E2408 - 「中村哲著述アーカイブ」の公開と今後の展望

カレントアウェアネス-E

No.417 2021.07.29

 

 E2408

「中村哲著述アーカイブ」の公開と今後の展望

九州大学附属図書館・堀優子(ほりゆうこ)

 

   1984年にパキスタン北西部のペシャワールに赴任して以来35年余,常に現地の目線に立ち,アフガニスタン・パキスタン両国にまたがる医療・灌漑・農業事業で多くの人々の命を救った故中村哲医師(1946年-2019年。本学医学部卒,特別主幹教授)の志を次代に伝えるため,九州大学附属図書館では,氏の著述をデジタルデータで収集・保存・発信する「中村哲著述アーカイブ」を,2021年3月に公開した。

   本稿では,アーカイブ構築に至った経緯と概要,今後の展望などについて紹介する。

●経緯

   2020年6月,当時の本学総長の発案により,「中村哲先生の志を次世代に継承する九大プロジェクト」の構想が立ち上がった。その一環として,当館から本アーカイブの構築を提案し,氏の支援団体であるNGOペシャワール会およびご遺族の賛同を得て実現の運びとなった。

   本プロジェクトの実施にあたってはペシャワール会と本学の間で相互協力協定,およびアーカイブ構築のための覚書を交わし,同会の全面協力の下,アーカイブ事業を進めている。

   氏の偉業についてここで詳しく紹介することはしないが,現地事業は日本国内でのペシャワール会への寄付で成り立っており,それを可能にしたのは,支援者に向けた現地報告,精力的な講演活動,大小さまざまな媒体への寄稿など,氏の圧倒的な発信力と深い思索に基づく表現力であった。が,それらの多くは,学術論文などと異なり時間とともに目にすることが難しくなるものであり,それらを収集・保存し次代に伝えていくことは氏の母校である本学図書館の責務だと考えたのである。

●アーカイブの概要

   本アーカイブは,本学構成員の研究成果等あらゆる著作物を蓄積・発信する「九州大学学術情報リポジトリ(QIR)」上に構築している。QIRは本学の図書館システム内に組み込まれており,配下に複数のデータベースを設けることが可能な設計になっているため,その拡張性を利用して,新たな費用をかけず比較的容易に構築することが可能であった。データ形式は,文字資料はPDFで,写真はJPEGをデジタル画像相互運用のための国際規格IIIF(CA1989参照)で公開しており,今後音声データや映像データの搭載・公開なども予定している。

   収載するコンテンツは,「著書」,「現地報告・記録類」,「新聞・雑誌記事」,「講演記録」,「映像作品」,「氏について語る」の6つにカテゴライズしている。2021年6月末現在の登録コンテンツ数は679件と,アーカイブ事業は緒に就いたばかりである。しかし,ペシャワール会会報の創刊準備号からの全号公開をはじめ,週報と呼ばれる現地からのメール報告や写真,1983年のペシャワール派遣決定時から8年間にわたり派遣元である日本キリスト教海外医療協力会の会誌に寄稿された連載などの記事類,講演スライド,関係者や研究者によるエッセイや論文など,多岐にわたるラインナップとなっている。

   コンテンツの入手元は多くがペシャワール会で,その他呼びかけに応じ個人や団体から提供されたものも徐々に増えている。資料の現物は基本的に同会や所有者の元にあり,当館ではデジタルデータのみを収集している。現地事業が進行中であり,また資料のすべてが著作権保護期間内であるため,掲載や公開に当たっては相応の判断や手順を要する。例えば,現地写真はすべてペシャワール会による公開可否の確認を行っている。また,氏の寄稿やインタビューなどの記事紙面を収録した「新聞・雑誌記事」では,ペシャワール会所有のスクラップブック等からスキャンおよびデータ採取を行い,そのデータを基に出版社等へ掲載許可の依頼を行い,許可が得られたものから順次本文PDFを公開している。趣旨に賛同する多くの発行元から許可が得られ,さらにオリジナル紙面や関連するコンテンツの提供を受けることも少なくない。

   コンテンツの収集から公開までの一連の作業は,当館リポジトリ係の業務として行っており,資料の内容や種類ごとに,手順を検討・整理しながら進めているところである。

●アーカイブの可能性と今後

   このような個人のコレクションは,通常,機関での受け入れ後整理作業を経て利用に供されるまで相当な時間と経費を要する。デジタル化を行ってから公開するとなればなおのことである。これに対し本アーカイブでは,スピード感を重視し,準備が整ったものを随時公開しながら資料の収集を行うという手法をとった。

   氏の没後,現地事業がそのまま継続されるとともに,氏の仕事を伝える活動やその意味を捉えなおすさまざまな動き-全国各地でのパネル展開催,関連本の出版,顕彰活動,ガイドブック作成といった現地での実践を理論的に裏付けていく取り組み,英訳本の発行やドキュメンタリー映像の国際賞受賞のように国際的な認知を高める動きなど-が続いている。本学でも,プロジェクトの一環として全学部学生を対象とした科目「中村哲記念講座」を開講し,講演と,本アーカイブも活用したグループワークを通じて氏の仕事の意味を考えるという教育の取り組みを始めた。アーカイブの構築は,これらの動きと並走する形で,現地事業に関わった方々や地元メディアなど多方面の関係者とのつながりを形成しつつ,また大学における教育・研究と連携しながら,新たに生成される資料もリアルタイムに収集しつつ進めている。システム基盤と持続的な体制を有する大学図書館だからこそ可能な,新しいアーカイブのあり方を探る試みでもある。

   今後,コンテンツの収集・充実に加え,インターフェースの英語対応などによる国際的な発信の強化,教育・研究への活用促進などを進めていく。将来的には,マニュアルや図面類など現地事業において使用された資料や,取材記者が氏の取り組みについて長年にわたり撮りためた映像・写真なども収載していければと考えている。

   中村哲氏の活動や言葉は,活動領域にとどまらずあらゆる分野で教育や研究の題材になると同時に,さまざまな課題に直面する現代社会において,多くのヒントと示唆を与えてくれるものである。本アーカイブが,氏の思索と実践を多くの人に伝え,息長く活用されることを期待したい。

Ref:
“中村哲著述アーカイブ”. 九州大学附属図書館.
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/nakamuratetsu
“中村哲著述アーカイブへの資料の収集にご協力ください”. 九州大学附属図書館.
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/webform/tetsu
中村哲先生の志を次の世代に継承する九大プロジェクト.
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/pj_nakamuratetsu
中村哲記念講座.
https://note.com/dr_nakamura
ペシャワール会.
http://www.peshawar-pms.com/
永崎研宣. IIIFの概要と主要APIバージョン3.0の公開. カレントアウェアネス. 2020, (346), CA1989, p. 13-16.
https://doi.org/10.11501/11596735