CA1566 – 発展途上国における学術情報流通とオープンアクセス / 竹内比呂也

PDFファイルはこちら

カレントアウェアネス
No.285 2005.09.20

 

CA1566

 

発展途上国における学術情報流通とオープンアクセス

 

1. はじめに

 オープンアクセスの意義については様々な議論があるが,「発展途上国における学術情報流通」という観点からのものは少なくとも我が国での議論において中心的な課題とはなっていない。「発展途上国における学術情報流通」は,例えば1970年代にユネスコ(UNESCO)によって推進されたUNISISTプログラムをはじめ現在推進されている”Information for ALL(みんなのための情報)”プログラムなどにおいても,開発における科学技術の重要性とそれを支える情報基盤という観点から論じられてきた重要な問題である。また「誰もが平等に情報にアクセスできるようにする」という考え方は,これらのプログラムにおいて常にその中心的な理念として存在してきた。オープンアクセスはこの文脈においては比較的新しいアイディアではあるが,その理念には共通するものがあり,発展途上国における学術情報流通の問題がオープンアクセスと結びつけて論じられるのはきわめて自然なことであると言えよう。

 

2. 国連機関の諸活動

 現在国連が進めている世界情報社会サミット(World Summit on the Information Society;E211参照)においては,フェイズ1の「原則宣言」(2003年12月)において「我々は,あらゆる人々が,科学的知識に対して,平等な機会を持って,普遍的にアクセスできるようにし,また,学術出版の”オープンアクセス”イニシアチブを含む,科学技術情報の創造と普及の促進に努める」(1)(筆者訳)と言及され,また「行動計画」でも,「情報と知識へのアクセス」という項目のなかで「オープンアクセス誌・図書への無料あるいは支払い可能な程度の価格でのアクセスや学術情報の無料のアーカイブへのアクセスといった,アクセスを容易にするような様々なイニシアチブを促進する」(2)(筆者訳)と,具体的に「オープンアクセス」「無料アーカイブ」といった手段を明示した上で,情報や知識へのアクセスの問題について言及している。

 国連機関による学術情報流通改善の具体的な活動としては,国連食糧農業機関(FAO)によるAGRISのような,世界的な二次データベースの開発と普及が古くから行われていた。しかしながら一次情報の提供については,例えばUNESCOによって国際的な図書館相互貸借(ILL)への支援が行われてはきたものの,その規模は限定的であり,また出版者をも巻き込んだものではなかった。しかし,近年の学術情報における電子化の進展と発展途上国における情報通信技術の普及は,このような状況を変化させるに十分な環境の変化をもたらし,その結果,世界保健機関(WHO)によるHINARI(Health InterNetwork Access to Research Initiative)(3)のようなプログラムが可能となった。HINARIは,発展途上国の学術研究機関に対して,ブラックウェルをはじめとする主要な出版者の医学・保健分野の電子ジャーナルを無料あるいは大幅な割引価格で提供することによって,いわば「オープンアクセス化」を図ろうとするものである。2002年1月に主要6社のおよそ1,500タイトルの提供が開始されたが,2002年5月にはさらに22の出版者が加わり,現在では2,000以上のタイトルを提供している。各参加機関の支払額はその機関が所在する国の国民一人当たりのGNP額によって決められており,国民一人当たりのGNPが1,000ドル未満の国においては無料,1,000ドル以上3,000ドル未満の国では年間1,000ドルである。参加機関数は2004年5月現在,102か国の1,100以上となっている。このようなプログラムは,単に電子ジャーナルへのアクセスを提供するというだけではなく,各参加機関におけるインターネットへのアクセス環境の整備や必要な機器の導入の契機となっている場合もあり,発展途上国における情報基盤の強化という観点からも歓迎すべきものと言える。またFAOは,AGORA(Access to Global Online Research in Agriculture)(4)というHINARI同様のプログラムを2003年10月から実施しており,2005年7月現在,747の農学関連分野の電子ジャーナルを提供している。また,国連機関以外にも,社会科学,人文科学,ビジネスなども含むelFL.net(5)(ソロス財団による)などのプログラムが存在する。HINARIのような雑誌論文の提供とは異なるが,法学分野でも様々な国の法や判例を,発展途上国において自由にアクセスできるようにしようとする試みもなされている(6)

 

3. 発展途上国の情報発信力の強化

 HINARIのような活動は,基本的には先進国から発展途上国への情報あるいは知識の流れを促進しようとするものである。これに対して,世界で流通している学術的な情報の多くが先進国で生産されているのは事実ではあるが,先進国で生産される最先端の情報が果たして発展途上国における情報ニーズと合致するのかといった疑問や,世界的な大手出版者による電子ジャーナルの一括提供が,従来発展途上国での雑誌の発行を担い,発展途上国における情報ニーズを満たすという点で多大な貢献をしてきた中小あるいは非営利出版者に悪影響を及ぼし,これらをますます窮地に追い込むのではないかといった批判がある。

 HINARIのような取り組みと並行して,発展途上国にとって必要度の高い情報の流通を可能にするために,彼ら自身の情報発信力を強化するような取り組みもなされていることに留意する必要がある。発展途上国においてもいわゆるオープンアクセス誌の発行を促進するプロジェクトがいくつか進行しているが,その中でも規模の点などで目立っているのがブラジルのSciELO(Scientific Electronic Library Online)(7)プロジェクトである。このプロジェクトによって,ブラジルおよびラテンアメリカ諸国で発行された,主として保健分野の電子ジャーナル100誌以上へのオープンアクセスが実現している。これは1997年にブラジルの10の雑誌を対象に始められた実験を嚆矢としており,その後様々な機関の支援を受けて成長してきた。インドでは,インド学士院(Indian Academy of Science)がその刊行誌すべてをオープンアクセス化しており,インド国立科学アカデミー(Indian National Science Academy)も同様の計画を進めている。またINASP(International Network for the Availability of Scientific Publications)が実施しているPERI(Programme for the Enhancement of Research Information)(8)のように,主要な出版者との価格交渉によって電子ジャーナルへのアクセスを低価格で実現するとともに,雑誌の刊行に必要なスキルの強化などによって,ローカルな雑誌の発行を支えるプログラムも存在している(E070参照)。

 

4. おわりに

 オープンアクセス誌の場合,誰がコストを負担するのかという問題が常につきまとっている。例えばPLoS(Public Library of Science)のPLoS Biologyのように著者負担モデル(CA1543参照)を適用している場合には,たとえそれが発展途上国の読者にとっては利用しやすいオープンアクセス誌であったとしても,発展途上国の著者にとっては投稿料の高さゆえに投稿を躊躇せざるを得ない場合もあり,結果的に発展途上国の読者にとって必要な情報を流通させるための媒体とはなり得ない。オープンアクセスを実現する方法としては,オープンアクセス誌のほかに機関リポジトリのようなオープンアクセスアーカイブを構築する方法もあり得る。現時点では,HINARIやSciELOのようなプロジェクトがどのようなインパクトを与えているかについての評価はまだ行われていないが,そのような評価やコストモデル,アクセシビリティの比較などを通じて,発展途上国にとって,情報を伝達するためのメカニズムとしてどのシステムが最も合理性を持ち,著者および読者に受け入れられやすいかを検討することが目下求められているように思われる。

千葉大学文学部:竹内 比呂也(たけうち ひろや)

 

(1) World Summit on the Information Society. “Declaration of principles”. (online), available from < http://www.itu.int/wsis/docs/geneva/official/dop.html >, (accessed 2005-07-13)(基本宣言:http://www.soumu.go.jp/wsis-ambassador/pdf/wsis_declaration_jp.pdf(仮訳)).

(2) World Summit on the Information Society. “Plan of action”. (online), available from < http://www.itu.int/wsis/docs/geneva/official/poa.html >, (accessed 2005-07-13)(行動計画:http://www.soumu.go.jp/wsis-ambassador/pdf/wsis_plan_jp.pdf(仮訳)).

(3) Health Internetwork. (online), available from < http://www.healthinternetwork.org/ >, (accessed 2005-07-13).

(4) FAO. AGORA. (online), available from < http://www.aginternetwork.org/en/ >, (accessed 2005-07-13).

(5) elFL.net. (online), available from < http://www.eifl.net/ >, (accessed 2005-07-13).

(6) Poulin, Daniel. Open access to law in developing countries. First Monday. 9(12), 2004. (online), available from < http://firstmonday.org/issues/issue9_12/poulin/index.html >, (accessed 2005-07-13).

(7) SciELO. (online), available from < http://www.scielo.org/index.php?lang=en >, (accessed 2005-07-13).

(8) International Network for the Availability of Scientific Publications(INASP). PERI. (online), available from < http://www.inasp.info/peri/index.shtml >, (accessed 2005-07-13).

 

Ref.

竹内比呂也.ユネスコが進める図書館・情報サービスの基盤整備. 国際交流. (103), 2004, 35-38.
Chan, Leslie et al. Participation in the global knowledge commons: challenges and opportunities for research dissemination in developing countries. New Library World. 106(1210/1211), 2005, 141-163.
Ramachandran, P. V. et al. Open access publishing in the developing world: making a difference. Journal of Orthopaedics. 1(1), 2004. (online) available from < http://www.jortho.org/2004/1/1/e1/index.htm >, (accessed 2005-07-13).
John, Binu V. Affordability of medical journal subscriptions in developing countries. The Lancet. 363(9417), 2004, 1325-1326.

 


竹内 比呂也. 発展途上国における学術情報流通とオープンアクセス. カレントアウェアネス. 2005, (285), p.7-8.
http://current.ndl.go.jp/ca1566