E936 - 印の研究所図書館で起こった暴動が示唆すること<文献紹介>

カレントアウェアネス-E

No.151 2009.06.10

 

 E936 

印の研究所図書館で起こった暴動が示唆すること<文献紹介>

 

Caswell, M. Irreparable Damage: Violence, Ownership, and Voice in an Indian Archive. Libri. 2009, vol.59, p.1-13. http://www.librijournal.org/pdf/2009-1pp1-13.pdf, (accessed 2009-06-09)

 このほどLibri誌の2008年最優秀学生論文賞に,ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の情報学部の学生による“Irreparable Damage: Violence, Ownership, and Voice in an Indian Archive”(取り返しのつかない損失:インドの文書館における暴力,所有権,声)が選ばれた。これは,2004年1月4日にインドのプネ市にあるBhandarkar東洋研究所(Bhandarkar Oriental Research Institute:BORI)で起こった設備や文書類の破壊行動を題材にして,文書館における政治,所有権,暴力の関連と,将来起こりうる破壊行為の回避の可能性について論じたものである。

 題材となった事件の概要は次のようなものである。2004年1月4日,武装した約150名から成る暴徒が,BORIの図書館を襲撃した。暴徒は“Sambhaji Brigade”(「Shivaji王の息子Sambhajiの旅団」の意)と名乗るグループで,マハーラシュトラ州の公用語であるマラティー語で,「Shivaji王に勝利を!」といった政治的スローガンを叫びながら,閲覧室の設備や文書類を破壊した。筆者は,事件の背景や経過を丁寧に整理しながら,BORIの図書館がなぜ襲撃の対象となったのかを明らかにしている。

 事件の引き金となったのは,米国人研究者が著した一冊の本“Shivaji: Hindu King in Islamic India”であった。この本は,暴徒のグループ名やスローガンにもあるShivaji王を扱った歴史文献である。Shivaji王は,17世紀にムガル帝国の侵攻からマハーラシュトラ州を守ったという英雄であり,インドのナショナリズムの象徴,ヒンドゥーの原理主義的信仰の象徴として人々から崇められている。またShivaji王は,低カーストの“Maratha”出身であったことから,特権階級と闘った王としても人々から敬われている。しかし同書が,人々の尊敬篤いShivaji王を侮辱していると解される(著者は意図していなかったが)内容を含んでいたこと,またBORIの図書館員の協力を得て書かれていたことから,襲撃事件が発生した。

 上記は事件の引き金であり,背景はさらに複雑である。カースト制の下では,書物を手にすること,読むこと,書くことは,バラモン(カーストの最高位)の特権とされており,低カースト層はそこから排除されてきた。同時に,書物に基づいて編まれたインドの歴史においても,低カースト層は周辺化されてきた。BORIは,ボンベイの英国植民地政府のコレクションと,バラモン出身のインド人研究者の私的なコレクションをもとにして,1918年に設立された機関であり,今でもプネ市の人々は,BORIをバラモンと外国人研究者にのみ開かれた施設だと見なしている。こういった事情を踏まえて冒頭の事件を振り返ると,インドの文字文化を支配してきたバラモンによって,崇拝する王に関する歴史をゆがめられたと感じた低カースト層の声が,問題の象徴であるBORIとその蔵書に対する暴力として表れたもの,と考えることができる。

 筆者は,こうした事件はインド以外の文化的コンテクストの下でも起こりうるとし,それを回避するための手段として,「包摂(inclusion)」を提案する。図書館や文書館の蔵書構成や人員配置を,特定の社会集団や民族集団と結びついたものではなく,社会全体の多様性を反映したものにしていくべきではないかとしている。本論は,図書館などの文化施設が内包する政治性,図書館員など専門職の「中立性」を巡る問題等について考えるきっかけを与えてくれる。

Ref:
E599