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慶應義塾大学大学院 図書館・情報学専攻 三根 慎二(みね しんじ)
(1) オープンアクセス運動の世界的展開
世紀をまたぐころから、学術情報流通においては電子化とオープンアクセスが一大テーマとなっている。それは、これら2つの現象が、学術情報流通を根本的に変革させる可能性を持つからである。これまで研究者、図書館、学協会・出版社を主な利害関係者として成立していたが、ここに大学、政府、研究助成機関が新たに加わることにより、既存の利害関係者が果たしてきた機能や役割が改めて問われる事態になっている。オープンアクセスとは、学術情報への制限のない無料でのアクセスをオンライン上で提供する理念であり運動であるが、オープンアクセスを巡って百家争鳴の時代を迎えている。本稿では、米国の最近の動向に関して、パブリックアクセス方針や図書館の活動を中心に述べる。
(2) 米国におけるオープンアクセス:パブリックアクセス方針
オープンアクセスの短い歴史において、米国では多くの象徴的な出来事が起こっている(1)。たとえば、ギンスパーグ(Paul Ginsparg)が開始したarXiv、米国国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)のPubMed Central、Public Library of Scienceによる学術雑誌などであり、セルフアーカイビング、リポジトリ、オープンアクセスジャーナルというオープンアクセスの三大要素全てを網羅している。
その中でも、米国における近年のオープンアクセスの特徴は、政府助成研究に対するパブリックアクセスの要求であり、他国と比較して対象規模が広範である。これまでに、NIHのパブリックアクセス方針、米国治癒センター法案(American Center for Cures Act, 以下CURES法案)、そして連邦政府研究公衆アクセス法案(Federal Research Public Access Act of 2006(S.2695).、以下FRPAA法案と略す)が施行あるいは提出されており、本稿では、FRPAA法案に絞って概説する。
FRPAA法案の概要
NIHパブリックアクセス方針が施行されてから奇しくも1年後の2006年5月2日、米国上院議員である共和党のジョン・コーニン(John Cornyn)と民主党のジョセフ・リーバーマン(Joseph Lieberman)は、FRPAA法案を米国上院に提出した(2)。FRPAA法案は、外部委託研究の予算が年間1億ドル以上である全ての連邦政府機関はパブリックアクセス方針を策定し、内部研究者と米国政府から研究助成を受けている外部研究者に、査読制を設けた学術雑誌に掲載された論文の最終原稿に対して、刊行後6ヶ月以内にオンライン上での無料アクセスを保証することを求めている。同法案に該当する連邦政府機関は、現時点では農務省、商務省、国防総省、教育省、エネルギー省、運輸省、保健福祉省、国土安全保障省、環境保護庁、航空宇宙局、全米科学財団であり、法案の影響力の大きさを示している。
FRPAA法案の特徴は、1)論文の最終原稿の無料公開は任意ではなく6ヶ月以内の義務である、2)NIHパブリックアクセス方針やCURES法案が医学分野の研究を対象としていたのに対し広範囲の分野を対象としている、3)論文のコピーをPubMed Centralのような助成元の研究機関のアーカイブだけではなく各研究者の所属大学の機関リポジトリに公開可能であることなどであり、既存の方針や法案を強化している。しかし、いつリポジトリに登録するのか、助成金からオープンアクセス雑誌への投稿料を出せるのか、遵守しない場合の規定などについては明記されていない。
法案提出直後から、図書館団体を始め、大学、出版社、消費者団体、患者団体、研究者、学生による法案への賛同を示す公開書簡や呼びかけが多数出されている。図書館団体からは、AAHSL、AALL、ACRL、ALA、ARL、MLA、SLA、SPARCが合同で公開書簡を提出しており、加えて、2007年1月時点で、米国の132大学がFRPAA法案への賛同を示している(3)。その中にはハーヴァード大学など著名大学も含まれるが、60弱の大学はリベラルアーツの単科大学の図書館コンソーシアムであるOberlin Groupに属している(4)。一方で、非営利の医学・科学分野の学協会からなるWashington D.C. Principles for Free Access to Science Coalitionは、既に学協会によって提供されているサービスに対して助成する必要はなく、連邦政府による義務化は不必要なものであるとして法案への異議を唱える公開書簡を出している(5)。
昨年度は11月に中間選挙が実施され共和党が敗北したこと等が重なり、FRPAA法案は会期中に投票されず、2007年に再提出されると言われている(6)。Natureが報じているように(7)、商業出版社によるオープンアクセスに反対するロビー活動は衰えることはなく、FRPAA法案がそのまま成立するかどうかは不明である。NIHのパブリックアクセス方針も、任意登録から登録義務化への動きが見られるが、米国におけるパブリックアクセス方針の多くは対象機関が他国と比較して広範囲に及ぶものであり、法案の影響力を考えればそのまま成立するようには思えない。商業出版社や大手学協会らのロビー活動を受けて何らかの後退を余儀なくされることも予想される。
(3) オープンアクセスと大学図書館の関わり
これまで学術情報流通における大学図書館の役割は主に、学術情報を収集、蓄積、組織化し、利用者に提供することにあった。シリアルズクライシス、学術雑誌の急速な電子化、ビッグディール契約に見られるように、近年、大学図書館は利用者に学術情報を安定供給することに対する危機感と常に隣り合わせの状況にある。そうした中で、大学図書館が学術情報流通に積極的に関与し、変革をもたらそうとする動きが欧米の大学図書館を中心に起こっている。オープンアクセスと大学図書館の関わりを考えると、その媒介になっているのは機関リポジトリであろう。
大学図書館は機関リポジトリを通じて、1)学術情報流通の変革と2)大学の社会的および公共的価値の向上を目的として、a)研究者とオープンアクセス運動、b)利用者とオープンアクセス資料、c)研究成果と社会のそれぞれの仲介役を、オープンアクセス状況下における学術情報流通で果たそうとしているように思われる。
a)は、学術情報の生産者でもあり利用者でもある研究者に、オープンアクセスに関する背景や理念を説明しその必要性を理解してもらうことで、機関リポジトリへの研究成果の登録を促進・支援するなど、研究者が進んでオープンアクセス運動に関与するようになることを目的としている。各種調査が示すように(8)(9)、研究者の機関リポジトリはもとよりオープンアクセスに対する認知度は決して高いものとは言えず、図書館による研究者に対するオープンアクセスの広報活動は今後も継続して行われるべきである。
b)については、研究者はもとより学生も含めて、オープンアクセスな学術情報へのナビゲーションを提供することである。研究者・学生ともに、多くの情報をWWWから入手するというスタイルに移行しつつあるとともに、オープンアクセスで提供されている学術情報自体も増加している。今や機関リポジトリに登録されているメタデータは1千万件を越えており、オープンアクセスジャーナルも2,500タイトル以上に達している。利用者が望む全ての資料をひとつの大学図書館が提供する事は不可能である以上、図書館がまかないきれない部分を提供しうる情報源として、1)の活動とあわせて機関リポジトリやオープンアクセスジャーナルの存在を認知してもらうよう利用者に直接働きかけ、サーチエンジンから機関リポジトリのコンテンツへアクセスできるようにすることが求められるだろう。設置した機関リポジトリに登録されたコンテンツは、自館の利用者だけでなく、ILLや来館という手段をとらずに国内外の利用者が無料で利用でき、図書館自らが学術情報を収集蓄積するだけではなく、直接流通させる機能を持つことになる。
c)は、大学の社会に対する説明責任が一層求められる現在、機関リポジトリを通して、大学から生み出された研究成果だけでなく教材、シラバスなど教育資源を含めて多様な情報を広く社会に公開することである。図書館が機関リポジトリによって、大学の電子的アーカイブとして、学内で生産された知的資本を全て収集保管し広く外部に公開することは、図書館の役割をアピールすることにつながる。しかし、a)とb)が学術情報流通の変革を志向しているのに対して、c)は大学の社会的および公共的価値の向上を目的としており、両者は根本的に異なるものである。この両者が併存していることは、機関リポジトリの位置づけを依然として模索中であることを物語っている(10)。
(4) 米国図書館の事例
米国におけるオープンアクセスの現状を数値で表すと以下のようになる。Registry of Open Access Repositoryによれば、2007年2月時点において、全世界で837、米国には212の機関リポジトリがあり、そのうち119が研究機関あるいは学部単位で設置されている。119大学で合計27万弱のメタデータが登録されているが、ファイル自体が提供されているのは5万7千件程度である。大学レベルでオープンアクセスに関する方針を定めているのは、ケースウェスタンリザーブ大学、コーネル大学、カンザス大学の3大学のみである。ulrichsweb.comのデータでは、米国で刊行されているオープンアクセスジャーナルは、2007年2月現在540タイトルである。
機関リポジトリについて、ミシガン大学のマーキー(Karen Markey)らは、米国で全国調査を実施しており、機関リポジトリの利点、人員、コンテンツ収集方法、使用ソフトウェア、費用などについて、大学図書館に対する電子メール調査の結果を報告している。たとえば、機関リポジトリの利点としては、大学の知的資本の獲得や電子的な研究成果の長期保存が高く評価されているが、印刷版への依存の減少、被引用数の増加などはあまり評価されていない。コンテンツ収集方法では、早期採用者との個別作業、学部あるいは教授会議におけるプレゼンテーション、教員への個別訪問などが高く評価されている(11)。
(5) SPARCによるアドボカシー活動
米国のオープンアクセスに特徴的なのは、FRPAA法案に対する図書館団体による公開書簡に見られるように、図書館が積極的に関与し活動を行っていることである。そのなかでも特に、SPARCはオープンアクセス推進へと方針を転換して以来、オープンアクセスに関する多様な情報を、研究者、図書館、大学に提供してきている。たとえば、オープンアクセスのパンフレットである“Open Access”(12)、論文の著作権について著者の権利を留保するための契約書などのテンプレートである「著者の権利」(13)、メーリングリストの“SPARC Open Access Forum”、ニュースレターの“SPARC Open Access Forum News Letter”などが代表例である。2007計画において(14)、オープンアクセス関連では、「アドボカシー/パブリック方針戦略」、「機関リポジトリ」、「オープンアクセスの経済的影響」などが明記されている。たとえば、アドボカシー/パブリック方針戦略では、オープンアクセスワーキンググループや納税者アクセス同盟(Alliance for Taxpayer Access)などの関連組織だけでなく、高等教育機関、学生団体、研究者団体とも連携をとり、FRPAA法案やNIHパブリックアクセス方針など政府助成研究へのオープンアクセス方針を支持するとされている。機関リポジトリについては、情報源の提供や国際会議(Open RepositoriesやSPARC US Institutional Repositories meeting)の開催、NSF、National Academies、Science Commonsによるデータアクセスに関するワークショップやシンポジウムに参加するなどが挙げられている。
以上、米国のオープンアクセスの動向を概観してきた。先に述べたように、米国においては、NIHパブリックアクセス方針やFRPAA法案のような政府助成研究へのパブリックアクセス方針が今後どれだけ進展するかが大きな焦点であり、それに図書館サイドがどのように関与していくのか、継続して動向を追っていく必要がある。これまで日本では、欧米の動向に追随する傾向があったが、2005年度から国立情報学研究所の次世代学術コンテンツ基盤共同構築事業による機関リポジトリの構築と発展のための活動が精力的に行われており、機関リポジトリについては、「欧米に遅れているとは言えず、もはや欧米を参考にすべき部分はないところまできている」(15)との見解もある。しかし、学協会によるオープンアクセスに対する取り組みや、研究助成機関に対するパブリックアクセス方針等は、米国に一日の長があり、今後は世界の動向を押さえつつも、日本の学術情報流通に関する調査研究に基づいた、日本独自のオープンアクセスに対する取り組みが求められるのではないだろうか。
(1) Suber, Peter. “Open Access in the USA”. Jacobs, Neil. ed. Open Access: Key strategic, technical and economic aspects. Oxford, Chandos, 2006, p.149-160.
(2) Federal Research Public Access Act of 2006. http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/z?c109:S.2695:, (accessed 2007-02-13).
(3) SPARC. “Higher Education Supports the Federal Research Public Access Act of 2006 (S. 2695)”. http://www.arl.org/sparc/advocacy/frpaa/institutions.html, (accessed 2007-02-13).
(4) “Oberlin Group”. http://www.oberlingroup.org, (accessed 2007-02-13).
(5) Washington DC Principles for Free Access to Science. “Senior Academic Officers Express Their Concern About S.2695, The “Federal Research Public Access Act Of 2006”. 2006-09-22. http://www.dcprinciples.org/press/1.htm, (accessed 2007-02-13).
(6) Chillingworth, Mark. “US Election Delay Open Access Articles Bill”. Information World Review, 2006-11-30. http://www.iwr.co.uk/2170271/, (accessed 2007-02-13).
(7) Gile, Jim. “PR’s ‘pit bull’ takes on open access : Journal publishers lock horns with free-information movement”. news @ nature.com, 2007-01-25. http://www.nature.com/news/2007/070122/full/445347a.html, (accessed 2007-02-13)
(8) Rowlands, Ian et al. Scholarly Communication in the Digital Environment: What do Authors Want?. Learned Publishing. 2004, 14(4), p.261-273.
(9) Rowlands, Ian et al. Journals and Scientific Productivity : a. case study in immunology and microbiology. Publishing Research Consortium, 2006, 16p. http://www.publishing.ucl.ac.uk/papers/2006Rowlands_etal.pdf, (accessed 2007-02-13).
(10) 倉田敬子. 機関リポジトリとは何か. Medianet. 2006, (13), p.14-17.
(11) Makey, Karen et al. Nationwide Census of Institutional Repositories: Preliminary Findings. 2006. http://miracle.si.umich.edu/reports/Rieh_InterimReport2.pdf, (accessed 2007-02-13).
(12) SPARC. Open Access. http://www.arl.org/sparc/oa/docs/OpenAccess.pdf, (accessed 2007-02-13).
(13) SPARC. Author Rights. http://www.arl.org/sparc/bm~doc/SPARC_AuthorRights2006.pdf, (accessed 2007-02-13)
(14) SPARC. “2007 SPARC Program Plan”. http://www.arl.org/sparc/about/pp2007.html, (accessed 2007-02-13)
(15) 文部科学省. “科学技術・学術審議会:学術分科会:研究環境基盤部会:学術情報基盤作業部会(第6回)議事録”. http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/gijiroku/002-1/07011715.htm, (参照 2007-02-13).