CA772 – 情報社会での図書館員の役割―オルテガの評価をめぐって― / 田中久徳

カレントアウェアネス
No.147 1991.11.20


CA772

情報社会での図書館員の役割−オルテガの評価をめぐって−

情報社会の中で,図書館員は将来的にどのような役割を果たすべきなのか。伝統的な図書館員に代わる新しい情報専門職の確立が必要なのであろうか。

情報専門職のイメージを初めて提示したのは,『大衆の反抗』で知られるスペインの哲学者,ホセ・オルテガ・イ・ガセト(Jose Ortega y Gasset: 1883-1955)であった。ここでは,アメリカ図書館界でのオルテガ論争を紹介し,情報専門職についての考察の一助としたい。

オルテガは,1934年国際図書館員会議に招待され,「図書館員の使命」と題する講演を行った。彼の提起した問題は,人間の消化能力を超える書物の量的氾濫と馬鹿げた書物が奔流のように生産される一方で,必要な書物が欠如するといった無秩序な知識生産の現状にあった。

彼は,このような危機を克服するために,図書館員は書物の生産を組織化する役割を担う必要があり,さらに,書物の原始林の中で,読者を導く医者,衛生管理者として,書物の奔流と生きた人間とを結ぶフィルター機能を果たさなければならないと主張したのである。

オルテガの提出した新しい図書館員像は,各国語に翻訳,紹介されたが,とりわけ図書館が文化改良の思想とわかちがたく結び付けていたアメリカ社会で広く受容されていった。

初期のオルテガ論争は,「選書か検閲か」として展開していく。例えば,モルツ(K. Molz)は,ポルノなどの俗悪な出版物の氾濫に対して,図書館員による排除の正当性を主張し論議を巻き起こしたが,彼女の結論には明らかにオルテガが深い影響を及ぼしている。

アメリカにおける公共図書館活動のオピニオン・リーダーとして著名なシェラ(J. Shera)は,図書館が思想普及に果たす潜在的力は,有益性,有害性を併せ持つ両刃の剣であり,公共図書館は,責任ある市民の啓発という神聖な使命を果たすべきものとして,オルテガの主旨に理解を示した。しかし,彼は図書館員による検閲を是認したわけではなく,偉大な書物の普及活動に徹する立場を堅持している。

また,アシャイム(L. Asheim)は,アメリカの図書館サービスにおけるオルテガの意味について,系統的研究を続けた一人として知られるが,マッカーシ旋風の荒れ狂う1953年に,「検閲でなく選書を」と題する論文を発表している。彼は,検閲と選書の違いを考察することにより,検閲という知識アクセスの制限を批判する一方で,専門家による知識の選択の方法を模索する。

70年代に始まるベル(D. Bell)の「情報社会論」は,アメリカの知識人の想像力を捉え,図書館員の社会的役割についても甚大な影響を与えた。ベルのビジョンは,明かにオルテガの論考の延長として位置づけられるものである。

ベルの示した新しい情報専門職の役割では,情報アクセスヘの効率を保証するために不要な意味のない情報を排除することが求められている。彼は,情報を要約,価値評価し,なにを残しなにを捨てるべきかを決定する社会的機関をわれわれは必要としているのだと主張する。

「工業社会から情報社会へ」というパラダイム変革を柱とするベルの情報専門職論に対して,ブレイク(F. Blake)が,反撃の火蓋をきる。彼女は,ベルのビジョンは,情報の貧富の格差を助長するものであると警告した。

さらに本格的な反撃は,ベルニングハウゼン(D. Berninghausen)により始められた。彼は社会的存在であるテキストのどの部分であろうとも図書館員による削除は行われるべきではないと主張し,ベルの背後に存在するオルテガの思想そのものに遡り攻撃を加えた。

この問題について最も深い考察を続けているアシャイムは,1982年,「オルテガ論の修正」という論文を発表し,情報過剰の状況を改善するために情報流通の制御が必要である点においてオルテガを評価するものの,図書館員はあくまで利用者の情報要求と情報ストックとの仲介者であるべきだとして,オルテガ,そしてベルの知識制御論とは一線を画す姿勢をとる。

オルテガの評価をめぐる一連の論争では,ベル,オルテガのビジョンに対する否定的評価が優勢となっている。しかし,両者の提起した情報危機の克服は,一層深刻な課題となっている点も確かな事実である。

図書館員は情報内容に対する中立性と受動性を堅持すべきなのか,それとも知識生産や評価に積極的に関与する専門職としての地位を確立していくべきなのか,この論争の奥行きは深い。

田中久徳(たなかひさのり)

Ref: Sosa, J.F. et al. Jose Ortega y Gasset and the role of the librarian in post-industrial America. Libri 44 (1) 3-21, 1991