一歩前へ〜アチェにおける被災文書の修復活動
One Step Forward – Relief Work for Damaged Documents at Aceh, Indonesia
坂本 勇
(有限会社東京修復保存センター代表)
Isamu Sakamoto
Paper Conservator, Director of the Tokyo Restoration and Conservation Center
1.スマトラ沖大地震への「五人委員会」対応の特色
昨年12月26日にスマトラ沖で発生した大地震・大津波から間もなく一年となります。世界の隅々にまで報道された、すべてを呑み込み押し流していく大津波の衝撃的映像が思い出されます。数十万人の失われた人命のためにも、発生から現在までの被災地への支援について、実際にどのようなことが出来たかということを振り返っておくことは、今後の災害対策に参考となると考えます。
振り返りますと、ちょうど阪神淡路大震災から10年の記念の日である1月17日に「スマトラ沖大地震・大津波被災文化遺産救済支援五人委員会アピール」を国内各機関、団体、個人に向けて、事態を憂慮した5名のメンバーの連名で出しました。アピール文はその後2月3日に「スマトラ沖大地震・大津波被災文化遺産救済支援五人委員会緊急第二次アピール」として出し直され、本日の配布資料にその両方の全文が入れてありますので、ご覧いただければと思います。
五人委員会の中で、青木繁夫、安藤正人、高山正也、坂本はいずれも阪神淡路大震災の際に、早い段階で被災地に入って救援活動を実際に行った共通体験を有しておりました。この神戸、阪神間での「被災地での経験」というものが、スマトラ沖大地震で未曾有の被害が伝えられた被災地への「何か具体的な支援をしよう」という思いを抱かせ、実際の行動に向かわせたと考えます。この神戸経験が、世界にたくさんの国々がある中で、より踏み込んだ今回の支援を実践させた特色になったように思います。
短く五人委員会の行いました活動を紹介しておきます。
- まず、1月17日の段階では、支援対象は被害を受けたスリランカ、タイ、インドネシアなど全エリアとし、文化遺産に関わる被災情報の収集に重点を置き活動を開始いたしました。しかし、マスコミを経由した情報は乏しく、インターネットの情報も膨大にあるものの、求める種類の情報はほとんどありませんでした。文化遺産に関わる正確な被災情報がなければ、ゼロからの支援形成の場合には具体的な動きが出来ません。そこで、五人委員会のメンバーのネットワークを活用し、被災情報を集めることが活動スタート段階での最も重要な作業となりました。特に、安藤、坂本の人脈がインドネシアに集中していたこと、また坂本が1998年7月にアチェの文書調査を国際交流基金の助成で行っていたことから、インドネシア国立公文書館を窓口にした情報収集にその後傾倒していくことになりました。
- しかし、メイルや電話での情報収集には限界がありました。今後の救援活動開始に必要な「専門的な直接情報が得られなかった」のです。そこで、募金などでは時間を要することからトヨタ財団に折衝し、財団の迅速な対応によって100万円の「緊急調査・物資調達助成」を得ることが出来ました。声明を出してから6日後の1月23日に、坂本ともう一名が緊急レスキュー活動に必要と思われる「段プラ(水に濡れても大丈夫な強化スチレン製ダンボール箱。この製品は今後の災害用品として非常に役立つものです。)」「消毒用スプレー」「消毒エタノール液」「マスク」「ゴム手袋」「大判プラスチック袋」「懐中電灯」など約140キロをジャカルタに携行搬送しました。
アチェの状況は非常に混乱しているとの情報から、一週間の活動はジャカルタに限定されましたが、インドネシア国立公文書館、インドネシア国立図書館各館長などとの、今後の支援についての協議を精力的に行いました。また、ひとつのやり方として、現地アチェに調査に行きたいが「旅費」「撮影機材」が無くて実現できないでいる旧知のインドネシア人研究者に20万円の緊急支援を行い、外国人では難しい現地調査をいち早く行ってもらったことがあります。神戸での経験からも、外部からの支援の重要性とともに、連携して「地元」の専門家や住民の参画が不可欠ですので、このような地元に強い研究者による初期段階の調査などは今後も大切なことと考えています。 - 現地情勢が落ち着いていく状況と、実際の被災資料の救出のタイムリミットを勘案し、被災地アチェに入る時期を2月6日から8日間と設定しました。ジャカルタでの情報では「依然アチェは危険な状態」との説明で、アチェでの私どもの緊急活動は2日間に限定せざるを得ませんでした。しかし、実際に踏み込んで見聞したアチェの暮らしは神戸の同時期よりもはるかに明るく、食材も豊富でした。2日間の限られた日程の中で、国立公文書館側が用意した機関、施設の被災調査を行い、また2日目の午前中には7機関20名の職員に対し「被災資料救出法ワークショップ」を実施しました。また、内外のマスメディアへの紹介も積極的に行いました。
被災資料の救出タイミングとタイムリミットという厳しい課題は、災害の種類と現場の状況に左右されますが、多くの場合、文化庁が出した「文化財防災ウィール」に記載されていますように48時間以内位の迅速な対応が望ましいとされます。特に、水が介在している災害の場合は、24時間位で緊急排水や除湿など「湿度を下げる処置」を行うことが、その後の救出・復旧作業で「費用を節約し、回復率を大幅に高める」効果が指摘されています。 - こうして、災害発生から2ヶ月間ほど手弁当で行ってきた五人委員会の活動でしたが、手弁当で行える限度を当初から見越し、現地のニーズに応じて、ある段階で公的機関などへ活動の引継ぎを行う必要を考えていました。
今回のアチェでの活動では、被災文化遺産へのケアとともに、住民の権利の重要な法的根拠となるバイタルレコード(vital record)と呼ばれる土地台帳の保全・修復事業を、公的機関に引き継いでいくことが望ましいと考えられました。引継ぎを実現していく上でも人的関係は重要な要因となり、その結果としてこのバイタルレコードの保全修復事業はJICA(独立行政法人国際協力機構)に引き継がれることが決まりました。
トヨタ財団の緊急調査派遣から数えて3回目になりますが、JICAの専門家として坂本が2月23日から23日間アチェに入りました。アチェに再び入ったのは災害発生から2ヶ月が経っていましたが、アチェに踏み込んだ外国の文書修復専門家は坂本1名のみで、次のような救出保全活動を行いました。
(1)泥落とし、消毒エタノール浸漬
被災直後のアチェの人々の状況ですが、大津波で厚く被災地を覆った泥を人々はマグマと呼び、生きた木々も枯らしていく現象に恐怖感を深めていました。そのため、いかなる文書の救出であれ、まず恐怖感を除いていくことが重要と考えられ、市販の水を使って表面の泥を洗い流し、消毒エタノールに浸けることを行いました。消毒エタノールに浸ける目的は、安心感を与えることと共に、セルロースで出来た紙が熱帯の高温多湿の下で急速に腐敗劣化していくことに対し、防腐効果が期待できること、及び今後の凍結処理に必要な水分を保持させることを意図しました。
(2)搬送用記録、箱詰め
消毒エタノールに浸漬したのち、一点毎にアーキビストが年代、件名などを採取記録していき、簿冊同士が凍結時に固着しないように耐水紙でラッピングをして、プラスチックボックスに背を下にし、立てて箱詰めしていきました。
(3)空軍機での搬送
アチェには冷凍倉庫が無かったことから、BPN(国土庁)長官の特別決定で、アチェからジャカルタの冷凍倉庫に、インドネシア空軍輸送機に2回に分けて積み込み搬送されました。総重量は13トンにもなる大規模なバイタルレコード救出作戦となりました。
(4)今後の作業
凍結された土地台帳を安全かつ効率的に乾燥させるために、日本から搬送した大型の真空凍結乾燥機(重量約11トン)を用いて乾燥がなされます。ちなみに1回で乾燥できる冊数は200冊余となっており、1工程は約1週間を要します。
講演の本日も土地台帳修復支援事業統括責任者としてインドネシアに派遣中となっております。この日本政府が支援する「アチェ津波災害被災土地台帳修復支援」事業は数億円の費用を投入し世界の注目の下で、2006年夏まで継続される予定です。
2.アチェで見たこと、聞いたこと
1998年に調査で訪ねた時から7年が経っていますが、街のシンボルである立派なモスクも痛々しく傷つき、周囲の美しかった芝生や花壇は消え去っていました。前回見せてもらったイスラムの古文書の多くは津波で流され永遠に再会できなくなっていました。宿泊した大きなホテルも完全に崩れ去っている状況でした。
被災した通りの沿道では個人の本や写真を炎天下で広げて干している光景を見かけましたが、多くは急激な乾燥や処置の遅れで永久に使えなくなっていました。家族の思い出、地域の記憶が、今回もまた膨大に失われてしまったのです。
アチェ・イスラム国立大学(Ar-Raniri)や新聞社の重要な情報サーバーは、盗まれたり、塩害で腐食しずっと放置されている状況でした。過去の蓄積された重要デジタル情報があっけなく全て消え去ってしまったのです。
津波に1階を完全に流された図書館、文書館の被害では、貴重な一点しかない60年代スカルノ時代の写真アルバム300冊や、行政府の警察資料、裁判資料、税務資料など一旦救出されながらも「修復専門家が不足したため」永遠に失われたものが多々あったとされます。
今回の大災害が契機となって、失われた人命、文書、歴史遺産への鎮魂の思いで、残された文化遺産、文書などが積極的に保護され保存されていくことが願われます。
3.評価と反省
他国や他地域で発生した大災害に国際的な支援を差し伸べることが一般化し、プロフェッショナルに行われていく流れにあると思います。また、機会あるごとに蓄積されてきた経験の記録化と共有化も増えてきて、未経験地域の人々も過去の経験に学ぶことが可能となってきました。例えば1997年に大洪水を経験したコロラド州立大学図書館がまとめた600頁もの「図書館災害計画と復旧ハンドブック」はハワイ大学の災害時にも参考にされたといいます。これらは、今後世界的に大規模災害が多発していく情勢からも大事な評価される点だと思います。
しかし、その一方で今回のアチェでも苦い経験となった、保存修復専門家など特殊技能を有する専門家が迅速に動ける支援体制などの確立は今後の課題としてあります。度重なる災害発生や経済の低迷で「救援資金の不足」や「人材支援・派遣体制の欠如」は世界的に深刻な問題となっています。
ぜひとも、過去の反省と課題の上に、1歩でも前に現実的、実践的に踏み出していき、人材支援・派遣体制の確立に前進していくことが求められていると思います。
4.国内支援体制、国際的支援体制
これまでに図書館、文書館、博物館などにおいて様々なネットワークが結ばれてきました。ネットワークの形成・発展を促進するインターネットなどの通信技術、インフラ整備は急速に発達してきています。
2004年9月の「ワイマールのアンナ・アマリア公爵夫人図書館大火」、同年10月に起こった「ハワイ大学アマノ校ハミルトン図書館鉄砲水災害」、同年12月に起こった「京都大学人間・環境学研究科総合人間学部図書館配管破損事故」の例でも、迅速で具体的な災害対応が課題となり、困難を克服していきました。
今後求められていくのは、災害に直面した現場に必要な「具体的な支援」を可能にしていく「支援体制」です。すでに民間ではBELFORなどの災害復旧支援企業が実績を上げてきており、拡充されていくことと思われます。
では民間災害復旧支援企業が充実してくれば図書館、文書館自体では災害対策、国際的な支援体制など、どんどん軽減していけばよいのでしょうか。 答えはノーです。
特に、資料の中身を一番熟知しているスタッフが居られる図書館、文書館が担わなければならない専門的責任と互助精神が必要であり、人任せでは、助かるものも助からない悲劇が生まれます。
これまでの先例から私たちの学ぶべきこととして、世界の被災図書館などを支援することは、国内の災害にも強くなることを意味しています。
そして、このような世界各地での被災図書館の支援を円滑かつ効果的に行うためにも、IFLAおよびIFLA/PAC地域センターが「災害発生後すみやかに関係情報収集を開始し、アクセスコードを保有する登録会員間で信頼できる情報を共有化出来る機能」をWEB上に構築することが、まず望まれます。活発に機能できる機動性のあるコアが出来ることで、様々な財源確保や、BELFORなど災害復旧企業および修復専門家を擁するAIC(アメリカ修復保存協会)、CCI(カナダ修復保存協会)、IADA(国際修復家協会)、文化財保存修復学会などとの連携も現実的になってくることと考えます。
日本は今回のスマトラ沖大地震救援で神戸の経験をインドネシアに活かすことが出来ました。今回被災経験を有することになったスリランカやインドネシアの専門家の方々が、次には他国の災害に対して、その経験を活かして支援していく立場になって、支援の輪が世界中に張り巡らされていくことが願われます。