カレントアウェアネス-E
No.467 2023.11.02
E2643
トーク・イベント「エフェメラの住み処」<報告>
慶應義塾ミュージアム・コモンズ・長谷川紫穂(はせがわしほ)
2023年9月16日、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下「KeMCo」)およびNPO法人Japan Cultural Research Instituteの共催により、トーク・イベント「エフェメラの住み処:ライブラリー、ミュージアム、アーカイヴ」を開催した。本イベントはエフェメラおよび印刷物資料の所管に携わる文化三機関の登壇者による、現場からの気づきや課題の共有(第一部)とディスカッション(第二部)を通して、今日的エフェメラの意義を考える機会として企画した。
● 文化機関からの報告:「エフェメラ」に触れながら
エフェメラとは一般的に、展覧会のチラシやポスターのように長期的な使用や保存を本来の目的としない一過性のアイテムのことを指すが、その定義はさまざまである。本イベントでは登壇者との事前打ち合わせにあたって、エフェメラを「安価で複数性のある印刷物」程度の共有に留め、敢えて共通する定義を設けず各領域の現場における状況を語ることからはじめることとした。
東京都立図書館の北村智仁氏は、エフェメラの定義は領域によって定まり切らないことに留意しつつ、図書館学分野で参照される歴史的流れを概観し、公立図書館でエフェメラを扱うことについて報告した。特殊コレクションや地域資料の中にあるスクラップブック、浮世絵、マッチラベルといった実際の所蔵資料と照らしながら、そこからデータを採る際に生じる目録の既存カテゴリーとの整合など課題を語った。そして、エフェメラを通して図書館の資料を見直すことで、例えば同年代の個別アイテム同士を比較し、あるいは結びつけての資料の検証可能性が広がること、また本や図書館という比較的しっかりとした枠組みと考えられるものについて周縁から再考できることをその意義として挙げた。
「本をめぐるアート」をコレクション収集方針の一つに据えるうらわ美術館(埼玉県)の山田志麻子氏は、美術家たちの手から成るエフェメラや本といった印刷物に向ける美術館ならではのまなざしを紹介した。「造形」や「鑑賞」という視点を交え印刷物を作品として扱う美術館の態度と、印刷物がもつ「手にとって読まれる」という性質の狭間で、現場が抱えるジレンマや実践される展示の工夫について述べた。また同じアイテムでも時代によって美術的・社会的な価値判断が変わり、収蔵・公開形式への意識にも変化があることが語られた。
KeMCo副機構長であり、慶應義塾大学アート・センター(以下「アート・センター」)でアート・アーカイヴに携わる渡部葉子は、さまざまなモノが集積し、その集まり方も多様であるアート・アーカイヴとエフェメラの重なりを語った。本イベント当日は、会場で印刷物を中心としたエフェメラの小展示を行っていた。そこに1962年に草月アートセンターが発行した案内状「第15回 草月コンテンポラリー・シリーズ 小野洋子作品展」(制作:杉浦康平・小野洋子)の出品があったが、それを例に挙げながら、エフェメラのもつ個別性についてアーカイヴの観点から語った。配布当時、その一部にもやしが貼り付けられていたというデザイナーと美術家の携わったこの特殊な案内状は、現在、アート・センター内の別のコレクションで複数点所管されている。制作時は同じ姿で同じ目的のために制作・配布されていたが、約60年を経た現在におけるその残り方には違いがあり、もやしの姿を残した案内状、もやしのシミらしきものだけ残った案内状、もやしを貼り付ける前の発行元のストックとして残った案内状というように、その個物が辿った痕跡を垣間見せることを紹介した。
また、前の二機関と照らしながらアーカイヴの独自性を示した。ミュージアムとの違いについては、アーカイヴに来訪するリサーチャーが実際に資料を手に取って調査にあたるという資料提供の仕方が特徴的であること。そして、確たるインベントリーが設計され個別性が捨象されていく図書館と異なり、アーカイヴでは個別のアイテムについて個人の残存物であることが前提とされ、同じアイテムでも違った歴史を歩んできた点を辿ることができることを指摘し、第一部の発表を締め括った。
● ディスカッション:「エフェメラ」をめぐる課題
第二部では、各文化機関のエフェメラ収集の現状および考え方を語り合うことで見えてきたことから議論をはじめた。まず、各領域の境界にあったもの・本流から除外されてきたものが、まとまりを成すことで存在感を強めてきたこと、そして、そうしたものを「エフェメラ」と名づけたことにより、よくわからないが気になる存在を語れるようになったことが重要であったと指摘した。また第一部での事例共有は、エフェメラの在る場所を改めて考えさせ、その振り返りが各機関のもつ本質的な役割を明らかにするとともに、近代的制度としての文化機関の限界や矛盾を照射するとの意見があった。
またデジタル化という観点から、よりエフェメラル(一時的)な存在へも話題が展開した。チラシなどの情報媒体はウェブサイトやSNSに取って代わられるが、膨大なデジタル・エフェメラとも呼べる存在への対応は未だ課題認識の域を出ない。情報検索の上でのデジタル化の恩恵があるものの、文字情報以外の情報を有するエフェメラの場合、デジタルに拠らないところにそのモノとしての魅力があることも再確認された。
会場からの質疑を交え、エフェメラを通して、「残すべきも」のでなく「残ったもの」から歴史を考える視点、そして近年のSNS投稿にみられる一時的な情報の公開などエフェメラルな行為の出現や小さな事象が大きな現象をつくっていく現代社会のあり方との関係性まで議論は広がった。また、資料や文化財といったモノを通したMLA連携はこれまで多くはなかったが、エフェメラにその余地があることが見いだされた。
KeMCoでは2024年3月に、戦後美術における印刷物と表現についてエフェメラを切り口とする展覧会の開催を予定している。本イベントで議論された内容を一つの手がかりに、改めてモノの前で考える機会を期待されたい。
Ref:
“【終了】【トーク・イベント】「エフェメラの住み処:ライブラリー、ミュージアム、アーカイヴ」”. KeMCo.
https://kemco.keio.ac.jp/all-post/20230803/