E2405 – 学術論文における著者名表記の変更:主に性自認をめぐって

カレントアウェアネス-E

No.416 2021.07.08

 

 E2405

学術論文における著者名表記の変更:主に性自認をめぐって

調査及び立法考査局行政法務課・藤戸敬貴(ふじとよしたか)

 

●氏名の変更と著者名表記

 氏や名は,必ずしも不変のものではない。氏については,例えば婚姻の際,日本のように夫婦同氏制を採用する国では一方当事者の氏が変わるし,同氏・別氏選択制を採用する国であっても同氏を選択したカップルは一方当事者の氏が変わる。名についても,変更の原因となる事情はいくつか考えられる。自分自身の性別に関する認識,すなわち性自認(Gender Identity)は,そのような事情のひとつである。

 例えば,自認する性別と身体的性別とが一致しない場合(トランスジェンダー)や,自認する性別又は身体的性別が男女という二元的枠組にぴったり当てはまらない場合(ノンバイナリー)において,出生時に付与された名が自認する性別にふさわしくないと考えるとき,名を変更する手続がとられる(法的性別の変更については拙稿を参照。)。

 ところで,学術出版において著者名が重要なメタデータのひとつであることは多言を要しないが,論文等の出版後に何らかの事情で氏又は名が変更された場合,著者名表記をどのように扱うかが問題となる。同一の著者であるにもかかわらず,氏又は名の変更の前後で著者名表記が一致しないという状況が生じ,著者の同一性が判断しにくくなってしまうからである。また,性自認等のプライベートな理由による名の変更の場合は,特有の配慮が必要である。以上の問題について,当事者らの要望を受け,出版界において対応が図られつつある。

●各出版者の個別的対応:Wiley社を例として

 最近,自団体が刊行した学術論文の著者名表記変更に関する方針を新たに打ち出す出版者の動きが目立つ。主なところでは,米国化学会(ACS)出版部門(2020年9月),PLOS(同年10月),Wiley社(2021年1月),Elsevier社(同年3月),英国物理学会出版局(IOP Publishing)(同年4月),JSTOR(同年6月),Springer Nature社(同年6月)等である。本稿ではWiley社を取り上げる。

 Wiley社は,2021年1月15日,著者名変更ポリシーの改訂を公表した。Wiley社は従来から著者名変更を受け付けていたが,トランスジェンダー・ノンバイナリーの研究者コミュニティが関与した今回の改訂により,氏名を変更した当事者に対する配慮が厚くなった。具体的には,(1)既発表論文の著者名表記を変更した場合,更新後の論文に修正した旨を掲載しないこと,(2)共著の場合,著者名表記の変更を共著者に連絡しないこととなった。この改訂により,氏名を変更した者のプライバシーが確保されることとなった。著者名表記変更の申請に際し,氏名の変更に関する証拠等の提出は不要である。なお,性自認の問題に限らず,氏名の変更がセンシティブかつ私的な性質のものと認められることで,上記の改訂内容が適用される。

●出版界全体の統一的対応:COPE,NISO

 各出版者の個別的対応にとどまらず,出版界全体の統一的対応を志向する動きもある。英国の出版倫理委員会(COPE)が2021年1月13日に公表した提言は,そのひとつである(なお,同年3月にElsevier社が公表した方針は,この提言に準拠しているとされる。)。

 同提言は,トランスジェンダー研究者の著者名表記について5つの基本原則を掲げる。すなわち,(1)アクセスの容易さ(法的文書の提出等の不要な障壁を設けないこと),(2)包括性(出版者が管理する全ての文書から網羅的に旧著者名を削除すること),(3)不可視性(著者名に関するジェンダー的注記や新旧著者名の併記を避けること),(4)変更処理の迅速性及び簡便性,(5)不適切な情報流通を回避するための著者名の流通状況の定期的な監視及び適宜の保全作業,である。

 COPEは,これらの原則がすぐに実現できるとは考えていない。しかし,著者の同一性を著者名表記に依存するのは印刷出版時代の伝統的慣習であること,人名がジェンダー等の理由で変わり得ることに鑑みれば著者の同一性の管理はORCID(CA1740参照)のような単一の識別子に基づくべきこと等を指摘する。

 米国情報標準化機構(NISO)にも注目すべき動きがある。2021年4月6日,NISOはワーキンググループを新設することを発表した。著者のアイデンティティの変化に伴って学術出版物における著者名表記を変更する必要が生じた場合の推奨事項が検討されるという。著者の氏又は名はさまざまな理由によって変更され得るのであり,氏又は名の変更後も著者として正しく同定されることの重要性がやはり指摘されている。

●結語

 氏又は名の変更は,潜在的には誰にでも生じ得る。したがって,氏又は名の変更と著者名表記という論点自体は,とりたてて新しいものではない。しかし,性自認の問題に対する社会的理解の深まりとともに新たに考慮すべき要素が認識されるようになり,それが本稿でとりあげた各団体の動きに結実したのである。無論,著者の同一性の確保等の課題は残っており,今後の動向に注視すべきであることは論をまたない。

Ref:
藤戸敬貴. 性の在り方の多様性と法制度-同性婚、性別変更、第三の性-. レファレンス. 2019, (819), p. 45-62.
https://doi.org/10.11501/11275349
藤戸敬貴. 法的性別変更に関する日本及び諸外国の法制度. レファレンス. 2020, (830), p. 79-101.
https://doi.org/10.11501/11464349
“New policy will allow authors an easy route to change names on previous publications”. ACS. 2020-09-10.
https://www.acs.org/content/acs/en/pressroom/newsreleases/2020/september/new-policy-will-allow-authors-easy-route-to-change-names-on-previous-publications.html
“Implementing name changes for published transgender authors”. The Official PLOS Blog. 2020-10-12.
https://theplosblog.plos.org/2020/10/implementing-name-changes-for-published-transgender-authors/
Green, Samantha; Moledo, Kristen; Pecher, Lisa; Ricci, Mia. “New Author Name Change Policy Supports a More Inclusive Publishing Environment”. Wiley. 2021-01-15.
https://www.wiley.com/network/the-wiley-network/new-author-name-change-policy-supports-a-more-inclusive-publishing-environment
“Elsevier launches a trans-inclusive name change policy”. Elsevier. 2021-03-29.
https://www.elsevier.com/about/press-releases/corporate/elsevier-launches-a-trans-inclusive-name-change-policy
“IOP Publishing’s new name-change policy supports greater inclusion in publishing”. IOP Publishing. 2021-04-21.
https://ioppublishing.org/news/iop-publishings-new-name-change-policy-supports-greater-inclusion-in-publishing/
“JSTOR Policy to Support Author Name Changes”. JSTOR. 2021-06-02.
https://support.publishers.jstor.org/hc/en-us/articles/1500012127782-JSTOR-Policy-to-Support-Author-Name-Changes
“シュプリンガー・ネイチャー、トランスジェンダー包括的な氏名変更方針を導入”. nature asia. 2021-06-29.
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8853
“A vision for a more trans-inclusive publishing world: guest article”. COPE. 2021-01-13.
https://publicationethics.org/news/vision-more-trans-inclusive-publishing-world
“NISO Members Approve Proposal for a New Recommended Practice to Update Author Name Changes”. NISO. 2021-04-06.
http://www.niso.org/press-releases/2021/04/niso-members-approve-proposal-new-recommended-practice-update-author-name
蔵川圭. 著者の名寄せと研究者識別子ORCID. カレントアウェアネス. 2011, (307), CA1740, p. 15-19.
https://doi.org/10.11501/3050829