CA1805 – ポーランドとその過去 ―国民記憶院の活動― / 梶さやか

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カレントアウェアネス
No.318 2013年12月20日

 

CA1805

 

 

ポーランドとその過去
―国民記憶院の活動―

 

岩手大学人文社会科学部:梶さやか(かじさやか)

 

 「国民記憶院―ポーランド国民に対する犯罪追及委員会」(Instytut Pamięci Narodowej –Komisja Ścigania Zbrodni przeciwko Narodowi Polskiemu、以下IPN)は、ヨーロッパの旧社会主義国の多くに見られる、社会主義時代の公安・秘密警察組織の文書を保管する国家機関の一つであるが、他国の類似機関と異なる機能も有する。

 IPNの活動を述べる前に若干ポーランド現代史に触れておきたい。ポーランドは1939年9月の第二次世界大戦勃発時に西部をナチス・ドイツに、東部をソビエト連邦に占領され、その後独ソ戦の開始とともに全土をナチス・ドイツに占領された。人口の約一割を占めていたユダヤ系国民の多くがホロコーストで命を落としたほか、ポーランド系国民もナチスによる強制移住や徴用、収容所への移送、殺害などの対象となった。大戦終結時にソ連軍によって解放されたポーランドは、両大戦間期の領土東部のソ連への割譲をやむなくし、その代償として敗戦国ドイツの東部領を獲得した。一方で、両大戦間期までの民族的に多様なポーランドは、ナチス占領下でのホロコーストや、戦後の民族的な基準に基づく住民の強制移住によって、民族的に均質な「ポーランド人の国家」へと生まれ変わった。東西冷戦構造の中で東側陣営に組み込まれたポーランドでは、1989年の民主化まで政治的タブーや文書の非公開による歴史の空白が存在していた。

 1998年12月の法律に基づいて創設されたIPNの任務は、(1)社会主義時代に国家公安組織によって作成された文書の収集と管理、(2)ナチス・ドイツと共産主義による犯罪の捜査・訴追、(3)上記にまつわる教育・啓発活動、そして2007年に別の機関から引き継いだ(4)公職等就任者の前歴調査である。ワルシャワに本部、国内主要都市に支部を置く。歴代の総裁には法学者や歴史学者が就任し、法律家や歴史学者、アーキヴィストなどの専門家がIPNに所属している。

 IPNは任務に対応した四部門から成る。その第一は「ポーランド国民に対する犯罪追及中央委員会」で、ナチス・ドイツの侵攻から社会主義時代にかけてポーランド民族及び非ポーランド系ポーランド国民に対してなされた、ナチス・ドイツと共産主義による犯罪、人道に対する犯罪や戦争犯罪などを捜査する。この部門は同時に検察庁の一部門を構成し、調査のみならず刑事裁判上の訴追機能をも有する。1945年に創設された前身機関は第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる犯罪の捜査・訴追を目的としていたが、1991年の組織改編で共産主義(ソ連及び社会主義時代のポーランド)による犯罪もその対象に加えられた。社会主義時代最大のタブーの一つであるカチンの森事件で有名な、第二次世界大戦中のソ連によるポーランド軍将校等の虐殺は刑事事件としても捜査されている。

 第二の部門は「資料公開・保管局」で、先述の犯罪に関する文書や公安組織が作成した文書の収集・整理・保存・調査・公開を行う。社会主義時代の公安組織の文書はIPN創設後同機関に移された。公安組織がときに秘密協力者から情報を得て作成した、当時のポーランドの人々についての個人情報をも含む膨大なファイルやその他の公文書が保管されている。ジャーナリストや研究者は、私的な暴露や個人攻撃には用いず、報道または学術目的のみに利用するという了解の下、利用目的を特定したうえで、具体的な文書の閲覧を請求し、それが許可されれば利用することができる。公安やその協力者によって監視・密告等された者も自分に関するファイルを閲覧できる。家族、恋人、友人など非常に近しい人によって密告されていたことを知り、深い精神的衝撃を受けることもある。近年、目録や利用頻度の高い資料のデジタル化が進められ、各支部で閲覧できるほか、インターネット上で公開されている資料もある。2013年7月末現在で1,700万弱あるファイルのうち、244,253点の資料がデジタル化されている(1)

 第三の部門は学術調査・歴史教育・出版の各課から成る「公共教育局」である。そのうち学術調査課は、必要に応じて国内外の研究者と協力しながら、社会主義時代の問題を中心に、第二次世界大戦中のポーランドにおけるユダヤ人虐殺やナチス・ドイツとソ連による占領の問題について研究を行う。また、虐殺場所の特定や遺体の身元特定などの発掘調査も担当する。昨年から今年にかけても、1944-56年に起きた、ポーランド国内軍(略称AK。第二次世界大戦中に作られた地下武装抵抗組織)将校などの虐殺場所に関する調査が行われた。歴史教育課は、生徒・学生や教師などを中心に、国内のみならず、在外ポーランド人社会に対しても、セミナー・講演会・ワークショップの開催や歴史教材の提供などを通じてポーランド現代史に関する知識の普及に従事する。メディアや博物館、自治体、退役兵団体などと連携することもある。国内外を巡回する企画展示は中心的活動の一つで、10年間で220回以上を数える(2)。2009年には、ナチス・ドイツとソ連による侵攻70周年と、社会主義体制から民主主義体制への転換20周年を記念した様々な行事が行われた。歴史教育や広報活動には、ナチズムと共産主義をともに全体主義と位置付け、第二次世界大戦と戦後の共産主義体制の双方を批判する、西欧や旧ソ連・ロシアとは異なる歴史観が貫かれている。社会主義時代を知らない世代が増えている現在、IPNのなかで同局の活動の重要性が増してきているという(3)

 IPN第四の部門は「前歴調査局」である。現在のポーランドでは、一定の公職や公的影響力を持つ職務に就く者は、社会主義時代に公安組織に勤務・協力したか否かについてIPNに自己申告することが法律で定められている。IPNは申告された前歴の真偽を保有する膨大な資料から分析し、同局に属する前歴調査担当の検察官が加わる前歴調査裁判によって真偽が確定される。その結果自己申告が真実に反すると認められた場合は一定期間公職等に就任できないが、自己申告の際に公安への勤務や協力を認めた場合はそれが官報や選挙公報に掲載され、社会の批判を受けることになるため、事実を隠して申告し、のちにIPNの調査でそれが明らかになることもある(4)

 以上のように、IPNは単なる公文書館の枠を超えて、犯罪の捜査・訴追、前歴調査、両作業に必要な資料の保管や開示という絶大な権限を有し、かつ研究・教育・啓発にも携わる巨大な機関なのである。ヨーロッパの他の旧社会主義諸国にこれらすべての機能を併せ持つ機関はない(5)

 このIPNの活動は多くの論争を呼んでいる。第一の論点は、個人情報を含む公安文書の公開や前歴調査の問題と関わるものである。2005年にIPNから「公安職員・協力者名簿」と称する膨大な量のリスト(実は公安文書に名前が存在する人物のリストで、公安の「被害者」も含まれていた)が漏洩する事件が生じ、IPN総裁の謝罪に発展した(6)。規定を逸脱した手法による公安文書の入手や公表は他にも生じ、前歴調査を強硬に進めようとする人々からは擁護される一方で、個人情報の保護や名誉棄損の問題など法的・倫理的な観点から批判を受けた。またIPNが特定の政党との結びつきを強め、前歴調査や情報提供が特定の目的のためになされたり、偏った前歴の公表が行われたりするなどの事態も生じた(7)。他方で、IPNに現存する資料のみから、自発的・自覚的な協力者か否か、公安組織にとって有益な情報を提供したか否か等(これらは公安組織に「協力」したとみなす法的要件である)を判断するのが難しい場合も少なからず存在し、前歴調査の結果をめぐって社会の意見が分かれることもある(8)。2000年以降にIPNへの移管が開始されるまでに破棄された公安文書もあること、またその破棄と保管が意図的になされた可能性もあること、公安文書を読み解くには専門的な熟達が必要であることなどを考えても、IPNの前歴調査には「危うさ」が存在する。

 第二の論点はIPNの打ち出す歴史観と関連する。IPNは第二次世界大戦ならびにソ連の影響下に置かれた社会主義時代のポーランドの被害と抵抗という、ポーランドのナショナリズムに沿った歴史を研究・広報するため、その歴史観はときにロシアなどの関係国や団体、国内の民族的・宗教的少数者との摩擦を生じ、またポーランドによる加害の過去を後景に押しやる。もちろん、IPNはこうした問題を全く無視しているわけではない。例えば、ユダヤ系ポーランド人でアメリカ在住のJ.グロスが指摘した大戦中のポーランド人によるユダヤ人の虐殺(「イェドヴァブネ事件」として日本でも知られる)やその他の加害の問題についても、IPN自ら捜査・調査を行うなどの対応を見せた(9)。また、第二次世界大戦中のポーランド人とウクライナ人相互の残虐行為や、戦後のポーランド=ソ連間の協定等に基づくウクライナ系住民のソ連への「帰還事業」(実際には強制移住)とその後もポーランド国内に留まったウクライナ系住民の国内他地域への強制移住などに関して(10)、ウクライナとの共同研究が行われ、史料集を含む成果が公刊されている。しかし、ポーランド社会に対する歴史教育や広報活動では、多くの場合ポーランド人の被害の歴史に重点が置かれている(11)。IPNは歴史認識をめぐって摩擦が生じる背景を自ら作りつつも、歴史の空白を埋める学術研究機関たろうという難題を抱え、ときに非常に難しい舵取りを迫られている。

 

*本稿は科学研究費助成事業(基盤研究(B)「東中欧・ロシアにおける歴史と記憶の政治とその紛争」)の研究成果の一部であり、同科研研究会に多くを負うものである。

 

(1) IPN. Inwentarz Archiwalny.
http://inwentarz.ipn.gov.pl/#, (accessed 2013-09-30).
ただし、一つの請求番号で登録されているものを一点の資料と数えると、ファイルの中に含まれる資料点数は様々であり、また資料の大きさもそれぞれ異なるため、デジタル化された資料が全体に占める割合は不明。

(2) IPN. Wydział Edukacji Historycznej.
http://ipn.gov.pl/bep/wydzialy/wydzial-edukacji-historycznej, (accessed 2013-09-30).

(3)IPN総裁室長代理兼報道官Andrzej Arseniuk氏への筆者によるインタビュー(2013年8月29日)。この場を借りてインタビューへのお礼を申し上げる。

(4)前歴調査裁判の判決は以下に掲載。
IPN. Biuro Lustracyjne.
http://ipn.gov.pl/biuro-lustracyjne, (accessed 2013-09-30).

(5) 例えば、旧東独の秘密警察文書を保管する「旧ドイツ民主共和国国家公安局文書に関する連邦委託庁」には直接訴追する権限はない。また、リトアニアの「リトアニア住民のジェノサイドと抵抗に関する研究センター」は第二次世界大戦期やソ連時代に関する学術調査や社会教育を行うが、訴追については裁判所や検察の求めに応じて資料を準備・提出するのみであり、公安機関が残した文書も別の特別公文書館が保管する。社会主義時代の公安文書を扱う各国の類似機関については以下。Leśkiewicz, Rafał. Žáček, Pavel (eds.). Handbook of the European Network of Official Authorities in Charge of the Secret-Police Files. Prague. Institute for the Study of Totalitarian Regimes in cooperation with The Institute of National Remembrance – Commission for the Prosecution of Crimes against the Polish Nation. 2013.

(6) Koczwańska-Kalita, Dorota (ed.). Kronika: 10 lat IPN. Warszawa. IPN. 2010, p. 164-165.

(7) 前歴調査にまつわる諸問題については以下が詳しい(下記の文献では「前歴調査」は「浄化」と訳されている)。
小森田秋夫. ポーランドにおける「過去の清算」の一断面:2007年の憲法法廷「浄化」判決をめぐって. 早稲田法学. 2012, 87 (2), p. 127-208.

(8) 例えば、「連帯」指導者で元大統領のL.ワレサ(ヴァウェンサ)の場合、本人は公安による「被害者」であると主張し、裁判でもそう認められたものの、IPN所属の歴史家は公安への協力を指摘する本を刊行した。本稿で詳しく論じることはできないが、制度的な前歴調査の対象でないカトリック教会の聖職者についても、前歴とその公表の妥当性がしばしば議論を呼んできた。これらの議論の背景には、社会主義時代に何らかの活動を行う場合やパスポート取得の際など、公安組織との接触が生じる機会は少なくなかったことから、公安組織との関係を明確に白か黒かで区分できるものではないとの考えがある。

(9) イェドヴァブネ事件についてIPNはグロスが示した犠牲者数を大幅に下方修正したうえで概ね彼を支持したが、第二次世界大戦後のキェルツェにおける虐殺についてはグロスと異なる見解を表した研究がIPNから刊行され、その後の彼の議論には同調していない。
Koczwańska-Kalita, op.cit. p. 18-19.
解良澄雄. ホロコーストと「普通の」ポーランド人: 1941年7月イェドヴァブネ・ユダヤ人虐殺事件をめぐる現代ポーランドの論争. 現代史研究. 2011. (57). p. 69-85.

(10) この問題については以下の文献が詳しい。
吉岡潤. ポーランド共産政権支配確立過程におけるウクライナ人問題. スラヴ研究. 2001, (48), p. 67-93.

(11) 今夏ワルシャワの王宮中庭で行われた「追放者」Wygnańcyの展示では、第二次世界大戦とその後に起きた非自発的な移住の中で、終戦時のドイツ人の追放やウクライナ人等のソ連への追放・強制移住にも言及されている点は注目に値するが、展示の中心はポーランド人が受けた苦難であった。ときに略奪や暴行・強姦を伴った戦後のドイツ人追放をめぐる議論については以下。
川喜田敦子. 20世紀ヨーロッパ史の中の東欧の住民移動: ドイツ人「追放」の記憶とドイツ=ポーランド関係をめぐって. 歴史評論. 2005, (665), p. 54-64.
解良澄雄. 第二次大戦後のドイツ人「追放」問題: ポーランドにおけるその現在. 現代史研究. 2000, (46), p. 53-62.
解良澄雄. 特集, ベルリンの壁崩壊から20年を経て: ドイツ人「追放」問題とポーランド: 歴史の見直しの行方. 歴史評論. 2009, (716), p. 43-56.

 

[受理:2013-11-15]

 


梶さやか. ポーランドとその過去 ―国民記憶院の活動―. カレントアウェアネス. 2013, (318), CA1805, p. 2-4.
http://current.ndl.go.jp/ca1805

Kaji Sayaka.
Poland and its Past: The Activities of the Institute of National Remembrance (IPN).