E2181 – カタログ・レゾネ:国立西洋美術館国際シンポジウム<報告>

カレントアウェアネス-E

No.377 2019.10.10

 

 E2181

カタログ・レゾネ:国立西洋美術館国際シンポジウム<報告>

東京国立近代美術館・長名大地(おさなたいち)

 

 2019年7月10日,国立西洋美術館(東京都台東区)で国際シンポジウム「カタログ・レゾネ──デジタル時代のアーカイヴとドキュメンテーション」が開催された。カタログ・レゾネとは,特定の芸術家や美術館,コレクションの全作品を網羅した書物を指す。このシンポジウムは,2019年の同館の開館60周年記念「松方コレクション展」で展示されたクロード・モネ《睡蓮,柳の反映》などに関する調査で,モネのカタログ・レゾネを編さんしたウィルデンスタイン研究所(現・ウィルデンスタイン・プラットナー研究所(The Wildenstein Plattner Institute:WPI))に協力を仰いだことがきっかけとなって実現した。

 終日かけて行われたシンポジウムは,国立西洋美術館の馬渕明子館長の趣旨説明から始まり,WPIのゴレイエブ(Elizabeth Gorayeb)所長による同研究所の組織の説明,次いでWPIの研究員3人からデジタル・アーカイヴに関する発表があった。デュラン=リュエル画廊のデュラン=リュエル(Paul-Louis Durand-Ruel)氏からは,印象派の萌芽期を支えたフランスの同画廊の歴史と,そのアーカイヴに関する報告があった。以降は日本の事例報告が続き,国立西洋美術館の川口雅子氏と陳岡めぐみ氏から,同館の所蔵する松方コレクションを網羅した『松方コレクション 西洋美術全作品』(全2巻)制作の舞台裏や,美術館の設立や作品収蔵に関する文書・記録といったミュージアムドキュメンテーションを活用した松方コレクションの調査報告があった。次いで,東京文化財研究所の山梨絵美子氏からは,美術史家の故・矢代幸雄による東洋美術総目録構想と東京文化財研究所の設立経緯に関する発表が行われた。最後に,東京藝術大学の竹内順一名誉教授からは,日本におけるカタログ・レゾネの先行例として,1921年から1927年にかけて茶人の高橋義雄によって編まれた『大正名器鑑』の紹介と,茶器の見方に関する解説があった。上記の発表後,登壇者が一堂に会してのパネルディスカッションが行われた。

 本稿では,アジアでの催しに初めて参加したというWPI関係者による発表に焦点を当てたい。WPIはパリ,ニューヨーク,ベルリンに拠点を持つ非営利財団である。デジタル・カタログ・レゾネやデジタル・アーカイヴに取り組んでいる。WPIの元となったウィルデンスタイン研究所は,印象派の画家を中心とするカタログ・レゾネの編さんで知られる。2016年,同研究所はこれまで収集してきた学術資料を,美術史研究のリソースとして活用できるようデジタル化して公開することを決定し,ビッグデータの専門家プラットナー(Hasso Plattner)博士の協力を仰ぎ,システム構築に着手したという。あわせてWPIの設立も決定された。設立にあたっては,米国とドイツの資金で行うことや,教育目的であること,非営利であること等の原則が定められた。その理念は,これまで研究者や特権的な立場の人だけがアクセスしていたアーカイヴ資料を,より開かれたものとすることで,美術史研究に貢献することにあるという。WPIでは,“Cataloguing Tool”と“Archiving Tool”という2つのデータベースを用いて情報公開に努めている。

 ゴレイエブ所長の発表では,デジタル・カタログ・レゾネの作成は,印刷物では不可能だったメタデータの付与や,画像更新が可能となる利点が示された。また,デジタル・アーカイヴ構築に伴う7つの課題が取り上げられた。(1)著作権(目まぐるしく変化し各国で異なる),(2)アーカイヴ資料の取り扱い(フランスではアーカイヴ資料が文化財扱いのため,国外に持ち出せず,フランス国内でデジタル化するほかない),(3)責任の負担(守秘義務違反等のリスク回避),(4)膨大な資料(10テラバイト,全スキャンに3年を要する),(5)検索環境の整備,(6)プラットフォームの維持(アーカイヴィング実務に沿ったものを構築),(7)業務に対する理解(新技術に対する世代間ギャップ等)である。これらの課題と向き合いながら作業を進めているという。

 WPIのソニエ(Florence Sonier)氏は,アーカイヴというプライベートな資料を,インターネットで世界中の利用者に提示することは,ルネサンス期に想像された「文芸共和国」(学芸に関わる人々が国や言語を超えて繋がる世界)の実現であり,WPIの取り組みはその延長線上にあると述べた。ピエトリ(Sophie Pietri)氏からは,シュヌヴィエール(Philippe de Chenevières),モロー=ネラトン(Étienne Moreau-Nélaton),タバラン(Adolphe Tabarant)ら,フランスの美術史研究者によって作品にまつわる詳細を体系立てて記録するアーカイヴの重要性が認知されるようになった経緯が紹介された。ペラン(Pascal Perrin)氏からは,作品の来歴や所蔵歴等の情報をまとめた作品別ファイルや,カタログ・レゾネ掲載の可否を判断する組織内に設けた委員会の役割,さらに作品の詳細情報を記載したテクニカルカードの紹介といったカタログ・レゾネ編さんに伴う一連の作業に関する報告があった。

 質疑応答の時間,デジタル時代のカタログ・レゾネがもたらす美術史研究への影響について会場から質問が挙がった。陳岡氏からは自宅に居ながら資料にアクセスできる利便性の向上が挙げられる一方で,情報の真正性を担保するための相互参照が重要となるという発言があり,情報量の増大に伴い裏付けを取るための作業は,これまで以上に大変になるのではという示唆に富んだ回答がなされた。

 デジタル・アーカイヴ社会の実現は,美術史研究の手法自体を変革させるだろう。本シンポジウムは,海外の先端事例と国内事例によって,美術史研究の「今」を知る貴重な機会となった。来るべきデジタル時代に備え,日本の美術史研究に関わる機関はアーカイヴの整備や,オープン化に向けた準備を進めていく必要がある。

Ref:
https://www.nmwa.go.jp/jp/events/past2007_eventindex.html
https://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html#exhibitions
https://wpi.art/
http://www.durand-ruel.fr/
https://www.tobunken.go.jp/index_j.html
https://doi.org/10.11501/1014837