CA1998 – 令和元年東日本台風による川崎市市民ミュージアムの被災と新しい「あり方」の検討 / 白井豊一

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カレントアウェアネス
No.348 2021年06月20日

 

CA1998

 

令和元年東日本台風による川崎市市民ミュージアムの被災と新しい「あり方」の検討

川崎市市民文化局市民文化振興室:白井豊一(しらいとよかず)

 

1. 川崎市市民ミュージアムについて

 川崎市市民ミュージアム(以下「市民ミュージアム」)(1)は、市域の中心に位置する等々力緑地に、博物館と美術館の複合文化施設として1988年11月に開館した。歴史・民俗分野の収蔵資料を常時公開し、川崎の成り立ちと歩みを紹介してきた他、都市文化の形成に大きな役割を果たしてきたポスターなどの複製芸術による美術品を多く収蔵し、公立の博物館・美術館では日本で初めて漫画部門を設置した施設である。2017年度からは指定管理者制度を導入し、民間事業者による管理・運営を行っている。

 民俗、歴史、考古、美術文芸、グラフィック、写真、漫画、映画、映像(ビデオ)の作品・資料など約26万点を収蔵する、地下1階地上3階建ての施設である。1階には映像ホール、ミュージアムショップ、2階には展示室(常設・企画)、3階にはギャラリー、アトリエなどを配置し、地階に収蔵庫、機械室等の主要設備を設置している。

 

2. 令和元年東日本台風による被災の概要

 市民ミュージアムは、2019年10月12日に関東地方を通過した台風第19号(令和元年東日本台風)により地階が浸水した。2020年4月に本市が公表した検証報告書(2)によると、市民ミュージアムが位置する等々力緑地の浸水の原因は、多摩川が計画高水位を超える過去にない水位になったことにより、雨水等を川に流す放流渠から多摩川へ排水される量が減り、その影響として自然排水区域内にある地盤高の低いマンホールなどから溢水したもの(内水氾濫)と考えられている。

 マンホールから溢水した大量の雨水は、道路等を伝い地盤面が低い市民ミュージアム地階のドライエリア(屋外)に流れ込み、12日20時ごろ収蔵庫等につながる地階のシャッターを水圧により破壊し、館内に侵入した。壁面についていた水跡を地階床面から測ったところ一番高い箇所で3.24メートルまでに達していた。地階の床面積が約5,400平方メートルあることからいかに大量の水が流れ込んだかが分かる。機械室、電気室など主要設備も地階にあったため、同日21時40分には全館が停電した。

 翌13日9時30分より市消防局ポンプ車によるドライエリアの排水作業を開始したが対応しきれない水の量のため、市災害対策本部から国土交通省関東地方整備局へ要請し、14日22時30分より大型ポンプ車による排水作業を開始し、5日後の18日に、ようやく施設内地階に立ち入れる状況となった。

 収蔵庫の密閉性により浸水していないことも期待したが、9つの収蔵庫は全て浸水し、庫内の収蔵品や棚は倒され、収蔵品約26万点のうち展示品等を除く約22万9,000点が被災してしまった。収蔵庫前通路の床面も浸水により木の板が膨張して盛り上がり歩くこともままならず、しかも電気が止まっているため照明もつかない惨憺たる状況であった。

 

図1 市民ミュージアム施設内への浸水状況(10月12日19時30分から20時)

 

図2 市民ミュージアム敷地への浸水状況

 

図3 水圧により破壊された第3収蔵庫の扉

 

3. 文化庁への支援要請とレスキュー体制の立上げ

 浸水を受け、同月13日には市と指定管理者が協議の上、当面の休館と事業の中止を決定し、翌14日には国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進室(以下「ネットワーク推進室」)に連絡し、収蔵庫がある地階の浸水などの被災状況を報告した。16日に国立文化財機構、全国美術館会議とレスキューについて協議を行い、文化庁への支援要請については、18日に状況の説明、23日付けで救援等に係る技術的支援の要請を行った。翌24日には文化庁文化財等災害対策委員会が技術的支援の実施を決定し、文化遺産防災ネットワーク推進会議加盟団体から専門家の派遣が直ちに行われた。

 市民ミュージアムは指定管理者制度を導入していたことから、市職員が現地に常駐しておらず、担当職員が連日赴き、文化財機構などの外部支援団体や指定管理者とレスキューに係る協議をしていた。しかし、体制に限界があると同時に、本庁への報告なども滞ることがしばしばあったため、23日に指定管理者、市職員で構成する現地対策本部を正式に立上げ、必要に応じて開催していた会議を一元化した。そして、現地対策本部会議要員および連絡員を現地に配置し、現地が抱える課題を本庁の災害対策本部(本部長:市民文化局長)でも直ちに把握し速やかに対応できる体制を敷くなど、試行錯誤を繰り返しながらレスキュー体制を整えていった。

 

図4 市民ミュージアム復旧体制

 

4. 収蔵品レスキューの開始

 収蔵品を収蔵庫から搬出するためにまず取り掛かったのは、搬出ルートの確保である。床に散乱した資料等を片付けるとともに、盛り上がった床板の撤去、壊れたシャッターの切断などの解体工事を行いつつ、指定文化財、借用作品、写真、映画フィルムなど収蔵庫内で比較的取り出しが容易な場所にあった優先順位の高い資料・作品の搬出を並行して行った。

 また、ネットワーク推進室等を通じレスキュー協力の申し出のあった団体と調整・依頼し、11月14日から外部支援団体による本格的な収蔵品レスキューが開始された。9つの収蔵庫に対する、作業スペースや搬出ルートの確保もあり、全ての収蔵庫から同時に搬出することはできず、搬出のスケジュールや手順などについて日々、協議・調整しながら行った。

 同時に、施設前広場に収蔵品を仮置きするための仮設ユニットハウスの建築、仮設電源による電力の復旧、事務室等の確保、古文書等の紙資料を冷凍保管するための冷凍コンテナの購入や外部冷凍倉庫の借り入れなど様々な環境整備も並行して行った。

 なお、被災収蔵品レスキュー活動の1年間の記録を、報告書および動画にまとめているので一度ご覧いただければ幸いである(3)

 

5. 収蔵品レスキューにあたっての基本的な考え方

 被災した作品・資料は「修復」を基本としているが、作品・資料によっては、その取扱いについて判断をしなければならない。東日本大震災での事例なども調べたが判断基準を示す文書は見つからなかったことから、レスキューに参加していた専門家等に意見を聞きながら、2020年3月に修復等に向けた基本的な考え方として川崎市のオリジナルで「被災収蔵品に係る修復等の判断基準」(4)を策定した。

 判断基準は、レスキューの段階に応じた3段階に分け、「レスキュー判定1」(応急処置前)の段階では、収蔵品の搬出後、洗浄・乾燥等の安定化処置を行い、古文書等の紙資料は劣化の進行を抑えるため冷凍保管を行うこととした。この段階で、「被災状況が酷く、複製・印刷物などで当館以外でも存在が確認できるもの」などに当てはまる場合は、所定の手続を経て、「現状保管」または「廃棄」を判断する場合があるとした。

 次の「レスキュー判定2」(応急処置後)の段階では、洗浄などの応急処置を行った収蔵品は、専門家等の「修復評価」を取得することとした。そして、「専門家等により修復が極めて厳しいと判断されたもの」は所定の手続を経て「現状保管」または「廃棄」となる場合があるとした。

 最後の「レスキュー判定3」(修復時)の段階では、専門家等の修復評価を得た収蔵品は、基本的に修復するが、「専門家等により修復が極めて厳しいと判断されたもの」を中心とした一部の資料は「現状保管」とすると整理した。

 

図5 被災収蔵品等に係る修復等の判断基準

 

6. 被災収蔵品の安定化・修復等に関する処理手順等

 収蔵庫から被災収蔵品を搬出し、応急処置を施していく中で、安定化処理や修復等に向けては、方針等に基づき作業を進めていく必要がある。そこで、東日本大震災での事例などを参考に修復等の専門家等の意見を聞きながら、「被災収蔵品に関する安定化及び修復等の処理手順」(5)を2020年7月に策定し、作品等の素材・材質に応じて工程を整理した。

 例えば、民具などは、洗浄・カビ払い後に乾燥させて薫蒸後に素材に応じた修復を行うなどとしている。他の素材・材質の処理手順についても、基本的には定めた手順で行うこととしているものの、状態に応じ、随時見直し、処理手順を確立することとしている。

 

7. 処分に関する運用基準

 前述の2020年3月に作成した「被災収蔵品に係る修復等の判断基準」の中で、「被災状況が酷く、複製・印刷物などで当館以外でも存在が確認できるもの」などに当てはまる場合は、「所定の手続」を経て、「現状保管」または「廃棄」を判断する場合があるとしたことから、「所定の手続」などを規定した処分に関する運用基準を7月に定めた。例えば、「被災状況が酷く、素材が変質するなどして、劣化または破損をしており、原形に戻すことが困難で、収蔵品の価値が損なわれている場合」には、寄贈品であれば寄贈者からの承諾、他の美術館などに同一の資料等の有無の確認、文化的・歴史的・金銭的価値の把握など「所定の手続」を定めている。2021年1月と3月に、所定の手続により、漫画などの他館でも存在が確認できた複製物など約4万3,000点を処分することで市議会への報告、報道発表を行った(6)

 

8. 被災収蔵品のレスキューにあたって

 被災から約1年6か月を経過した現在(執筆時点)、被災収蔵品数約22万9,000点のうち応急処置済が約4万8,000点、修復を施しているものが約4,200点で、まだまだ先が見えない状況である。

 今回の被災で対応に苦慮しているのは、被災収蔵品と既存台帳との突合である。収蔵庫から出す時点で資料等の撮影や保管場所等を記した出庫管理表を作成しているものの、資料等に付けていた「資料カード」も水に浸かって外れてしまっているものがほとんどのため、台帳との照合ができないものが民俗資料には多くある。また、今後、冷凍保管している古文書等の紙資料の解凍・乾燥作業を進めていくが、冷凍している紙資料等はコンテナボックスで約1,200箱あることから、解凍、乾燥、洗浄等の応急処置をしつつ、台帳との突合作業をしていかなければならないなど、相当な長い期間を要して進めていかなければならないことを覚悟している。

 リスク管理の面からも、収蔵品台帳を完備し、資料等の整理をすることが万一の備えにもなるため、これを読まれている博物館等の関係者は是非とも取り組んでいただきたいと考える。

 

9. 新たなミュージアムに向けて

 新たなミュージアムをどうするかの検討も行っている。本市では、附属機関である川崎市文化芸術振興会議に、学識者で構成する「市民ミュージアムあり方検討部会」(以下「あり方検討部会」)(7)を設置し、本市に求められる博物館機能、美術館機能などについての意見をとりまとめ、2021年10月を目途に「市民ミュージアムあり方方針」として公表する予定である。

 市民ミュージアムは、博物館、美術館の複合文化施設として開館したが、開館から30年以上が経過し、開館時とは社会環境が変わってきた。その変化への対応や、運営してきた課題を整理しつつ、最近の他都市博物館、美術館の動向、市民アンケート結果を踏まえ、外部有識者の意見を聞きながら、本市に必要とされる「博物館」、「美術館」機能等を今まさに検討している。

 本稿執筆時点では、あり方検討部会を既に3回開催し、施設の課題を先行して検討し、台風による自然災害の教訓を踏まえ「被災リスクの少ない場所での再建」という意見が寄せられ、市もその方向で検討を進めている。博物館機能、美術館機能については4回目以降に検討することで現在準備を進めているところである。

 個人的には、博物館に関しては「地域歴史博物館」として本市の成り立ちがわかる資料等の収集、展示、調査研究などを行っていくことは否定されるものではないが、美術館はどのような美術館を目指していくのかが、本当に難しいと考えている。今までやってきたことを単に課題を整理して継続するなら簡単ではあると思われるが、153万の現在の市民だけでなく、人口減少がいずれ訪れる未来に、何を引き継いでいくのかの見極めが求められている。万人に是とされるものとするのは不可能ではあるが、一人でも多くの市民が良いと思ってくれる博物館、美術館を目指したいと考えている。

 

 

(1) 川崎市市民ミュージアム.
https://www.kawasaki-museum.jp/, (参照 2021-03-19).

(2) 検証報告書(案)を本市のウェブサイトで公開している。
令和元年東日本台風による市民ミュージアムの対応に係る検証報告書(案). 川崎市, 2020, 46p.
https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000116/116670/siryou4.pdf, (参照 2021-03-19).

(3) “令和元年東日本台風から1年 川崎市市民ミュージアム被災収蔵品レスキュー活動の記録”. 川崎市. 2020-10-29.
https://www.city.kawasaki.jp/templates/press/250/0000122135.html, (参照 2021-03-19).
“川崎市市民ミュージアム 被災収蔵品レスキューの映像記録 ―2019.10.12―”. 川崎市市民ミュージアム.
https://www.kawasaki-museum.jp/rescue/movie/, (参照 2021-03-19).
“2020年度 川崎市市民ミュージアム 被災収蔵品レスキューの記録集”. 川崎市市民ミュージアム.
https://www.kawasaki-museum.jp/rescue/booklet/, (参照 2021-03-31).

(4) 川崎市市民文化局. “川崎市市民ミュージアム被災収蔵品に係る修復等の判断基準について”. 令和元年度 文教委員会資料. 川崎市, 2020, 14p.
https://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000107/107110/03.13-3(2).pdf, (参照 2021-03-19).

(5) 川崎市市民文化局. “川崎市市民ミュージアム 被災収蔵品に関する安定化及び修復等の処理手順”. 令和2年度 文教委員会資料. 川崎市, 2021, p. 9-12.
https://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000116/116489/020731-3.pdf, (参照 2021-03-19).

(6) 川崎市市民文化局. “被災収蔵品処分リストの概要”. 令和2年度 文教委員会資料②. 川崎市, 2021, p. 9-12.
https://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000116/116489/030121-2.pdf, (参照 2021-03-19).

(7) “川崎市文化芸術振興会議市民ミュージアムあり方検討部会について”. 川崎市.
https://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000120567.html, (参照 2021-03-19).

 

[受理:2021-04-26]

 


白井豊一. 令和元年東日本台風による川崎市市民ミュージアムの被災と新しい「あり方」の検討. カレントアウェアネス. 2021, (348), CA1998, p. 9-12
https://current.ndl.go.jp/ca1998
DOI:
https://doi.org/10.11501/11688290

Shirai Toyokazu
The Damage to the Kawasaki City Museum by Typhoon Hagibis (Reiwa 1 East Japan Typhoon) and Consideration of the Museum’s Role