CA1168 – 独露の戦利品図書問題のその後 / 兎内勇津流

カレントアウェアネス
No.221 1998.01.20


CA1168

独露の戦利品図書問題のその後

ロシア・東欧の共産主義体制の崩壊,冷戦の解体という国際情勢の変化を背景に,独露間で,戦利品として第二次大戦中およびその直後にソ連がドイツから持ち去った,大量の図書館資料の行方の探索と返還の問題が両国間で持ち上がっていることは,前に述べた(CA1040)。1993年にモスクワで開かれたこの問題についての円卓会議では,返還の合意には至らなかったが,両国が互いに調査・協力を進めていくということで協定が結ばれたのである。

しかし,残念ながらそれ以後,この問題の解決に向けての進展は順調ではなく,ロシア側は調査に消極的で,返還に向けての交渉は立ち往生しているとのことである。

一方,ドイツ側ではドイツ図書館(Die Deutsche Bibliothek)のインゴ・コラサ(Ingo Kolasa)がこの問題の調査にあたってきた。彼の調査と,ロシア人歴史家の協力によって,ソ連によるドイツの図書館資料の略奪は,当時のソ連の最高指導部と有力な図書館が積極的に関与した,組織的なものであることが浮かび上がってきた。

その概略は以下のようなものである。

ドイツに赤軍が展開すると,各地域の赤軍最高司令部は,どのような文化財が発見されたかについてドイツ軍政部に報告を行い,軍政部では評価・区分のための専門家を派遣した。次の段階として,それらの文化財の処理が上部から指示された。通例,そうして選り分けられた資料はベルリン近くの駅に集められ,そこから特別列車でソ連に運ばれた。

例えば,1946年7月23日には,さまざまな図書館から駅の倉庫に集められた6,200箱の書物を,レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)のサルティコフ・シチェドリン図書館(現ロシア国立図書館)に設けられた国家文献局に送ることが命ぜられた。

国家文献局は,没収図書をソ連の図書館や文化機関に配分するために設けられたもので,戦利品図書が既存のコレクションに効果的につけ加わるように,配分を試みた。少なくとも,最初の意図としてはそうだった。しかし,膨大な資料がドイツから到着するにつれて,受け入れた図書館は,それを適切に保管することすらできなくなっていった。

国家文献局は少なくともモスクワとレニングラードにその支部を持ち,資料分配のための定期的会合を開いていた。

ドイツでの戦利品委員会と,ソ連国内の分配委員会は,両方とも,ソ連の重要な図書館の専門家から成り立っており,それぞれの館は,自分たちの要求を主張するため,スタッフを送り込んでいた。

ソ連の図書館員たちは,これをソ連が被った文化財損失の補填,あるいはドイツの科学と経済に打撃を与えるためと考え,その正当性に疑問を呈することはなく,進んでこれを推進したように見える。

1950年代末に,ソ連共産党中央委員会は,東ドイツへの文化財の返還に取り組んだ。しかし,一度収蔵した機関から放出させる困難とともに,輸送中の損失の大きさに気付き,ほとんど実施できなかった。また,当時既にどの機関にどの程度の没収文化財があるかを把握することも困難であった。

以上がコラサの調査の結果判明したことであるが,コラサの協力者であるロシアの歴史家,グリゴリー・コズロフ(Grigorii Kozlov)とコンスタンチン・アキンシャ(Konstatin Akinsha)は,さらに次のようなことを明らかにした。

ヤルタ会談(1945年2月)の直後,スターリンは赤軍戦利品部を戦利品委員会に改組し,その目標を,戦争遂行のための物資獲得から,価値ある資材の捕獲に転換した。これは戦争の賠償とは無関係の問題だった。

国防委員会の下にマレンコフを議長とするドイツ特別委員会が極秘裡に設けられた。この委員会は,ドイツ全土に関して,没収すべき財物のリストをあらかじめ準備し,戦利品委員会に指示を発し,前線と連絡を取って,没収業務を管理した。特別委員会は,全ての重要な文化財の発見に関し,スターリンの直接の指示を仰いでいた。戦後,特別委員会は,人民委員会議(内閣に相当)の下で存続した。

特別委員会の命令は,適切に実施されなかった。多くの物品が,附属文書なしで到着した。輸送中に損傷したものが多く,失われたものもある。盗まれたものも多い。モスクワからの指示なしに没収された品物も数知れない。

1946年5月,ドイツ駐留ソ連軍及びソビエト軍政部総司令官ワシーリー・ソコロフスキー(V. Sokolovskii)元帥は,戦利品委員会の引き揚げと戦利品輸送の停止を命じる秘密命令を出したが,実際には輸送は,この年一杯継続した。

なお,コラサの調査に基づく資料集はドイツ語で刊行された。(注)

コラサの述べる以上のような経緯は,スターリン時代のソ連の姿から,自然に了解されるものである。また,コズロフらの仕事は,もし史料的に実証されるものなら,画期的と言える。

東独地域のソ連の占領体制研究は,長くにわたって取り上げにくいテーマだったが,近年,積極的に研究が推進されている分野と思われる。ドイツ統一とソ連の解体後,旧東独地域とロシアの両方で多くの文書館資料が利用可能になったことは大きい。

しかし,情報公開が十分かというと,まだまだ大きな問題が残されていると,アメリカの研究者ナイマーク(N. Naimark)は指摘している。例えば,ソ連の軍事技術開発その他の目的でのドイツ人科学者の誘拐や,南ザクセンでのウラン採掘に関する文書は,戦利品問題や賠償問題以上に微妙な問題とされ,ロシア側文書は機密のままであるという。

戦利品図書問題はまだ,その実態の一部が明らかになったに過ぎない。具体的な事実解明のためには,ロシア側図書館に残る文書にさらなる調査が必要であり,ロシア側が真剣にこの問題に取り組むことが求められている。

北海道大学スラブ研究センター:兎内 勇津流(とないゆづる)

(注)Lehmann, K. -D. von, und Kolasa, Ingo, hrsg. Die Trophaenkommissionen der Roten Armee: eine Dokumentensammulung zur Verschleppung von Buchern aus deutschen Bibliotheken. (ZfBB. Sonderheft; 64),1996
Ref: Kolasa, Ingo. Where have all the volumes gone?: a contribution to the discussion of “captured cultural property” and “trophy commissions”. Coll Res Libr 57 (6) 501-512, 1996
Naimark, Norman. Russian archives, the Soviet military administration in Germany, and the question of Stalinism. (Reexamining the Soviet Experience. ed. by D. Hollaway and N. Naimark. Westview, 1996. p.217-235 )