レファレンス協同データベース新着事例
広告のパブリシティ効果(PR効果)が有効性についてを調査する測定方法等について書かれた資料や情報が知りたい。(大阪府立中之島図書館)
以下の図書や雑誌記事を紹介した。
(【】は大阪府立図書館の請求記号(ラベル番号))
<図書>
『広報・PR効果は本当に測れないのか? PR先進国の評価モデルに学ぶ広報の効果測定』トム・ワトソン著 ダイヤモンド社 2007.7
【674.3/136N】資料番号:1115578948
内容: 効果測定が難しい広報・PR活動について、PR活動の先進国である欧米での議論とケーススタディを交えた評価測定モデルを非常に詳細に解説している。
『広告の基本 この1冊ですべてわかる』新版 波田浩之著 日本実業出版社 2018.4 【674/337N】 資料番号:1410849705
内容: 広告の必須知識を凝縮した基本書で、広告会社のしくみ、広告媒体の種類と特徴、広告の仕事の進め方と実践的なテクニックなどについて解説されており、広告業界の用語集も収録。「広告(広報)の効果」については、6章-23から25の部分(p192-p194)で「広告効果測定」について取り上げている。
『広告ってすごい!がわかる人気講座 Vol.2』 日経広告研究所編 日経広告研究所 2019.12 【674/17NX/2】 資料番号:1410898363
内容: 2019年7月に開催された「日経広研プレミアム」講座を踏まえ書籍化した本で、デジタル広告の仕組みからブランディングの最新トレンドまで、広告界のエキスパートが、体験をもとに広告を使った課題解決の方策を語っている。「ブランド担当者のデジタル広告の効果測定の在り方」(p240-p258)ではデジタル広告の効果測定について言及されている。
『広告効果の科学 実務家のための分析アプローチ』ビデオ・リサーチ編
日本経済新聞出版社日経事業出版センター 2009.2 【674.1/23N】
資料番号:1410603318
内容: テレビ視聴率をはじめ、各種媒体接触調査や媒体評価調査、広告効果調査や分析などのメディア・リサーチ・サービスやマーケティング・リサーチを行っているビデオ・リサーチ社による、各種広告の効果に関する科学的分析結果が収載されている。具体的な広告効果測定として「4章 屋外メディアの広告効果測定」では看板や電光掲示板など屋外メディアに関する調査と広告効果の分析について詳細に言及されている。(p51-68p)また、「18章 ブログ解析を活用した広告効果測定」では、ブログ・サイトの広告効果の調査及び効果測定について詳細に言及されている。(p240-p252)
『アドテクノロジープロフェッショナル養成読本 デジタルマーケティング時代の広告効果を最適化!(Software Design plus)』技術評論社 2014.5
【674.6/179N】 資料番号:1410737793
内容: 広告業界で活用されているWEB上の情報を利用してのデジタルマーケティング手法について、主に初心者にむけてのムック本です。マーケティングに関わるデータ分析的な記述が多く、「広報効果」については、「特集3 広告効果の測定方法」で解説されている。(p95-p126)
<雑誌記事>
バルミューダ式 脱常識のデザイン経営 ”世界観を伝える”広告への挑戦
日経デザイン 2014/11号 2014 p72-p75 【P33/575N/】 資料番号:3410072635
PR効果測定の適正化を 広告換算値を使うべきでない8つの理由 (巻頭特集 メディアの多角化で変わる 今こそ見直しておきたい広報活動の効果測定)
広報会議 (106) 2017.11 p46-p48
※大阪府立図書館未所蔵 国立国会図書館所蔵
[事例作成日: 2020年8月31日]
(上記URLはすべて2020/12/22現在)
参考資料:広報・PR効果は本当に測れないのか? トム・ワトソン∥著 ダイヤモンド社 2007.7,
参考資料:広告の基本 新版 波田/浩之‖著 日本実業出版社 2018.4,
参考資料:広告ってすごい!がわかる人気講座 vol.2 日経広告研究所‖編 日経広告研究所 2019.12,
参考資料:広告効果の科学 ビデオ・リサーチ∥編 日本経済新聞出版社日経事業出版センター 2009.2,
参考資料:アドテクノロジープロフェッショナル養成読本 技術評論社 2014.5,
参考資料:日経デザイン 日経BP 327-330(2014.9-12),
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昭和10年に、盾津飛行場で開催された「全日本学生航空選手権大会」について、開催された日にちや詳細を知りたい。(大阪府立中之島図書館)
まず、盾津飛行場については次の資料に記載がある。
■『東大阪市史 近代 2』(東大阪市史編纂委員会/編集 東大阪市 1997)
「第九章 戦時下の社会と敗戦 第二節 満州移民と盾津飛行場 三 盾津飛行場と練兵場」
p.838-845
p.838「大阪防空飛行場」の項目に「昭和二〇年(一九四五)の敗戦まで、盾津村(町)に飛行場(昭和九年開場)と練兵場(昭和一五年開場)があり、それぞれ盾津飛行場・盾津練兵場と通称されていた。」とある。
p.840「大阪陸軍飛行場」の項目に「建設中の飛行場は民間組織で大阪防空飛行場と呼ばれたが、献納によって名称は大阪陸軍飛行場となった。」とある。
同資料に、昭和12年に開催された「全日本学生航空選手権大会」について次の記載があった。
p.842に「昭和一二年一一月に盾津飛行場で開催された学生航空選手権大会の案内記事」の写真が掲載されている。写真は「『朝日新聞』昭和12年11月20日付」となっており、写真の記事を見ると「本社主催第四回全日本学生航空選手権大会は二十一日午前七時から盾津陸軍飛行場において開催される。」と読める。
「全日本学生航空選手権大会」は、朝日新聞社主催の大会のようなので、朝日新聞の社史を確認すると、次の資料に記載があった。
■『朝日新聞社史 資料編 明治12年(1879年)~昭和64年(1989年)』(朝日新聞百年史編修委員会/編 朝日新聞社 1995)
p.411「第10章 関連事業」の「(財)日本学生航空連盟」の項目に、昭和「9年第1回全日本学生航空選手権大会が羽田でひらかれ、16年の第8回までつづいた。」という記載があり、第8回まであったことがわかる。
8年間に8回あったことから、おそらく年に1度あり、昭和10年は第2回ではないかと考えられる。
朝日新聞のデータベース「聞蔵」で新聞記事を確認すると、次の記事があった。
・『東京朝日新聞』1935年(昭和10年)10月29日 夕刊 1頁
「本社主催 全日本学生航空選手権大会」の記事があり、「第二回全日本学生航空選手権大会」が10月28日に「盾津陸軍飛行場」であったことがわかる。この記事には、競技記録等も載っている。
[事例作成日:2020年12月7日]
参考資料:東大阪市史 近代 2 東大阪市史編纂委員会∥編集 東大阪市 1997, (838、840、842)
参考資料:朝日新聞社史 資料編 朝日新聞百年史編修委員会∥編 朝日新聞社 1995, (411)
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大阪の「住田真十郎」名の刻印のある瓦について記述のある文献はあるか。また、その人物について分かることはあるか。(大阪府立中之島図書館)
「住田真十郎名の刻印がある瓦」について記載がある資料は次のとおり。
■『近世瓦の研究』(山崎信二/著 同成社 2008.11)
「第4章 近世鹿児島の瓦」(p.57-71)の「7 近世VIII[ローマ数字の8]期(1765~1800)の瓦」の項(p.69-71)に次の記述がある。
「大龍遺跡B地点出土の軒桟瓦は近世IX[ローマ数字の9]期(1800年以降)のものであるが、瓦当隅を三角形に切り落とす大坂式の軒桟瓦であり、かつ住田真十郎の刻印が残されている(第18図2)。これと同じ刻印は大阪市文化財協会による『住友銅吹所跡発掘調査報告』のC16a刻印にある(p.594)。大龍遺跡例は大坂から運ばれた瓦である。」(p.71)
引用文中の「第18図2」は、p.70に掲載されている。
■『大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 本文 住友銀行鰻谷新システムセンター建設に伴う発掘調査報告書』(大阪市文化財協会/編集 大阪市文化財協会 1998.3)
「住友銅吹所跡出土の窯業関係文字資料」の「1) 瓦における刻印」(p.591-596)に、住田真十郎名の刻印のある瓦の拓本(「C16a」「C16b」)が掲載されている。なお、本文編とセットになっている『大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 図面・図版』(大阪市文化財協会 1998.3)の「図版111」には、同じ瓦がより明瞭な写真で掲載されている。
住田真十郎名の刻印のある瓦は、「C16a」「C16b」との記号が付されているが、これら「C」類として分類された瓦は、産地が「泉南地域以外および生産地が不明なもの」であるとのこと(本文編 p.592)。
また、本文編の「付表2 瓦一覧表(8)」には、刻印瓦C16a、C16bの出土遺構や地区、時期等の記載がある。
次に、大阪の「住田真十郎」という名の、瓦を扱っていた商工業者については、明治期の資料に名前が見つかった。
■『明治初期大阪の同業組合規則 下 坂府商業組合条例(大阪市史史料)』(大阪市史料調査会 1999.2)
p.68に「明治7年5月17日」の日付のある「乙48号 瓦職商組合申合規則」が掲載されており、末尾の署名に「南大組第四区瓦屋町壱番丁 瓦職組合惣代 住田真十郎」との記載がある。
■『大阪経済史料集成 第9巻 大阪商工業組合規約集 下』(大阪経済史料集成刊行委員会/編 大阪商工会議所 1976)
p.205-216に「瓦商仲間規約」が収録されており、末尾の署名に「南区瓦屋町参番丁第五拾四番地 住田真十郎」の記載がある(p.213)。
なお、この規約文書には「明治17年12月付」の「大阪商法会議所修正意見書」等の文書が付せられているとのこと。
明治期の「住田真十郎」の住所として記載のある「瓦屋町」については、次の資料に記載がある。
■『大阪の町名 大坂三郷から東西南北四区へ』(大阪町名研究会/編 清文堂出版 1977.9)
p.351-352に「瓦屋町一~五番丁」の記載があり、「徳川家の御用瓦師寺島宗左衛門が大坂落城後この地を与えられ、以後代々瓦を製造し瓦師支配をなしたことで瓦屋町の町名がついた」とある(p.351)。
※住田真十郎についての記載はない。
[事例作成日:2020年12月7日]
参考資料:近世瓦の研究 山崎/信二∥著 同成社 2008.11, (69-71、594)
参考資料:大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 本文 大阪市文化財協会∥編集 大阪市文化財協会 1998.3, (592)
参考資料:大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 図面・図版 大阪市文化財協会∥編集 大阪市文化財協会 1998.3,
参考資料:明治初期大阪の同業組合規則 下 大阪市史料調査会 1999.2, (68)
参考資料:大阪経済史料集成 第9巻 大阪経済史料集成刊行委員会∥編 大阪商工会議所 1976, (213)
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初代通天閣のエレベーターについて記述のある文献はあるか。(大阪府立中之島図書館)
初代通天閣のエレベーターについて、次の資料に記載がある。
■『大阪新名所新世界写真帖』(大阪土地建物 1913)
新世界の開発に当たった大阪土地建物が、通天閣開業の翌年1913年6月に発行した写真帖で、通天閣や各施設の写真が収められている。エレベーターについては、次の記述がある。
・「更にルーフガーデンと塔の頂上との間はエレベーターの装置をなして昇降に便す。」(「新世界の壮観」のページ)
・「地上五十尺の所にはルーフガーデンあり(中略)此所よりエレベーターの装置を以て塔の頂点に達すべく、更に塔上の展望に至つては恐らく何物も之に比儔すべきものなからん(後略)」(「高塔通天閣」のページ)
なお、通天閣に設置されていたエレベーターは「独逸シーメンス社の特製」であると「シーメンス、シユッケルト電氣株式會社」のページに記載されている。
■『新世界興隆史』(徳尾野有成/著 新世界興隆史刊行会 1934)
「第五章 新世界の出現」(p.37-46)の通天閣の部分に、「(前略)最新式エレベーターに乗りて頂点に達すれば展望広濶(後略)」という一文がある。(p.38)
■『ニッポンの塔 タワーの都市建築史』(橋爪紳也/著 河出書房新社 2012)
p.87-93に初代通天閣についての記述がある。
・「第五回内国勧業博覧会の跡地に建設された新市街地「新世界」の中心には、やはりエレベーターを装置した展望塔が計画された。(中略)鉄塔は、「通天閣」と命名された。明治四十五年(一九一二)の竣工である。」(p.87)
・「当初はルーフガーデンまでは階段で上り、エレベーターに乗り換える仕組みであったが、のちに床面を抜けて地上まで機械を伸ばし、地上から直接乗降できるように改良された」(p.87)
■『ザ・タワー 都市と塔のものがたり』(東京都江戸東京博物館/[ほか]編集 東京都江戸東京博物館 2012)
p.109-137に第五回内国勧業博覧会および新世界、通天閣についての記述がある。p.118に『大阪新名所新世界写真帖』に掲載の通天閣の写真があり、その解説文に「大林高塔同様に、通天閣もエレベーターを備えており、(後略)」とある。
また、p.135「(大阪名勝)新世界通天閣上エレベータ」とのキャプションがある絵葉書の写真があり、「明治45年頃(1912)」と記載されている。
なお、p.117に通天閣の設計者として「設楽貞雄」の名前が、施工会社として「大林組」の名前がそれぞれ挙げられている。
■『エレベータ界 145』(日本エレベータ協会 2002)
p.14-16に「大阪・浪速『通天閣』の展望用エレベーター45年ぶりのリニューアル完了」という記事がある。そこに「この初代通天閣にはドイツのシーメンス製エレベーターが1台設置されていたようですが、資料を焼失し詳細は不明です。」との一文がある。(p.14)
■『通天閣30年のあゆみ』(通天閣観光 1987)
「第1章 夢とロマンを乗せて「新世界」序曲」(p.25-36)に初代通天閣について記載されている。その中に、「当時の新兵器エレベーターで塔上へと向かう。」といった記述がある(p.30)。
■『通天閣 50年の歩み』([通天閣観光株式会社∥編] 通天閣観光 2007)
「第1章 夢とロマンをのせて『新世界』序曲 初代 通天閣 1912(明治45)年~1944(昭和19)年」(p.2-11)に、初代通天閣についての記述があり、p.7に「当時の新兵器エレベータで塔上へと一直線に向かう。エレベータは金網張りだが、人を運ぶものとしては珍しかった。」との記述がある。
■『大阪モダン 通天閣と新世界 気球の本』(橋爪紳也/著 NTT出版 1996)
p.88-89「通天閣に昇る」の項にエレベーターの記載がある。(p.89)
[事例作成日:2020年12月7日]
参考資料:大阪新名所新世界写真帖 大阪土地建物 1913,
参考資料:新世界興隆史 徳尾野/有成∥著 新世界興隆史刊行会 1934, (38)
参考資料:ニッポンの塔 橋爪/紳也∥著 河出書房新社 2012.5, (87)
参考資料:ザ・タワー 東京都江戸東京博物館∥[ほか]編集 東京都江戸東京博物館 2012.2, (117-118、135)
参考資料:エレベータ界 日本エレベータ協会 [1966]-2013.10 145-152,
参考資料:通天閣30年のあゆみ 通天閣観光 通天閣観光 1987.3, (30)
参考資料:通天閣 [通天閣観光株式会社∥編] 通天閣観光 2007.2, (7)
参考資料:大阪モダン 橋爪/紳也∥著 NTT出版 1996.7, (89)
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大阪博物場「衆楽館」について記載のある文献はあるか。(大阪府立中之島図書館)
「衆楽館」については、次の資料に記載がある。
■後々田寿徳著「大阪博物場-「楽園」の盛衰 」『東北芸術工科大学紀要 16』(東北芸術工科大学 2009.3)p.26(101)-50(77)
「「衆楽館」とは名称や位置からみて「府立大阪博物場案内図(図版1)」の「大広間」にあたるのではないか。」とある(p.38(89))。
※「府立大阪博物場案内図(図版1)」はp.46(81)に掲載されており、『東区史 第2巻 行政篇』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会/編纂 大阪市東区役所 1940)p.1048-1049の間の図と同じもの。
なお、この資料はインターネットでも本文の閲覧が可能。
「東北芸術工科大学リポジトリ」(2020年12月7日確認)
http://id.nii.ac.jp/1353/00000465/
■『続東区史 第3巻』(大阪市東区史刊行委員会/編集 大阪市東区史刊行委員会 1981)
p.424に『初舞台七十年』(大西信久/[述] 大西松諷社 1979)の引用がある。
「構内の北寄りに、御殿風建築の衆楽館というのがあって、百畳敷程の大広間がありました。この広間を見所にして庭を隔てて南面の舞台が別棟で建ててあったのです。この庭にも床几を並べて見所にしました。この舞台も、たしか昭和八年だったと記憶していますが天満宮境内に移築されました。」
また、次の資料には、「集楽館」という建物について記載があった。
■『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇』(大阪市役所/編纂 清文堂出版 1966)
「大正二年末に至り、同場[図書館注:博物場]従来の建物は撤廃せられ、(中略)かくて旧博物場は解滅し、その附属建物としての能楽堂(十五年十二月天満天神内に移設せらる)・集楽館・茶室等が、僅に残存して、昔の俤を偲ばせてゐるに過ぎない」(p.673)
■『大阪経済人と文化』(宮本又次/著 実教出版 1983)
「第三章 大阪の能舞台と経済人 Ⅴ[ローマ数字の5] 中之島翠柳館の舞台と博物場の舞台」(p.66-68)に次の記述がある。
「博物場内の北寄りに御殿風の建築集楽館があり、そこに百畳敷くらいの大広間があり、この広間を見所として庭をへだてて南向きの舞台が別棟で建てられていた。この庭にも床几をならべて見所にしていた」(p.68)
[事例作成日:2020年12月7日]
参考資料:東北芸術工科大学紀要 東北芸術工科大学 東北芸術工科大学 1993.11-2015.3 16,
参考資料:東区史 続 第3巻 大阪市東区史刊行委員会∥編集 大阪市東区史刊行委員会 1981, (424)
参考資料:明治大正大阪市史 第1巻 大阪市役所∥編纂 清文堂出版 1966, (673)
参考資料:大阪経済人と文化 宮本/又次∥著 実教出版 1983.6, (68)
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「造幣局の桜の通り抜け」を始めたのは誰か。(大阪府立中之島図書館)
次の資料に、当時の造幣局長である「遠藤謹助」が「通り抜けの生みの親である」との記述がある。
・『造幣局125年史』 (造幣局125年史編集委員会/編集 大蔵省造幣局 1997.3)
「第4章 総務部門等 第2節 広報 1 桜の通り抜け」(p.133-138)
「記念行事等」の「2.『通り抜けの由来碑』建立」の項に次の記述がある。
「平成2(1990)年4月10日、造幣局構内販売所前桜樹植込み内において、「通り抜けの由来碑」の除幕式が行われた。(中略)除幕式は、通り抜けの生みの親である遠藤謹助元局長の遺族の方々、西独ハンブルグ市第16代桜の女王ユッター・ショット氏を招いて行われた。」(p.134)
また、遠藤謹助が「桜の通り抜け」を始めたとの記述は、次の資料でも確認できる。
・『五代友厚 明治産業維新を始めた志士 鹿児島人物叢書』(桑畑正樹/著 高城書房 2016.4)
第11章「ミニコラム 大阪造幣寮(造幣局)」(p.116-118)に、次の記述がある。
造幣局の「運営開始の明治三年から亡くなるまでのおよそ二十年間も務めた遠藤謹助。(中略)遠藤は、のち明治十四年(1881年)には造幣局長となった。現在も続く、大阪造幣局の「桜の通り抜け」は当時(明治十六年)、局長だった遠藤が「役人ばかりが花見をしていてはもったいない。大阪の人々にもたくさん見て楽しんでもらおう」と始めた、と伝えられている。」(p.117)
・本渡章著「遊宴二百年、桜宮物語-桜宮と通り抜け-」『大阪人』57(4) (大阪都市協会 2003.4)p.22-24
「浪花の歳時記 造幣局の通り抜け」の項に、「明治十六年(一八八三)、当時の造幣局長、遠藤謹助の「局員だけの花見ではもったいない、市民とともに楽しもうではないか」のひと声で、花盛りの数日間、桜の並木道が一般に解放されることになった。」とある(p.24)。
[事例作成日:2020年12月7日]
参考資料:造幣局125年史 造幣局125年史編集委員会∥編集 大蔵省造幣局 1997.3, (134)
参考資料:五代友厚 桑畑/正樹‖著 高城書房 2016.4, (117)
参考資料:大阪人 大阪市都市工学情報センター 57(1-6),
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年中行事を調べる(塩尻市立図書館)
日本で行われている年中行事について、由来やしきたりの調べ方です。
1.キーワード
2.OPAC(検索用端末)から資料を探す
3.分類から資料を探す
4.国内外の年中行事を調べるために参考になる本
5.県内の年中行事を調べるために参考になる本
6.郷土塩尻コーナーを利用する
7.データベースを利用する
8.インターネット上の情報源
詳しくは添付PDFをご覧ください。
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ビジネス情報を探す(塩尻市立図書館)
塩尻市立図書館本館1階・月のコート「しごと情報」コーナーにはビジネスに役立つ資料があります。
スキル、経営者、企業、資格、健康、就職、起業などの見出しがあります。(後述「しごと情報コーナー配置図」参照)
ビジネスに関する身近な情報を調べる場合は、まずこのコーナーを見ると便利です。
1.しごと情報コーナーにはどんな本があるの?
2.蔵書検索用端末(OPAC)で資料を探す
3.しごと情報コーナー書棚の見出しから資料を探す
4.しごと情報コーナーの雑誌を利用する
5.その他 通常の書棚の資料を利用する
6.統計・年鑑・白書コーナーの参考資料
7.コンピュータコーナーのIT系資料
8.郷土資料で調べる
9.企業の環境報告書を調べる
10.商用データベースを利用する
11.インターネット上の情報源
12.しごと情報コーナー「テーマ」見出しの配置図
詳細は添付PDFをご覧ください。
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統計情報を探す(塩尻市立図書館)
統計をうまく利用するためには、その統計が“誰によって”、“いつ”、“どのように”作成されたかを知ることがポイントになります。ここでは、そのようなポイントをおさえるための基礎知識をご案内します。
1.統計・年鑑コーナーについて
2.統計の作成者
①官庁統計、②民間統計の2種類があります。
3.統計書の種類
4.どんな統計があるかわからないとき
① 統計を検索するための本
②統計を検索するためのインターネット情報源
5.長野県の統計について調べるには
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吉田支所の隣にある保育園の前は何があったか?(塩尻市立図書館)
質問時は吉田支所の隣は保育園ではなく北部子育て支援センターであった。
その前は吉田ひまわり保育園だった。
【資料1】『吉田区誌』によると、巻頭カラー写真の「吉田の土地のうつりかわり」から畑地であったことがわかった。
古い住宅地図には、桑畑となっていた。
回答プロセス:まず【資料2~3】塩尻市誌にあたった。保育所の変遷には触れていたが「ひまわり保育園」の記述はなし。
次に【資料1】『吉田区誌』にあたり、巻頭カラー写真の「吉田の土地のうつりかわり」から畑地であったことがわかった。
p239~241ひまわり保育園の設立から建て替えまでの経緯を掲載。
参考資料:【資料1】吉田区誌編纂委員会『吉田区誌』(塩尻市吉田区吉田区誌刊行委員会/2008年/N215.2), (p239~241ひまわり保育園の設立から建て替えまでの経緯を掲載。
昭和24年(1949年)季節保育所として開始
昭和27年(1952年)既存のめぐみ幼稚園から職員を派遣して出先的な施設「めぐみ保育園」として無認可で開所
昭和29年(1954年)吉田保育所となる
昭和41年(1966年)広丘来た保育所と改称
平成16年(2004年)吉田ひまわり保育所に改称)
参考資料:【資料2】塩尻市誌編纂委員会『塩尻市誌 三巻 近代・現代』(塩尻市/1992年/N215.2),
参考資料:【資料3】塩尻市誌編纂委員会『塩尻市誌 別冊、塩尻市の年表 集落の歴史・索引』(塩尻市/1995年/N215.2),
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塩尻市広丘堅石にある神社、「三社」について知りたい。(塩尻市立図書館)
【資料1】 『塩尻市誌 第3巻(近代・現代)』 (塩尻市誌編纂委員会 編 , 塩尻市, 1992.) p.964.
⇒ 現在の塩尻市内及び、北内田(現松本市)を含めた旧村社以上を中心とした神社の一覧が掲載されている。
出典は『神社明細帳』、市誌編纂に際しての調査票、『東筑摩郡誌』・『長野県町村誌』とある。
【資料8】堅石三社の入口にある御由緒の看板『三社 御祭神 並 御由緒』
三社については次のように書かれている。
①祭神
伊弉冊尊(イザナミノミコト)火の神カグツチノミコトを生んで焼死。
武御名方命(タケミナカタノミコト)諏訪大社の祭神。タケミカヅチとの国譲りに負けて諏訪に逃亡。
軻偶突智命(カグツチノミコト)イザナミノミコトの子どもで火の神。
②氏子
堅石 131戸-300戸
③本殿の様式
流造 1.3×1.3
④境内社
大神宮・金毘羅社・蚕玉社・天満社・山神社・疱瘡社
⑤主な建造物と施設
拝殿・弊殿・社務所・渡り廊下・木鳥居・石灯籠・狛犬
⑥境内坪数
357坪→540坪
⑦主な社宝
特になし
⑧特記事項
創立年月日不詳
【資料2】 『信州の神事』 (長野県神社庁, 銀河書房, 1990.) p.255.
⇒ 県内の神社一覧あり。三社は鎮座地、主祭神、旧社格、宮司名の記載のみの掲載。
【資料3】付録「長野県神社名鑑」p38
「(社号)三社、(旧社格)村社、(鎮座地)塩尻市広丘、(神職)宮司 林克三、(役員または氏子総代)記載なし」
回答プロセス:【図書館の書籍】
塩尻市誌のほか、郷土資料コーナーで神社に関する資料を探した。
【堅石三社 現地】
入口に御由緒の看板あり。
参考資料:【資料1】塩尻市誌編纂委員会 編『塩尻市誌 第3巻(近代・現代)』. 塩尻市, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002229494-00,
参考資料:【資料2】長野県神社庁『信州の神事』. 銀河書房, 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002089959-00,
参考資料:【資料3】長野県神社庁/編『長野県神社百年誌』. 長野県神社庁, 1964-12.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059162028-00,
参考資料:【資料4】長野県神社庁三十年史編輯委員会/編.『長野県神社庁三十年史』. 長野県神社庁.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059397238-00,
参考資料:【資料5】長野県/編纂『長野県町村誌 第3巻』. 郷土出版社, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010479279-00,
参考資料:【資料6】信濃教育会, 信濃教育会東筑摩部会 編.『東筑摩郡誌』. 信濃教育会東筑摩部会, 1919.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001699067-00,
参考資料:【資料7】文竜館 編.『長野県市町村提要』. 文竜館[ほか], 1918.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001698350-00,
参考資料:【資料8】『三社 御祭神 並 御由緒』堅石三社の入口にあり, (写真参照。以下の文言を掲載。
三社 御祭神 並 御由緒
一、祭神
伊弉冊尊(イザナミノミコト)
武南名方命(タケミナカタノミコト)
軻遇突智命(カグツチノミコト)
一、由緒
創立年代並勧請の沿革は不詳なれども
口碑によれば往古より鎮座せし在りて
崇敬厚かりしと云い伝ふ
現本殿の建立年代は不詳なれども
天保十巳亥年御屋根葺替さる
拝殿に、在りては安永四乙未年建立と伝ふ
明治五年十月 神社社格 村社に列す
明治四十一年九月 神饌幣帛料 供進社に指定さる
一、境内社
神明宮 天照皇大神
琴平社 崇徳天皇
蚕玉社 宇迦魂命
天満社 菅原道真
山神社 大山衹(*ころもへんに氏)命)
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京都「洛中・洛外」の境界はどこか?境界がわかる地図はあるか? また、洛中・洛外の境界が豊臣秀吉の「御土居」とされるなら、御土居の境界がわかる地図はあるか?(塩尻市立図書館)
豊臣秀吉が天正14~19年(1586~1591)京都の町全体を「御土居(おどい)堀」という城壁で囲み、御土居の中を「洛中」、外を「洛外」とした。【資料1、4、9】
「洛中、洛外」という呼び方は【資料3、5】に中国の古都、洛陽になぞらえたとしている。
また【資料9】には御土居の場所を示す地図も掲載。
回答プロセス:まずOPACで「洛中」「洛外」を検索したところ、安野光正スケッチ画集「洛中洛外」や「洛中洛外図屏風」を掲載した美術書がヒット。屏風絵では境界はわからないので回答に使えず。
[資料6][資料7]に洛中・洛外と呼ばれるようになった記述あり。ただ、境界が載った地図などはなし。
京都の地図帳や、NDC2類「歴史」安土桃山時代と「地理」京都の書籍で「洛中、洛外」の範囲を示す地図などを探したが、なし。
NDC2類に地名辞典など地名に関するレファレンスブックが複数あった。
[資料1][資料2][資料3][資料4][資料5]
これらによって、豊臣秀吉により御土居が建設されるまでは、境界が不明確であったことがわかった。
そこで次に、地図帳や、NDC2類「歴史」安土桃山時代と「地理」京都の書籍で「豊臣秀吉によって建設された『御土居』」を調べたところ、
[資料8]に御土居の建築年と総延長距離がわかったが、御土居の地図はなし。
[資料9]掲載の京都の各地図上で御土居の範囲を示す色分けがされており、この本で御土居の境界がわかった。
また御土居が
雑誌「サライ」2015年10月号特集「京都 サライはこう歩く」の中に「第5章 豊臣秀吉の都市計画」があり、そこに「御土居」の記述もあった。
参考資料:【資料1】浮田典良, 中村和郎, 高橋伸夫 監修『日本地名大百科 : ランドジャポニカ』. 小学館, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002625644-00, 4095231017(p.1209
「洛中」[京都市] 京都市街地中心部をさす呼称。1591年豊臣秀吉により御土居(おどい)が建設され、以後これに囲い込まれた地域を洛中、外を洛外とする概念が定着した。洛は首都を意味する京洛に由来する。現在の上京区、中京区、下京区のほとんどが含まれる。)
参考資料:【資料2】三省堂編修所 編『日本地図地名事典』. 三省堂, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002131986-00, 4385154376([資料3]とほぼ同じ記述。
p.1257
「らく 洛」京都、平安京の別称。中国の古都、洛陽になぞらえ、旧市街を洛陽、鴨川を洛水とよんだ。洛外、洛東・洛西・洛南・洛北に分けるが境界は不明確。京都に上ることを上洛、入洛。地方に下ることを下洛といった。
「洛外」京都市の郊外をさす通称 平安京の外側をさす。洛中洛外といういい方がある。
「洛中」京都市外をさす通称。[別称]洛内 平安京の内部をさす。)
参考資料:【資料3】三省堂編修所 編, 谷岡武雄 監修『三省堂 コンサイス日本地名事典 第5版』. 三省堂, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009174169-00, 9784385160511([資料2]とほぼ同じ記述。
p.1306
「らく 洛」京都市。平安京の別称。中国の古都、洛陽になぞらえ、旧市街を洛陽、鴨川を洛水とよんだ。洛外、洛東・洛西・洛南・洛北に分けるが境界は不明確。京都に上ることを上洛、入洛。地方に下ることを下洛といった。
「洛外」京都市の郊外をさす通称 平安京の外側をさす。洛中洛外といういい方がある。
「洛中」京都市外をさす通称。[別称]洛内 平安京の内部をさす。)
参考資料:【資料4】浮田典良, 中村和郎, 高橋伸夫 監修『日本地名百科事典 : コンパクト版』. 小学館, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002690532-00, 4095231114(p.1389
「洛中」京都市街地中心部をさす呼称。1591年豊臣秀吉により御土居(おどい)が建設され、以後これに囲い込まれた地域を洛中、外を洛外とする概念が定着した。絡は首都を意味する京洛に由来する。現在の上京区、中京区、下京区のほとんどが含まれる。)
参考資料:【資料5】楠原佑介, 溝手理太郎 編『地名用語語源辞典』. 東京堂出版, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001643230-00, (p.646 「らく[洛]」
京都の異称、雅称。中国古代の都洛陽にちなむ。吉田東伍によれば、古くは左京を「洛陽」、右京を「長安」といったが、後に右京がすたれたため、「洛陽」が京都全体の異称となったという。洛中、洛東など接頭語的に使われる。)
参考資料:【資料6】森谷尅久 著『地名で読む京の町 上(洛中・洛西・洛外編). PHP研究所, 2003. (PHP新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004120093-00, 4569626793(p.4~5「はじめに」で「「洛中」「洛外」も、中世以来、次第に歴史的に使用されてきた、京都の地域分けの方法である。ある時期は、「洛中」「辺土」という区分も用いられていたが、ほぼ十五世紀頃までに「洛中」「洛外」という形でおさまったのである。十六世紀にはいると『洛中洛外図』という言葉にみられるように完全に定着している。」として、現在の行政区のどこが当てはまるかも述べているが、その中身や概念は変化するとも書かれている。
p.53からは「洛中・洛外」として詳しい記述がある。)
参考資料:【資料7】森谷尅久 著『地名で読む京の町 下(洛東・洛北・洛南編)』. PHP研究所, 2003. (PHP新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004159576-00, 4569629202(「京都の地名を読む」と題して、洛東・洛北・洛南が地名として出てくる。)
参考資料:【資料8】小和田哲男, 小和田泰経 著.『大図解戦国史 : 写真、CG、地図、詳しい解説で知る』平凡社, 2014. (別冊太陽. 歴史ムック)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025086134-00, 9784582945591(p.122
「聚楽第」の項目に
「さらに秀吉は、天正十九年から土塁と堀で京都を囲む工事を行った。これは「御土居(おどい)」とよばれ、総延長は二二・五キロメートルに及んでいる。」とあった。聚楽第の絵図や地図、鳥瞰復元CGは掲載されていたが御土居の境界線がわかる地図などはなし。)
参考資料:【資料9】新創社, 松岡 満『京都時代MAP 安土桃山編』. 光村推古書院, 2003. (Time trip map : 現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045925020-00, 4838103697(「京都タイムトリップマップエリア図」に御土居堀の内の凡例あり。
p.51「天正十九年(1591)御土居堀造営」
応仁の乱~織田信長活躍の頃までは「上京・下京」という記述。
p.66「京の町全体を御土居堀(土壁と堀)」で囲んだ」
p.67「プロデューサー秀吉の京都での業績」に「【京都プラン】天正14~19年(1586~1591)御土居堀の造営 京都城下町化プランの総仕上げ。京都の町全体を囲む城壁「御土居堀」によって洛中と洛外を分ける。」と書かれている。
p.72「御土居堀」にも「新しくできた京の町を御土居で囲み、御土居堀の内側を「洛中」、外側を「洛外」に分けた。洛中と洛外の往来は要所に設けた「口」と呼ばれる関署に限定し、外敵からの防衛、洛中の治安維持をはかった。」とある。さらに続けて「御土居堀のその後」として「都の中核だった聚楽第が秀次事件によって破壊された後、御土居も意味を失いつつあった。江戸中期になると洛中をこえて東へと市街は広がり、御土居堀は次第に無用となる。」とある。)
参考資料:【資料10】雑誌「サライ」2015年10月号, (大特集「京都 サライはこう歩く」の中に「第5章 豊臣秀吉の都市計画」)
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折り紙で作る、つるし雛の本はあるか(塩尻市立図書館)
折り紙、切り紙、かぎ針の本を紹介する。【資料1】~【資料9】
和のインテリアとして、和布のつるし飾りの本も紹介する。【資料10】
回答プロセス:形はおひな様には拘らないということになり、最終的に、花のモチーフ等をかぎ針で何個かつくり、それをつなげて、つるし雛風にアレンジすることになりました。
参考資料:【資料1】川村晟 著 , 川村, 晟, 1932-. 暮らしを彩る実用折り紙. 日本文芸社, 2014.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025178217-00, 9784537211757(お雛様p107)
参考資料:【資料2】小林 一夫/監修 , 小林‖一夫. お節句の折り紙 : おひな様と端午の節句. 日本ヴォーグ社, 2004.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I011623329-00, 452903853X
参考資料:【資料3】川崎敏和 著 , 川崎, 敏和, 1955-. 折り紙夢world. 朝日出版社, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003002497-00, 4255000964(薔薇p60 蝶p105)
参考資料:【資料4】矢口加奈子 著 , 矢口, 加奈子. やさしい切り紙 : 折って、切って、開いてつくる. 池田書店, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008448583-00, 9784262152462
参考資料:【資料5】かわいい切り紙パターン160 : ちょっとの時間で誰でもカンタン!. アップルミンツ(E&Gクリエイツ), 2015. (Asahi Original ; 563)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026364740-00, 9784021906329
参考資料:【資料6】岡まり子 監修 , 岡, まり子. はじめてのレース編み&かぎ針編みレッスン : 初歩の初歩からやさしくわかる. ナツメ社, 2008.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009324431-00, 9784816344862
参考資料:【資料7】伊達 静夏/著 , 伊達‖静夏. はじめてのクロシェ : とってもかんたん。かぎ針編みの基本と応用. グラフ社, 2009. (ハンドクラフトシリーズ ; NO.148)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I033794742-00,
参考資料:【資料8】レズリー・スタンフィールド/著 , 白川 貴子/訳 , Stanfield‖Lesley , 白川‖貴子. 小花モチーフ100 : TO KNIT&CROCHET. 主婦の友社, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I041278027-00, 9784072788301
参考資料:【資料9】松本かおる [著] , 松本, かおる. はじめてのかぎ針編みガールズパターン100 : カフェタイム・フラワー・ロマンティック. アップルミンツ, 2011. (Asahi original ; 323)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023101744-00, 9784021904837
参考資料:【資料10】萩原玲子, 津村フミヨ 著. 和布の小物つるし飾り・さがりもの. 成美堂出版, 2005. (Seibido mook. Wakuwakuホビー ; 5)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007768020-00, 4415101534(桃のつるし雛p92)
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ツリーハウスの本はあるか(塩尻市立図書館)
雑誌『ドゥーパ』『mono』等を紹介。【資料1】~【資料8】
参考資料:【資料1】ドゥーパ! 週末DIY・手作りライフマガジン Do It Yoursef 2017-6., (八角形のツリーハウスは雑木林の隠れ家カフェ)
参考資料:【資料2】住まいnet信州 住まいと暮らしのデザインブック 2017 spring & summer,
参考資料:【資料3】影山裕樹 著 , 影山, 裕樹, 1982-. 大人が作る秘密基地 = Secret Hideouts for Grown-Ups : 屋外、ツリーハウス、リノベーション、シェアオフィスまで. DU BOOKS, 2014.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025415035-00, 9784907583125
参考資料:【資料4】小林崇 著 , 小林, 崇. ツリーハウスをつくる愉しみ. メディアファクトリー, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023427557-00, 9784840145107
参考資料:【資料5】アラン・ロラン, ダニエル・デュフール, ギスラン・アンドレ 著 , 日本ツリーハウス研究会, 山瀬千晶 訳 , Laurens, Alain , Dufour, Daniel , André, Ghislain , 山瀬, 千晶 , 日本ツリーハウス研究会. ツリーハウスで夢をみる. 二見書房, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008857359-00, 9784576071121
参考資料:【資料6】ポーラ・ヘンダーソン, アダム・モーネメント 著 , 日本ツリーハウス研究会, 柳田亜細亜 訳 , Henderson, Paula , Mornement, Adam , 柳田, 亜細亜 , 日本ツリーハウス研究会. ツリーハウスで遊ぶ. 二見書房, 2006.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008294625-00, 4576061127
参考資料:【資料】ピーター・ネルソン 著 , 日本ツリーハウス協会 監訳 , Nelson, Peter, 1962- , 日本ツリーハウス協会. ツリーハウスをつくる. 二見書房, 2005.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007860366-00, 457605127X
参考資料:【資料8】Derek Diedricksen 著 , 金井哲夫 訳 , Diedricksen, Derek , 金井, 哲夫, 1958-. マイクロシェルター : 自分で作れる快適な小屋、ツリーハウス、トレーラーハウス. オライリー・ジャパン, 2017. (Make : Japan Books)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028167785-00, 9784873118031
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【クイックレファレンス】松本清張の「国家の深層に潜むもの」はあるか。(塩尻市立図書館)
松本清張が書いた作品に「国家の深層に潜むもの」はなさそうで、NHK Eテレ2018年の番組「100分de名著」で松本清張氏を扱った際の第4回サブタイトルが「国家の深層に潜むもの」であった。
【放送時間】2018年3月26日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【指南役】原武史(放送大学教授)日本政治思想史研究者。
【朗読】長塚圭史(俳優)【語り】小坂由里子
この回で紹介した松本清張氏の作品『神々の乱心』を紹介。
回答プロセス:当館OPACで
著者:「松本清張」タイトルやキーワード:「国家の深層」「国家」
で調べたが、該当作品なし。
↓
Webサイトで「松本清張」+「国家の深層」や「国家の」で検索した。
国会図書館サーチ、Amazon、e-hon、honto、Honya-club、紀伊國屋書店、カーリル、TSUTAYAを調べたが、
松本清張の著作、作品名としては見当たらなかった。
↓
作品名としては見当たらなかったが、NHKの番組Webサイトで回答内容がヒットした。
番組サイトなどから、松本清張氏の著作としては『神々の乱心』を扱っていたと分かった。
↓
当館OPACを松本清張氏『神々の乱心』で再び検索して【資料1~9】を紹介。
参考資料:【資料1】松本 清張『神々の乱心 上』文芸春秋 1997., 4-16-363470-3(内容紹介:昭和8年、東京近郊・梅広町の「月辰会研究所」から出てきたところを尋問された若い女官が自殺した。自責の念と不審から月辰会研究会をマークする特高課第一係長・吉屋謙介。やがて渡良瀬遊水地から、二つの死体が…。)
参考資料:【資料2】松本 清張『神々の乱心 下』文芸春秋 1997., 4-16-363480-0(内容紹介:自殺した女官の兄から、月に北斗七星の紋章が入った通行証を見せられた華族の萩園泰之は、事件の真相を調査する。その背後に見え隠れする「大連阿片事件」の影…。松本清張が渾身の力を揮った絶筆1700枚。)
参考資料:【資料3】松本 清張『神々の乱心 上 (文春文庫)』文芸春秋 2000., 4-16-710685-X
参考資料:【資料4】松本 清張『神々の乱心 下 (文春文庫)』文芸春秋 2000., 4-16-710686-8
参考資料:【資料5】原 武史『松本清張の「遺言」 『神々の乱心』を読み解く (文春新書 703)』文藝春秋 2009., 978-4-16-660703-7(内容紹介:最新の天皇研究をリードする気鋭の著者が、晩年の松本清張が総決算を意図した遺作を手がかりに、宮中の奥深くにまで分け入って、天皇制と昭和史というふたつの巨大な謎に迫る。)
参考資料:【資料6】原 武史、三浦 しをん『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』KADOKAWA 2019., 978-4-04-107668-2(内容紹介:通学時の沿線風景、女官の世界、松本清張に生前退位、鉄道愛…。平成の終わりに、政治学者にして鉄学者の原武史と作家・三浦しをんが顔を合わせ、気持ちの赴くまま、縦横無尽に語り尽くす。)
参考資料:【資料7】原 武史『「松本清張」で読む昭和史 (NHK出版新書 586)』NHK出版 2019., 978-4-14-088586-4(内容紹介:「社会派推理小説」というジャンルを確立した国民的作家・松本清張。代表作の数々を「鉄道」と「天皇」に注目して読み解き、昭和という時代の歴史の暗部に光をあてる。)
参考資料:【資料8】NHK「100分de名著」制作班『「100分de名著」名作セレクション』文藝春秋 2016., 978-4-16-390538-9
参考資料:【資料9】NHKテレビWebサイト 100分de名著 松本清張スペシャル
https://www.nhk.or.jp/meicho/ (確認年月日:2020年6月4日)
【資料9】NHKテレビWebサイト 100分de名著 松本清張スペシャル
https://www.nhk.or.jp/meicho/ (確認年月日:2020年6月4日),
備考:当館に所蔵がない参考資料としては下記の書籍が挙げられる。
原 武史『松本清張スペシャル 2018年3月 (100分 de 名著)』NHK出版 2018. ISBN:978-4-14223084-6
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松本市仲町の商店ちきりやの丸山源内が塩尻市勝弦の人々を救済し、昭和2年頃に記念碑が建てられたと聞いた。その記念碑がどのようなもので、どこにあるかを知りたい。(塩尻市立図書館)
昭和2年5月に塩尻市北小野に頌徳碑「丸山源内翁碑」が建てられた。【資料1】【資料2】
石碑は「(当時の)松本市長、小里頼永題額、浅井冽撰書」とある。
【資料3】によると「所隆志宅の前に元松本市古里頼永市長によって建立されたと思われる頌徳碑」とある。
丸山源内の功績は【資料3】に詳しい記述がある。
大正三年に青木沢奥地が丸山源内ほか八名で数十町歩が開墾され、溜め池が造られた。
「二年の歳月をかけ一乃理想郷をつくった。」と書かれているが、
利用者がおっしゃる「クリスチャンだったか否か」は、塩尻市誌や地区誌の歴史・宗教関連を調べても記述がなかった。
【資料4~6】には地名として「ちきりや」が載っているのみ。
回答プロセス:1)「記念石碑がある」ということだったので、塩尻市内の石碑について調べた。【資料1】【資料2】
2)並行して、地元の歴史を『地区誌』と『塩尻市誌』、『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』で調べた。
事前調査事項:「丸山源内はクリスチャンで貧しい人たちのために家を建てて救済した」と思う、とのことだった。
参考資料:【資料1】長野県教育委員会『長野県石碑目録 石碑所在調査報告書』長野県文化財保護協会 1990. NDC:215, (p.276「筑摩地村」の項目に「4 丸山源内翁碑 [所在地]勝弦ちきりや [大きさ]高さ237cm・幅153cm [内容](和文)小里頼永額 浅井洌撰書 [建設年月]昭和2年5月」と掲載。)
参考資料:【資料2】『塩尻市の石造文化財総目録 (石造文化財調査報告書(その5))』塩尻市教育委員会 1988. NDC:714.0, (p.203 勝弦区の57の石造文化財の54番として「種類:頌徳碑、所在地:勝弦 ちきりや、大きさ:縦237cm・横153cm、記銘文・特長:丸山源内翁碑 松本市長小里頼永題額 浅井洌撰文並書」と記載。)
参考資料:【資料3】勝弦区誌編纂委員会『勝弦区誌』勝弦区 2002. NDC:215.2, (p.125 第三章 産業・経済「大正三年には青木沢奥地が松本市の丸山源内ほか八名により数十町歩が開墾され・・・(略)・・・チキリヤと名付けられた。」とある。
p.128 第三章 産業・経済「また、大正三年には、青木沢奥地が松本市の丸山源内ほか八名により開拓され・・・(略)・・・チキリヤ溜池と名付けた。」とある。
p.149 第三章 産業・経済「また、大正三年には松本市の丸山源内ほか八名により、青木沢奥地(後のチキリヤ)の開拓が行われ、十余町歩の畑地が作られ桑畑となった。」「因にチキリヤ地区の開拓について、所隆志宅の前に元松本市古里頼永市長によって建立されたと思われる頌徳碑があり
“當滕屋農園は松本市仲町丸山源内が筑摩地村有□の不毛の地を譲受けて、大正三年十月起工。管理者を柿沢茂市に任ねた。二年の歳月をかけ一乃理想郷をつくった。移住者を募り、住舎を八号舎造った。”
と刻まれている。滕の字は一字でちきりと読み、機織りの時に使う経糸を巻き取る木製の道具のこと。チキリヤとは当時、松本市市議会議員であった丸山源内の生家紙問屋の屋号であり、これをもって開拓地の地名としたと、言い伝えている。なお、林檎は赤砂のものを移植したとのことである」と載っている。
p.196 第四章 公共土木事業 に「チキリヤ溜池」という項目がある。
p.340 第八章 年表「1914年(大正3年)10月 松本の丸山源内、勝弦チキリヤ一帯を購入し・・・(略)・・・チキリヤ溜池を築造する。」とある。
他は地名として「チキリヤ」が出てくるのみ。p.166, 171, 179, 188, 274, 315, 346。)
参考資料:【資料4】塩尻市誌編纂委員会『塩尻市誌 別冊、塩尻市の年表 集落の歴史・索引』塩尻市 1995. NDC:215.2, (p.602 集落の歴史 「3 年表」に「1914年 大正3年 松本の丸山源内、勝弦チキリヤ一帯を購入、原野を開墾しチキリヤ溜池を築造」とある。)
参考資料:【資料5】塩尻市誌編纂委員会『塩尻市誌 第3巻、近代・現代』塩尻市 1992. NDC:215, (2ヵ所、溜池の名前として「チキリヤ」が出てくる。(p.547とp.553の表))
参考資料:【資料6】北小野地区誌編纂会『北小野地区誌』北小野地区誌編纂会 1987. NDC:215.2, (1ヵ所、p.445に溜池の名前として「チキリヤ溜池」が出てくる。)
カテゴリー: レファレンス協同データベース新着事例
キョクアジサシという鳥の生態について知りたい。写真も見たい。(塩尻市立図書館)
【資料1】鳥くんの比べて識別!野鳥図鑑670 文一総合出版 p362 解説と写真あり。稀な迷鳥で日本でも見られるとの記述あり。
【資料2】日本の野鳥 写真検索、新版 (山溪ハンディ図鑑 7)山と渓谷社p335 解説と写真、鳴き声
【資料3】きれいですごい鳥 パイインターナショナルp11 写真、解説と渡りの地図あり。
【資料4】旅する動物図鑑 2、空の生きもの 筑摩書房p8「旅する動物地球地図②空の生きもの」渡りの地図あり。p10写真、何種類かの渡りの地図あり。
【資料5】驚異の極限生物ファイル 誠文堂新光社p18~写真、生態、渡りの地図あり。
【資料6】ちいさな鳥の地球たび 岩崎書店 キョクアジサシの写真絵本
【資料7】ぼくたちはみんな旅をする 講談社p34-35
【資料8】動物たちは、冒険家! 河出書房新社p6-7 キョクアジサシの生態や渡りの距離(25000キロ)、所要時間(行きは3カ月、帰りは40日くらい)
【資料9】北極と南極 文一総合出版p44~p49 親鳥とヒナの写真あり。生態や渡りが年間8万キロとの記述あり。
回答プロセス:キョクアジサシについてデータベースのジャパンナレッジで調べる。【極鯵刺】 鳥綱チドリ目カモメ科の海鳥。全長35センチメートルほどの中形種である。北極を取り巻く高緯度地方で繁殖し、ヨーロッパおよびアフリカの西海岸、北および南アメリカ西海岸に沿って南下し、南極海域まで渡って越冬し、翌春ふたたび北上する。もっとも長距離の渡りをする鳥の一つである。北極、南極で白夜の夏を過ごし、おもに日が長い所を渡るので、明るい所にいる時間がもっとも長い動物でもある。繁殖および渡りのとき換羽をせず、越冬地ですばやく済ます。海岸近くの砂礫(されき)地に集団で営巣し、1腹2~3卵を産む。魚のほか甲殻類も食べる。1歳鳥は南半球にとどまり、2歳で北上し、3歳で初めて営巣する。日本での記録はまだない。
・館内で鳥類の棚をブラウジング。一般書、児童書ともにあり。
データベース検索 【ジャパンナレッジ】https://japanknowledge.com/library/
参考資料:永井真人著 , 永井, 真人 , 茂田, 良光. 鳥くんの比べて識別!野鳥図鑑670 第3版. 文一総合出版, 2019-11.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000713850-00, 9784829972311
参考資料:叶内拓哉, 安部直哉, 上田秀雄 著 , 叶内, 拓哉, 1946- , 安部, 直哉, 1938- , 上田, 秀雄, 1953-. 日本の野鳥. 山と溪谷社, 1998. (山溪ハンディ図鑑 ; 7)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002683548-00, 4635070077
参考資料:上田恵介 監修 , 赤木かん子 文 , 上田, 恵介, 1950- , 赤木, かん子. きれいですごい鳥. パイインターナショナル, 2014. (生きものびっくりシリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025123501-00, 9784756244420
参考資料:水野昌彦著 , 水野, 昌彦 , 樋口, 広芳. 空の生きもの. 筑摩書房, 2019. (旅する動物図鑑, 2)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I011980689-00, 9784480860873
参考資料:長沼毅 監修 , 長沼, 毅, 1961-. 驚異の極限生物ファイル : クマムシだけじゃない!過酷な環境を生き抜くタフなやつら. 誠文堂新光社, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026399907-00, 9784416115268
参考資料:藤原幸一 写真・文 , 藤原, 幸一, 1955-. ちいさな鳥の地球たび. 岩崎書店, 2011. (えほんのぼうけん ; 30)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011245992-00, 9784265070503
参考資料:ローラ・ノウルズ 文 , クリス・マッデン 絵 , 石川直樹 訳 , Knowles, Laura , Madden, Chris , 石川, 直樹, 1977-. ぼくたちはみんな旅をする. 講談社, 2019. (講談社の翻訳絵本. かがくのとびらシリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029751201-00, 9784065134559
参考資料:キム・トマス 文 , フリオ・アントニオ・ブラスコ 絵 , 宇野和美 訳 , Tomás, Quim , Blasco, Julio Antonio , 宇野, 和美, 1960-. 動物たちは、冒険家! : 地球を旅する生きものの不思議. 河出書房新社, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028730339-00, 9784309278797
参考資料:田邊優貴子著 , 田邊, 優貴子. 北極と南極 : 生まれたての地球に息づく生命たち. 文一総合出版, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008751252-00, 9784829972090
カテゴリー: レファレンス協同データベース新着事例
李承晩ライン(イスンマンライン)のことについて知りたい。(塩尻市立図書館)
【資料1】朝鮮半島がわかる本3(第二次世界大戦後現在まで)かもがわ出版 p14-15に李承晩ラインとは1952年に李承晩が日本海から東シナ海にかけて一方的に設定した軍事境界線(韓国では「平和線」という)です。との記述あり。
【資料2】マンガものがたり韓国史 国書刊行会 p257-305に李承晩の独裁政権の章あり。
【資料3】日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想 ちくま文庫 p400-に「達人、李承晩博士」の項あり。
検索データベース【ジャパンナレッジ】李承晩ラインで検索。
・韓国(大韓民国)の李承晩大統領が1952年1月18日に「海洋主権宣言」によって朝鮮半島周辺の広大な水域に主権を主張し画定した線。この線は、場所によっては距岸200海里近くに及んだ。海洋主権宣言は、韓国の大陸棚の資源に主権を主張し、また、上述の水域の表面、水中および海底の天然資源に主権を主張した。この宣言は、第二次世界大戦後の日本漁業を規制したマッカーサー・ラインの廃止(1952)に伴って、日本漁船の韓国周辺水域への出漁を阻止しようとしたもので、韓国は、宣言の前後にわたり多数の日本漁船を拿捕(だほ)した。この李承晩ラインは、1965年(昭和40)の日韓漁業協定によって、実質的に廃止された。
回答プロセス:図書館のシステムで「李承晩」で検索。検索でヒットしたものと、韓国の歴史の棚でブラウジング。
検索データべースで「李承晩ライン」を検索。
【ジャパンナレッジ】https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=1001000240056
参考資料:長田彰文 監修 , 津久井惠 文 , 長田, 彰文, 1958- , 津久井, 惠, 1949-. 朝鮮半島がわかる本 3 (第二次世界大戦後現在まで). かもがわ出版, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027084838-00, 9784780308044
参考資料:徐永洙 漫画 , 野崎充彦 日本語版監訳 , 高秀賢, 金信惠 訳 , 徐, 永洙, 1948- , 野崎, 充彦, 1955- , 高, 秀賢 , 金, 信惠. マンガものがたり韓国史 3 (植民地時代から現代まで). 国書刊行会, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003045474-00, 4336043337
参考資料:任文桓著 , 任, 文桓. 日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想. 筑摩書房, 2015. (ちくま文庫, [い-86-1])
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000186733-00, 9784480432452
カテゴリー: レファレンス協同データベース新着事例
山形村出身の市川月静の筆塚のことについて知りたい。場所がわかる地図があれば見たい。(塩尻市立図書館)
【資料1】村誌やまがたp516「市川月静翁の筆塚」この筆塚は小坂六部塚にあり、昭和六年八月八日に建てられたものである。昭和四七年秋「月静八十周年遺作展」が催されたがその時の目録に次のように紹介されている。「市川月静、名は善太郎、天保三年小坂に生る。幼にして画を好み同郷の鈴木松月先生に就いて学ぶ。長じて江戸に出て鍜治橋狩野屋敷に入り、探月斉守保に師事、傍ら大家に交じり精励十余年、その奥義を究む。維新の動乱に会い帰郷、悠々筆をとり名作遠近に散在す。明治二六年松本正安寺に揮毫中病に倒れ、同年十月八日没す。齢六十二歳。と、月静は自らが辰年生れという事もあって雲龍を得意とし、多くの作品を残している。特に大町の霊松寺の天井に画いた雲龍は二〇間に五間の大作であり、塩尻西福寺の杉戸に画かれた牡丹に唐獅子や欄間の花鳥、そして本堂天井の獏などは名作とされている。
回答プロセス:山形村の小坂出身とのことで「長野県市町村史誌目次情報データベース」で検索。「市川月静」で検索したがヒットせず、「筆塚」で検索すると「村誌 やまがた」がヒット。
2020年11月8日現在 山形村教育委員会が作成した「ふるさと学習」の文化財散歩VOL.3で「六部塚辻」として紹介されている。(山形村小学校HPから引用)
http://www.yamagata-es.ed.jp
参考資料:山形村誌編集委員会編 , 山形村(長野県). 村誌やまがた. 山形村誌編纂会, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008265503-00,
カテゴリー: レファレンス協同データベース新着事例
大正時代の外務大臣だったらしい、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)について知りたい。(塩尻市立図書館)
【資料1】幣原喜重郎と二十世紀の日本 有斐閣
【資料2】人物で読む近代日本外交史 吉川弘文館 p248-幣原喜重郎の章あり
【資料3】昭和史講義ー最新研究で見る戦争への道ー ちくま新書 p13-第一講ワシントン条約体制と幣原外交の記述あり。
【資料4】近代日本の転機明治・大正編 吉川弘文館 p287 幣原喜重郎外相と南京事件の章あり。
【資料5】日本近代の歴史4 国際化時代「大正日本」 吉川弘文館 p194-
【資料6】昭和史講義3-リーダーを通して見る戦争への道 ちくま新書 p73- 幣原喜重郎ー戦前期日本の国際協調外交の象徴
【資料7】幣原喜重郎とその時代 PHP文庫
回答プロセス:幣原喜重郎について調べる。利用者の方が分かっているのは大正時代の外務大臣だったらしいとのこと。データベースのジャパンナレッジで検索。生没年1872ー1951と政治家、外交官、明治5年8月11日大阪府生まれ。であることが分かった。写真あり。
図書館システムで検索。【資料1】と【資料3】【資料6】が見つかった。他に書架でブラウジング。
データベース検索【ジャパンナレッジ】https://japanknowledge.com/lib/search/basic/
参考資料:服部龍二 著 , 服部, 龍二, 1968-. 幣原喜重郎と二十世紀の日本 : 外交と民主主義. 有斐閣, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008396051-00, 4641173273
参考資料:鳥海靖 編 , 鳥海, 靖, 1934-. 近代日本の転機 明治・大正編. 吉川弘文館, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008564678-00, 9784642079747
参考資料:佐道明広, 小宮一夫, 服部龍二 編 , 佐道, 明広, 1958- , 小宮, 一夫, 1967- , 服部, 龍二, 1968-. 人物で読む近代日本外交史 : 大久保利通から広田弘毅まで. 吉川弘文館, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009933854-00, 9784642079976
参考資料:櫻井, 良樹(1957-) , 櫻井, 良樹(1957-). 国際化時代「大正日本」. 吉川弘文館, 2017. (日本近代の歴史)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I075694064-00, 9784642068154
参考資料:筒井清忠 編 , 筒井, 清忠, 1948-. 昭和史講義 : 最新研究で見る戦争への道. 筑摩書房, 2015. (ちくま新書 ; 1136)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026548196-00, 9784480068446
参考資料:筒井清忠 編 , 筒井, 清忠, 1948-. 昭和史講義 3. 筑摩書房, 2017. (ちくま新書 ; 1266)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028311809-00, 9784480069771
参考資料:岡崎久彦著 , 岡崎, 久彦. 幣原喜重郎とその時代. PHP研究所, 2003. (PHP文庫, [お86])
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006423440-00, 9784569579931
カテゴリー: レファレンス協同データベース新着事例