E2093 – 慶應義塾大学における「貴重書活用授業」の取り組み

カレントアウェアネス-E

No.361 2019.01.17

 

 E2093

慶應義塾大学における「貴重書活用授業」の取り組み

 

●「貴重書活用授業」の概要と開始の経緯

 2013年,慶應義塾大学三田メディアセンター(東京都港区。以下「三田メディアセンター」)にスペシャルコレクション担当が発足した。スペシャルコレクションとは,米国の研究図書館等において「貴重書」「マニュスクリプト(写本)」「アーカイブ(文書)」を包括したものを指す概念である。スペシャルコレクション担当は貴重書室担当とアーカイブ担当が統合した部門であり,スペシャルコレクションの保存のみならず,積極的な活用を視野に入れた業務を行っている。担当創設に際しては,学部の授業にも貴重書を活用して大きな教育的効果を得ている米国・イェール大学のバイネッキ貴重書・手稿図書館(Beinecke Rarebook & Manuscript Library)の活動も参考とした。

 「貴重書活用授業」は貴重書活用に向けた取り組みの一つである。貴重書室において行われる授業内の貴重書閲覧は書誌学・国文学・日本史学など一部の分野で従来から行われていたが,2014年度後期からそうした授業に「貴重書活用授業」と名称を付け,2015年度に,三田キャンパスに所属する文・経済・法・商学部及びその大学院の全分野の教員を対象とし,授業で活用してもらえるようポスター・チラシを用いた積極的な広報活動を開始した。ポスターには博物学の貴重書から「カメレオンモドキ」(キュヴィエ『動物界』所収)の図版を加えて印象的なデザインとし,チラシには専任教員の研究内容や講義要項の調査結果をもとに,各分野の具体的な貴重書タイトルを記載して貴重書に馴染みがない教員も関心を持てるよう工夫した。

●取り組みへの反応と対応

 広報活動の結果,2014年度以前の「貴重書活用授業」の実施件数は少ないときで年間5件程度だったものが,2015年度以降は平均20件程度,閲覧資料数も20点程度から平均160点程度まで増加した。さらに,従来利用がなかった分野(文学部社会学専攻や経済学部,法科大学院など)でも利用されるようになり,新たな利用層の発掘にもつながった。

 特に興味深い授業は経済学部開講の「専門外国書講読」である。アダム・スミス『道徳感情論』(初版1759年)がテキストとされ,市販のペーパーバックを用いて輪読が行われていたが,2015年度から一部のコマが「貴重書活用授業」として実施された。そのコマ内では日本語訳を担当する学生が貴重書の『道徳感情論』初版本の前に座り,資料に影響が及ばないよう配慮しつつ,交代しながら読み進めていく形で授業が行われた。書誌学など従来型の授業内の貴重書閲覧では,授業中に解説した資料や代表的な資料を閲覧することが多く,現物を「見る」ことに重点が置かれていたが,「専門外国書講読」は貴重書を「見る」だけでなくそのテキストを「読む」という,「貴重書活用授業」の新たな可能性を示唆してくれるものであった。貴重書を直接「読む」ことを通じ,テキストの内容だけでなく,そのテキストの歴史性も身をもって学ぶことができるため,学生にとっては大学時代の貴重な経験となりえよう。

 授業件数の増加を受けて利用環境や使用条件の整備にも取り組んでいる。人数が多い場合やプロジェクター等の機器を使う場合など,貴重書室で対応できないときは三田メディアセンター内の他のスペースも活用している。さらに,三田メディアセンター内設置の教室を利用すれば一度に60人程度まで対応も可能である。また,当初貴重書に直接触れるのは教員のみとしていたが,資料保存面の問題がない資料に限り,事前に取扱方法の説明を行った上で,学生が貴重書に触れることも許可するなど,教員の希望や意見も聞きながら柔軟な対応を行っている。

●最近の動き

 昨今では日吉キャンパス(横浜市港北区)開講の授業による利用も増えている。日吉は三田から電車で30分ほどの距離にあるため,通常の授業日での実施は難しく,補講日を活用することが多い。申し込んだ教員によれば,同僚から「貴重書活用授業」の存在を聞いたとのことであった。一度利用した教員から口コミで広まっていくのは喜ばしい傾向である。さらに,大学附属の中学校や高校の授業で利用されることもある。この場合は大学の専任教員が立ち会い,解説する形をとっている。

 対外的な活動としては,2018年12月に一橋大学(東京都国立市)で開催された平成30年度文化的・学術的資料の保存国際シンポジウム「西洋貴重書を守る,活かす」の中で行われたパネルディスカッション「教育学習に古典資料を活かす」に参加し,「貴重書活用授業」を中心とした内容の事例報告を行った。

●今後の展望

 貴重書を利用した教育活動の中心にあるのは,「本物が持つ魅力」を伝えることではないだろうか。「貴重書活用授業」は展示ケースのガラスを通さずに直接貴重書を見学できる点が最大の魅力である。質感,重さ,におい,そして歴史的な資料が目の前にあるという得難い体験,そういった本物こそが持つ魅力を学生が感じ,学べることは,大学図書館が貴重書を通じて提供できる最上の教育的効果ではないかと思われる。一方で,資料保存との両立は重要な課題である。三田メディアセンターは言うまでもなく資料保存を重視し,貴重書を活用する前提としている。「貴重書活用授業」においては,授業前後の資料状態確認や利用者への取り扱い説明を徹底し,照明を抑えて資料への影響を軽減させるなど,可能な限りの配慮を行っている。しかし,活用されればされるほど資料に負担を与えることも,きちんと認識しなければならない。保存と活用のバランスを考慮し,教員・学生とのコミュニケーションを取りながら質の高い教育支援を展開していきたいと考えている。

慶應義塾大学三田メディアセンター・倉持隆

Ref:
http://www.mita.lib.keio.ac.jp/guide/rare_room.html#katsuyo
http://www.mita.lib.keio.ac.jp/guide/publication/j7aliq0000000rli-att/chishikinokaben2013autumn.pdf
http://www.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/02100240.pdf
http://www.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/02300090.pdf
http://www.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/02300130.pdf
http://www.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/02500340.pdf
http://www.hit-u.ac.jp/news/4405