カレントアウェアネス
No.123 1989.11.20
CA633
「フランス図書館」(TGB)建設計画に新たな進展
ミッテラン政府が進めている「フランス図書館」(TGB)(注)の建築設計者に36才の気鋭のフランス人建築家ドミニク・ぺロー氏が選ばれた。今春世界各国250名の建築家の中から書類選考で20名の建築家(またはグループ)が選ばれて国際コンペにかけられていたが,去る8月16日最終選考に残った4人の中から大統領自らが裁断を下し,ぺロー氏が受賞に輝いた。
氏の設計案の模型は,数日後始まったIFLAパリ大会中,ジャック・ラング文化大臣主催の歓迎レセプション会場にあてられたルーブルのピラミッドに初めて飾られ,式典に花を添えた。ラング文化大臣は開会の辞の中でTGB計画に言及し,大要「この大図書館は数年後強力な牽引機関車の役割を果たすことになろう。フランスに於ける図書と情報の政策の要となり,この図書館が生み出すサービスやデータベースは国内はもとより外国のパートナーもこれを享受することになろう」と述べた。
ぺロー氏の案は,パリ13区のセーヌ左岸沿いにある建設用地(約200m×400m)の4隅に,市の建築基準許容限度一杯の高さ100mの塔のような高層ビルを4棟建てるという図書館としては異色のもので,鋼鉄とガラスでできた透明なビル群は,それぞれがL字型をしており,丁度90度開いた4冊の〈本〉が互いに向き合ったように建てられる。設計者によれば,これらのビルの内部のどこからもセーヌ川を見渡すことができるという。4棟のビルの総床面積は27万m2で,事務室と書庫に使用される。一方,4棟のビルに囲まれた広場のまん中には,地下に向かって長方形の庭園がくり抜かれ,この庭園を取り囲むように地下部分に閲覧室(約6,000席)が設けられることになっている。
ぺロー氏の案は未だデッサンの段階に過ぎず,今後1991年の着工までの約1年半の間に関係者と綿密な協議が重ねられ,細部が決定されていく予定である。
ところでラング文化大臣は,IFLAの会期中,このプロジェクトに関して記者会見に臨み,「現在,国立図書館(Bibliotheque Nationale,以下BN)が所蔵している印刷刊行物の全てをフランス図書館に移管するという考えは,この未来の図書館の構想に新しい可能性をもたらすだろう」と述べ,1945年を境としてBNのコレクションを分割するという従来の政府の決定を事実上撤回する発言を行った。去る4月以来、BNの蔵書の分割に対する抗議の声が各界に広がっていた。季刊誌Le Debat〔論争〕が5/8月号でこの問題を大きく取り上げたのがきっかけとなって,去る7月,まず知識人・研究者グループが,次いでBNの上級司書のグループがそれぞれの立場から相次いで政府に対し公開質問状をつきつけたのである。
IFLA大会が終わった9月11日,バスチーユの新オペラ座に文化大臣をはじめとする政府側関係者とLe Debat誌編集長を含む知識人,学者,図書館員等が一堂に会し,このプロジェクトに関する公開シンポジウムを開いた。席上,文化大臣は改めてBNの所蔵する図書及び逐刊物の全てを新図書館に移管することを言明し,かつ「今後このプロジェクトを推進するにあたっては利用者の声を聞く」と確約した。
この結果,未来の「フランス図書館」は図書・逐刊物の全てと視聴覚資料(メディアテック)を所管し,一方,BNは手稿本,版画,写真,貨幣,メダル,ポスター等を所管する博物館ないし美術図書館的な役割を担うこととなった。
昨年夏にミッテラン大統領がこの大プロジェクトを発表して以来1年が経過した。振り返って見れば,紆余曲折を経ながらも,この間に様々な問題が落ち着くべきところに落ち着き,新しい「フランス図書館」の建設計画が現実のものとしてようやく動き始めたと言えそうである。
(注) フランスの未来の図書館の名称は,マスコミ等で<TGB>として広く流布しているが,政府は去る4月12日の閣議でこの図書館の正式名称を「フランス図書館」(Bibliotheque de France)と定めた。なお昨年来のこのプロジェクトの経緯については,本誌CA564,CA595,及びCA599も併せて参照されたい。
門 彬
Ref. Le Monde 1989.7.12/Ibid., 1989.7.19/Ibid., 1989.8.18/Ibid., 1989.8.22/Ibid., 1989.9.13/Le Figaro 1989.8.22/Liberation 1989.8.22/Le Nouvel Observateur 1989.8.24-30/L'Express no.1990, 1989.9.1/Le Debat no.55, maiaout 1989/Livres Hebdo no.32-35, 1989