カレントアウェアネス-E
No.101 2007.02.28
E614
なぜRDAは図書館の役に立たないか? <文献紹介>
Coyle, Karen et al. “Resource Description and Access(RDA): Cataloging Rules for the 20th Century”. D-Lib Magazine. 13(1/2), January/February, 2007. (online), available from < http://www.dlib.org/dlib/january07/coyle/01coyle.html >(accessed 2007-02-22).
英米目録規則(AACR)改訂合同運営委員会(JSC)による『資料の記述とアクセス(RDA: Resource Description and Access)』(E372参照)の検討が迷走を続ける中,「なぜRDAは図書館の役に立たないか(Why RDA is Failing Libraries)?」というショッキングな問いが投げかけられている。論者は,コーネル大学図書館員にしてダブリンコア・メタデータ・イニシアチブ(DCMI)のメンバーであるヒルマン(Diane Hillmann)と,デジタル図書館で30年以上のキャリアを持つコイル(Karen Coyle)である。2人が執筆した本論文は,RDAをあくまでAACRの延長線上に描こうとする図書館界の姿勢を,メタデータ・コミュニティの側から痛烈に批判する。その論調からは,図書館目録の伝統を主張する者と,デジタル時代への参入を求めて大胆な変革を唱える者との衝突の構図が鮮明に浮かび上がってこよう。
論者はまず,デジタル・フォーマットとインターネットの爆発的な増加がもたらした変化の諸相を描き出しながら,図書館目録とその慣行には変化に対応する手段がない,と厳しく指弾する。RDAはこうしたデジタル時代のための新しい基準であり,そのためには根本的な変革が不可避であるはずだが,JSCは今なおAACRの伝統を継続することに固執している。そのように説く論者は,主として次の2点からRDA批判を展開している。
- RDAの目標が過去に根ざしていること。
JSCの方針によれば,「RDAによって作成されたデータは,AACRに基づく既存のデータファイルに統合可能」でなければならず,これはRDAに深刻な限界を設けてしまっている。また,RDAがアクセスポイントに「主要(primary)」「副次的(secondary)」の別を設けていること,資料の識別を優先して転記を重んじていることなどは,いずれもAACRのもたらす旧弊であり,デジタル時代に逆行する規定である。さらに,伝統的な目録作成コミュニティーが詳細な記述目録法をいまだに金科玉条のものとする結果,RDA草案が膨大かつ複雑となっていることも,他のコミュニティを寄せつけない大きな要因である。 - 図書館外のコミュニティによる支えがないこと。
文書館,美術館等の他のコミュニティと協調し,各々が用いるメタデータ基準との連携を図ることは,RDAの目標の1つだが,JSCは結局,伝統的な目録作成のコミュニティーの枠内で自足している。必要とされているのは,図書館の目録規則の再整理ではない。記述のモデル・一般原則について先に合意し,次いで専門の各コミュニティで詳細化を図る,いわば「トップダウン」的なプロセスである。そうしたプロセスにおいては,図書館の目録作成コミュニティも,数あるコミュニティの1つに過ぎない。
なお,ALA目録委員会(CC:DA)は,論者の抱くこうした不満を共有している模様であり,2006年9月,JSCに対して,(1)トップダウン的アプローチを採用すること,(2)スケジュールを改訂してRDA全体をレビューすること,(3)AACR2にだけアイディアと情報の源泉を求めないこと,を提案した。これを受け,JSCは2006年12月,『RDA−資源の記述とアクセス: スコープおよび構造』を公表した。RDAのスコープと構造がFRBRやDCMIと関連づけて定義されたこの文書は,RDAのモデルをなすものと見られるが,ヒルマンはこの成果も「互換性を後ろ向きにサポートするものだ」と批判している。