カレントアウェアネス
No.335 2018年3月20日
CA1921
「欧州オープンサイエンスクラウド」をめぐる動向
国立情報学研究所オープンサイエンス基盤研究センター:尾城孝一(おじろこういち)
1. はじめに
2013年6月にG8の科学大臣会合が開催され、そこで研究データのオープン化を確約する共同声明(1)に各国が調印したことを皮切りとして、国や地域共同体のレベルでの研究データ基盤の構築が加速している。
例えば、米国では複数の大学図書館、データセンター、プロジェクト、出版者などがコンソーシアムを形成し、分野を横断してデータを発見し、再利用し、出版するための基盤である“National Data Service”の構築を開始している(2)。英国ではJiscが“Research data shared service”というプロジェクトを進めている(3)。また、オーストラリアも“National Collaborative Research Infrastructure Strategy (NCRIS)”(4)という国家的な研究インフラ整備戦略に基づき、Australian National Data Service(ANDS)(5)が研究データの管理、発見、多様な利活用を通じて、研究データを国の戦略的な資源とするためのサービスを展開している。さらに、ドイツ(6)やフィンランド(7)でも研究データの管理と公開のための基盤整備が進んでいる。
日本でも、2017年4月に国立情報学研究所(NII)に新設されたオープンサイエンス基盤研究センター(8)を中心として、オープンサイエンス推進のための研究データ基盤構築が始まっている。この基盤は、研究データの「管理」、「公開」、「検索」を支える3つのプラットフォームから構成される。これらを有機的に繋げることで,オープンサイエンス時代の研究ワークフローを支える研究環境の提供を目指している(E1925参照)。
こうした潮流の中で、欧州でも欧州委員会(EC)によって2015年から「欧州オープンサイエンスクラウド(European Open Science Cloud:EOSC)」(9)の構築が進められている。ECは、2015年5月に、デジタル技術に基づいて経済の向上を実現するデジタル単一市場戦略(Digital Single Market Strategy:DSM)を発表した。DSMでは、5億を超える人々が活動する市場に対して、情報通信基盤の整備、雇用創出、公的サービスの変化などを通じて年間4,150億ユーロ規模の経済効果を見込んでいる(10)。EOSCもこのDSM構想の中に位置づけられており、その整備のために欧州の研究・イノベーションのフレームワークであるHorizon 2020から20億ユーロ、さらに他の公的資金と民間の資金から47億ユーロが投資される(11)。
2016年10月11日、EOSCに関する高度専門家グループ(High Level Expert Group)は、EOSC実現のためのロードマップを設計することを目的とした報告書“Realising the European Open Science Cloud”(12)を公表した(13)。
本稿では、本報告書に基づきEOSCがめざす姿の輪郭を描く。さらに、報告書公表以降のEOSCをめぐるさまざまな動向についても触れる。
2. 報告書の概要
2.1. EOSCの目的と定義
EOSCは、デジタル単一市場における、より効果的なオープンサイエンスおよびオープンイノベーションへの移行を加速し、支援することを目的とする。サービスおよびシステムへの信頼度の高いアクセスや、分野、社会、地理的境界を越えて共有される研究データの再利用を可能とするための基盤である。
本報告書では、EOSCは欧州諸国の既存の基盤をベースとして、研究データの共有や再利用を実現するための統合環境と定義されている。既存の基盤には、ハイパフォーマンス・コンピューティングの基盤であるEUDAT(14)、広帯域ネットワークを提供するGÉANT (15)、研究図書館コミュニティのLIBER(16)、リポジトリ連携の取組みであるOpenAIRE(17)、クラウドサービスやデータセンターの連合体のEGI(18)等が含まれる(19)。また、EOSCは第一義的には欧州のインフラであるが、他国のインフラとも相互に連携し、世界各地からアクセスできる基盤であるとされている。こうした基盤を実現するためには、技術のみならず、専門知識、さまざまな資源、標準、ベストプラクティスなどが必要である。
2.2. 現状認識と課題
本報告書の中で示された現状認識と課題は以下のとおりである。
EOSCを機能させるための技術的な課題は、データのサイズの問題ではなく、さまざまな研究分野のデータの多様性とその分析手法の複雑さに由来するものである。また、論文を偏重する時代遅れの評価や資金配分の仕組みが、データの効果的な公開や再利用を阻害している。
人材に関する課題としては、まずEU内に限らず世界的にデータを扱う専門家が不足していることを挙げることができる。また、電子的な基盤(e-infrastructure)の提供者と研究者の間を取り持つ仲介者が不足していることにより、両者の間に深い溝が生まれている。
EOSCを構築するために必要とされる基盤や構成要素のほとんどは既に存在している。しかしながら、それらの要素がEU加盟国や研究コミュニティに分散し、断片化していることが問題であり、加盟国や研究分野を横断する調整のための仕組みが欠けていることも大きな課題のひとつとなっている。
2.3. 勧告
本報告書では、高度専門家グループからの勧告が、政策、ガバナンス、実装の3点から述べられている。以下の通り、勧告の内容を項目ごとにまとめる。
2.3.1. 政策に関する勧告
EOSCが不可欠な基盤であることは自明のことであり、その必要性に関する議論はもはや不要である。EOSCを構築するための基盤や専門知識は既に存在しているが、問題はそれらの構成要素が断片化され、要素間の連携が欠如していることである。この問題に留意しつつ、EU加盟国の緊密な連携の下に、EOSCの実現をめざして積極的な取り組みを直ちに開始するべきである。また、EOSCを通じて、オープンなプロトコルに基づき、FAIR原則(20)に則ったデータの再利用やそのためのサービスの地球規模のネットワーク(Internet of FAIR Data and Services:IFDS)(21)を創出することを目指す。このEOSCが果たす役割をEUによる貢献として位置付けることが重要であるとしている。
2.3.2 ガバナンスに関する勧告
EOSCのガバナンスにはできるだけ簡素な仕組みを導入し、効率的な国際協調を促すべきである。また、EOSCは全ての関係者に対して開かれたシステムであるが、サービス提供者に対しては、参入するための必要最低限のガイドを示す。
2.3.3 実装に関する勧告
EOSCがカバーする範囲を明確にするため、高度専門家グループの報告書を実装のための高度な指針へと転換する。それに基づき、EOSCの初期開発に対応するための明確な実行計画を策定し、そのための新たな資金計画を導入する。また、欧州における中核的なデータ専門家を育成するための協調的な取り組みに資金を提供する。
3. EOSCをめぐる最新動向
3.1. EOSCpilot
2017年1月17日から18日にかけて、オランダのアムステルダムで、EOSCのパイロットプロジェクト(EOSCpilot)のキックオフ会合が開催された(22)。このプロジェクトは、EOSCの初期開発段階を支援するためのプロジェクトで、33の団体と15の第三者機関が参加するコンソーシアム(23)によって進められている。同プロジェクトは、(1)全ての研究分野を横断してデータへのアクセスを容易にすること、(2)EOSCの利用規則を制定するためのガバナンスとビジネスモデルを確立すること、(3)研究データ、知識、サービスのための分野横断型のイノベーション環境を創出すること、(4)研究データの相互運用性を高めるためのグローバルスタンダードを策定すること、を使命としている。現在、地球環境科学、高エネルギー物理学、社会科学、生命科学、物理学などの分野に関連する10のデモシステム(24)がEOSCpilotのウェブサイト上で公開されている。
3.2. EOSC宣言
2017年6月12日、EOSCサミット(25)がベルギーのブリュッセルで開催された。このサミットにおいて、EOSCの主要な関係者が研究データへのデジタルアクセスを実現するという計画に対して合意し、EOSC宣言(26)が採択された。EOSC宣言は、「データ文化とFAIRデータ」、「研究データサービスとアーキテクチャー」、「ガバナンスと資金配分」という3つの章から構成され、合わせて33項目の宣言が示されている。
その後、2017年10月26日にECはこの宣言を正式に公表し、2020年までにEOSCを実現するために、すべての利害関係者に対して宣言に同意することを求めた(27)。これまでに、69の機関や団体の代表者が署名している(2017年11月24日現在)(28)。
3.3. 新たな高度専門家グループ
2017年6月21日、ECはEOSCに関する新たな高度専門家グループを設置した(29)。このグループは、さまざまなプロジェクトやイニシアチブと連携しつつ、2018年末にEOSC実現のための方策について提言する最終報告書をまとめることになっている。
3.4. EOSC-hub
EOSC-hub(30)はEGI、EUDAT、INDIGO-DataCloud(31)の調整の下、74の提携機関が参加するプロジェクトであり、2018年初めから本格的な活動を開始することになっている。
EOSC-hubの使命は、国や分野を超えた研究データのシステムやサービスに対する境目のないオープンなアクセスを可能とすることにより、EOSCの実装に貢献することとされている。この使命を達成するために、EOSC-hubは、EGI、EUDAT、INDIGO-DataCloud、その他の主要な研究基盤が提供するサービス、ソフトウェア、データのカタログを配信する予定である。
4. おわりに
EOSCは、全ての研究者が巨大なバーチャル・リポジトリにログインし、あらゆる公的な研究資金により生み出された集合データにアクセスできるようにしようという野心的な計画である。しかしながら、その計画があまりに壮大で、全体像を把握することが困難なことから、参加者たちはその実現に至る明確な道筋を見通せないでいるようだ(32)。高度専門家グループの報告書が公表されて以来、EOSCpilotやEOSC-hubに見るように、基盤間の連携を探る動きが始まっている。一方、EOSCのガバナンスについては、原則は示されているものの、その具体的な姿はいまだに見えていない。EOSCの利害関係者は、公的な組織・機関のみならず、学協会、民間ベンダー、商業出版社など多岐にわたっている。ガバナンスの具体化については議論が積み重ねられているが、関係者間の複雑な利害を調整し、ガバナンスやルールを確立することは容易ではないようだ(33)。
果たしてEOSCは、協調した分散主義に基づき、分野、社会、地理的境界を越えて、研究データの共有や再利用を可能とするコモンズを構築するという理念を実現できるのか。あるいは、無秩序で散発的なシステム連携の乱立に終わるのか。早くも正念場を迎えているという印象を受ける。いずれにしても、この壮大な計画とその進展、それらをめぐる議論から今後も目が離せない。
(1) “G8 Science Ministers Statement London UK, 12 June 2013”. GOV.UK.
https://www.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/206801/G8_Science_Meeting_Statement_12_June_2013.pdf, (accessed 2018-02-13).
(2) National Data Service.
http://www.nationaldataservice.org/, (accessed 2018-02-13).
(3) “Research data shared service”. Jisc.
https://www.jisc.ac.uk/rd/projects/research-data-shared-service, (accessed 2018-02-13).
(4) “National Collaborative Research Infrastructure Strategy (NCRIS)”. NCRIS.
https://www.education.gov.au/national-collaborative-research-infrastructure-strategy-ncris, (accessed 2018-02-13).
(5) “Australian National Data Service (ANDS)”. ANDS.
https://docs.education.gov.au/node/34013, (accessed 2018-02-13).
(6) “The Council”. Rat für Informationsinfrastrukturen (RfII).
http://www.rfii.de/en/category/the-council/, (accessed 2018-02-13).
(7) Open Science and Research.
https://openscience.fi/, (accessed 2018-02-13).
(8) 国立情報学研究所オープンサイエンス基盤研究センター.
https://rcos.nii.ac.jp/, (参照 2018-02-13).
(9) “European Open Science Cloud”. EC.
https://ec.europa.eu/research/openscience/index.cfm?pg=open-science-cloud, (accessed 2018-02-13).
(10) “Shaping the Digital Single Market”. EC.
https://ec.europa.eu/digital-single-market/en/policies/shaping-digital-single-market, (accessed 2017-12-27).
(11) 村山泰啓, 林和弘. 欧州オープンサイエンスクラウドに見るオープンサイエンス及び研究データ基盤政策の展望. STI Horizon. 2016, 2(3), p. 49-54.
https://doi.org/10.15108/stih.00044, (参照2018-02-13).
(12) “Realising the European Open Science Cloud: First report and recommendations of the Commission High Level Expert Group on the European Open Science Cloud”. EC. 2016.
https://ec.europa.eu/research/openscience/pdf/realising_the_european_open_science_cloud_2016.pdf, (accessed 2018-02-13).
(13) European Open Science Cloud. “High Level Expert Group”. EC.
https://ec.europa.eu/research/openscience/index.cfm?pg=open-science-cloud-hleg, (accessed 2018-02-13).
(14) EUDAT.
https://www.eudat.eu/, (accessed 2018-02-13).
(15) GÉANT.
https://www.geant.org/, (accessed 2018-02-13).
(16) LIBER.
http://libereurope.eu/, (accessed 2018-02-13).
(17) OpenAIRE.
https://www.openaire.eu/, (accessed 2018-02-13).
(18) EGI.
https://www.egi.eu/, (accessed 2018-02-13).
(19) 村山, 林. 前掲.
(20) “FAIR Data Principles”. Force11.
https://www.force11.org/group/fairgroup/fairprinciples, (accessed 2018-02-13).
(21) “Internet of FAIR Data & Services(IFDS)”. GO FAIR.
https://www.go-fair.org/resources/internet-fair-data-services/, (accessed 2018-02-13).
(22) “European Open Science Cloud Pilot Project Kicks Off”. LIBER. 2017-01-19.
http://libereurope.eu/blog/2017/01/19/european-open-science-cloud-kicks-off/, (accessed 2018-02-13).
(23) EOSCpilot.
https://eoscpilot.eu/, (accessed 2018-02-13).
(24) “Science Demonstrators”. EOSCpilot.
https://eoscpilot.eu/science-demonstrators, (accessed 2018-02-13).
(25) “European Open Science Cloud Summit”. EC.
http://ec.europa.eu/research/index.cfm?eventcode=44D86060-FBA1-1BD1-9355822B162BB0EE&pg=events, (accessed 2018-02-13).
(26) “EOSC Declaration”. EC. 2017-10-26.
https://ec.europa.eu/research/openscience/pdf/eosc_declaration.pdf, (accessed 2018-02-13).
(27) “EOSC Declaration”. EC. 2017-10-26.
https://ec.europa.eu/research/openscience/index.cfm?pg=open-science-cloud, (accessed 2018-02-13).
(28) “List of institutions endorsing the EOSC Declaration”. EC. 2017-11-14.
https://ec.europa.eu/research/openscience/pdf/list_of_institutions_endorsing_the_eosc_declaration.pdf, (accessed 2018-02-13).
(29) European Open Science Cloud. “High Level Expert Group”. EC.
https://ec.europa.eu/research/openscience/index.cfm?pg=open-science-cloud-hleg, (accessed 2018-02-13).
(30) “Introducing the EOSC-hub project”. EGI.
https://www.egi.eu/about/newsletters/introducing-the-eosc-hub-project/, (accessed 2018-02-13).
(31) INDIGO-DataCloud.
https://www.indigo-datacloud.eu/, (accessed 2018-02-13).
(32)The wisdom of clouds. Nature. 2017, 546, p. 451.
https://www.nature.com/polopoly_fs/1.22179!/menu/main/topColumns/topLeftColumn/pdf/546451a.pdf, (accessed 2018-02-13).
(33) “2nd EOSCpilot Governance Development Forum workshop: Drafting Governance Framework and Principles of Engagement for European Open Science Cloud”. EOSC Pilot.
https://eoscpilot.eu/events/2nd-egdf-eoscpilot-governance-development-forum, (accessed 2018-02-13).
[受理:2018-02-13]
尾城孝一. 「欧州オープンサイエンスクラウド」をめぐる動向. カレントアウェアネス. 2018, (335), CA1921, p. 20-22.
http://current.ndl.go.jp/ca1921
DOI:
https://doi.org/10.11501/11062625
Trends Relating to European Open Science Cloud (EOSC)