カレントアウェアネス
No.119 1989.07.20
CA605
広告入り単行本−この秋,アメリカに登場
ハードカバーの単行本に広告を入れる,というWhittle Communications社の新企画は,このところ停滞気味であったアメリカ出版界にちょっとした旋風を巻き起こしている。
教育や経済などのタイムリーな話題をとりあげた100ページほどの短いノンフィクション作品を広告入りの単行本にし,年5タイトルのペースで発行し,先ずはオピニオンリーダーと思われる政界,ビジネス界,学界の15万人に無料配布するが,ゆくゆくは書店にも並べ,またリプリント権や外国出版権からの収入も考えている,というこの企画。Whittle社は,すでにGeorge Gilderをはじめとする9人の著名作家と一件あたり約6万ドルで契約を結び,作家たちは執筆にとりかかっているといわれている。
アメリカの書籍出版界は,1960年代に戦後の教育普及による知識水準の向上とマス・ペーパーバックス(第二次大戦中に兵士用読物として出された紙表紙本)の開発によって大きな飛躍を遂げたが,一点あたりの発行部数がペーパーバックスにくらべて少ないため,必然的に定価も高くなってしまうハードカバー本は,当時からペーパーバックスに押され気味で売り上げも伸び悩み状態であった。
Whittle社は,もともと医学界向けの雑誌やポスターを製作している会社であり,広告収入のハウツーを単行本に生かして価格の問題を解決し,売れ行きのよいノンフィクションに狙いをつけて動き出したという訳だ。この新商品に対する出版関係者の反応は様々である。一番懸念されているのは,本の内容がスポンサーに左右されないだろうか,広告によって単行本のイメージダウンが生じないだろうかという点である。W.W.Norton & Co.のD.S.Lamm氏は,「出版社がひとたび外からスポンサーをみつけてくると,本の内容はすぐにスポンサーの意向に沿うようになる。お金に目がくらんだ雇われ殺し屋みたいに契約すると,本自体やすっぽいものになりかねない。」と述べている。「6万ドルも手に入るなら作家にとってはいい話だね。しかしどこかで前に書いたものを短く手直しして持ってくる作家も出てくるかもしれないし,広告を出すことによって特定の会社の商品を支持しているように思われるのも困る。それに単行本の一体どこに広告を入れるのだろうか。広告によって本の中身は分断されメチャクチャになる。そんな本を売ろうとする出版社なんてその良識を疑う。」と,Farrar Straus & GiroxのStraus氏はきびしく非難する。たった100ページ足らずの内容で,わざわざ広告つきの本を買おうという読者がいるのだろうか,本来クリエイティブなはずの出版という行為がマーケティングに優先されるなんて……と否定的な声が多い中,新しいこの大胆な試みに期待する人たちもいるようだ。広告と本の内容の関係はケース・バイ・ケースで料理やコンピュータなどの実用書には広告が入っていても異和感はないし商品知識を得るために便利かもしれないという意見もある。
ハードカバー本に広告を入れようとする動きは1930年代からあったが,現在のような宅配便も普及していなかった当時は,郵送料(書籍扱い)の問題で出版社は断念,ペーパーバックスには1940年代から20年間ほど広告が入っていたが,スポック博士の育児書とタバコの広告の問題で博士が訴訟を起こし,それ以来ペーパーバックスからも広告は消えることになった。広告の扱い方は,やはり単行本と雑誌とでは違って来る。雑誌の場合,広告が入っていてもそれは“スポンサー対出版社”のイメージにとどまるが,単行本になると“スポンサー対著者”の結びつきが強く感じられるようになり,読者は本の内容にもその影響があるのではという気持を抱きやすい。広告に対する著者の意見を尊重すべきであるという指摘は当然であろう。
“big ideas, great writers, short books,”の看板を掲げ,この秋登場する新商品“bookazine”。かつてイギリスで誕生し大成功を収めたペーパーバックスに,このアメリカ生まれの“ブッカジン”がどのくらい追いつけるであろうか。出版社各社は,まずはお手並み拝見,の姿勢である。
大木由希
Ref.International Herald Tribune 1989.4.19
New York Times 1989.4.24
Publishers Weekly 1989.5.5 (p.11-12)
金平聖之助 世界の出版流通 サイマル出版会 1970 p.49-54