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3.1 アメリカ議会図書館

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元図書館情報大学 副学長  藤野 幸雄(ふじの ゆきお)

(1) 概要

 アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress: LC, 以下「議会図書館」という)は、アメリカの独立とともにフィラデルフィアに成立した。当初は、連邦議会議員の教養に資するためのコレクションとして、トマス・ジェファーソンが自分の蔵書を買い取らせて作らせたものであり、それまでは連邦議会はベンジャミン・フランクリンの会員制図書館組織「フィラデルフィア図書館会社」を利用させてもらっていた。ジェファーソン文庫はその後火災にあって焼失し、ほとんどもとの姿をとどめていない。1800年に首都がワシントンD.C.に移転し、議会図書館も同時にそこに移転したが、1814年のイギリス軍の侵略により蔵書は蹂躙された。

 この図書館が発展を遂げたのは、南北戦争の後であった。戦争当時の議会図書館長は従軍医師でもあり、図書館の業務を折からインタビューにやってきた新聞記者のスパッフォードに託して、自分は戦場に出て行った。スパッフォードは、戦後の1864年に館長に就任、以後32年間その職にあった。この期間はアメリカの発展期であって、図書館の蔵書は急速に増え、新館の建設が必須となった。連邦議会は、議会図書館の発展に関し、館長自身の功績をも認めており、この図書館が「国立図書館」の役割を担う準備はできていた。新館の設計を進めたスパッフォード館長は1897年に引退した。

 後継館長のヤングは、新館建設実現の任にあたったが、その死去により在任期間は短かった。彼の残した功績としては、視覚障害者の図書館利用に道を開いたことがあげられる。議会図書館が真にその地位を確実なものにしたのは、1899年より40年間にわたり館長として君臨したハーバート・パトナムの時期であった。小柄なパトナムはパトナム出版社の会長の息子であり、ボストン公共図書館の館長というアメリカの政界および図書館界のエリートであり、その任期の間に充分に手腕を発揮した。館長就任と同時に完成させた見せ場として見事な建築の新館は、1930年代にはすでに手狭となり、第二の建物「アダムス・ビル」を本館の裏手に完成させた。パトナムが議会図書館をアメリカ最大規模の図書館とし、その機能を発揮させたのは、彼がとりあげた二つの仕事によるものであった。その第一は「印刷目録カードの配布」であり、アメリカ国内のすべての図書館の要としての位置を確保するのに役立った。その第二は「議会図書館分類」の編纂であり、学術図書館の資料の組織化に役立つ分類体系がここに実現された。第二次世界大戦以後、大規模な蔵書コレクションを抱えるアメリカの図書館は相次いで議会図書館分類に切り換えていった。

 第二次世界大戦の期間は、文人のマクリーシュがルーズヴェルト大統領の指名で館長の地位に就き、戦時期の図書館界を指導したが、戦争の終結後にはアメリカは新たな繁栄の時代を迎えた。1948年に創設された日本の国立国会図書館は、アメリカ議会図書館のクラップ副館長が中心となって勧告案が作成されたことにも見られる通り、議会図書館はすでに世界の図書館の動向に対しても支配的な地位を確保していた。戦後世界の図書館活動に対して、議会図書館はきわめて大きな役割を担ったが、それを推進したのは歴代の館長であった。1954年より20年間議会図書館の運営を担当したマンフォード館長は、蔵書の未曾有の拡大に貢献し、その範囲はアジア・アフリカ資料まで及び、世界各地に議会図書館の事務所が設けられ、現地での資料の獲得とそこでの「記述目録のシェアリング」を実現させていた。これはアメリカ国内の学術図書館に対して大きな意義をもつものであった。大学での地域研究は議会図書館所蔵資料により支えられた。たとえば、日本研究は、日本の国立国会図書館から寄贈される官庁刊行物の寄託図書館としての議会図書館が大きく支援することになった。この間に、アメリカ国内の資料も音声資料や映像資料にいたるまで収集された。

 議会図書館において、機械可読目録「MARC」が開発されたのは1960年代の半ばであり、その実現により、情報検索の新たな時代が到来した。出版物の書誌情報はデータベース化され、図書そのものにもCIP(Cataloging In Publication)として目録記述が記載されるようになった。技術革新の先頭に立った議会図書館は、紙の劣化の研究などにも新機軸を打ち出した。

 マンフォード以後の2代にわたる議会図書館長はいずれも大学の研究者であり、アメリカ史のブーアスティンとロシア史のビリントンである。1960年代後半にはアメリカの繁栄に陰りがさし、ベトナム戦争や社会情勢の荒廃など新たな苦難に直面することになった。しかし、議会の後ろ盾を拠り所とする議会図書館は館長の指導力を梃子に発展を続けた。ブーアスティン館長時代の1980年に従来の旧館ジェファーソン・ビルの横手に巨大な第3の新館マディソン・ビルが完成し、アメリカ社会におけるこの図書館の位置づけを象徴するものとなった。こうして議会図書館は、特に在任期間の長かった館長、パトナム、マンフォード、ブーアスティンの時代に大きく発展した。

(2) 最近の動向

 現議会図書館長のジェームズ・ビリントンは1987年以来この職にあり、すでにその在任期間は20年に達しようとしている。この間にビリントンが行った内部改革とその活動は、議会図書館の歴史に新しいページを書き加えている。

 その第一は資料の電子化計画であって、その規模といいその意義といい、他の諸国の国立図書館では真似のできない資料の総合的なデジタル化とその利用者への提供であり、「アメリカン・メモリー」と呼ばれている。この新たな取り組みは西暦2000年の議会図書館創設200周年を記念に実施されたものであり、すでに基礎資料のデジタル化は終わっている。議会図書館のホームページにはこのように書かれている。「アメリカン・メモリー。アメリカの歴史を語る文書、写真、映画、音盤の記録を収録し、アメリカの教育担当者の利用に開かれている。ここには各時代の大統領の写真その他すべてが採録されている」。

 この記録の狙いは、全米各地の小学校・中学校の教材にアメリカ史の主要な文献・映像・音声データを自由に利用させる点にあった。クリントン政権下に実現した「情報スーパーハイウェイ」の基盤整備をもとに、いずれの僻地にあってもこうした資料を画面に呼び出して学校の教室で利用できるようになっている。19世紀の西部の開拓は当時の写真や地図によって紹介され、リンカーン大統領のゲティスバーグ演説も、リンドバーグの大西洋横断単独飛行も、目に見え耳で聞くことの出来る形の教材となり得る。議会図書館が国民に向けて開かれたサービスを提供し、連邦議会の信頼を見事に勝ち得た活動であった。電子化計画は「アメリカン・メモリー」に限らず、すでに1991年からはじめられており、当然、著作権が消滅し公有のものとなった歴史資料が対象とされた。今後とも、このような計画によって、デジタル・データは付け加えられてゆくであろう。

 ビリントン館長が手がけた外国語資料の収集計画も独自のものであった。ロシア史が専門の館長にとって、1990年代の社会主義の崩壊は、議会図書館にとって資料収集の絶好の機会となった。独立した旧ソ連邦の共和国からの資料は、これまでは入手が難しかったからである。交換協定により、議会図書館はこうした中央アジアやバルト3国、カフカスの3共和国の資料も収集できるようになっている。外国語資料は議会図書館が歴史的に重視してきたところであり、たとえばここは日本研究の資料などにも長い歴史をもっていた。かなりの時期にわたり、東京に事務所を構え、国立国会図書館の目録を利用してアメリカ本国に本と灰色文献を送っていた。1991年から議会図書館内に「日本ドキュメンテーション・センター」を設置し、データの蓄積を図り、そこには在日本アメリカ大使館で翻訳していた新聞・雑誌の記事なども入力されてきたが、現在はその日本ドキュメンテーションは廃止されている(収集された資料はいまなお利用できる)。

 もうひとつのビリントン館長の目標は、外国語資料の翻訳計画であった。これも外国研究にみずから立ち会ってきた館長ならではの企画であり、外国語、特にロシア語、アラビア語、日本語などの、非ヨーロッパ言語の科学技術論文、報告書、国際会議のペーパー、特許などを英語に翻訳して資料として蓄え、研究者の利用に供するものである。これは1953年よりシカゴ大学内のジョン・クレラー図書館のなかに設置された全国翻訳センター(NTC)が、1957年のスプートニク・ショック以後にロシア語技術文献の英訳を担当していたが、1988年に当該業務の打ち切りが決定されたのを受けて、ビリントン館長がNTCと交渉し、議会図書館がこれを継続することとされたものである。そのとき、それまでに翻訳されていた約40万点の翻訳論文も同時に議会図書館に引き取られた。研究者に向けての科学技術資料の翻訳提供は、今後とも着実に増大するであろう。イギリスでも英国図書館が同様のサービスを行ってきたが、今後はむしろアメリカ側の主導でこのような事業が展開してゆくことが予想されるし、世界各国からの利用も期待されている。

 身障者サービスは19世紀末にジョン・ヤング館長が取組み始めたものであり、現在では議会図書館内の最大の活動として知られている。議会図書館は国立の視覚障害者図書館となっており、国内の公共図書館に直接サービスするべく、点字資料とその他の資料の所蔵量は最大規模を誇り、その利用の技術開発にも取組んでいる。

 資料の増加はあらゆる分野に及び、先にふれた通り、外国文献の収集にも積極的で、日本語コレクションについても、おそらく議会図書館のそれは日本以外では最大のもので、他の諸国語に関しても同様のことが言える。日本から議会図書館に寄贈される政府刊行物は、アメリカの大学の日本研究を支えていることが知られている。

 アメリカの文化の保存は、特にアメリカ国内の関心が高く、この分野でも議会図書館に寄せられる期待は大きい。19世紀に大英博物館がイギリスの文化遺産の宝庫であったごとく、議会図書館は19世紀から20世紀にかけてのアメリカ文化を強力に蓄積し、その一大パノラマを形成している。音楽、映画、大衆文芸に関わる資料の保存にも熱心である。毎年、映画の優秀作品を選定してその普及を推進しており、ジャズやポピュラー音楽もその対象とされてきた。1992年に高齢で亡くなったミュージカル界の巨匠アーヴィング・バーリンの遺産資料約75万点の獲得もその一端を示している。議会図書館には、アメリカの民衆生活の歴史を市民に知らせるための「アメリカン・フォークロア・センター」が置かれ、民間の口承文化の伝統を保存し、それらの映像化と出版を実施し、実演も支援する役割を担っている。

 1977年に前館長ブーアスティンのもとで創設された「本のセンター」は、読書の普及のための講演会、セミナー等を開催しており、著名人によるパンフレット・シリーズも刊行していた。1981年に「児童図書館部」は「児童センター」となり、国民に開かれた図書館活動としてその名を広く知られている。

 連邦議会と結びついた広報活動も議会図書館の活動の目玉のひとつであり、そのホームページには「上下両院で現在審議中の法案の全文を提供する」との記載がある。ホームページには、さらに議会図書館の展示会の企画も知らせており、そこにはフランク・ロイド・ライト展といったアメリカの文化の紹介だけでなく、40万人もの来客を集めたといわれる「ヴァチカン図書館展」「死海文書展」などもあった。

 ワシントンD.C.に生活する市民に対するサービスも、この図書館の館外活動のうちに入っている。ワシントンD.C.公共図書館は、ここが連邦政府のお膝元で、政府職員とその家族の居住地であるため、その組織から人事にいたるまで連邦議会が責任を持っている。この図書館のサービス、特に児童サービスと身障者サービスは知られているが、そこでは議会図書館の所蔵資料が事実上優先的に利用できることになっているからである。隣接のメリーランド州およびヴァージニア州を含むワシントンD.C.図書館協会の活動にも、議会図書館は協力している。  議会図書館の研究・開発については、国内の図書館に向けてだけではなく、国際的な視野にたって展開されており、注目されている。紙を劣化から守る研究についてはすでによく知られている。電子図書館構想の分野でも議会図書館の取り組みは今後ますます活発になることであろう。

 西暦2000年、議会図書館創設200周年にあたり、ビリントン館長は「22世紀に向けた新たな議会図書館」の構想を打ち出した。「‘古い皮袋に新しい酒を入れること’これがわれわれの果たすべき役割である。200周年という記念の年に向けて、図書館は生まれ変わらなければならない。図書館の価値は、次の7つの点で測ることができる。サービス、質、効率、革新性、情報発信、職員の資質の開発、公平さがそれである。そのうちもっとも基本になるのはサービスである。その改善に向けて、組織も変化してゆくのが当然である。それは毎年の努力のなかから生まれてくるものであろう」。ビリントン館長は、歴代館長と同様、館内組織の合理化に着手し、1990年代以降の不況期に予算が削減されたとき、その合理化は効果を発揮した。

 ビリントンが掲げた最優先の図書館活動のテーマは、第一に電子図書館の実現であり、この技術を通じて資料の有効な管理と提供を図ることである。第二には、アメリカ文化の保存とその利用である。そして、第三には、身障者および児童に対する図書館サービスである。このような諸活動があってこそ、連邦議会はこの議会図書館を高く評価しているのである。

(3) 議会図書館の現状:統計

 手許にある The Whole Library Handbook 4によって、議会図書館の現状を確認しておきたい。この数字は、2004会計年度(2004年10月-2005年9月)のものである。同会計年度の議会図書館への充当額は5億5,929万9,548ドルで、そのうち裁量的支出としては3,630万ドルが認められた。

 議会図書館の職員数は4,120名を数えた。

 所蔵資料については、総計1億3,019万8,420点に達する。内訳は、1,972万9,698冊の図書、そして大活字本、初期刊本(インキュナブラ)、モノグラフ、逐次刊行物、楽譜、製本された新聞、パンフレット、テクニカル・レポート、その他の印刷資料が982万1,216点である。また、1億64万7,514点の特殊コレクションを擁し、そのうちの271万882点がディスク、テープ、録音図書、その他の記録媒体に収められた録音資料である。そして、5,847万9,431点の写本、480万7,827点の地図、1,404万7,798点のマイクロ資料、519万359点の音楽資料をもつ。さらに、1,391万4,990点の視覚資料を蔵し、そのうちの95万7,794点が動画、1,233万8,513点が写真、8万9,241点がポスター、52万9,442点が版画・絵画である。

 図書館サービスについては、カウンター、電話、書面、電子メールを含め、年間68万2,264件のレファレンスサービスを行っている。連邦議会向けの調査サービスは89万9,284件を数えた。ちなみに、同会計年度の著作権登録は66万1,469件であった。

(4) 図書館界に果たした役割

 議会図書館がこれまでに果たしてきた第一の役割は、合衆国市民に対してである。議会図書館には、「アメリカーナ(Americana)」と呼ばれる植民地時代の歴史資料をはじめとして、国民が生きてきた歴史の遺産が収集されている。また、ここにはイギリスの大英博物館の伝統に似て、文献収集といったときには作家の筆墨にいたるまで集められる。所蔵資料として、歴代大統領の使用した公式文書のほか、初期アメリカ史に属する開拓時代の資料、19世紀の南北戦争の記録が文献にとどまることなく、当時の写真や細々とした断片的資料にいたるまで保存されている。さらには、20世紀初頭のアメリカ文化を代表する舞台芸術や映画に関する記録までが集められている。音楽家たちがここを訪れて、20世紀はじめのスウィングやジャズ音楽の資料から新たなアイデアを手に入れるという話は現代にも続いている。アメリカ全土の小学校で開拓時代のロッキー山脈の地図や写真、リンカーン大統領の演説の原稿が利用できるのは、こうした資料の宝庫としての議会図書館の存在を抜きにしては考えられない。

 議会図書館の第二の功績は、アメリカの図書館界に対するものであり、そのひとつは公共図書館への協力体制である。全国書誌に関連して、印刷カードの提供と機械化(MARC)による目録記述の標準化は、20世紀以降のアメリカ国内の図書館業務を大きく軽減した。さらに、各地の公共図書館の障害者サービスは議会図書館の支援なしでは成り立たないと言われる状況がある。全国図書館週間の実施や読書の普及にあたっても、議会図書館は積極的な役割をになっていることで広く知られる。

 アメリカ国内の図書館界に対する議会図書館のいまひとつの貢献は、大学図書館への寄与である。それは、特に外国語資料の大規模な収集とその情報提供である。そもそもアメリカは世界から多くの移民を受入れ、人種民族の坩堝(るつぼ)であり、アメリカ国民のルーツは広くヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがり、1945年以降、世界各地を対象とする地域研究にきわめて熱心に取組むようになった。全米各地の大学に地域研究の学部やセンターが新設された。だが、地域研究に必要な資料面の手当てはすぐには実現できなかった。アメリカの第二次世界大戦の占領政策によって、「余剰農産物」の提供と引き換えに獲得した図書群は各大学の地域研究を支えることになった。議会図書館がアメリカの学術研究の中枢機関となりえたのは、連邦議会のバックアップを得て、外国語資料等の集中的な収集体制を組むことができたからである。かつてのシカゴ大学が行っていた研究者のための特殊言語からの翻訳を引き継いだこと、国内資料の再配置を図る「合衆国図書交換局」の役割をになったことなどもアメリカの研究図書館にとっては、大きな意義をもっている。著作権局が議会図書館の一部局であることも重要な役割を果たした。

 議会図書館のアメリカ図書館界に対する寄与として、次にあげられるのはアメリカ図書館協会に対する協力である。シカゴに本部を置くアメリカ図書館協会は、連邦議会との連携を重視し、ワシントンD.C.に事務所を設置している。シカゴ本部が場所の問題に苦慮し、本部の首都への移転の話が何度か出たが実現はしていない。議会図書館は、ワシントンD.C.でのアメリカ図書館協会の委員会やセミナーなどの開催に協力を惜しまず、支援をしてきた。

 議会図書館は、ともに隣接地区にある国立医学図書館(NLM)および国立農学図書館(NAL)と連携を強め、アメリカ国内の情報政策の一翼を担っている。それと同時に、この議会図書館は、20世紀初頭からその実績を評価され、アメリカ国内の多くの財団の支援を得て多数の図書館関係事業を推進してきた。図書館資源協議会(CLR)が首都ワシントンに置かれたのも、同協議会の初代理事長クラップの手腕だけが理由ではなく、議会図書館の存在が大きかった。図書館資源協議会の事業は20世紀後半のアメリカの図書館活動を実質的に支えてきた。

 議会図書館は、国際的な場面でもまた貢献している。第二次世界大戦以前、すでに議会図書館は国外の図書館への協力を行ってきた。そのひとつでよく知られているのは、中米のある国立図書館で管理ができず放置されてきた資料をひそかにワシントンD.C.に運び出し、十分に修復しもとの国立図書館に戻したことがある。各国から研修生を受入れ、資料整理技術の指導を引受けてきたことは知られており、またその一方で議会図書館から外国に整理技術者を派遣してきた。最近では、デジタル技術についても、諸国の図書館に指導者を派遣している。外国の図書館への寄与・貢献は図書館に関する技術についての指導だけではない。1970年代初頭に国際図書館連盟(IFLA)に国立図書館部会ができたが、ここで議会図書館はイギリスのブリティッシュ・ライブラリーとともに指導的役割を演じている。

 さらに言えば、議会図書館は図書館教育の面でも少なからず寄与しており、議会図書館職員のなかから多くの整理技術や図書館建築の専門家が各地の大学の図書館学校の教員に引き抜かれている。



 

Ref:

藤野幸雄.アメリカ議会図書館:世界最大の情報センター. 中央公論社, 1998, 189p.

Eberhart, George M. ed. The whole library handbook 4: current data, professional advice, and curiosa about libraries and library services. American Library Association, 2006, 585p.