第3章 社会的な論点と図書館(はしがき)
図書館は民主主義社会の基盤であるとの認識は図書館界のみならず、アメリカ社会にも深く浸透している。したがって、アメリカ社会で議論の対象となるテーマは、すなわち図書館活動のテーマとなる。
移民の国アメリカには、現在でも多くの人々が流入し続けている。言語、文化の多様性はアメリカという国を発展させる原動力であり、同時にアキレス腱でもある。連邦政府が医療保険や年金制度を法律により保障していない状況を見ると、自分の生活は自分で守るという個人中心の社会であることがよくわかる。したがって、自分で生活情報を入手し、判断し暮らしていく社会となる。そこに図書館の情報提供源としての意義が見出せる。
また、コミュニティは個人が一人で暮らす社会ではなく、集団生活の社会をさす。個人と個人とのコミュニケーションが円滑に行われなければ、コミュニティが維持できず崩壊していく。円滑なコミュニケーションが存在する地域社会=コミュニティを、公的に成立させ、発展させていく「場」、public sphereのひとつが図書館である。public libraryあるいは明確に public free libraryとの名称をつけている、地域社会が運営する図書館は多い。個人間のコミュニケーションは、その個人が所属している集団と他集団とのコミュニケーションでもある(1)。
ニューイングランドでWASP(White Anglo-Saxon Protestant:アングロサクソン系白人、プロテスタント)が占める支配階級(establishment)が設立した図書館は、時代を追うにしたがって勢力をのばす人民主義(populism)階級とのせめぎあいのなかで、その目的は新移民の英語教育をはじめとするアメリカ化教育の場から、技術や経済などの情報を知る場へ変貌していく。そのせめぎあいは1920年代の新経済主義(neo-capitalism)と福祉リベラリズム(welfare liberalism)との対立へ、さらに戦後の経営社会(administered society)と経済民主主義社会(economic democracy)の対立へと変化し続けていく(2)。
放任主義的な競争社会のなかに存在するとみなされた図書館は、黒人や移民など社会的弱者にとって利用しにくい図書館になり、福祉事業としての図書館を目的とみなせばアウトリーチ・サービスに力をいれることになる。経営社会のなかでの図書館員は、多様な人種民族・性別・階級により構成されるといった社会(例えばサラダボールあるいはオーケストラにたとえられる)(3)の調和をとろうとする(あるいは指揮者になろうとする)図書館活動を目指すが、経済民主主義社会での図書館員は市民がいかに力をつけて、体制や権力に対抗する市民中心社会コミュニティを築くか、そのための情報提供に心を砕くことになる。その図書館員たちの葛藤は、現代の図書館と社会をめぐる諸々の論争の原点ともいえる。
ニューイングランドでプロテスタントたちが自分で聖書を読んで神の教えを認識するための資料を保存提供・教育する場として図書館を設立したことに始まり、19世紀の図書館が新移民のアメリカ化の担い手になり、中西部で農業経営等について自己教育する講座が開かれた、巡回図書館による資料提供は産業革命時の都市化のなかでの技術教育を推進した。現代の図書館の役割のひとつは情報とリテラシーという課題につながっていく(4)。外形は変化するものの、その本質は同じである。ただ、図書館利用者や地域住民が大きく変貌しているなかで、その図書館活動の具体的な目的や内容が論点となる。
社会と人々が変化していく現代では、特定集団のみを対象とする図書館活動からサービスを享受していない(the underserved)人々を包摂する図書館活動が求められている。障害者や高齢者、刑務所や少年院などの受刑者、ゲイなどの人々、ホームレスの人々といった社会的弱者に対する図書館活動をおこなうのか、どうするのかというところから議論は始まる。
19世紀以降、カソリック圏であるアイルランドやイタリアからの人々は北東部の都市部へ、メノナイトなどのドイツ語圏からきた新プロテスタント系の人々は東南部や南部から北上して中西部へ(5)、20世紀になってからのロシアのユダヤ系やポーランドといった東欧からの人々は工場のある都市部や農場のある西部へ、中国・日本そして第二次世界大戦後になってからのベトナムや韓国からの人々は都市部へと移民した(6)。いまや、膨大な人口を占めているスペイン語しか話せないアメリカ人たちが住むコミュニティが増加している図書館での課題は大きい。
言語、文化の違いによって、人々はそれぞれ独自のコミュニティを形成し、集団自衛をはかる。図書館が地域社会と密接な関係を持てば持つほど、地域情報コレクション形成やその提供は、図書館としての普遍性の部分と独自な部分とのバランスが求められ、議論をひきおこす。コミュニティ内部での普遍性と独自性、あるいは保守的な伝統と革新的な新規性などの対立は、上記のようなアメリカ社会の過去の歴史的な対立と同じ構造である。どのような図書館にするのか、図書館のアドボカシーをどうするのかが常にアメリカの図書館界での課題である。
(井上 靖代)
(1) Evans, Sara M.; Boyte, Harry C. “Free spaces” Bellah, Robert N. eds. Individualism & commitment in American Life : reading on the theme of Habit of Heart. New York, Harper & Row, 1988, p296-304.
(2) Robert N. Bellah.[et al.] “Six American Visions of the Public Good”. Robert N. Bellah.[et al.] Habit of Heart; individualism and commitment in American life. University of California Press, 1985. p.256-271.
(3) Gordon, Milton M.. Assimilation in American Life; the role of race, religion, and national origins. New York : Oxford University press, 1964, 276p.
(4) Donald Lazere. “Literacy and mass media; the political implications”. Davidson, Cathy Notari. ed. Reading in America; literature & social history. Baltimore, Johns Hopkins University Press, 1989. p.285-303.
(5) この時期のフランスからのユグノー系(プロテスタント)の人々は主に南米アルゼンチンなどに移民した。
(6) Takaki, Ronald T. 多文化社会アメリカの歴史:別の鏡に映して. 富田虎男監訳. 明石書店, 1995, 802p.(原著:Takaki, Ronald T.. A different mirror : a history of multicultural America. Little, Brown & Co, 1993, 508p.)