CA1499 – 動向レビュー:シンガポールの図書館IT戦略 / 呑海沙織

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カレントアウェアネス
No.276 2003.06.20

 

CA1499

動向レビュー

 

シンガポールの図書館IT戦略

 

1.はじめに

 シンガポールの公共図書館は,現在,目覚しく変化している。20年以上にわたる情報政策の中で図書館は,国民の知的水準を高める役割を担い,知的情報センターとして確たる地位を築きつつある。インテリジェント・アイランド化政策の中で,図書館は,どのような位置を占め,どのようなグランド・ビジョンをもって変化しているのだろうか。

 

2.シンガポールの情報政策

 シンガポールは,マレー半島の最南端にある,赤道直下の小さな島である。マレーシアとインドネシアに囲まれたシンガポールは,総面積約650平方キロメートル,日本の淡路島とほぼ同じ面積を占める。人口約400万人のうち,77%が中国系,14%がマレー系,8%がインド系という,複合民族国家である。公用語は,英語,マレー語,中国語,タミル語である。国語はマレー語とされているが,行政用語は英語とされており,実際は英語が共通語となりつつある。マレー国家に囲まれながらの華人国家であるという特徴は,シンガポールの国家形成に大きな影響を与えてきた。

 1965年,マレーシア連邦から分離したシンガポール共和国は,リー・クアンユーのリーダーシップの下,政府主導型の経済成長を遂げた。天然資源に乏しいシンガポールは,電気,ガス,工業用水,コンピュータ・ネットワーク等インフラを整備し,東南アジア地域での有利な立地条件を活かして,交通,貿易,金融,さらには情報のハブとしての役割を確立してきた。

 1980年,情報政策を経済発展の要と位置付けた国家コンピュータ計画が開始され,1981年には国家コンピュータ委員会(National Computer Board)が設置された。1986年,国家情報技術計画(National IT Plan)が発表され,ITに関する人材の育成,ITに対する意識の向上,ITインフラの整備,ITアプリケーションの開発,IT産業の振興を柱として,IT整備が推進された。1992年には,シンガポールのITマスタープランであるIT2000が,2001年には国家情報通信技術計画(ICT21)が発表され,情報化政策が推し進められている。

 このような政府主導型の情報政策の下,図書館は,情報化社会における重要な機関として位置付けられている。1992年6月,Library2000検討委員会が発足し,100人以上の図書館員と国家コンピュータ委員会の職員によって,次世代の図書館サービスのあり方について検討が行われた。こうして1994年3月5日に発表されたのが,”Library2000″である(CA1136参照)。この報告書では,図書館を情報化社会における知識データベースと位置付けるものであり,情報化促進の手段として図書館の活用を図ろうというものであった。1995年には,国立図書館委員会(National Library Board : NLB)が設置され,国立図書館および公共図書館システムの包括的管理と運営を行っている。

 Library2000では下記6つの戦略の下,図書館のシステム改革が推進されている。

  • 1) 順応性のある公共図書館システムの構築
  • 2) ボーダレスな図書館ネットワークの整備
  • 3) 調整されたナショナル・コレクションの形成
  • 4) マーケット指向の良質なサービスの提供
  • 5) ビジネスやコミュニティとの共生関係の構築
  • 6) グローバルな知識ハブとしての役割の確立

 以下,情報政策に裏打ちされたシンガポールの図書館の現状を概観したい。

 

3.グランド・デザインとしての図書館システム

 Library2000をまとめるにあたり,当時のシンガポールの図書館事情について調査が行われたが,結果は思わしいものではなかった。公共図書館は,20万人に1館の割合で設置されており,これは1990年に欧州文化都市(European Culture City)(注1)に選ばれたグラスゴーの6万5千人に1館という割合に比べると,不十分といわざるをえない。また,図書館の利用状況も芳しいものではなく,過去1年間に公共図書館を訪れたことがあるのは,人口のわずか12%であった。さらに,シンガポール人が1年間に読む図書は,16.5冊であり,これは米国の3分の1であるという調査結果も明らかになった。人的資源を最大の武器とするシンガポールにとって,国民の知的水準の向上は,国際競争に打ち勝つための必須要件である。こうしてシンガポールが目指す学習国家(a learning nation)に向けて,公共図書館システムの大規模な見直しが行われることとなった。

 Library2000では,新しい公共図書館システムとして,公共図書館を3階層に分け,それぞれの設置目的および対象,目標設置館数を掲げている。1) 地域図書館(Regional Library)は,従来の分館の2倍の規模を持ち,40万冊の蔵書を備える。地下鉄やバスで15分以内の距離に位置し,全ての図書館サービスが受けられる。地域図書館の設置目標館数は5館とされ,一般市民やビジネス利用者を対象とする。2) コミュニティ図書館(Community Library)は,分館の半分の規模を持つ図書館であり,10万冊から20万冊の蔵書を備える。バスで10分以内の距離に位置し,図書や雑誌,視聴覚資料の貸出などの図書館サービスを中心とする。地域の住民を対象とする。設置目標館数は,18館である。3) 近隣図書館(Neighbourhood Library)は,10歳以下の子供を対象とする蔵書冊数1万冊から1万5千冊の小さな図書館で,徒歩10分以内の距離に設置される。設置目標館数は100館である。

 毎年,新館が開館されており,現在,地域図書館2館,コミュニティ図書館19館,コミュニティ子供図書館(近隣図書館)46館が開館されている。

 また,学校図書館や学術図書館の増強,ビジネス図書館やアート図書館のネットワーク形成も推奨されており,2002年9月には初の舞台芸術図書館であるlibrary@esplanadeが開館されている。

 

4. 図書館のコア・コンピタンス

 シンガポールにおいては,「図書館のコア・コンピタンス(注2)はレファレンスである。」と明確に位置付けられている。レファレンス以外の貸出・返却業務や整理業務に費やされる時間を,レファレンス業務やレファレンス・スキルを向上させるための時間に振り向けつつある。

 公共図書館の図書には全て非接触型ICチップが貼付されており,貸出・返却は利用者によるセルフ・サービスである。貸出・返却のセルフ・サービスについては,メリット・デメリット双方を考慮する必要があろうが(CA1174参照),シンガポールにおいては,自動貸出システム導入時の細やかな図書館スタッフの対応によって,利用者の年齢に関係なく,受け入れられている。自動貸出システムが導入されるまでは,貸出手続きに最大45分待たなければならなかったことを考えると,自動貸出システムの導入は画期的だったといえるだろう。利用者による貸出・返却のセルフ・サービスは,DIY(Do It Yourself)コンセプトと呼ばれている。

 また,受入業務や目録,装備は全て,一か所で集中管理されている。町の中心地から離れたライブラリ・サプライ・センターは,公共図書館の受入資料の整理業務を一括して請け負っている。さらに近年,装備のアウトソーシングが進んでおり,装備済みの図書(shelf-ready books)が納入されるようになってきている。

 こうして図書館員がこれまで,整理業務や貸出・返却業務に費やしてきた時間は,レファレンス・サービスへと集約することができるようになった。レファレンス・サービスの強化に向けて,図書館員にも再教育が行われている。また,2002年6月より,CARES (Consultation, Assistance, and Reference Services)プログラムが開始されている。これは,オンデマンド型のレファレンス・サービスを提供する試みである。利用者自身が図書館やその資料を使いこなすスキルを会得することが目的である。レファレンスのDIYと言い換えることもできるだろう。

 

5. 利用者指向の物流システム

 図書の貸出は自動貸出システムにおいて,利用者のセルフ・サービスによって行われることは先述したが,返却にも大きな特徴がある。ブックドロップ・システムである。ブックドロップは,一見閉館時に返却するためのブックポストのようであるが,似て非なるものである。これは,ブックドロップに図書が返却されると,図書に貼付された非接触型ICチップにより,返却処理がなされるというシステムである。現在では,ほぼ全ての貸出図書が,図書館カウンターではなく,ブックドロップに返却されている。

 利用者は,借りた図書を必ずしも借りた図書館へ返す必要はない。どの図書館に設置されているブックドロップへも返却可能である。図書館から図書館への資料の移動は,日に2度,郵便を使って行われる。また,図書館以外の場所に,ブックドロップを設置する試みもなされている。2001年には,ビジネス街の中心に位置する銀行のロビーにブックドロップが設置された。昼休みに気軽に図書を返却できるので,ビジネスマンに歓迎されている。利用者の視点に立った物流が確立されているといえよう。

 

6.基本的サービスと付加価値的サービス

 図書館サービスにITを活用することによって,その可能性は大きく広がる。しかし,限りある予算の中で,無限にサービスを拡大することは難しい。シンガポールの公共図書館では,基本的な図書館サービスと,付加価値的な図書館サービスを明確に分け,基本的なサービスは無料で,付加価値的なサービスは有料で,提供するという区分けをしている。

 付加価値的な有料サービスには,マルチメディア・ステーションで提供されるデータベースやビデオ・オンデマンド,電子ジャーナルや電子ブック等,ネットワークで提供されるサービス,ビジネス向けサービス,などがある。

 マルチメディア・ステーションの利用料金は,1分あたり0.03シンガポール・ドル(約2.1円。1シンガポール・ドル=70円換算)である。支払いは,「キャッシュ・カード」と呼ばれるICカードで行われる。この「キャッシュ・カード」は,図書館だけでなく,銀行やコンビニエンス・ストア,ガソリン・スタンド等でも入手できる。マルチメディア・ステーションの利用の他,文献複写サービス,延滞料金の支払い,資料の紛失・破損に対するペナルティ等,他の有料サービス全てに使用することができる。

このキャッシュレス・システムは,小額の料金徴収を簡便に実現しており,利用者にとっても,図書館にとっても有益なシステムとなっている。

 

7.e-ワンストップ・サービスの実現

 eLibraryHubでは,ウェブ上でワンストップ・サービスを実現している。eLibraryHubは,統合的電子図書館と位置付けられており,電子的資料を提供するにとどまらない,より広範囲の図書館サービスを展開している。eLibraryHubでアカウントを作成すると,ウェブページをカスタマイズすることができる。

 この入口を通過すると,有料・無料に関わらず,様々な図書館サービスを受けることができる。13,000タイトルの電子ジャーナルやデータベースだけでなく,電子ブック提供サイトであるnetLibraryを通じて10,000タイトルの電子ブックを利用できる。また,蔵書検索システムを検索し,受け取りたい図書館を指定して図書の予約をしたり,貸出の更新をしたりすることもできる。Amazon.comのように,興味のある分野のお勧め図書の紹介や,仮想書棚を構築することも可能である。また,オンライン・レファレンスサービスを提供している上海図書館と提携して,オンライン・レファレンスサービスや各種調査,文書の翻訳サービスを受けることもできる(E041参照)。

 また,年間3シンガポール・ドルの会費で,返却日付の数日前に返却日を携帯電話などの携帯端末に知らせるリマインダー・サービスや,携帯端末からの貸出の更新,各種料金の照会を行うことができるモバイル・サービスも提供されている

 

8. 最後に

 図書館と情報通信技術の融合体である電子図書館を考える場合,まず頭に浮かぶのは,資料の電子化や電子的資料の提供ではないだろうか。けれども実際に,図書館が提供する資料の多くを占めているのは,紙媒体の資料である。シンガポールでは,電子的資料に偏重することなく,非接触型ICチップの導入により,洗練された紙媒体の物流システムが構築されている。また,貸出更新や予約等,手続きをオンライン化することによって,利用者に快適な図書館利用環境を提供している。政府主導型で進められているシンガポールの情報政策ではあるが,その視点は政府だけではなく,確実に個人に向けられている。

 シンガポールでは今,専門家,経営者,企業幹部,ビジネスマンをPMEBs(Professionals, Managers, Executive and Businessmen)と呼び,これらの人々に読書と学習を勧めるLibrary@Officeプロジェクトが開始されている。シンガポールのインテリジェント・アイランド計画のソフト面は,図書館を中心に,静かに進行中である。

京都大学人間・環境学研究科・総合人間学部図書館:呑海 沙織(どんかいさおり)

 

(注1) 欧州連合(European Union:EU)文化閣僚委員会による選定事業。EU加盟国から毎年一都市が選ばれ,文化事業への取り組みが推奨される。1985年,ギリシャの文化相メリナ・メルクーリの提案によって開始され,アテネが最初の欧州文化都市として選定された。

(注2)ある組織独自の中核的能力・技術。『コア・コンピタンス経営』(日本経済新聞社)によって広められた概念である。この著書では,「顧客に特定の利益を与える一連のスキルや技術」と説明されている(参考:経営用語の基礎知識 野村総合研究所 http://www.nri.co.jp/m_word/)。

 

Ref.

Library 2000 : Investing in a Learning Nation : Report of the Library 2000 Review Committee. SNP Publishers, 1994, 171p.

Teng, Sharon. et al. Knowledge management in public libraries. Aslib Proc. 54(3), 2002, 188-197.

Keng, Kau Ah. et al. Segmentation of library visitors in Singapore: learning and reading related lifestyles. Libr Manage. 24(1/2), 2003, 20-33.

National Library Board Singapore. (online), available from < http://www.lib.gov.sg/ >, (accessed 2003-3-20).

eLibraryHub. (online), available from < http://www.elibraryhub.com/ >, (accessed 2003-4-2).

netLibrary. (online), available from < http://www.netlibrary.com/ >, (accessed 2003-4-2).

原田勝・永田治樹. “シンガポールにおける図書館・情報サービス活動の現状”. 学術情報ネットワークの基盤構造に関する調査研究:アジア・太平洋地域における(SISNAP report; 5). 文部省科学研究費国際学術研究学術調査 (研究課題番号:06041014) 平成7・8年度研究報告. 1998, 45-55.

図書館協力部国際協力課. シンガポール国立図書館における電子情報の収集と提供. 国立国会図書館月報.(484),2001,22-25.

 


呑海沙織. シンガポールの図書館IT戦略. カレントアウェアネス. 2003, (276), p.19-22.
http://current.ndl.go.jp/ca1499