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カレントアウェアネス
No.326 2015年12月20日
CA1859
事例報告:北米の大学における日本古典籍の電子化事業
ブリティッシュ・コロンビア大学アジア学部:鈴木紗江子(すずき さえこ)
1.はじめに
本稿は、北米の大学図書館における、日本古典籍の電子化事業の2つの事例を紹介し、その意義と問題点を述べる。古典籍という特殊な資料の電子化事業が、海外の大学で、どの様に日本文化の情報発信や日本研究支援に寄与できるのか、を模索していきたい。
2.事例の背景
舞台となる米国のワシントン大学(University of Washington:UW)と、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学(The University of British Columbia:UBC)は、共に北米北西部に位置する公立の総合大学であり、学生数や日本語資料の所蔵数等が類似してい る(表)。
表.学生数及び日本語資料数
所 在 | 全学生数(人) | 日本語図書(点) | |
ワシントン大学 | Seattle, WA. | 54,670(1) | 158,709(3) |
ブリティッシュ・ コロンビア大学 | Vancouver, BC. | 59,659(2) | 170,054(4) |
UWの日本研究の教員及び学生の多くは、アジア言語文学科か、ヘンリー・M・ジャクソン国際関係学部(以下、ジャクソンスクール)に属し、UBCの場合は、アジア学部やアジア研究所に所属している。これ以外の学部に所属し、日本関係の研究を行っている学生も 若干名いるが、正確な学生数等は不明である。日本語資料は、各図書館の分館である東アジア図書館(UW)とアジア図書館(UBC)が、所蔵・サービスを行っている。両大学図書館とも電子化作業を担当する部署であるデジタル・イニシアティブスを持ち、今回の作業も、ここで行った(5)。
3.UWのハイブリッド展示
“Take Me There : Maps and Books from Old Japan” (6)(以下、“Take Me There”)は、2014年5月1日から6月5日まで、UW図書館本館ロビーで開催された展示である。この展示は、シアトルのタテウチ財団の助成により、2010年1月に始まった日本の貴重書の目録作成事業を記念した行事の一つであり、この事業で整理された、日本近世の古典籍や古地図の一部を展示で紹介している。「実際の展示」と「バーチャル展示」の二部構成になっており、実際の展示では、古地図9点、地誌や漂流記の版本・写本5点の電子画像をほぼ原寸大に印刷したものに加え、和装本に使用する和紙や、江戸時代の旅装束の複製等も飾った。バーチャル展示としては、上記の電子画像をインターネット上で公開している。筆者は、同展示のキュレーターを務めた。
3-1.利用者と展示
UWの学内全体を見渡すと、日本語や日本学を学ぶ学生は少数派であり、多くの学生は、自分の大学が日本古典籍を所蔵することはおろか、東アジア図書館の存在すら知らないのが現状である。“Take Me There”の展示品を本ではなくあえて古地図中心にしたのは、その視覚的なインパクトによって、日本文化に馴染みの薄い利用者(特に学部生)にも、日本近世の出版・印刷文化を理解しやすいように、と意図したためである。
展示品選定にあたっては、筆者が予め選んだ資料の中から、学生数名に興味のある資料を投票してもらい、その結果を反映した。これは、図書館側からの一方的な情報の押しつけを回避し、展示を通じ、利用者側からの古典籍ヘの素朴な反響や驚き(7)を引出すのが目的であった。また、UWは州立大学として、地元の文化拠点の役割を持つため、学生のみならず日本人を含む一般市民の観覧を想定し、解説はすべて英語と日本語の併記とし、専門用語の使用を極力避けた。
3-2.ハイブリッド展示
「ハイブリッド展示」とは、実際の展示とバーチャル展示という二要素を統合することで、初めて一つの展示として成立する、という意味合いを込めて使用している。バーチャル展示は、実際の展示に準ずるものではなく、両者は同等の立場にある。“Take Me There” は、展示をハイブリッドとすることで、より効果的な啓蒙・広報活動(8)としての図書館展示ができるのではないか、という試みであった。会期中、利用者は実際の展示とバーチャルの展示を行ったり来たりして楽しむ。スマートフォンの使用者を想定し、展示の解説にQR コードを付け、“Take Me There”のウェブサイトの関係ページへ簡単にアクセスできるようにしたのも、このためである。
ハイブリッド展示(『地球万國全圖』)
ハイブリッド展示とは、具体的には次の2点を強調した展示を指す。
・日本文化受容への環境作り
前述のとおり、この展示は図書館側からの一方的な情報発信ではなく、利用者主体の日本文化の受容を目指した。このため、展示会場はできるだけ展示資料そのものの鑑賞に徹する場所にし、解説を熟読したい場合は、あとからウェブサイトでも読むことができるようにした。
・日本学関係資料と図書館の利用促進
同ウェブサイトは、バーチャル展示としての役割以外に、リサーチ・ガイドとしての働きを持つ。各展示資料のページには、参考文献として関連の研究書籍・論文・データベースの他、場合によっては関係のある時代小説なども載せた。特に、自館の所蔵資料・データベースに関しては、利用者が直ちにアクセスしやすいようOPACの固定リンクを貼り、簡単に本を予約したりデータベースの記事を読むことができるようにした。展示を契機として東アジア図書館とその所蔵資料への関心・利用を高めることが狙いである。
3-3.利用者からの反応
メールやギャラリートークで寄せられた、利用者の反応を簡単に紹介する。
第一は、展示資料を研究資料や教材に使いたいという、日本研究・地理学・都市計画といった分野の教員や大学院生からの声である。
第二は、英語教育プログラム(9)のような大学の非正規課程のスタッフや、日本人住民からの問い合わせである。UW東アジア・リソースセンターは、初等・中等教育の教員向けに、アウトリーチ事業を提供するジャクソンスクールの付属機関である。同センターでは、教員向け異文化教育研修のための演習資料として、“Take Me There”の展示パネルを、ここ2年続けて利用している(10)。
第三は、全学生の7割以上を占める学部生(11)、特に若い学生の反応である。展示品の一番人気は、『南瞻部洲萬國掌菓之圖』と、色鮮やかな錦絵の『尾張屋版江戸切絵図』である。彼らにとって『掌菓之圖』は、深遠なる仏教世界観を具現する地図というより、無国籍ファンタジー作品であり、『切絵図』は、現代東京をポップで斬新なイメージで表した作品である。つまり、古地図はアニメや漫画と同等に、「クール・ジャパン」を視覚化している図書館資料、として捉えられているのである。
『南瞻部洲萬國掌菓之圖』
3-4.電子画像化と展示:利点と問題点
展示品の電子画像化は、ハイブリッド展示だけでなく、実際の展示会場でも多様なメディアを用いる新しいタイプの展示方法が可能になる(12)。例えば、展示の関連行事では、古地図の画像をプロジェクターで大きく映し出し、地図に描かれている面積の広さを来場者に体感してもらった。また展示品の電子画像化は、古典籍を所蔵する図書館の最重要課題の一つである資料保存に貢献するのは言うまでもない。展示会場であった図書館本館ロビーは、人の往来が頻繁なオープンスペースであるが、電子画像の複製物を展示したため、原資料の現状保存と外光による資料の劣化の回避に繋がった。
しかし、展示場に飾られた複製地図では、軽く丈夫で、折り畳んで携帯しやすいといった、和紙製地図の有形文化財としての特性を伝えきれていないことは否めない。週末にギャラリートークを開催し、利用者に展示品の原資料を観てもらう機会を設けたのは、その懸念からである。日本の古典籍のように、海外の利用者にとって馴染みの薄い資料の電子展示をする場合、誤解・曲解が生じぬよう、なるべく本物の資料を間近で見せる機会や、利用者の疑問に即答できるようなギャラリートークの実施は、有効である。
4.UBCの百人一首デジタルコレクション
“One Hundred Poets Digital Collection”は、UBC現職の教授であるモストウ(Joshua S. Mostow)博士の個人コレクションの画像データベースである。コレクションは、小倉百人一首の解説書や女子往来物などの近世の版本、歌がるた、木製カルタだけではなく、近代以降に出版された、国威発揚を意図した愛国百人一首の本やカルタなど幅広い資料を含んでいる。第一期(2014年4月から2015年3月まで)の終了時点で、44点の古典籍と20セットのカルタのデジタル化画像と書誌情報が、図書館の“Digital Collections” (13)のページから検索できる。筆者は、メタデータ作成者として第一期事業より参加しており、第二期(2015年4月から2016年3月まで)では近世版本と版画を中心に、電子化・メタデータ作成作業が進められている。
“One Hundred Poets Digital Collection”
4-1.同コレクションの利用者
UWの“Take Me There”同様、“One Hundred Poets Digital Collection”は、自館による小規模電子化事業であるが、その性質は全く異なる。後者は、公益財団法人東芝国際交流財団から調査研究費の助成(14)を受けて行われていることからもわかるように、図書館のパブリック・サービスの一環ではなく、日本文学の調査研究事業としての性格が強い。また、収載資料の翻刻・翻訳文がないため、利用者は、電子画像上のくずし字を、字典などのツールなしである程度解読できる層に限定される点も、大きく異なる。
4-2.事業の管理・標準化
最初にモストウ博士がデータベースに加える対象資料を選定する。選定された資料は、まず電子化作業の担当部署に送られ、学生スタッフにより古典籍は表紙を含めた全ページが、カルタは一枚一枚がスキャンされ、各画像のファイルが作成される。原資料の状態によっては、補修部署に送られることもある。
メタデータの記述は、北米図書館における日本古典籍の目録作成の標準である“Descriptive Cataloging Guidelines for Pre-Meiji Japanese Books. Enlarged and Revised Edition 2011” (15)に準拠している。UBC図書館の規則により、アクセスポイントは、米国議会図書館(LC)の典拠ファイルにある語彙のみ使用している。
4-3.資料・教材及び研究活動の場
“One Hundred Poets Digital Collection”は、利用者に対していかなる可能性を提供するのかを、大きく二つに分けて説明する。
・研究資料・教材として
“One Hundred Poets Digital Collection”は、モストウ博士の個人コレクションを、不特定多数の多くの研究者・学生が、研究資料や教材として使用することを可能にした。特に、博士が百人一首関係コレクションを、視覚資料としてインターネット上で公開にしたことからは、和歌研究だけではなく、文学における表象文化論を研究する利用者への、資料提供を意図していることがうかがえる。
・研究活動の場として
現在も進行中の事業として、今後、大学院生が中心となり収載資料の文章の翻刻や英訳を加える可能性もあり、これが実現すると、英語圏の利用者の拡大は確実である。このことはまた、同コレクションが、研究資料・教材を提供するデータベースとしてだけではなく、学生・研究者が、収載資料の翻刻・翻訳という研究活動を実践する場、となる可能性を秘めている。
4-4.北米における古典籍のメタデータ記述の問題点
北米において、日本の古典籍のメタデータを記述する場合、一番の問題となるのは、図書館の標準と利用者のニーズとの間の齟齬である。もっとも顕著な例としては、研究者の間で通用している著者や浮世絵師の名前と、LCの典拠ファイル内の名前が一致していなかったり、名前そのものがLCの典拠ファイル内に無かったりすることが挙げられる。研究者からすれば、LCにとらわれず、国立国会図書館や国文学研究資料館の典拠ファイルもメタデータに加えることができないのか、そもそも典拠コントロールの必要性があるのかという疑問が起きる。また、非日本語圏の利用者へ向けたメタデータ独特の問題として、ローマ字記述のバリエーション、例えばヘボン式と訓令式、長音表記方法など、図書館と日本語教育とで一般的に使用される方式が一致せず、検索に支障をきたすこともある。“One Hundred Poets Digital Collection”が、図書館のデジタルコレクションの一部である以上、北米図書館のメタデータ標準に合わせることは必須であるが、利用者から見ると使いにくい理由になっていることも事実である。「より使える」データベース作成のためには、図書館と研究者との密なる連携が必要であろう。
5.おわりに
以上、UWとUBCという北米の二つの大学で行われた、性格の異なる電子化事例を紹介した。“Take Me There”が、図書館と日本文化の広報活動のための、小規模電子化事業である一方、“One Hundred Poets Digital Collection”は、人文研究の一環であり、今後、小規模電子化事業から、中規模事業に成長し、別の大規模事業と結びつく可能性を秘めている。また、前者のような事業が、大学の枠を超えて、日本学の裾野を広げる役割を持つのに対して、後者は、国際的な日本学振興・活性化の役割を担っている。
筆者は、幸いにもこの二つの事業に参加することができた。日本国外にある日本古典籍の電子化事業の意義を、カタロガー(情報専門家)であり、日本文学を学ぶ大学院生(利用者)であるという、自身の経験をもとに二つの視点から問い直す良い契機となった。海外の日本研究司書が、海外の大学図書館特有の問題点を理解した上で、利用者と密接なコミュニケーションを持ち、そのニーズを古典籍の電子化事業に確実に反映することが、国際的な視点での日本文化の伝播や日本研究の振興・支援に繋がるのではないだろうか。
謝辞
UW図書館の同僚であった、サンドラ・クロウパ(Sandra Kroupa)稀覯書担当キュレータからは、図書館展示のあり方について、田中あずさ司書からは新しいメディア利用について、有益なコメントを受けた。UBC図書館のミミ・ラム(Mimi Lam)司書は、日本の古典籍の特殊性にあわせた要求に柔軟に対応してもらった。この場を借り謝意を述べる。
(1) Office of Planning & Building, University of Washington. “Fast Facts: 2015”.
https://opb.washington.edu/sites/default/files/opb/Data/2015_Fast_Facts.pdf, (accessed 2015-09-15).
(2) University of British Columbia. “UBC Overview and Facts 2014/15”.
https://www.ubc.ca/_assets/pdf/UBC_Overview_Facts_2014-15_Web.pdf, (accessed 2015-09-15).
(3) Council on East Asian Libraries. “CEAL Statistics Data [Quick View]: Data from U.S. Academic Institutions, from 2010 to 2014”.
http://ceal.lib.ku.edu/ceal/php/quickview.php?view=libtype&type=usacad&step=1&tblview=1&from=2010&to=2014, (accessed 2015-09-15).
逐次刊行物はこの数に含まれない。
(4) Council on East Asian Libraries. “CEAL Statistics Data [Quick View]: Data from Canadian University, from 2010 to 2014”.
http://ceal.lib.ku.edu/ceal/php/quickview.php?view=libtype&type=c&step=1&tblview=1&from=2014&to=2014, (accessed 2015-09-15).
逐次刊行物はこの数に含まれない。
(5) デジタル・イニシアティブスは、電子化作業を行う部署兼プログラムとして、北米の大学図書館の多くに存在する。
“Digital Initiatives Program”. UW Libraries.
http://www.lib.washington.edu/digital/, (accessed 2015-11-05).
Digitization Centre.
http://digitize.library.ubc.ca/, (accessed 2015-11-05).
(6) Suzuki, Saeko. “Take Me There: Maps and Books from Old Japan Research Guide.”
http://guides.lib.uw.edu/c.php?g=342150&p=2302850, (accessed 2015-09-15).
(7) Greenblatt, Stephen. Resonance and Wonder. Bulletin of the American Academy of Arts and Sciences. 1990, vol. 43, no. 4, p. 11-34.
http://doi.org/10.2307/3824277, (accessed 2015-11-05).
(8) 米澤誠. 広報としての図書館展示の意義と効果的な実践方法. 情報の科学と技術. 2005, vol. 55, no. 7, p. 305-309.
(9) University of Washington. UW International & English Language Programs.
http://www.ielp.uw.edu/, (accessed 2015-09-15).
(10) East Asia Resource Center, the Henry M. Jackson School of International Studies, University of Washington. “Residential Summer Seminar in Seattle”.
https://jsis.washington.edu/earc/institutes/, (accessed 2015-09-15).
(11) 次の資料より算出。
Office of Planning & Building, University of Washington. “Fast Facts: 2015”.
https://opb.washington.edu/sites/default/files/opb/Data/2015_Fast_Facts.pdf, (accessed 2015-09-15).
(12) Bruckner, Uwe. “To Make a Book Talk-Access to Hidden or Secret Worlds, Pt. 1”. Don’t Rock the Cradle: Books in Exhibition – Mounts, Materials, and Economy. Washington, 2015-04-01/03, folger Shakespeare Library, 2015, p. 4.
(13) University of British Columbia Library. “UBC Library Digital Collections: One Hundred Poets”.
http://digitalcollections.library.ubc.ca/cdm/landingpage/collection/hundred, (accessed 2015-09-15).
(14) 東芝国際交流財団. “助成プログラム: 調査研究”.
http://www.toshibafoundation.com/jp/program-research/2015/index.html#americas, (参照 2015-08-20).
(15) Subcommittee on Japanese Rare Books, Committee on Japanese Materials, Council on East Asian Libraries. “Descriptive Cataloging Guidelines for Pre-Meiji Japanese Books. Enlarged and Revised Edition 2011”.
http://www.eastasianlib.org/cjm/jrb/japaneseRareBooksCatalogingGuidelines_2011version.pdf, (accessed 2015-08-10).
[受理:2015-11-16]
鈴木紗江子. 事例報告:北米の大学における日本古典籍の電子化事業. カレントアウェアネス. 2015, (326), CA1859, p. 2-5.
http://current.ndl.go.jp/ca1859
DOI:
http://doi.org/10.11501/9589931
Suzuki Saeko.
Case Studies: Digitization of Japanese Pre-modern Materials in Academic Libraries in North America.