CA1536 – 動向レビュー:英国の図書館における健康情報サービス−National electronic Library for Health(NeLH) / 阿部信一

PDFファイルはこちら

カレントアウェアネス
No.281 2004.09.20

 

CA1536

動向レビュー

 

英国の図書館における健康情報サービス−National electronic Library for Health(NeLH)

 

はじめに

 2003年に英国で行われたインターネットによるアンケート調査では,1,322人の回答者の80.3%が健康情報の調査にインターネットを利用し,そのうちの97%は特定の病気について調べていた。また,約3分の2の回答者(64%)がよく利用するのは“NHS Direct Online”であり,28.5%の人は病院に行く替わりにインターネットで調査を行ったことが示された(1)。英国では,国民の保健医療のために最良の情報を迅速かつ容易に提供する基盤として,国民保健サービス(National Health Service:NHS)が国立電子健康図書館(National electronic Library for Health:NeLH)を構築,運用している。NeLHは,極めて明確な目的を持って取り組まれている,英国の保健医療政策における情報伝達機能である。本稿ではNeLHの概要と英国における健康情報サービスとしての役割について紹介する。

 

1. 英国の保健医療制度と最近の経緯

 英国の保健医療に関わる行政機関は保健省(Department of Health)であり,医療提供を担当しているのはNHSである。現在,NHSでは276の救急病院や302のプライマリケア病院を含む全国の数百の機関で約120万人の職員が働いている(2)。NHSによって提供される医療サービスは,すべて税金によって賄われ,原則無料である。つまり,英国の医療は国営医療の形で社会主義的な制度として提供されている。そのため,予算不足による診療レベルの低下や医療スタッフの不足などを招き,深刻な問題を抱えている。

 英国では,サッチャー政権の政策として市民憲章(Citizen’s Charter)が制定され,行政機関である医療提供者は市民である患者に対する説明責任が義務づけられた。しかし,医療提供者によって患者が受けられる医療の内容に差が生じる地域格差や,標準化の問題が指摘されるようになり,NHSの研究機関として1992年にUKコクランセンターが,1994年にはNHSレビュー普及センター(NHS Centre for Review and Dissemination:NHS CRD)が設立された。その後,1997年にブレア政権が発足すると,根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine:EBM)(3)や経済性などを重視した更なる近代化が求められるようになった。そこで,英国における患者の治療と管理の改善,医療に関する不平等の是正のために最新の情報技術を活用することを目的として,1998年に情報戦略『健康のための情報』(Information for Health)が作成され,その中心的要素として国立の電子図書館NeLHが構想された(4)。この戦略を受けて,2000年11月にテスト・プログラム“Pilot NeLH”が開始され,2003年春からは長期的な予算の裏付けを持った正式なサービスとしてNeLHの運用が開始された。

 

2. NeLHの概要

2.1 NeLHとは

 NeLHの目的は,臨床医,管理者,患者,国民一般を対象に,最良で最新の知識とその適用方法の容易な利用を可能にし,健康と保健医療,臨床行為,患者の選択を改善することである(5)Information for Healthでは,NeLHの計画・開発・実施はすべての医療専門団体のメンバーや情報・図書館専門職との協力によることが強調された。そこで,当初はまずそのようなコミュニティの形成から取り組まれ,Pilot NeLHの段階からNHS図書館を含む多くの機関,団体が協力して開発を行ってきた。例えば,診療ガイドラインのデータベースはシェフィールド大学の図書館員と共同で開発された。

 当初は知識の組織化が重視されていたが,2003年以降はエビデンスに基づいた診断をサポートするための知識の流通の方へ重点は移ってきている。また,計画当初,知識の容易な利用はアクセス時間で表現され,患者の診療時には基本的な情報に15秒以内,同僚たちと患者について検討するためには構造化抄録や診療ガイドラインに2分以内,トレーニングや専門教育のためには本文や資料全体に1週間以内と想定されていた。

 NeLHのトップページは図のとおりであり,主な情報源について以下に解説する。

 

図 NeLHのトップページ

出典:http://www.nelh.nhs.uk
(1)Know How (知識の適用方法)           
(2)Knowledge (知識)                
(3)Hitting the Headlines (ヘッドライン検証コーナー)
(4)Specialist Libraries (専門職コーナー)     

 

2.2 知識の適用方法(Know How)

 NeLHのトップに位置するKnow Howのコーナーは,明確な知識を迅速かつ系統的に実際の医療現場で適用させるためのNeLHの重要な柱とされる。情報源としては国立最適医療研究所(National Institute of Clinical Excellence:NICE)やNeLHのガイドライン・データベース,英国医療サービス・フレームワーク(National Service Frameworks:NSF)などがあり,診療ガイドラインや各種のパスウェイ等,英国の様々な機関やプロジェクトによって作成された診療に有益な情報の全文が入手可能である。

2.3 知識(Knowledge)

 NeLHは特に医療従事者に対し,膨大で複雑な健康情報の利用を知識情報の提供によってサポートすることを目指している。Knowledgeのコーナーでは,臨床トピックごとに臨床試験の結果に基づいた指針が参照できるClinical Evidence,従来の記述的なレビューに対して統計学のメタ・アナリシスを解析手法とするシステマティック・レビューなどが検索できるCochrane Library,PubMed等世界で広く利用されている情報源のほか,患者個人の経験について参照できるDatabase of Individual Patient Experiences(DIPEX)のような新しいデータベースもリストアップされ,利用可能になっている。増大を続ける健康関連の研究情報から質の高いエビデンスを抽出し,権威ある専門家のコメントの付与などにより強化したものをNeLHの知識情報の中核と位置付け,組織化している。

2.4 ヘッドライン検証コーナー(Hitting the Headlines)

 多忙を極める医療従事者のために,新しい知見に関連するエビデンスを簡単に解説したものが,NeLHの中では比較的新しいコーナーのHitting the Headlinesである。毎日の新聞等で報道される医療や新薬,疾患の治療法などに関する情報は患者や家族の関心も高く,医療従事者の正しい理解が重要である。そのため,NHS CRDのスタッフが組織的に健康関連のニュースをチェックし,それらのエビデンスを検証したものをNeLHで提供しているのである。

2.5 専門職コーナー(Specialist Libraries)

 専門分野の責任を共有するために知識のネットワークを構築することが重要であるとの知識管理(Knowledge Management)の考え方に基づき,様々なコミュニティがNeLH上に構築されている。これらのコミュニティは,知識の非公式な交換や個人またはグループでの学習によって最良の診療を見つけるための場となることを目的としている。当初は,専門分野別のコミュニティである仮想図書分館(Virtual Branch Libraries)と職種別のコミュニティである職種別コーナー(Professional Portals)の2種類に分けて開始されたが,現在は専門職コーナー(Specialist Libraries)という1つのコーナーとしてまとめられている。

 専門分野(Subject)別のコミュニティでは,あらかじめ評価を受けた情報源や意見交換のためのフォーラムなどが利用できる。ここで確立された知識をNeLH上で一般に利用できる形にしたり,前述のKnow How情報や知識,患者情報との統合の方法などについてもアドバイスを行ったりすることを目的としている。また,各分野の患者の声をNeLHに反映させたり,ニーズの高い疾患に関する質問・回答集なども充実させるなど,患者や国民一般へのNeLHのサポートを支援することも行う。

 コミュニティの専門分野は医学件名標目表(Medical Subject Headings:MeSH)を参考にした疾患(ガンや糖尿病など),対象患者の年齢群(小児や高齢者など),医療活動(プライマリケアや公衆衛生など)の3種類の視点から形成される。

 職種(Profession)別のコミュニティでは,情報探索にかける時間の少ない医療従事者や情報リテラシーの高くない専門職に対して,NeLHへの容易で迅速なアクセスを可能にするゲートウェイの役割を果たすことを目指している。特に,人数の少ない療法士のグループのサポート,各専門職の知識を使いこなすスキルの向上,各専門職グループとNeLHの関係の構築,より高品質の電子情報源の統合などを目的としている。

 

3. NHS Direct Online

 当初NeLHは医療従事者を主な対象としていたこともあり,内容的に専門的なものが多かった。その中で,糖尿病や統合失調症などの健康問題に関する情報の提供といったNHSが行ういくつかのキャンペーンで,NeLHはNHS Direct Onlineと協力することで患者や国民一般向けの窓口となっていった。2002年にはマイノリティに対する健康問題の相談キャンペーンなども行っている。

 NHS Direct Onlineは,患者や英国国民一般に対して良質で保証された患者のための情報を提供することにより,健康の自己管理を促進し,国民の医療費を抑制しようというものである。NHS Direct OnlineではNeLHよりも基本的で一般的なレベルの情報を提供する。正確には,NHS Direct Onlineの情報では不十分な患者や英国国民一般をNeLHの情報源は対象にしているのだが,そのレベルの差の大きさが問題とされ,NHSは自身のサイトnhs.ukも含めたこれらのシステム開発を統合し,情報のレベルの差を埋めることを図っている(6)

 冒頭で述べたように,英国ではインターネット利用者の多くがNHS Direct Onlineから健康情報を得ていて,若年層よりも高齢者,男性よりも女性の利用がやや多い傾向はあるものの,より健康的な生活の自己管理に役立っている(1)。英国では人々が健康情報を入手する手段として,長年の習慣から親しみがあり利用しやすい公共図書館も依然として重要であるが,インターネットもまた情報入手の主要な部分を占めつつあると言える。

 

4. NeLHの評価と今後

 NeLHは,その利用の容易さ,速さ,関係性などについて,常に利用者によってモニターされ,様々な利用者からフィードバックを受けている。また,一般からの意見も常にトップページから受け付けている。これまでの評価では,他の情報源に比べてエビデンスに基づく基準や方法が探しやすくなったといった肯定的な意見が多い。また,従来の図書館では難しかった精神医学やプライマリケア,学習障害などの分野の情報サービスへの期待が寄せられたり,特に医療従事者の時間の節約の点で,年間300万ポンドから1,200万ポンド(6.1億円から24.4億円)のコスト削減になるとの試算もある。今後もNeLHは,その主要目的である最良な知識の迅速で容易な入手を実現するために,コミュニティの形成,協力関係の推進,内容の充実,技術の改善の4点を更に進めていく。

 しかし,ロンドンでの最近の調査では,医療従事者の48%がインターネットを使ったことがないか使う自信がなく,44%は保健医療関係のデータベースで情報を見つけるのが困難であると回答している。このような状況を打開するために, NeLHは図書館員との協力関係をより強化しようとしている(7)。これは,NHSの各病院等の図書館員に,医療従事者とNeLHなどの電子情報源との間の接点になってもらおうということであり,図書館にとってもそのサービスや情報源の価値を認識させる機会となると期待されている。そのためには図書館員の多様な研修計画が必要であり,すでに実施が始まっている。

 

おわりに

 NeLHの情報源のいくつかは日本からでも利用可能だが,基本的にはNeLHは英国国民を対象としたもので,その利用は,NHSの各機関を結ぶイントラネットであるNHSnetが利用可能な場合はIPプロトコルで,一般のインターネットでの利用にはユーザ名とパスワードで制御されている。

 NeLHは,国の保健医療戦略の中における情報基盤として極めて目的志向的に取り組まれている。わが国においても国立機関を中心とした関係団体の協力による同様の事業は可能であるし,その際,英国のNeLH等の例からは学ぶことが少なくないと思われる。

東京慈恵会医科大学医学情報センター:阿部 信一(あべ しんいち)

 

(1) Nicholas, D. et al. The British and their use of the Web for health information and advice: a survey. Aslib Proceedings. 55(5/6), 2003, 261-276.
(2) Brice, A. et al. Knowledge is the enemy of disease. Update. 2(3), 2003, 32-34.
(3) 診断方法や治療方法に関して有効性を示す情報を蓄積し,有効な方法のみを行うべきだとする考え方。英国の疫学者コクランの1971年の提唱に始まる。
(4) NHS Executive. Information for Health: an Information Strategy for the Modern NHS 1998-2005, a National Strategy for Local Implementation. London, Department of Health, 1998. (online), available from < http://www.dh.gov.uk/assetRoot/04/01/99/28/04019928.pdf >, (accessed 2004-08-02).
(5) Turner, A. et al. A first class knowledge service: developing the National electronic Library for Health. Health Information and Libraries Journal. 19(3), 2002, 133-145.
(6) Lancaster, K. Patient empowerment. Update. 2(3), 2003, 36-37.
(7) Turner, A. et al. Raising e-awareness in health. Update. 2(12), 2003, 48-49.

 


阿部信一. 英国の図書館における健康情報サービス−National electronic Library for Health(NeLH) カレントアウェアネス. 2004, (281), p.15-18.
http://current.ndl.go.jp/ca1536