カレントアウェアネス
No.134 1990.10.20
CA697
東欧・ソ連の民主化とアメリカの図書館
(1)ニューヨーク公共図書館
検閲に抑圧され,地下出版に頼る細々とした出版の流れが,奔流となったかのような盛況をみせる革命・民主化後の東欧各国から,ニューヨーク公共図書館に資料の波が押しよせている。同図書館スラブ・バルト部は既に通常の1年分より5,000冊も多い1万5,500冊の資料を整理した。これらの資料の中には,新聞,プラカード,リーフレット,写真,スローガン,ポスターなど革命の動きを生々しく伝える資料も含まれている。公式ルートを通らず,しかも今でなければ入手できないこうした一過性の資料(ephemera)こそ後世に伝えるべき貴重な資料だとして,同図書館では特に力を入れて収集している。早速,東独およびチェコに館員を派遣,直接収集にあたらせると同時に,個人的収集ルートの開拓にも力を入れている。現在の資料の殺到ぶりは1917年のロシア革命後のそれにも匹敵するという。
ニューヨーク公共図書館は,前身であるアスターライブラリー(Astor Library)が1840年代末に設立された当初からロシアに対し高い関心を示し,1923年にアメリカの図書館では初めてソ連に直接人を派遣し,資料の収集にあたらせたことで有名である。こうした事情を反映し,1899年設立のスラブ・バルト部では,コレクションの半数はロシア語資料であり,他に12のスラブ系言語,2つのバルト系言語資料を擁し,単行本28万9,000冊,雑誌1,400種,マイクロ資料1万3,500点を所蔵している(CA342参照)。
トロツキーやブハーリンをはじめとする革命の大立物や後のあるいは現在の政府要人も,かつてはここを訪れている。現在でも本国にない資料を求めてソ連の学者が訪れるし,ここの資料なくしてアメリカのソ連研究はありえないといわれている。
同図書館東洋部も資料の整理に追われている。人民解放軍の武力鎮圧により束の間の民主化運動に終った,中国の天安門事件を記念した“天安門アーカイブ”を作ったからである。これは通常の資料の他,洋服のボタン,ビデオテープ,ファックスを含む2,000点から成るコレクションで,その中心は『アジアウォッチ』の研究員ロビン・ムンローが現地で収集した700点の資料である。民主化運動側の資料のみならず,政府がヘリコプターでまいた宣伝ビラ,5月末段階で政府指導者達がこの運動をどのようにみていたかを示す文書,趙紫揚批判をめぐり分裂する党内事情を示す資料,「我々の軍隊である人民軍よ,我々に銃を向けるな」と叫ぶ38軍に向けたリーフレット,学生を鼓舞する文学作品等の中国語資料の他,世界中の諸言語資料も含まれる。さらにニューヨーク市議会が,中国領事館に向き合う42丁目と12番街の地を“天安門広場”と命名した条例(89. 9. 25)もコレクションにつけ加えられた。
(2)米国議会図書館
グラスノスチ,ペレストロイカ政策により,ソ連の出版事情も大きな様変りをみせ,出版物の数も種類も日に日に増え続けている。従来の収集体制では,こうした動きに追いつけないため米国議会図書館はモスクワに収集のための駐在員をおくことにした。ソ連科学アカデミーの一機関である自然科学図書館職員ミカエル・レブナーが出向という形でこの任にあたる。現地のロシア人をスタッフに,整理は行わず,収集に専念する。特に,政治,文学,宗教関係の非政府出版物や一過性資料など通常のルートでは入手が難しい資料の収集に力を入れ,発注部や交換寄贈部の業務を補強する形をとる。また全国をまわり,ロシア語以外の資料の収集にもつとめるという。
千代由利
Ref: The New York Times 1990. 7. 14
The International Herald Tribune 1990. 7. 18
LC Information Bulletin 49 (14) 248, 1990. 7. 2