「第1章 総則」「第2章 文化遺産の高度なデジタル化とデジタル保存」「第3章 文化遺産のための欧州共通データスペースに対する指針」「第4章 勧告のフォローアップ」の全4章からなり,ECが2011年に公表した「文化財のデジタル化・オンラインアクセシビリティとデジタル保存に関する勧告」(2011/711/EU)(E1627参照)の改訂版と位置付けられている。改訂の背景として,テクノロジーの進歩が文化遺産のデジタル化と利用の拡大をもたらしたこと,2019年にフランス・パリのノートルダム大聖堂で発生した火災により,文化遺産のデジタル化と保存の重要性が再認識されたこと,新型コロナウイルス感染症の流行により,オンラインで利用できる文化遺産の必要性が高まったこと等を挙げている。
第1章では,本勧告の目的が「文化遺産のための欧州共通データスペースへの道をひらくことにより,文化遺産機関がデジタル化と保存の取組を加速させ,デジタルトランスフォーメーションが創出した機会を捉えられるよう支援」することにあると明示している。また,本勧告における「文化遺産」の定義が有形のものに留まらず,ボーンデジタル資料等も含んだ広範なものであること等を記している。
第2章では,EU加盟国が文化遺産のためのデジタル戦略策定に取り組むべきことや,国家戦略において文化遺産機関の先端技術活用を支援すべきこと,文化遺産部門と他部門との連携を促進すべきこと等を記している。特筆すべき点は,文化遺産の3Dデジタル化について数値目標を設定していることである。EU加盟国は2030年までに,危機にさらされた文化遺産の全てと,訪問者の多いモニュメント・建築物・遺跡の50%を3D形式でデジタル化するよう求められている。ECの発表では,後段でも言及するEuropeana(E2278, CA1863参照)で3Dコンテンツが占める割合は全体のわずか0.03%に過ぎないと指摘した上で,本勧告によりその大幅な増加が見込まれるとしている。
第3章は,「文化遺産のための欧州共通データスペース」の構築に関する章である。ECが立ち上げたイニシアチブ“Support Centre for Data Sharing”による2021年12月の記事によれば,データスペースとは「様々なエコシステムや民間・公的部門が有する,現在は断片化され分散した状態にあるデータを結びつける」とともに,「データ処理のための相互運用可能かつ信頼性の高いIT環境と,データへのアクセス・データ処理の権利を定める法・行政・契約に係る一連のルールを提供する」ものである。ECでは,2020年2月に「欧州データ戦略」を公表し,健康・農業・製造業等の分野別にデータスペースの構築を目指している。本勧告において,文化遺産分野ではEuropeanaを基盤として構築する旨が示された。本章では,EU加盟国に対し,文化遺産機関がデジタル化したコンテンツはEuropeana経由で利用可能とするよう奨励することや,文化遺産のデジタル化プロジェクトへの公的助成では成果物のEuropeanaでの利用可能化を要件とすること,一般市民(特に教育部門や学校)におけるEuropeanaの認知度向上のためにあらゆる手段を講じること等を求めている。
第4章は,本勧告に沿った取組の進捗管理に関する章である。EU法において法的拘束力を有する「規則」(regulation)や「指令」(directive),「決定」(decision)と異なり,「勧告」(recommendation)には法的拘束力がない。本勧告に実効性を持たせるため,ECはEU加盟国に対し,本勧告のEU官報掲載日を起点として2年ごとに取組の進捗状況を報告するよう求めている。
進捗状況の監視は,任命を受けた専門家グループ“CEDCHE”が行う。CEDCHEのウェブページによれば,文化遺産のための欧州共通データスペースの発展,並びに他分野のデータスペースとの連携促進についてECに助言することも任務に含まれている。CEDCHE第1回会合の議事録には,データスペースの連携による相乗効果の実現には標準化・相互運用性の確立が重要であること,メンバー数人から3Dデジタル化の数値目標達成は財政上困難であるとの意見が出たこと,Europeanaにおける3Dコンテンツのためのフレームワーク構築が必要であること等が記されており,多岐にわたる議論が行われたことが見て取れる。
本勧告に沿った取組を通じ,EUでは3Dコンテンツ等に関するハード面・ソフト面の基盤整備が進むことが予想される。また,分野が異なるデータスペース間での連携を通じ,デジタル化した文化遺産の多様な利活用方法が示されることになるだろう。そして,それらの情報は日本国内における文化遺産の保存・利活用にも大いに資するものと思われる。EU各国がどのように本勧告に対応していくのか,今後も動向を注視していきたい。
Ref:
“Commission proposes a common European data space for cultural heritage”. EC. 2021-11-10.
https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/news/commission-proposes-common-european-data-space-cultural-heritage
“ロシアの攻撃、博物館にも。ウクライナの国民的画家マリア・プリマチェンコの作品が複数焼失”. 美術手帖. 2022-03-01.
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/25268
“Commission launches public consultation on digital access to European cultural heritage”. EC. 2020-06-22.
https://web.archive.org/web/20200807135241/https://ec.europa.eu/digital-single-market/en/news/commission-launches-public-consultation-digital-access-european-cultural-heritage
“Shaping Europe’s digital future: Commission presents strategies for data and Artificial Intelligence”. EC. 2020-02-19.
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_20_273
“Digital Europe Programme explained: the data space for cultural heritage”. Support Centre for Data Sharing. 2021-12-14.
https://eudatasharing.eu/news/digital-europe-programme-explained-data-space-cultural-heritage
“Types of legislation”. EU.
https://european-union.europa.eu/institutions-law-budget/law/types-legislation_en
“Commission Expert Group on the common European Data Space for Cultural Heritage (E03800)”. EC.
https://ec.europa.eu/transparency/expert-groups-register/screen/expert-groups/consult?lang=en&groupID=3800
“1st meeting of CEDCHE”. EC.
https://ec.europa.eu/transparency/expert-groups-register/screen/meetings/consult?lang=en&meetingId=29994&fromExpertGroups=true
篠田麻美. 欧州文化遺産の電子化と公開,保存に関する勧告への対応状況. カレントアウェアネス-E. 2014, (270), E1627.
https://current.ndl.go.jp/e1627
野村明日香. Europeanaの2020年から2025年の戦略:デジタル変革に力を. カレントアウェアネス-E. 2020, (394), E2278.
https://current.ndl.go.jp/e2278
時実象一. 欧州の文化遺産を統合するEuropeana. カレントアウェアネス. 2015, (326), CA1863, p. 19-25.
https://doi.org/10.11501/9589935