CA1798 – 本と出合える空間を目ざして―恵文社一乗寺店の棚づくり― / 堀部篤史

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カレントアウェアネス
No.317 2013年9月20日

 

CA1798

 

 

本と出合える空間を目ざして
―恵文社一乗寺店の棚づくり―

 

恵文社一乗寺店:堀部篤史(ほりべあつし)

 

 「本ていうのは生活の糧であり、生き物ですからね、魂を持ってる。」(1)

 

 京都、寺町二条の名店三月書房の店主であり、尊敬する書店人のひとり、宍戸恭一さんの言葉だ。このフレーズには続きがある。本は魂を持っており、1冊だけポツンとあっても生き生きとしない。いわゆる大型書店のような判型や著者名順など、機械的なインデックスで並べると死んでしまう、と宍戸さんは語る。この言葉を同人誌『sumus』の創刊号で目にしたときは、私はすでに書店員として恵文社一乗寺店に勤めていたが、それよりもずっと以前から三月書房の棚づくりに影響を受けていた。

 中高生の頃、祖父母が経営する蕎麦屋に顔を出して小遣いをもらうと、そのまま三条寺町通りを上がり三月書房へと足繁く通った。当時は青林堂から出版されているような、マイナーコミックに夢中だったので、大型書店よりもその手のコミックが充実している三月書房を選んだ。10坪程の店内にびっしりと並べられた本の中の、ごくごく一部にしか興味も知識もなかったが、他とは違うコミックの並べ方から、ここに置いてある本は特別なのだ、ということは薄々理解ができた。コミック以外に当時の自分の知識レベルで手に取れるものといえば児童書くらいのもの。 番台隣の足元に並べられた児童雑誌『たくさんのふしぎ』の中に、気になる号があったので、2冊ほど買って帰ったことがある。ずっと後になってからわかったことだが、1冊は、自分が夢中になっていた漫画雑誌『ガロ』にも頻繁に登場した沼田元氣というアーティストが「盆栽小僧」に扮して表紙を飾っていた。もう1冊には村上春樹の表紙を描いていた佐々木マキ(彼も自分が読むずっと以前の『ガロ』の常連作家だった)がイラストを描き、思想家の鶴見俊輔が文章を添えていた。手に取ったときには気がつかなかったつながりを、後になって発見した時のあの喜びは忘れられない。 拾い集めたガラクタの破片がぴったりとあわさり、そこに宝の地図が浮かび上がるような発見。思えば、三月書房での体験は、「買い物」ではなく「学習」だったのだ。

 

 

恵文社一乗寺店 店内の様子

恵文社一乗寺店

 

 

 あれから20年経った今も、仕事に行き詰まった際には三月書房を訪れ、本棚を見渡して初心に返る。今ようやくその棚に並ぶ本が少しずつ理解できるようになった。必要な商品を選びに通ったのではなく、その空間と共に通う自分が成長していったため、本棚の景色は時間と共に変化していくのだ。自分の知性や興味の設計図に、足りない部品を与えてくれるのではなく、設計図そのものを書き換えてくれるような本屋が三月書房だ。

 反対に、オンライン上での情報検索や、インデックス順に並べられた大型書店、資料館や図書館で、あらかじめ決まったタイトルの必要な資料を探し求めることは、知性の設計図に欠けているパーツを取り寄せる、消費に似た行為だ。検索し、本を探す時、われわれの眼は必要としている本以外にとまることはない。まして、必要な情報が明確であればあるほど、それは書籍の形をしている必要すらなく、オンライン上の情報検索であらゆることが概ねフォローできる時代である。パスタと相性の良いオリーブオイルの種類、隣町の映画館の上映スケジュール、昨日読み終えた小説を書いた作家の生年やプロフィール。必要なものが何か明確に理解していれば、検索ボックスにそれらの単語を打ち込むだけで情報は入手できる。

 それでは、書籍の存在意義とは何か。実用や即効性のある純粋な情報ではなく、著者の主観や編集、ブックデザインという幾人もの手が加えられたものが書籍である。その著者ならではの、提案があり、かつ著者の美意識によってコーディネートされた美しい写真が掲載され、それにみあったレイアウトが施されたもの。オリーブオイルの種類を調べるつもりだったのが、著者ならではの世界観や調理方法に驚いたり、反対に料理には関心がなかったのに、美しいブックデザインで手に取ったのをきっかけにイタリア料理の世界に入っていけるような、モノとして魅力的な本。それらはウェブ上のテキスト情報とは一線を画している。だから恵文社一乗寺店では、いわゆる実用書を避け、ブックデザインや編集にこだわった書籍を基準にセレクトする。

 

 では、セレクトした本をどのように並べるのか。在庫量の多さや、アクセスの便利さを求めるのであればオンライン上の大型書店や検索システムにかなうものはないだろう。恵文社一乗寺店のような中型書店のやるべきことは、検索とは正反対の予期せぬ出合いを提供することだ。お客様が必要な情報をスムースに提供するのではなく、かつて私が三月書房で経験したように、時間をかけて「知らないことすら知らなかった」世界に触れるきっかけを作ること。

 

 例を挙げてみると、当店では文庫やハードカバー、シリーズなど出版社側が設定した判型やジャンルで本を並べない。ほとんどの棚がテーマ毎に分けられており、そこには文庫があり、ハードカバーがあり、絵本も写真集も並べられている。例えば「食」をテーマにした本棚には、料理書はもちろん、池波正太郎による食にまつわる随筆、久住昌之が原作を手がける『孤独のグルメ』のようなグルメ漫画、月刊『たくさんのふしぎ』の和菓子特集号など、子ども向けのタイトルも並列に鎮座する。そのようにして並べられた本は、「絵本」や「文庫」という便宜上の分類を超え、内容によってあらたな文脈を獲得するのだ。パスタのレシピを捜しにこられたお客様が、イタリア料理の文化史や、スパゲッティの食べかたについて綴った随筆に出合うための仕掛けである。

 もう一つ別の例を挙げよう。ショートショートの名手として、数多くの短編を書き、SF的設定とニヒルな世界観を持った作品で知られる星新一という作家がいる。彼の作品の多くは新潮文庫のラインナップになっており、2013年現在、それらの背表紙はすべて黄緑色をしている。大型書店のように、新潮文庫の「ほ」の著者の棚に、できるかぎりすべての星新一作品を丁寧に並べるのであれば、おそらく文庫が収まる棚一本ちかくが黄緑色に染まることになる。読者はそのような背表紙をみただけで、作品の違いを理解し、この1冊を読んでみたいという衝動を持つことができるだろうか。おそらく、特定の作品をなんらかのきっかけで読む必要が生じたお客様にはとても便利なのかもしれないが、星新一がどういう作家なのか知らない読者には手にとるきっかけすら生まれないだろう。ショートショートやSFというパブリックイメージが定着している著者だが、中でも異色の児童向けファンタジー『ブランコのむこうで』という作品を新潮文庫のラインナップに残している。恵文社一乗寺店ではこの作品をあえて、女性向けのロマンティックな小説や、ファンタジックな画集と並べて、表紙が見えるように設置する。すると『ブランコのむこうで』が持つ「新潮文庫の『ほ』の作者」や「ショートショート」という文脈とは切りはなされ、前後左右の本からこれが星新一の作品でもここにならぶような異色の作品であり、まわりの作品が好きならば手に取ってみたいものとしてあらたな文脈を獲得することになるのだ。こうして当店では『ブランコのむこうで』がロングセラーとなった。

 

 このようにして、お客様に思わぬ出合いを提供することこそが、大型書店やサーチエンジンにはない、街の書店が担うべき仕事ではないだろうか。書店も図書館も同様、これからは本にアクセスしやすい場所ではなく、思わぬ出合いを提供する場としてその存在意義が問われるだろう。魂を持たない「情報」としてではなく、魂を持った存在として本をどのように扱うか。足を運んでくれたお客様を知の森へと誘い込むため、発見を誘発する「棚づくり」こそが課題となってくるだろう。

 

(1) 宍戸恭一ほか. 特集, 三月書房: 本は魂を持っている. Sumus. 1999, (1), p. 16-13.
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5180/sumus-ex.htm, (参照 2013-7-31).

[受理:2013-08-08]

 


堀部篤史. 本と出合える空間を目ざして―恵文社一乗寺店の棚づくり―. カレントアウェアネス. 2013, (317), CA1798, p. 2-4.
http://current.ndl.go.jp/ca1798

Horibe Atsushi.
The Creation of the Space Where People Meet Books: The Way to Arrange Book Displays at Keibunsha-Ichijoji.