アメリカ図書館の背景
元図書館情報大学 副学長 藤野 幸雄(ふじの ゆきお)
アメリカの図書館は、イギリスから東部ニュー・イングランドに渡来した建設者たちが信じていた‘ピューリタン(清教徒)思想’によって形作られた。独立以前にイギリスからトマス・ブレイ師がこの地に来て、図書館をメリーランドに設立したのがその創始とみなせる。初期の図書館はボストンを中心に実現した‘アシーニアム’(文芸協会、その発生は19世紀初頭のロンドンにあった)の型であり、博物館や歴史協会を併設したものであった。アメリカの図書館史を創りあげた先駆者たち(ジューエット、プール、ウィンザー、カッター、ビリングス、パトナム)はほぼ全員がボストンかその近郊のニュー・イングランド出身者であって、プロテスタント教徒であった。
独立後の19世紀前半、開拓が進行するにつれて、アメリカは西部に向かって発展し、フロンティアが消滅したのは1840年代後半であった。1850年にはまだフロリダもテキサスもウィスコンシンも連邦の領土とはなっていなかった。中西部の諸都市に建設された図書館の重要な役割は、ドイツ系、アイルランド系の移民たちによりこの地に出来上がった‘アメリカ英語’によって、流入が続く移民たちを‘アメリカ化’することであって、各地に設置された図書館および聖書を売り歩く移動販売員たちのこの方面での功績は大きかった。
未曾有の殺戮を繰り広げた南北戦争(1861-65)にいたるまでの時期は、アメリカの図書館はさほどの発展を見せたわけではなかった。図書館協会のような組織や図書館大会のようなイベントについてもすでに南北戦争以前に関係者の間では叫ばれてはいたが実現しなかった。現実に全米図書館員大会が開催され、アメリカ図書館協会が発足したのは南北戦争後、アメリカ独立百周年にあたる1876年であった。19世紀の後半、アメリカの図書館界は大きく発展した。その発展の基盤は各地の産業の振興によって支えられていた。ピッツバーグの鉄鋼業、シカゴの自動車産業、テキサスの油田開発、そして西部に延びる鉄道、金融業の発展により、地方に大都市が出現した。産業の活況が生み出した企業家たちが図書館を設置し、図書館のイメージもずいぶん変化した。ニューヨークのピァポント・モーガン、ワシントンD.C.のフォルジャー、シカゴのニューベリー、ロサンゼルスのハンチントンが創設した図書館がそれにあたる。19世紀末から20世紀初頭にかけて、連邦政府の図書館も公共図書館もひとつの見せ場を演出した。1897年の議会図書館、1912年のニューヨーク公共図書館は堂々とした擬古典様式の建築構造物で、一大観光資源ともなった。図書館サービスの点でも大型の参考図書館を施設提供するとともに、同時に市民への身近な貸出網を実現していた。この時期に図書館活動を理論的および実務的に支えたのは、メルヴィル・デューイを中心とする世代であり、十進分類など業務の標準化を進め、またライブラリー・スクールを創設し図書館員養成に努め、図書館サービスの基盤を固めていった。
シカゴに本拠を置くアメリカ図書館協会は、1929年からの世界経済恐慌、1939年からの第二次世界大戦の時期に、政府と市民に対して、その存在意義を認識させた。すなわち、失業者や流入する移民たちが就職、再就職するために、図書館利用を通じて、知識技術を修得した。また、カール・マイラムを中心とするアメリカ図書館協会事務局は、ヨーロッパ戦線に展開する兵士たちに図書や雑誌を提供する‘戦時図書館活動’を強力に推進した。アメリカ図書館協会は積極的に連邦政府に働きかける圧力団体のひとつに成長し、議会図書館長人事にかかわりをもつまでになった。
第二次世界大戦後のアメリカ図書館界はさらなる活況を呈することになる。60年代の‘公民権’運動の広がりを受け、公共図書館は先住アメリカ人、アフリカ系アメリカ人、エスニックの人たちへとサービスを拡大し、館外活動も強化された。大学図書館にあっては、60年代から‘地域研究’が推進され、アジア・アフリカ諸国に関する研究が活発となり、関係資料についての図書館間相互協力体制の整備拡充が求められた。この課題の解決には技術革新が大いに役立った。「全国総合目録」による資料源の確認、OCLCにはじまる相互協力のネットワーク、各種データベースの利用、インターネットの普及は情報スーパーハイウェイの整備につながり、Web-OPACや書誌データベース、フルテキスト・データベースが容易に利用できる環境が実現し、図書館の姿そのものが変わりつつあるように思われる。
南北戦争から百数十年、アメリカの図書館はきわめて大きな実績を築き上げた。しかし、その道は必ずしも平坦なものではなく、紆余曲折、試行錯誤を重ねてきた。それを切り抜けることができたのは、ライブラリアンたち、図書館実務担当者の信念とエネルギーであった。アメリカでは‘図書館’という言葉は‘文化’という言葉の代名詞であるかのような位置を占め、図書館の教育的な機能は市民の間に深く根を張っている。アメリカでは、フランクリン・ルーズベルト以降、歴代の大統領が第一線を退いた後、それぞれその出身地に自分とその政権の資料館・博物館を建設することがならわしとなっている。これらの実態は‘文書館’であるにもかかわらず‘大統領図書館’と呼ばれているところにも、この‘図書館’という言葉とそのイメージがすでにアメリカ市民社会全体に定着していることを見事に示している。