CA1692 – ニューヨーク・タイムズ紙が報ずる「読むことの将来」 / 影浦 峡

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カレントアウェアネス
No.301 2009年9月20日

 

CA1692

 

ニューヨーク・タイムズ紙が報ずる「読むことの将来」

 

1. はじめに

 ニューヨーク・タイムズ紙は、2008年7月から2009年2月にかけて、電子メディアをめぐる三つの記事を、シリーズ「読むことの将来」(The Future of Reading)として掲載した。「リテラシー論争:オンラインって、本当に読んでいるの?」(“Literacy Debate: Online, R U Really Reading?” 2008年7月27日)(1)、「読者を釣るおとりとしてのテレビゲーム」(“Using Video Games as Bait to Hook Readers” 2008年10月5日)(2)、「ウェブ時代、図書館業務も更新」(“In Web Age, Library Job Gets Update” 2009年2月15日)(3)である。今後もシリーズは続くかもしれないが、現段階(2009年6月末時点)でこれらの記事を紹介しよう。

 

2. 各記事の概要

 第一の記事「リテラシー論争」は、本を読むこととネットで読むことを対比する(「読むこと」に属さないゲームとテレビに言及しつつ「読むこと」の場を定めている)。読まないよりは少なくとも読んだ方がよい、ネット上での読みは新たなリテラシーとして必要になる、持続的・集中的な読書力は本でしか培われない等々、両者の重要性に関する主張が併置され、また、ネットの読みは本とは別のかたちで脳の回路と認知の様式を変えるがどのように変わるかまではわかっていないこと、読書障害を持つ子どもにとってネット上の読みは楽であること、等の知見と事例が紹介される。記事はネットでの読みをリテラシーのテストに含めるかどうかをめぐる議論の紹介で締めくくられる(2009年、OECDは電子的な読みのテストを導入するが、米国はそれには参加しないという)。

 第二の記事「読者を釣るおとりとしてのテレビゲーム」は、第一記事で読むことに属さないとされたテレビゲームと本との著者によるタイアップ事例(内容の関連付け)から始まり、タイアップが著者、教師、図書館員、出版社などで試行/指向されていること、それに対する賛否両論が紹介される。読み手が本とゲームに求めているものは同じである、ゲームは感情的にも知的にも本ほどの複雑さを持ち得ない等、両者の等価性をめぐる議論がそれに続き、次いで、十代を対象にしたゲーム・トーナメントを図書館が主催する事例が紹介される(場を介した両者の関連付け)。記事では、ゲームは不要な要素を排除して仕事に集中する訓練によい、そうしたスキルは場面を変えたとき適用できない、ゲームの参加感覚は学習効率を改善するといった研究結果も紹介される。

 第三記事「ウェブ時代、図書館業務も更新」では「情報リテラシー教師」という新たなタイプの学校図書館員ロザリア(Stephanie Rosalia)氏の実践が取り上げられる。ロザリア氏は、ネット上の情報リテラシー、パワーポイントの使い方や論理的なまとめ方といった新たな情報実践を進めつつ、本を調べること、読むことも重視し、毎週末の開館時には本だけを扱う。母語の異なる多様な生徒を対象にした活動が紹介されたのち、記事はロザリア氏の「とにかく読む必要はある」という言葉で締めくくられる。

 

3. 議論の照準

 明示されてはいないが、記事を通して、「読むこと」は功利的/機能的に捉えられている(それゆえ、第一記事と第二記事のモチーフは記事の展開につれて「読むこと」一般から「情報操作/リテラシー」へと移行し、第三記事では「とにかく読む必要はある」というスローガン的引用で締めくくられる)。その上で、全記事を通して確認されていることは、(1)ネットやゲームの吸引力は概ね本よりも強いこと、(2)ネットで読むことが有効かどうか、本とどう違うかについて諸論はあるが、決定的な結論ではないこと、(3)ゲームと読むことのタイアップなどについても同様であること、という極めて無難な現状である。全体として、功利的/機能的な「読むこと」をめぐっては、それなりに目配りが効いた記事となっていると言えるが、米国でかなり広まってきた電子ブックは取り上げられていない(今後の記事で扱われるかもしれない。なお、電子ブックの動向については、TeleRead(4)からの記事が、筆者影浦も開発にかかわってきた「みんなの翻訳」サイトで継続的に紹介されている(5))。個人的に最も興味深かったのは、読書障害を抱える子どもに電子メディアはやさしい場合があるという点である。Google SketchUp が自閉症の子どもたちのコミュニケーションを開く可能性があることが少し前に報道されていた(6)が、技術がリテラシーのバリアフリーに向けた新たな道を拓く可能性が示唆されていることは極めて重要である。

 

4. 欠落

 一方、メディア論と読書論の現状に照らして、記事には二つの欠落がある。第一に、既往のメディアをめぐる考察がまったくないこと。第三記事で、意図的に誤った情報を掲載しているサイトを通してウェブが必ずしも信頼できないことを学ぶ実践として、コロンブスが携帯を使っている例が挙げられているが、ポストコロニアル理論を一応経たはずの現在、先住民虐殺の先鞭を切ったコロンブスを、あまたあるであろう事例の中から挙げるニューヨーク・タイムズ紙自身を検討する実践例は当然扱われないし、既往メディアがウェブ同様多くの誤りを含んでいることも議論の対象にはならない(例えばニューヨーク・タイムズ紙を含む西洋メディアの多くはインドネシアによる不法占領時代を通して東ティモールをインドネシアの一部であるかのように報道してきた(7)(8))。どうやら、「人間の解剖は猿の解剖には役立」たないらしい。

 メディア論的な欠落とちょうど対応するかのように、「読むこと」とはどのような出来事なのかについても、記事では考察されない。例えば、第一記事では、ネットでの読みの利点を強調する文脈で(のみ)「400ページの本を読むためには長い時間がかかる」という言葉が引用されるが、それなりに多様な意見を配置しているはずの記事中のどこにも、「長い時間がかかる」ことこそが楽しみであり価値であるという視点はない(私たちはここで「古びないのはあの天候であって、アミエルの哲学ではないはずなのに」(9)という、バルトの言葉を思い浮かべるだろう)。功利的・機能的視点の全体化の中で、「テクストの快楽」がもたらされるのはゆっくりと身を任せることによってのみであること、そして本や映画、ネットなどのそれぞれに固有の質感があること(読書障害の例は本質的にはここに関わるのではなかったか)が忘却されるならば、議論は、タイ料理と日本料理とシリア料理とフランス料理を味や心地よさからではなく栄養の観点からのみ比べるようなものにならざるを得ない。当然、そうした議論も必要だが、それは、今、強く求められている議論のごく一部でしかない。

 

5. 終わりに

 三記事は、既往メディアを前提とし、功利主義的に「読むこと」を規定した上ではそれなりにバランスが取れ、興味深い個別情報も紹介されている。ただ、ネット上にはもっと面白い記事と情報がたくさんある。その意味で、この三記事は、その内容においてよりもその存在においていっそう、「何を読むか」の観点から見た読書の将来を示している――もはやニューヨーク・タイムズ紙を読む時代は終わった。それでもあえて、メタ・メディア論的視点を持って読むとき、重要な問いが立ち上がる。そもそも「読むこと」とは何であったのか、既往メディアとはどのようなものだったのか。三記事はいずれもネットで読めるので、ぜひ読んでいただきたい。

東京大学:影浦 峡(かげうら きょう)

(1) Rich, Motoko. The Future of Reading: Literacy Debate: Online, R U Really Reading?. New York Times. 2008-07-27, A14-15,
http://www.nytimes.com/2008/07/27/books/27reading.html, (accessed 2009-07-28).

(2) Rich, Motoko. The Future of Reading: Using Video Games as Bait to Hook Readers. New York Times. 2008-10-06, A19,
http://www.nytimes.com/2008/10/06/books/06games.html, (accessed 2009-07-28).

(3) Rich, Motoko. The Future of Reading: In Web Age, Library Job Gets Update. New York Times. 2009-02-16, A14,
http://www.nytimes.com/2009/02/16/books/16libr.html, (accessed 2009-07-28).

(4) TeleRead: Bring the E-Books Home.
http://www.teleread.org/, (参照 2009-07-28).

(5) みんなの翻訳. http://trans-aid.jp/, (参照 2009-07-28).

(6) “自閉症の子供たちがGoogle SketchUpを使って考えを視覚的に表示することから、新たな視覚言語が作られる / キャロライン・マレー”. みんなの翻訳.
http://trans-aid.jp/viewer/?id=3918&lang=ja, (参照 2009-07-28).

(7) Chomsky, Noam. “Manufacturing Consent 5 of 9”.
http://www.youtube.com/watch?v=AnZQgrmCP84, (accessed 2009-08-03).

(8) Hermann, Edward S. “Good and bad genocide: Double standards in coverage of Suharto and Pol Pot”.
http://www.thirdworldtraveler.com/Terrorism/GoodBadGenocide.html, (accessed 2009-08-03).

(9) バルト, ロラン. テクストの快楽. 沢崎浩平訳. 東京, みすず書房, 1977, p. 101.

 


影浦 峡. ニューヨーク・タイムズ紙が報ずる「読むことの将来」. カレントアウェアネス. 2009, (301), CA1692, p. 5-6.
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