CA640 – 紙の強化法―期待される保存技術― / 安江明夫

カレントアウェアネス
No.124 1989.12.20

 

CA640

紙の強化法−期待される保存技術−

酸による紙・本の劣化問題が知られるようになり,それへの対処法として脱酸,とりわけ大量脱酸の技術が注目をあびている。

大量脱酸が中性書籍用紙の普及と並び,重要な保存のアプローチであることは確かである。しかしよく知られているように,脱酸は,原理的には,処理後の紙の劣化を抑止するための技術であり,紙を若返らせる方法ではない。言い換えれば,充分な強度をもつ紙に対して脱酸は有効と考えられているが,既に弱くなっている紙,脆くなっている紙には効果がない。

一方,裏打ちやラミネーション,カプセル法等,種々の紙の補強法が,従来から使われてきている。しかしこれらはいずれも1葉毎の処置であり,どうしても手間とコストがかかってしまう。1冊丸ごと,できれば一度に数10冊,数100冊の単位で――つまりは大量に,安く――処置する方法はないものか。

ここに紹介するのは,この課題に応えようとする“紙の強化法(paper strengthening)”と呼ばれる技法,技術である。

紙の強化法は1970年代に開発が開始されているが,現在稼動中あるいは開発途上にある方法を3つ,開発機関と一緒に列記してみる。

a)ウィーン法

脱酸と紙強化を組み合わせた方法。水酸化カルシウム水溶液にメチルセルロースを加えた液に,本を浸漬する。水酸化カルシウムで脱酸,メチルセルロースが紙葉に薄い膜を形成して紙を強化する。オーストリア国立図書館で開発。同館では現在,週50冊の製本済新聞をこの方法で処理している。

b)重合体接合法(Graft polymerization)

英国図書館がサリー大学化学部に助成して,開発を進めている方法。

本をモノマーの混合体に浸し弱いガンマ線をあてると,モノマーがセルロースに付着して重合し,紙を強化する。

英国図書館はこの技術で,1冊当り5ドルのコストで年間10〜20万冊処理できるシステムを開発中とも言われている。

c)パリレン法
パリレン(Parylene)は米国のユニオン・カーバイト社が開発した熱可遡性ポリマー(重合体)。気化させたパリレンに熱を加えるとモノマーに変わる。このモノマーが処理チェンバーの中で冷たい本と接触すると重合し,紙葉に物理的に付着して紙を強化する。

インフォメーション・コンサーベーション社(以下,IC社)が,ユニオン・カーバイト社と提携して,請負サービスを検討している。

筆者は,昨年8月ニューヨーク在住時に,IC社に本を1冊送付して,パリレン法での強化処理を依頼した。

送付した本は,『チボー家の人々』第7巻(パリ,1936年刊)。この本を選んだのは,既に紙の強度がない,紙面がざらざらしている,砕木パルプ混入のせいか幾分変色しているなど,手近に入手できるもののなかでは,明治期あるいは戦後間もなくに刊行された日本の本と紙質や劣化の様子が似ていたためである。劣化の進んでいる,当館でいえば戦後のせんか紙本や明治期の資料に,こうした方法が適用可能だろうかということが念頭にあった。

さてパリレン法による紙強化の効果はどうか。上記図書入手の際,処理本を未処理と比較対照するため,同書第6巻(1929年刊)も購入しておいた。

処理した本と未処理本の紙の強度(耐折強さと引張り強さ)は以下のとおり。(1)

 
サンプル
 
A
B
C
D
E
1
未 処 理 紙
耐折強さ
0
0
0
0
0
引張り強さ
170
360
550
430
260
2
処  理  紙
(中央頁付近)
耐折強さ
1
3
3
6
7
引張り強さ
540
1160
1480
1410
2170
3
処  理  紙
(表紙側頁)
耐折強さ
3
9
30
34
47
引張り強さ
2700
2100
2840
3740
4160

・耐折強さはMIT耐折試験器,0.5kg荷重による回数。引張り強さの数値はg数。
・A〜Eは1頁からのサンプル(紙片)の取出し箇所を示す。Aは「天」に近い箇所,Eは頁の中央付近。

未処理の紙は耐折強さ0回であるが,処理したものは最高47回にまで強さが増している。引張り強さも処理紙は,平均して4〜8倍くらいに増大している。処理した本を実際触ってみてもわかるが,多少効果にムラがあるものの,紙の強化には成功していると言えるだろう。

英国図書館による重合体接合法でも,耐折強さが10倍くらいに増加しているとの試験結果がでているという。

これまでは,劣化してしまった本には――特に貴重なもの,稀少なもの以外は――マイクロ化等のメディア変換しか対応策がなかったが,紙強化法は,新しい保存処理法として期待しうるものがあると思われる。

大量脱酸法とともに,紙強化法の開発も要注目である。(2)


(1) 紙の強度試験はすべて,鈴木英治氏(太平製紙勤務)による。
(2) 第二国立国会図書館(仮称)設立計画本部では,資料・情報の保存の領域で,紙強化法に関する外国語文献の翻訳を準備中である。

安江明夫