E2743 – デジタル化と歴史研究の未来―人文学・社会科学の協働<報告>

カレントアウェアネス-E

No.489 2024.10.17

 

 E2743

デジタル化と歴史研究の未来―人文学・社会科学の協働<報告>

東京大学史料編纂所・菊地智博(きくちちひろ)

 

  2024年9月7日、東京大学史料編纂所はシンポジウム「デジタル化と歴史研究の未来―人文学・社会科学の協働」をハイブリッド形式で開催した。科研費「日本近世史料学の再構築」(23K21964)の成果を基礎として、紙史料とデジタルデータとの有機的結合のもとに歴史情報を公開するあり方の考察から、デジタル化と歴史研究の未来を探ることを目的とするものである。対面・オンラインあわせて81人の参加者を得た。以下、その概要を紹介する。

  司会は立石了(東京大学史料編纂所)が務めた。まず杉本史子氏(東京大学名誉教授・東洋文庫研究員)から趣旨説明があり、続けて4人が報告を行った。

●第一報告「「編纂知」のDX―大日本維新史料『井伊家史料』・『松平昭休往復書翰留』編纂とデータベース構築の経験から」

  筆者が、史料集編纂の過程で蓄積された経験知である「編纂知」について、その実例を紹介し、デジタルデータ作成への応用を論じた。デジタルデータといえど「編纂物」であり、史料のモノ実体に対する「編纂知」なくしては適切な取り扱いができないと述べ、『大日本維新史料』の編纂実例と「近世史編纂支援データベース」を紹介した。さらに国際規格に準拠しつつ「編纂知」を応用した史料集編纂・データベース構築の将来像を展望した。

●第二報告「社会科学から見た歴史データ」

  山﨑潤一氏(神戸大学大学院経済学研究科)が、経済系研究者の立場から歴史学系とのデータ利用の差異について論じた。多くの経済学分野の実証研究者にとっては、歴史は現代の政策に関する「自然実験」の宝庫とみなされる。統計などの数量データが用いられるが、特定の形式に揃った構造化が求められる点で歴史学と異なると述べた。『寛政重修諸家譜』のデジタル化プロジェクトの実例紹介から、構造化しつつ解釈や処理過程の情報を残す試みを取り上げ、データ/史料整備における歴史学・経済学の協力の可能性を示した。

●第三報告「経済史研究における基盤的数量データの公開・活用」

  高槻泰郎氏(神戸大学経済経営研究所)から、経済史に関わる数量データのデジタライズ実例と課題が報告された。現在広く用いられている書籍由来のデータは紙幅により割愛されたデータや翻刻時の誤りがあること、また原史料の数値の性格も様々でデータ作成時の解釈が伴うことを実際の例から紹介し、史料画像とデータの公開により修正可能性を担保し、かつ適切な注記や原系列・校訂系列の同時提供などの必要性を述べた。さらにデータベースの業績化や電子化コストについても論及された。

●第四報告「歴史資料のデジタル化を支える技術」

  中村覚(東京大学史料編纂所)から、前三報告に関わる二つの技術について、実装例のデモを交えつつ報告がなされた。まず人文学資料の構造化に関するルールであるText Encoding Initiative(TEI)について、その概要と史料編纂所における取り組みが紹介された。次に光学文字認識(OCR)技術について、史料編纂所における史料集全文検索の開発、また山﨑氏の『寛政重修諸家譜』電子化プロジェクトでの実例が紹介された。

●コメント

  以上の報告を踏まえ、山田太造(東京大学史料編纂所)のコメントではデジタル・トランスフォーメーション(DX)に携わる立場から、データ等の公開持続性の課題、またデータや史料集の公開にあたり作成者の提供したいものと利用者のニーズにギャップが存在するという指摘がなされた。中村雄祐氏(東京大学人文社会系研究科)のコメントではデジタルという手段が歴史分析の手法を開拓する一方、モノグラフを中心とした人文系諸学の研究のあり方が変容していると指摘した。さらに、活況を呈し、デジタル技術の導入に加えて考証にも力を入れるエンタメ業界の「俗流」歴史観へのプロ研究者の関わり方など、歴史研究の将来に向けた提言がなされた。

●ラウンドテーブル

  ラウンドテーブルではコメントへの返答として、筆者は責任ある史料解釈を示すことが「編纂知」の意義であり、データ構造が逆に版面の表現に制約されることはあるが、それも含めDXによる解決を進めたいと述べた。山﨑氏は経済学において再現性を担保するためのデータ提供プラットフォームは存在するが利用者向けのカタログ提供に課題があると述べた。高槻氏はデータを論文の電子附録として提供する試みを紹介する一方、データの持続的提供には国家レベルの支援が必要とした。またニーズのずれはあるが、エンタメ業界と研究者の交流は必須だと述べた。中村覚はデータの持続は機関や個人には担いきれず、ここに規格の標準化が役割を果たすだろうと述べた。

  質疑応答では、人名データベースの設計や武士以外の多様な人名の取り扱いという問題、数量データの系列の連続性や、史料自体の信頼性評価について議論が交わされた。

  最後に杉本氏から挨拶があり、シンポジウムは閉会した。史料とデータに関する二分野の対話から、DXに向けた課題と展望を浮き彫りにすることができたと考える。

Ref:
“日本近世史料学の再構築―基幹史料集の多角的利用環境形成と社会連携を通じて”. KAKEN.
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-23K21964/
近世史編纂支援データベース.
https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w30/search
幕末維新史料・横断検索システム.
https://ishin.lab.hi.u-tokyo.ac.jp/
近世経済データベース.
https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/project/kinsei-db/
JSPS人文学・社会科学データインフラストラクチャー強化事業.
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/di/