カレントアウェアネス
No.347 2021年03月20日
CA1993
米国における占領期日本の写真資料をどう捉えるのか:
現状・全体像・日本への還元における課題
早稲田大学社会科学総合学術院:佐藤洋一(さとうよういち)
本稿は、占領期(1945年から1952年)日本の都市空間を記録した写真を米国で調査収集してきた筆者の経験を通した知見を以下の4点から示すものである。
- ①米国調査での様々な占領期の写真資料との出会い(1章)
- ②なぜ調査するのか(2章)
米国所在の写真資料を調査・収集する必要性 - ③全体像をどう捉えるのか(3章)
占領期写真のタイプとバリエーション - ④還元とはどういうことか(4章)
どこになにをどのように戻せばいいのか
1. 米国調査での様々な占領期の写真資料との出会い
1990年代半ば、当時都市史を専攻する建築系の大学院生であった筆者は「占領期東京の都市空間の実態」を調査することを研究課題としていた。占領期の都市空間を特徴付けている占領軍の接収していた区域や施設の全貌を把握すべく、国立国会図書館憲政資料室をはじめ、大蔵省関東財務局などで調査をしたが、占領期の接収地について体系的な情報を得られる資料を探し当てられなかった。その後、米国国立公文書館(1)に原資料があると思われること、さらに占領期の写真資料が米国に多数所蔵されていることをいくつかの書籍(2)から知り、米国へ赴くことにした。
1.1. シグナルフォトの調査
1996年から1997年の二年の間に計3回、約100日間費やして米国国立公文書館にて調査を行った。接収地について体系的にまとめた資料は発見できずにいたが、米軍が接収した東京各所の土地や建物の写真を多数確認できたため、可能な限りの検索を行い、写真画像を複写撮影して収集した。この時の調査対象は米軍のオフィシャル写真の中でも陸軍通信隊(Signal Corps)によるシグナルフォトといわれる写真(3)であった。ここでの収集画像をもとに 2006 年に書籍(4)を刊行した。
1.2. そのほかのオフィシャル写真の調査
同書を出版したのち、出版、放送などさまざまなメディアから画像データの提供を求められた。社会的に需要があり、かつ米国においてはパブリックドメインとなっている画像データを一個人の研究者が営利企業へわざわざ提供していることが奇妙に思われた。この現象の背後には後述する構造的な問題があることを認識し、さらなる調査の必要性と可能性を感じた。2014年より、海軍や陸軍航空軍など前節の調査で未着手であった米軍の他のオフィシャル写真について調査を再開し、収集した写真を編集し、写真集を2015年に刊行した(5)。
1.3. パーソナル写真の調査
オフィシャル写真の調査を継続中の2016年に、占領期の日本に滞在していたある鳥類学者(6)の写真を SNS経由で知ったことから、東京・昭和館で 2018 年に開催された写真展示の実施に関わることになった(7)。その間、米国各地にあるパーソナル写真の情報を得て、前節までで見てきたオフィシャル写真との後述するような違いを知ったことで、パーソナル写真はそもそもの研究課題であった「占領期東京の都市空間の実態」を考える上で有益であると気づくに至った。2018年10月より所属する大学の特別研究期間を得たことから、約9か月間米国各地に所在するパーソナル写真のコレクションを調査した。35の機関を訪問し、156のコレクションを実見し、約9万ショットの複写撮影をした。
2. なぜ調査するのか:その必要性と課題
このように、筆者は「占領期東京の都市空間の実態」という課題についての資料が日本にはないために、米国に行き、写真を収集してきた。一方で、「日本の資料が日本にないという構造的な問題」に研究上の問いとして向き合わざるを得なくなった。占領史研究の第一人者として、また、占領期のカストリ雑誌の収集家としても知られる福島鑄郎は、占領終結から20年が経過した1972年にこう書いている。
「あの戦災の跡をつぶさに撮影した写真集は、今日ほとんど姿を見ない。しかも関東大震災直後のように記録された形跡は何も見あたらない。かろうじて散見するそれらの写真は、いずれもが当時占領軍から公式発表されたものばかりである」(8)
同じ本の中で福島は、戦災や空襲についてのニュースは、占領期には管制が敷かれたため、報じられなかったことを指摘し、その影響は戦後長らく戦災や空襲について振り返る報道がなされなかったことに及んでいると指摘している(9)。実際、福島はこの二年後の 1974年、占領期に検閲目的で集められた国内出版物を多数所蔵することで知られる米・メリーランド大学のプランゲ文庫へ日本人としては最も早い段階に訪問し、資料調査を行なっている(10)。
筆者が米国に行かねばならないと考えた根本の理由は、上述のように日本に資料がなかったことであり、筆者も基本的にはこの福島の認識を共有している。占領下において同時代的な記録が管制下におかれたことは、情報の不均衡をもたらし、それを構造化させているという認識である。筆者は、福島の指摘から半世紀経過した今も我々は同じ構造のままの情報空間にいると考えている。本稿の最後でも指摘する通り、写真を何らかの形で「里帰り」させたいという筆者の考えは「情報の不均衡」という状況認識に起因している。
むろんこの約半世紀の間には、数多の研究者がさまざまな形で米国での調査を行ってきた。したがって資料に対する視点も深化、拡大し、変化してきた。例えば福島と同じ占領史研究の第一世代の一人であった天川晃は2003年の座談会で以下のように発言している。
「我々がやっていた時期は、新資料発見というか、資料が目新しく紹介する意味があった。これからはそれをどういうフレームワークで見ていくかというのが大事なのではないでしょうか。資料本位、資料漁りだけでは研究は続かないのではないのかなと個人的には思っています。それをどういう観点で見ていくのかというのが大事かなと思う。資料だけではどこかで行き詰まると思う」(11)
これは写真資料に関しても同じことが言える。情報が不均衡な状態では、どのような写真があっても「目新しい」ものになるし、それを提供することで有り難がられるため、研究者はまずは資料を漁ることに焦点を合わせる。そうしたメディア環境の中で本や雑誌が作られてきた面があるだろう。実際に筆者の最初の著作はそのような考えを多分に含むものであった。
しかし研究や調査が進んでわかったことは、1章で述べたように、筆者が想像していた以上に多様な写真が存在していることであった。にもかかわらず、米国にある写真の全体像を捉え、個別の写真を批判的に捉える視座を持てなければ、研究者もメディアも「目新しい」イメージを提供し、評価し合うという相互依存的な構造からいつまでも脱却できないだろう。その構造の中にとどまる限り、いま目の前で見ている写真が、どのような社会的性格をもった写真なのかという、より正確な判断を停止させてしまいはしないだろうか。
例えていえば、「占領期日本で撮られた写真」という〈種〉総体の特徴を捉えようとしないかぎり、それぞれの〈個体〉である一つ一つの写真やコレクションの意味や価値を吟味できないということである。
以上をまとめると、課題は以下の3点になるだろう。①占領期における情報の不均衡がもたらした構造的な問題から、米国所在の写真資料を調査・収集する必要性は消えず、したがってそれは継続的に行わねばならない。②その際には「占領期日本で撮られた写真」という〈種〉総体の特徴を捉えること。③その上で、個別の写真コレクションや写真の意味や価値を相対的に捉えようとすること、であろう。
3. 全体像をどう捉えるのか:タイプとバリエーション
このような課題は米国に所在する占領期の写真資料のアーカイブを形成しようとするときには、いかにしてタイプが異なる写真をバリエーション豊かに集めることができるか、という問いになる。ではそのタイプやバリエーションをどう考えればいいのだろうか。
3.1. 3つのタイプ
占領期の写真資料の基本タイプとして、オフィシャル写真、プレス写真、パーソナル写真という分け方は有効である。どの分類に属するのかによって自ずと写真の読み解き方が変わるだろう。
①オフィシャル写真
オフィシャル写真とは、ある一貫した意図をもって、撮影され、選別され、保管される写真群であり、概ね公費によって賄われるものである。オフィシャル写真とは本質的に公的な写真アーカイブを形成する契機を含んでいる。
たとえば多くの日本人研究者がこれまで調査してきたシグナルフォトは、撮影時もオフィシャル写真として撮影されるが、コレクションの形成プロセスの中で選別された写真のみによって、オフィシャルコレクションが形作られていく。つまり撮影された写真が全て最終的なコレクションを構成しているわけではない。この過程についてはすでに別稿で明らかにした通りで(12)、最終的に米国国立公文書館にコレクションされるのは何段階かのスクリーニングを経た写真である。
したがってオフィシャル写真のコレクションとして現在提供されているものは狭義のもので、広義にいえばスクリーニングの過程で除外され、結果的にオフィシャルコレクションに入らなかったカットがある。
また、後述するパーソナル写真の中にオフィシャル写真が混在した写真コレクションを見出すことができる。該当するのは軍人のコレクションであったが、パーソナル写真とオフィシャル写真とが混ざり合ってアルバムが構成され、そこにはオフィシャル写真として撮影されたが、オフィシャルコレクションとされなかった広義のオフィシャル写真も含まれている(13)。
このように、米軍内でのオフィシャル写真は、プロパガンダ的に全世界に発信された広報写真から軍隊内部でのスポーツ行事の記録写真まで、極めて広い範囲をカバーしている。また降伏文書の調印式のような象徴的なイベント写真は様々なコレクションの中に見出され、こうした写真は軍内部で公的に広く配布されたのだろうが、一方で軍人は焼き増したカットを入手することもでき、例えば取材撮影された写真なども、個人的にプリントを申し込むことが可能であった。
デジタル化や収集の問題との関わりでいえば、こうした選別の過程が読み取れるのは写真の裏面の情報である(図1)。コレクションが選別を経てより高次な段階に上がるにつれ、新たなID番号が付されていく過程を垣間見ることができる。
図1 シグナルフォト裏面の例。タイプの1行目の左側の数字(1-3403-2)は、下位部隊で付された番号。その右の番号(FEC-52-13454)は上位組織である極東軍で付された番号。さらに手書きの番号(SC-399131)も含めると、3回IDが振られていることがわかる。
所蔵:米国国立公文書館 111SC-399131
②プレス写真
プレス写真とは報道機関で撮影され、その後ストックされた写真をさす。各新聞社、通信社のクレジットがあることから、コレクションとしてそのまま当該会社が管理していたり、現状ではウェブ上のコレクションに移行しているものもある(14)。また、すでに廃業した報道機関のコレクションが、そのまま図書館などに移管されている例も実見した(15)。
実際に触れることがあった戦時体制下の写真の例でいうと、報道機関から撮影を請け負ったカメラマンが同時に米軍のオフィシャル撮影の仕事をする場合もあり、その場合は米軍の情報政策上、オフィシャル写真と一括して管理をしていた面もあるようだ(16)。オフィシャル写真との境目が曖昧なことは次の例からも推測できる。空襲を受けた東京の写真として頻繁に使われるこの空撮写真(写真1)は米国国立公文書館のオフィシャルコレクションとなっているものの、元来のクレジットは米国の著名なグラフ雑誌で戦争遂行にも積極的に協力していたLife誌で、プレス写真であった。
プレス写真の使用に関しては、例えばLife誌関連の写真アーカイブは現在、米国の写真販売代理店Getty Imagesが版権を所有し、通常利用では使用料が課されるために、パブリックドメインのオフィシャル写真と同様に扱うことは難しいのが現状である。
写真1 最も早い段階(Life 1945年9月10日号)で報じられた東京の空撮写真は、Lifeのクレジットがあるが、オフィシャル写真として扱われている。
所蔵:米国国立公文書館 342-FH-3A-3910
③パーソナル写真
パーソナル写真のうち、筆者が調査したものの多くは、所有者から大学図書館等に寄贈されたもので、一部の大学図書館では古書市場で購入したものもあった(17)。パーソナル写真は撮影者によって撮影の動機が異なる。そこに写されたイメージは観光写真から軍事行動や軍務の傍らで撮影していたもの、研究者の専門的な視点によるものまで非常に幅広い。
大学図書館に寄贈されるものの中で特徴的なものは、当該大学の研究者によるコレクションで、これは一定の割合で存在するといえそうである。特に人類学・地理学などフィールドワークをベースにした専門研究者によるコレクションは一定の視点で撮られたものが多く、高い資料的な価値を持つものも多い(18)。
また軍務に従事していたカメラマンのコレクションも注目に値するもので、上述したオフィシャルコレクションに含まれなかったオフィシャル写真や彼らが個人的に撮影していたものも含まれている(19)。
パーソナル写真のコレクションにある程度の割合で存在するのは観光写真や家族写真である。オフィシャル写真においては撮影のコードやスクリーニングで取り除かれる「雑多なもの」が見られる。このような写真は、占領期のオルタナティブなイメージを得ることができ、オフィシャルなイメージ形成を相対化する契機になる。本稿で繰り返し触れている情報の不均衡という構造的問題に気づくための資料としても重要な位置にあるだろう。
3.2. バリエーションを考える4つのポイント
写真それ自体は厚みのないフラットなものだが、そこに含まれる意味は多層的である。写真のバリエーションとは、表層的な「見え方」にとどまらず、写真の意味の多層性を認識した上で立ち現れるものでもあるだろう(図2)。
図2 写真資料のもつ記録の多層性(筆者作成)
通常我々は写真を見る際に、フレーム内に写されたものにあれこれと照準を合わせるものである。フレーム内に写る撮影時における空間的な事物や現象が2次元的に記録される。ここではこれを「時空間記録」と呼ぶ。
しかし一方で、そもそも写真のフレームは撮影者がいることで確定され、生み出されたものでもある。したがって写真とは、同時に撮影者の行為の記録でもある。この水準を「行為記録」と呼ぶ(20)。
また、その写真はどのようなメディア(フィルムかデジタルか、あるいはカラーかモノクロかなど)で撮影され、どのような鑑賞の媒体(プリントかデータかなど)に収められたのかという「メディア記録」という情報も含まれる。
さらにいえば、写真は、撮影され鑑賞の媒体に現前化されてから、どのように扱われて(アルバムに収められたのか、封筒に入ったままだったのかなど)、どのような経緯で鑑賞者の眼前にあるのかという「経緯記録」も含まれている。
この認識を前提にすると、写真のバリエーションとは、単に写された空間や事物のバリエーションのみならず、撮影行為自体のバリエーション(空撮、鉄道車内からの撮影、俯瞰撮影……)であったり、メディアとしてのバリエーション(カラースライド、大判フィルム……)、経緯のバリエーション(アルバム化されたもの、そのまま封筒に入っているもの、中古書店で入手したもの……)というように多彩な様相を帯びることになる。
4. 還元とはどういうことか:その具体案
情報の不均衡という構造的な問題を踏まえると、日本に写真を還元しようとする場合の指針をどう考えればいいのか。図3にこれまでの日本への占領期写真の還元のパターンを3つのタイプごとに示した。
本稿では取り組むべきと思われる4つのプランを提示しておきたい。なお、ここでいう還元とは、資料そのものの所蔵を指すのではなく、写真のデジタルデータを日本で共有することを指す。
図3 米国に所在する写真の還元パターン(21)
4.1. 戦後の写真の〈種〉を知ること=占領期写真アーカイブという理念モデル
すでに述べたとおり、「占領期日本で撮られた写真」という〈種〉総体の特徴を知るためには、可能な限り、多様なタイプとバリエーションの写真を並存させる空間をつくることが必要である。この取り組みは、必然的に「占領期写真アーカイブ」の構築を目指すことを意味している。この構想をここでは収集の方針、整理の方向性などを議論するために構想する理念モデルとして捉えている。どのような実体化を考えるのかが課題であり、具体的には4.3.で述べる地域レベルでの取り組みが暫定的で具体的な解答である。
4.2. 研究者が収集したパブリックドメイン写真の集約・公開
米国国立公文書館の所蔵写真をはじめとするパブリックドメインのオフィシャル写真は、これまで多くの研究者によって調査され、データ化され、日本に持ち帰られている。権利上の制約が少ない研究者が所有するパブリックドメインの写真データを再収集し、オープンデータ化して、活用できる統合的な仕組みは考えられないだろうか。国立公文書館やすでに日本占領期関係資料を所蔵している国立国会図書館に公的かつ永続的なプラットフォームが設置できれば、提供する研究者側の抵抗感も少ないのではないかと考えられる。
4.3. 地域資源として地域へ戻すローカルな取り組み
地域資源として地域へ戻すローカルな取り組みは地域版の占領期写真アーカイブである。その地域で撮られた写真を地域へと戻し、地域資源として活用できないかというアイデアである。図3で示した通り、従来の写真の還元は、ある単一のコレクションをベースにしたものであったが、ここではできる限り、写真のタイプやバリエーションの幅を保ちながら還元していくことを想定している。複数のコレクションをまたいで写真をキュレーションし、地域資源として活用していく。地域の記憶を確認し、継承することが写真の持つ大きな役割である。写真をどう集めるのかとともに、どのように見せる場をデザインするのかも重要になる(22)。
4.4. 個別的な還元
写真に写った場所や人物を同定する作業は、写真活用の基礎的作業である。この過程で当事者に写真の内容や関連事項を確認することは、調査者のみならず、当事者にとっても貴重な経験となる。これは個別的に写真を還元することになるが、写真を介して、被写体、その時代、あるいは撮影者についてなど、さまざまな言葉を得ることができるだろう。こうした試みは筆者自身も含め個別的に行われているが、事例を整理収集し、共有していくことも還元を考える上では重要な課題の一つである。
終わりに:写真のデジタル化とは何か
ここまで述べてきた写真のもつ意味の多層性は、写真のデジタル化のあり方に対しても一つの問いを投げかける。すなわち、写真のデジタル化とはイメージのデジタル化のことなのだろうか。それ以外の要素をどのようにデジタル化しうるのかということである。
もし紙にプリントされたシグナルフォトのイメージ面のみをデジタル化するのであれば、上記の「時空間記録」は伝えられるかもしれないが、「経緯記録」、すなわちどのような経緯を経てコレクションが形成されたのかといった情報は置き去りにされてしまう。また、米国で実見することが多かった占領期のカラースライドもマウント(外枠)部分にあるフィルムメーカーの製品ロゴがあることで、撮影時期を推定することもできる。
つまり望まれる取り扱いを一言でいうならば、写真をイメージとしてのみ扱わないということになる。ここで示したような多様な意味は、あくまでも写真を史料として捉えることで伝えられることである。写真を単なるイメージデータとして扱うことは、上述の多層的な記録の層を失わせる(23)。
こうした多層的な情報は、現物の写真に含まれるものであり、米国にある写真をデジタル化して還元する場合には留意すべきことである。
※本稿はJSPS科研費JP18K11999の助成を受けた研究による成果です。
(1) 実際の所蔵場所はメリーランド州の米国国立公文書館カレッジパーク新館である。
(2) 佐久田繁. 東京占領 (太平洋戦争写真史). 月刊沖縄社, 1979, 654p.
福島鑄郎. GHQ東京占領地図. 雄松堂出版, 1987, 129, 107p.
には、出典情報の詳細が記載されていないものの米国所在として写真が多数紹介されている。
(3) シグナルフォトは、米国国立公文書館カレッジパーク新館4階の写真フロアのカード目録で検索できることもあり、おそらくもっとも多く参照されている写真コレクションだと思われる。
(4) 佐藤洋一. 図説占領下の東京1945-1952. 河出書房新社, 2006, 143p., (ふくろうの本).
(5) 上記のシグナルフォトのほか、筆者が主に調査したコレクションは海軍、陸軍航空軍(のちの空軍)、戦略爆撃調査団であり、日本でも比較的よく知られているものだと思われる。これらをもとに以下の写真集を出版した。
佐藤洋一. 米軍が見た東京1945秋:終わりの風景、はじまりの風景. 洋泉社, 2015, 223p.
(6) オースティン(Oliver L. Austin Jr.)は、1946年に初来日し、一時帰国などをはさんで1950年まで滞在した。写真コレクションは米・フロリダ州立大学に所蔵されている。同コレクションのウェブサイトは以下の通り。
The Oliver L. Austin Photographic Collection.
https://austin.as.fsu.edu/, (accessed 2021-01-04).
(7) 同展は2018年3月10日から5月6日まで開催された。
“特別企画展 希望を追いかけて~フロリダ州立大学所蔵写真展~”. 昭和館.
https://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/past/past180310.html, (参照 2021-01-04).
オースティンのコレクションの調査に関しては、インディペンデントな有志によって行われており、その活動を以下の通り発表している。
佐藤洋一. インディペンデントで自発的な調査体 : 鳥類学者オリヴァー・L・オースティンコレクションの写真調査. デジタルアーカイブ学会誌. 2020, 4(s1), p. 5-8.
https://doi.org/10.24506/jsda.4.s1_s5, (参照 2021-01-04).
(8) 福島鑄郎. 戦後雑誌発掘―焦土時代の精神. 日本エディタースクール出版部, 1972, p. 124., (エディター叢書, 5).
(9) 前掲. p. 123-125.
(10) 座談会・占領期研究の蓄積を再検証する. インテリジェンス. 2003, (3), p. 14.
(11) 前掲. p. 19.
(12) 佐藤洋一. 特集, 貫戦期のヴィジュアルメディア : 極東軍司令部文書からみたオフィシャル写真の形成 ―1951−52年を対象として. インテリジェンス. 2020, (20), p. 86-100.
(13) 例えば、第8軍司令官であったRobert L. Eichelberger Papers (米・デューク大学ルビンシュタイン図書館所蔵)、GHQ天然資源局長だったHubert Gregory Schenck Papers(米・スタンフォード大学フーヴァー研究所 ライブラリ&アーカイブス所蔵)、米海軍横須賀基地司令官だったBenton W. Decker Albums(米・スタンフォード大学グリーン図書館所蔵)など、高位に位置した人物のコレクションは両者が混在しているのが通例である。コレクションには軍や組織内部での贈答アルバム、あるいは関係する日本人から寄贈されたアルバムが含まれていることも多い。それぞれのコレクションについては以下のウェブサイトを参照のこと。
“Robert L. Eichelberger papers, 1728-1998, bulk 1942-1949”. Duke University Libraries.
https://archives.lib.duke.edu/catalog/eichel, (accessed 2021-01-19).
“Preliminary Inventory to the Hubert Gregory Schenck papers”. Online Archive California.
https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/tf538nb0b5/, (accessed 2021-01-19).
“Guide to the Benton W. Decker Albums , ca. 1900-1972”. Online Archive California.
https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/tf9v19p0nb/, (accessed 2021-01-19).
(14) 例えばLife誌のフォトアーカイブは現在Google によって提供されている。
LIFE photo archive hosed by Google.
http://images.google.com/hosted/life, (accessed 2021-01-04).
(15) コレクションの例として管見では、“Hearst Corporation Los Angeles Examiner photographs, negatives and clippings”(米・南カリフォルニア大学東アジア図書館所蔵)や“New York World-Telegram and Sun Collection”(米国議会図書館所蔵)がある。
“Hearst Corporation Los Angeles Examiner photographs, negatives and clippings”. Online Archive California.
https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/c8w37tqm/, (accessed 2021-01-24).
“New York World-Telegram and Sun Collection”. The Library of Congress.
https://www.loc.gov/rr/print/coll/130_nyw.html, (accessed 2021-01-24).
(16) 特に占領の最初期の写真撮影は陸軍や陸軍航空軍のオフィシャルカメラマンとプレス系のカメラマンが合同で撮影ツアーをしている例もあり、この点は今後の調査課題である。
(17) 例えば、米・カリフォルニア大学サンタバーバラ校デヴィッドソン図書館では、パーソナル写真を中心としたアルバムを多数所蔵しているが、その多くが古書商から購入したものであった。同様の経緯を持つアルバムは、米・カリフォルニア大学アーバイン校でも実見した。
(18) 研究者関係のコレクションでは、すでにデジタル化されたデータがウェブ上で公開されているものには、前出注(6)のオースティンのほか、社会学者のJohn W. Bennett Collection(米・オハイオ州立大学トンプソン図書館貴重書室所蔵)、美術史学者のLennox and Catherine Tierney Photograph Collection(米・ユタ大学マリオット図書館)がある。ほかにも人類学者のRichard K. Beardsley photograph series(米・ミシガン大学ベントレー歴史図書館所蔵)、地理学者のShannon McCune Papers(米・南カリフォルニア大学東アジア図書館所蔵)などのコレクションもある。
“John W. Bennett Collection”. Ohio State University Libraries.
https://library.osu.edu/site/japanese/2005/04/08/john-w-bennett-digital-collection/, (accessed 2021-01-24).
“Lennox and Catherine Tierney Photograph Collection”. Utah University Libraries.
https://collections.lib.utah.edu/search?facet_setname_s=uum_lctpc, (accessed 2021-01-24).
“Richard K. Beardsley papers”. University of Michigan Libraries.
https://quod.lib.umich.edu/b/bhlead/umich-bhl-8569?view=text, (accessed 2021-01-24).
“Shannon McCune Papers. ” Online Archive California.
https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/c89z9b9j/, (accessed 2021-01-24).
(19) 軍のカメラマンのパーソナルコレクションとしては、Vingoe Collection(マッカーサー記念館)、A. Laflamme photograph collection(米国陸軍遺産・教育センター)、Robert B. Stinnett misc papers(米・スタンフォード大学フーヴァー研究所 ライブラリ&アーカイブス所蔵)などがある。
“Robert B. Stinnett miscellaneous papers” Online Archive California.
https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/kt3c603258/, (accessed 2021-01-24).
(20) 占領期写真がどのようなまなざしで撮影されたのかに関しては、以下の別稿で整理を試みているので、参照いただきたい。
佐藤洋一. “占領期写真におけるさまざまなまなざし”. 占領期の都市空間を考える. 水声社, 2020, p. 15-41., (大手前大学比較文化研究叢書, 16).
(21) 図3の初出は、以下のとおり。
佐藤洋一. 写真の里帰り : 米国所在の戦後日本の写真を地域へ還元するプロセスとその課題. デジタルアーカイブ学会誌. 2020, 4(2), p. 120-123.
https://doi.org/10.24506/jsda.4.2_120, (参照 2021-01-04).
(22) 地域資源としての活用をめぐる具体的な試みを以下で論じた。
佐藤洋一, 衣川太一. 占領期写真の複合的活用に関する試み 一九四五年東京・銀座のケーススタディ. 昭和のくらし研究. [2021], (19), 受理済・印刷中.
この論考では東京・銀座における占領初期の都市空間を、1945年に撮影された写真を対象に分析復元を行なった。また2021年夏に京都で撮影された占領期のカラー写真を中心とした展示を京都文化博物館で開催する予定である。
(23) 写真を資料として扱う場合は当然、原資料の所蔵情報を明記するのが原則であるが、1980年代までの写真を中心に扱った本は、情報表記が極めて不十分であった。この状況は改善してきてはいるものの、2020年に出された以下の書籍は出典所蔵情報の表記が不十分であり、その取り組みの新しさとは裏腹に、資料の扱い方はむしろ時代に逆行していることを指摘しておきたい。
庭田杏珠, 渡邉英徳. AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争. 光文社, 2020, 472p., (光文社新書, 1074).
[受理:2021-02-08]
佐藤洋一. 米国における占領期日本の写真資料をどう捉えるのか:現状・全体像・日本への還元における課題. カレントアウェアネス. 2021, (347), CA1993, p. 10-16.
https://current.ndl.go.jp/ca1993
DOI:
https://doi.org/10.11501/11648994
Sato Yoichi
Photographic Materials of Occupied Japan in the United States
—Their Current Status, Overall Condition, and Issues in Returning Them to Japan