はじめに
日本の図書館の現状については、関係者の間では、‘危機的状況’にあるとの認識が確実に共有されているように思われる。1990年代以来のインターネットの普及が急速に推し進めている‘デジタル・ライブラリー’化の趨勢に立ち向かわなければならない一方で、国・地方の財政破綻を背景に資料費は見事なまでに減少し、民間委託やPFI(Private Finance Initiative)、指定管理者制度が浸潤しつつあり、人員削減の圧力により、図書館の正規職員のポストは図書館サービスにまったく無縁の首長部局等や法人本部等からの機械的人事異動のたんなる受け皿となり、従前通り図書館に踏みとどまる図書館職員は高齢化が進行し、若い世代の多くはせいぜい‘非常勤専門職員’というきわめて不安定な待遇に甘んじている。
高度情報通信化への対応の必要性、財政窮乏、組織と業務の合理化、関係職員の高齢化・世代交代の問題などは、日本の図書館だけが遭遇している課題ではなく、すべての先進諸国の図書館が効果的な解決を迫られているものである。
日本の図書館は、とくに第二次世界大戦後、アメリカをモデルに発展してきた。‘図書館の危機’を直視し、‘民衆の大学’‘大学の心臓部’‘学校教育において欠くことのできない基礎的な設備’である‘図書館’をあらためて賦活する方策を検討しようとする場合、アメリカの図書館事情についての調査研究から学ぶべき点はきわめて多い。
全体の構成は、目次を見ていただければ分かる。その目次にも明らかなように、本調査研究は、アメリカの図書館の現況、それを支える行政と民間の諸活動、タイトな行財政の中でデジタル・ネットワーク社会に望まれる図書館と図書館サービスを実現しようとしている連邦政府と地方政府の図書館政策、図書館を生み出し、その維持・発展を根底から推進する文化・経済のありようなど、どの程度果たしえたかは覚束ないものの、多面的な分析・検討を目指した。わたしも含めて、国内の研究者には日本の文化に育ったものとしてのバイアスは避けがたい。アメリカの図書館現場とその周辺でキャリアを積んだアメリカン・ネイティブの人たちの論稿を随所に織り込んだのは、アメリカの図書館のイメージをより正確に伝えようとしたからである。
当然のことであるが、アメリカの図書館とそれを取り巻く動きについては、そのすべてが肯定的に捉えられるわけではない。そこには、日本と異なり、アメリカ社会に固有の‘病理’も反映している。テロ対策の愛国者法の図書館活動への影響は無視できないし、日本では‘図書館の自由’という言い方がなされるが、連邦憲法修正1条が保障する‘知的自由’(intellectual freedom)とのかかわりで問題とされるところは少なくない。
日本でアメリカの図書館を専門に研究している研究者は決して多いとはいえない。結果的には、そのすべてとはいえないにしても、アメリカの図書館を研究対象としている国内の研究者をなかば総動員するかたちでこの報告書はまとめられているといっても過言ではない。内容的にもアメリカ図書館研究のハンドブックであるにとどまらず、概説書であり、同時に入門書としての性格も帯びている。十分なものとは言い難いけれども、貧弱な日本の図書館政策立案作業に携わる人たちへの支援の書となってほしいし、また次代の図書館情報学研究者育成への架け橋となることをも切に願う。
本報告書は、以下の4章から構成される。
第1章 米国の図書館の概要
第2章 米国の図書館の一般的なすがた
第3章 社会的論点と図書館
第4章 米国の図書館に関する研究動向
第1章では、米国の図書館界とそれを構成するALA等の関係団体、各館種の図書館の沿革と現況、図書館サービスと活動について、その全体像を多面的に描き出す。
第2章では、小規模な図書館を中心に選び、公共図書館・学校図書館・大学図書館の実際のサービスについての事例紹介を行う。
第3章では、知的自由、多様性、教育・リテラシー、コミュニティ、デジタル社会といった社会的論点に対する図書館活動について言及する。
第4章では、文献レビューの形で、日本における米国図書館に関する研究動向を紹介する。
平成19年3月
筑波大学大学院
図書館情報メディア研究科 教授
山本 順一