レファレンス協同データベース新着事例

与謝野晶子の次の歌が収録された資料を探している。「たかきやまつつめるくもをまえにして あかきひにそむあさまのゆかな」歌碑にもなっているらしい。(栃木県立図書館)

歌碑があるとの情報から、以下の資料を確認したところ、全文を確認することができました。 ・『日本の文学碑 1』(日外アソシエーツ株式会社/編,宮澤康造/〔ほか〕監修 日外アソシエーツ 2008) p.305「たかき山つゝめる雲を前にして 紅き灯にそむ浅間の湯かな」 長野県松本市浅間温泉神宮寺にある歌碑で、昭和32年春に建立されたとあります。 ・『与謝野晶子歌碑めぐり 全国版』(堺市博物館/編 二瓶社 1991) p.82-83 『日本の文学碑1』と同様の情報あり。 与謝野夫妻と浅間温泉のゆかりについて記述があるほか、歌碑建立の経過についても記されていました。 歌は個人所有の画帳に自筆で書かれていたものとのことです。 回答プロセス:著名な歌人の作品であるため索引類も豊富に刊行されている。これらを調査するが、求める歌は確認できなかった。作品の凡例を見ると、歌集等に収録された作品を収録対象としているため、それ以外で発表された作品でないかと予想する。 今回は、歌碑との情報を得ていたため、文学碑、歌碑を探すためのレファレンスブックから情報を得ることができた。 調査した索引類は以下のとおり。 ・『与謝野晶子全歌集総索引』(塩田良平/共編著,佐藤和夫/共編著 有朋堂 1970) 凡例 「すべて初版本に拠った。後版の改作歌、拾遺歌及び「明星抄」は収載していない」 ・『定本與謝野晶子全集 第8巻 全短歌索引』(与謝野晶子/著  講談社 19811) 凡例 「本全集第一巻~七巻に収録された全短歌の索引である」 ・『鉄幹晶子全集32(全歌集五句索引篇)』(与謝野〕鉄幹/〔著〕,〔与謝野〕晶子/〔著〕,逸見久美/編) 凡例 「『鉄幹晶子全集』本文篇第一巻から第三十一巻収録の全短歌集についての索引である」

植物「やどりぎ」の実の色について。明治時代の日本では、どのような色と捉えられていたのか。(栃木県立図書館)

明治期の百科事典、植物辞典からそれぞれの表現を確認することができました。 1 当館所蔵資料 ・『日本百科大辞典 第9巻』(日本百科大辞典完成会/編 日本百科大辞典完成会 1917) p.1446「やどりぎ」の項に「果實は白色球状にして」との記述があります。 ・『廣文庫 19』(物集高見/著 廣文庫刊行会 1918) p.607-609「やどりぎ」の項があります。引用文献として、『昆蟲草木略』『桃洞遺筆』『本草綱目』の3点が挙げられています。 ・『頭註 国訳本草綱目 15』(李時珍/著,白井光太郎/訳 春陽堂 1929) p.32-37「桑上寄生 和名 くはのやどりぎ」の項があり、「五月に赤い實があり、大いさは小豆ほどである。」との記述があります。 p.41「桃寄生」「柳寄生」の項があります。 ※「くは」「大いさ」は原文のまま引用しています。 2 国立国会図書館デジタルコレクション ・『植物図鑑』(東京博物学研究会/編 北隆館[ほか]1908) (URL) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832504 (インターネット公開) p.1155「やどりぎ」の項があり、実について「後黄褐色半透明ノ実を結ブ」との記述があります。 ・『新撰博物示教』(堀正太郎, 藤田経信/著 冨山房 1896)  (URL) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832204 (インターネット公開) p.99-102「やどりぎ」の項があり、「果實は丸ク熟シテ淡黄色トナリ」との記述があります。 3 その他の調査資料(記述は確認できませんでした) 〈当館所蔵資料〉 ・『増訂草木図説 1』(飯沼慾斎/著 成美堂 1907 当館所蔵) ・『増訂草木図説 2』(飯沼慾斎/著 成美堂 1910 当館所蔵) ・『増訂草木図説 3』(飯沼慾斎/著 成美堂 1913 当館所蔵) ・『増訂草木図説 4』(飯沼慾斎/著 成美堂 1913 当館所蔵) 〈国立国会図書館デジタルコレクション〉 ・『植物図解 : 普通植物検索表準拠』(高柳悦三郎/編 正文館[ほか] 1912)   アドレスhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832503 (インターネット公開) ・『植物生態美観』(三好学/著 富山房 1902)   アドレスhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832507 (インターネット公開) ・『参考植物学講義』(斎田功太郎・佐藤礼介/著 東京宝文館 1917)   アドレス http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980993 (インターネット公開)  ・『蔬菜栽培法』(福羽逸人/著 博文館 1893)  アドレス http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840203 (インターネット公開)

書道で使う墨の作成方法を知りたい。(栃木県立図書館)

以下の資料に記載がありました。 1 当館所蔵資料 ・『文房四宝 墨の話』(榊莫山/著 角川書店 1981)  p.48-69に「墨の生成」というタイトルで墨の材料、製作方法に関する記述があります。 ・『書道にかかわる仕事 書道師範 製筆技術者 製墨技術者・製硯技術者,マンガ』(ヴィットインターナショナル企画室/編 ほるぷ出版 2006)  p.123-132に「製墨技術者の仕事ぶり」というタイトルで、墨の材料、製作方法に関する記述があります。 ・『和硯と和墨』(植村和堂/著 理工学社 1980)  p.187-211に墨の材料、製作方法に関する記述があります。 以下の資料もお調べしましたが、残念ながら製作方法に関する記述は確認できませんでした。 ・『墨のすべて』(為近磨巨登/著 木耳社 201012) ・『炭と墨の実験』(馬場勝良/著,田島董美/絵 さ・え・ら書房 1997) ・『墨と硯と紙の話』(為近磨巨登/著 木耳社 2003) 2 「国立国会図書館デジタルコレクション」( http://dl.ndl.go.jp/ )公開資料 当館では未所蔵です。 ・『少年書道講座. 9』(飯島春敬/編 書芸文化院 1956)  アドレス http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1623247  コマ番号42-43に、青柳保男/著「墨の作り方」があり、以下の項目について記述があります。  「墨について」「墨の主な原料」「製墨の順序」

沖縄にある「とちぎの塔」について知りたい。(栃木県立図書館)

1 当館所蔵資料からの調査 ・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編 栃木県大百科事典刊行会 1980) p.518 「とちぎのとう」の項が確認できます。 ・『とちぎ20世紀 上巻』(下野新聞「とちぎ20世紀」取材班/編 下野新聞社 2000) p.256-261 「第二章 事象編」に「沖縄に「栃木の塔」完成」の項があります。 ・『「下野」世相100年』(「下野」世相100年刊行委員会/編 下野新聞社 1984) p.459-460 「第四章 戦後昭和」「第二節 高度成長期へ」に「「栃木の塔」盛大に除幕式 三万の霊よ安らかに」の項があり、除幕式の様子とモノクロ写真が確認できます。 ・『下野新聞で見る昭和・平成史 2(1952-2015)』(下野新聞社/編 下野新聞社 2016) p.7 昭和41年11月9日(水)1面  記事名「“栃木の塔”きょう除幕式」 下記でご紹介させて頂きます『下野新聞縮刷版 昭和41年11月』でも同じ記事が確認できます。 ・『語りつぐ戦争 とちぎ戦後70年』(下野新聞社編集局/著 ) 「慰霊・追悼」の項に2014年10月28日(p.166-169)と2015年10月27日(p.175-179)に栃木の塔で行われた南方方面戦没者追悼式についての記事が確認できます。 月日は不明ですが、県神社庁の神職31人が戦後70周年を記念した戦没者慰霊祭を栃木の塔で行なったとの記事が確認できます。「平和願い沖縄で慰霊祭 県神社庁、栃木の塔に31人」(p.173)  2 新聞記事 『下野新聞縮刷版 昭和41年11月』 索引に「栃木の塔」の項があり、以下を含んだ20件の見出しが紹介されています。  昭和41年11月4日(金)1面    記事名 「先発隊の六人が出発 栃木の塔除幕式 第一陣は六日に」        「「栃木の塔」の除幕式参列者」  昭和41年11月5日(土)1面    記事名 「遺族を待つ「栃木の塔」 きょうで工事完了 “見事さ”に思わず息のむ」 昭和41年11月9日(水)1面    記事名 「“栃木の塔”きょう除幕式」 昭和41年11月10日(木)1面    記事名 「「栃木の塔」盛大に除幕式 三万の霊よ安らかに 流れる雅楽に涙の祈り」 3 国立国会図書館デジタルコレクション ・『栃木の塔建設記念誌』(下野新聞社 1966) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2518158 (2019.2.13確認)  国立国会図書館/図書館送信参加館内公開の資料です。  写真のほか、塔建設や除幕式の様子が確認できます

二百回、百五十回など徳川家康没後の節目の年に開かれている日光東照宮の法会について。概要や参加者を知りたい。(栃木県立図書館)

調査の過程で、法会の呼び方について、「神忌」という名称の情報を得られました。江戸時代の大きな祭祀については、『社家御番所日記』、『徳川実記』といった、公的な性格を持つ当時の記録を辿って確認することが可能です。 調査の結果、二百回神忌の次第について記述のある資料を確認できましたが、百五十回神忌の次第及び、百五十回、二百回の参加者の一覧については確認できませんでした。 1 法会の概要について 次の資料に関連情報を確認しました。 ・『東照宮史』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1927) 「第6章 祭儀」に「神忌」の項があります。(p.185-221) 本文中で、歴年の神忌のうち主要な会を取り上げ、概要を記しています。 第百五十回神忌、第二百回神忌については、「何れも将軍の社参はありませんでしたけれど、大體に於て第三十三回神忌に則つて一切の儀式を行いました。」(p.187)とあります。 また、〔註五〕として、第一回神忌以下の奉幣使、贈經使の交名が記されており、第百五十回、第二百回ともに記されています。(p.219) ・『日光史』(星野理一郎/著 「日光史」特別領布会 1977) 「第六篇 江戸幕府時代」に「(ヘ)御神忌」の項があります。(p.99-104) 歴年の神忌のうち主要な会を取り上げ、概要を記しています。 「百五十回忌、明和二年四月。井伊掃部頭将軍の代拜、その他諸儀式大体前回に同じ。」「二百回忌、文化十二年四月。井伊掃部頭名代として代拜、その他諸儀式大体前回に同じ。」とあります。(p.102-103) また、参加者についても一部記されており、「二百回忌の時の如きは、京都より参向の者二百五十人、幕府の任命せる役人二百八十人に及んだ」とあります。(p.103) いずれの記述も出典情報はありません。 2 東照宮二百回神忌について ・『社家御番所日記 第16巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1976) ※東照宮社家御番所日記は貞享二年(一六八五)以降二百余年にわたって書き継がれた社務日誌です。 p.737-749「(附録) 二百回御神忌記事」の収録あり。 『徳川実紀』(国史大系所収)から、参加者の動向を示す部分が掲載されているほか、〔日光御神忌御法会次第〕として「東照宮二百回御神忌万部御法会次第」が掲載されています。 なお本文中の二百回神忌の期間の記録は、文化十二年四月の項(p.26-28)にあり。 3 東照宮百五十回神忌について ・『社家御番所日記 第10巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1970) 百五十回神忌の期間の記録は、明和二年四月の項(p.220-229)にあり。神忌の記録に関する附録はなし。 ・『続国史大系 徳川実記 15』(経済雑誌社/編、発行 1904) 明和二年四月の項(p.183~185)に、参加者の動向を示す記述があります。(名簿ではありません。) この他、調査の過程で以下の資料の情報を得ました。 ・『東照宮百五十回神忌御用帳 明和二乙酉年正月』(書写者不明 1765) 京都府立京都学・歴彩館所蔵が所蔵している写本。当館未所蔵のため、次第収録の有無は不明。 次の資料はお調べしましたが、関連情報を確認できませんでした。 ・『近世日光山史の研究』(秋本典夫/著 名著出版 1982)※文献目録あり ・『日光その歴史と宗教』(菅原信海/編,田邉三郎助/編 春秋社 2011) ・『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祀・組織』(山澤学/著 思文閣出版 2009) ・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979) ・竹末広美/著「家康御神忌における寺院参勤体制」(『鹿沼史林 第35号』(鹿沼史談会/編、発行 1995)p.1-26)

江戸時代の災害、五十里洪水の絵図を見たい。(栃木県立図書館)

確認できた絵図や写真は、いずれも本文に添えられた小さな図版のみです。 また、写真には近年に撮影されたと思われるものも含まれていますが、併せてご紹介します。 1.当館所蔵資料 ・『五十里湖洪水記 享保秘話』(高橋英男/著 新生社 1954) 享保8年の洪水に関する記述と、以下の挿絵があります。 <地図>「栃木縣交通と有名温泉略図」(ページ付なし) <画>p.2「昔の湖水跡」(地名海跡)(宮尾しげを画) <写真> p.2「海跡の遠望」 p.3「竜王峡」 p.4「法塔山清隆寺」 p.5「掘割跡」 p.6「現在関東耶馬渓と云われる竜王峡上流」、「関所跡」 p.7「六左の墳墓」 p.8「星惣次右衛門子孫宅」(現存鬼怒川館別館星次郎氏の生家) また、p.9からは川治温泉と五十里ダム建設について触れ、関連した写真が11枚掲載されています。 ・『とちぎ街道ストーリー』(大嶽浩良/監修 下野新聞社 2007) p.60-65「会津西街道② 五十里洪水で奇跡の復活」の項 <写真> p.61「2004年1月に全線開通した国道121号五十里バイパス」 p.63「五十里湖畔に残る五十里宿跡を指差す赤羽佐介さん」 p.62「五十里湖周辺の会津西街道の変遷」と題した図版 <地図>「現在の会津西街道と旧ルート」「会津西街道の水没と会津中街道の開削」 <絵図>「五十里村湖水御検使御立合絵図(赤羽佐介氏所蔵、県立博物館提供)」 ・『五十里湖水』(藤原町文化財調査委員会/編 藤原町教育委員会 1970) 口絵部分に、以下の絵図等が掲載されています。 <影印>「陸奥國會津領御藏入野州鹽屋郡 五十里村湖水水抜後覺書(享保八年九月)」 <絵図>「五十里村湖水御檢使御立合絵図(年代不詳)」(先述の資料と同一のものです) <写真> 「海跡大観」 「山崩地點遠望」 「戸板山崩壊跡と掘割口」 「五十里部落より下流方面を望む」 ・『栃木県立文書館研究紀要 第22号』(栃木県立文書館/編 栃木県立文書館 2018) p.57-77「五十里洪水の記録 下野国における享保八年八月洪水と社会の対応」(平野哲也/著)の項 <地図>p.60「『宇都宮志料』に記された享保8年(1723)8月10日の洪水の被災地」 <写真> p.71「桜野村(さくら市桜野)村上家の門構え」 p.72「村上家門柱に残る五十里洪水の水位痕」、「下小倉村(宇都宮市下小倉)下組の大杉」 p.73「下ヶ橋村(宇都宮市下ヶ橋)郷間家の三又榧」 ・『藤原町史 通史編』(藤原町史編さん委員会/編 藤原町 1983) p229「第三節 五十里洪水と復興 一 五十里洪水の被害」の項 <絵図>「五十里湖跡の大河原(昭和10年ごろ描かれた)」 ・『日本交通史論叢 続編』(大島延次郎/著 吉川弘文館 1957)【館内】 p.201-228「八、会津西街道の運輸・交通」の項 <地図>p.202「会津西街道図」 ・『下野史学 第7号』(下野史学会/編 下野史学会 1955)【館内】 p.5-24大島延次郎「下野における会津文化の流布」の項 <地図>p.6「会津西街道図」(先述の資料と同ーのものです) また、川筋の三依の道中を描き出した「三依郷絵図」が紹介されていますが、本文中に図はありません。 ・『災害の歴史』(荒川秀俊/著 至文堂 1964) p.199-208「十三 恐るべきダムの崩壊」に「五十里洪水の例」の項 <地図>p.200「大島延次郎博士による会津若松と江戸をつなぐ会津西街道」(先述の資料と同ーのものです) <写真> p.201「布坂山にある番所の塁趾と「六左の墓」」 p.202「掘割跡」 ・『利根川治水史』(栗原良輔/著 崙書房 1988)【館内】 p.238-257「第五節 鬼怒川」「五十里山崩れ及洪水」の項 <写真]p.241「男鹿川海跡」 ・『水との闘い 西鬼怒川土地改良区沿革概史』(西鬼怒川土地改良区/編 西鬼怒川土地改良区 1975)【館内】 p.16-17「五十里洪水」項 <写真]p.17「五十里ダム」、「高木六左衛門の墓」、「堀割跡」 ・『会津西街道・会津中街道・大田原通会津街道・原街道(原方道)・足尾道』(栃木県教育委員会事務局文化財課/編、発行 2015) p.12 第二章 会津西街道 三 五十里湖の出現と決壊」の項 <地図>「五十里湖周辺の地名(『藤原町史 通史編』による)」 また、p.44-46 「④高原から五十里 五十里地内を歩く」の項に、1683年・1723年の洪水に関する記述があり、関連した写真が10枚掲載されています。 ・『栃木県市町村誌』(平井恒重/編 栃木県町村会 1955) p.476「三依村-塩谷郡」の項、三依村の地図内に五十里湖が掲載されています。 2.その他、お調べした資料(洪水に関する絵図や写真は確認できませんでした) ・『会津西街道五十里宿ダム水没前再現絵図 昭和二十五年(一九五〇年)当時』(細井平治/作 細井平治 2011) ・『栃木県史 史料編 近世1』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1974) ・『栃木県史 通史編4』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1981) ・『直轄河川防御対象氾濫区域図(関東版)』(建設省関東地方建設局/編 建設省関東地方建設局 1991) ・『お天気日本史』(荒川秀俊/著 文藝春秋 1970) ・『日本交通史論叢 続編』(大島延次郎/著 吉川弘文館 1957) ・『日本の民話 32 栃木の民話 第1集 新版』(日向野徳久/編 未來社 2016) ・『下野民俗 第47号』(下野民俗研究会/編 下野民俗研究会 2014) ・『鬼怒川・小貝川の舟運再発見 鬼怒川・小貝川流域を語る会』(舟運専門部会/編著 高田印刷 1999)【館内】 ・『鬼怒川・川治温泉の今昔』(浜崎宗嶽/著 華雲会 1955)【館内】 ・『災害と江戸時代』(江戸遺跡研究会/編 吉川弘文館 2009) ・『会津西街道見学会』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 1985)【館内】 ・『日本再発見水の旅』(富山和子/著 文藝春秋 1987) ・『栃木県立博物館常設展示解説』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 1983)

栃木県の廃仏毀釈について調べたい。(栃木県立図書館)

次の資料から記述を確認しました。 ・『栃木県史 通史編6』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982) 「第一章 栃木県の成立 第四節 明治初年の社会的諸改革」に「一 神仏分離」の項があります。(p.74-88) また、「表1-15 明治4~7年栃木県内廃寺数」があります。(p.79) 『社寺取調類纂』446,『栃木県史料』9・32により作成された表との記載がありますが、どちらも当館未所蔵の史料です。 ・『栃木県神社誌 神乃森 人の道』(栃木県神社庁/編 栃木県神社庁 2006) 「第二編 栃木県の神社沿革史」の「第五章 近代の改革」に「第二節 神仏分離令」の項があります。(p.79-81) ・『両毛の廃仏毀釈 栃木・群馬のタリバン』(松原日治/著 松原日治 2011) 「第五章 栃木県の廃仏毀釈」(p.117-148)   宇都宮市、矢板市、大田原市、小山市、栃木市、真岡市、那須塩原市、さくら市、佐野市、鹿沼市、下野市、芳賀町の各項あり。 「第六章 足利市の廃仏毀釈」(p.149-171)  「第七章 日光市の廃仏毀釈」(p.172-187)あり。 それぞれの概要や参考文献の紹介、影響を受けた寺の記述があります。 ・『明治維新神佛分離史料 第5』(辻善之助、村上専精、鷲尾順敬/編著 名著出版 1970)  ※東方書院大正15年-昭和4年刊の復刻版  p331-332に「宇都宮藩寺院廃合の件」という文書の翻刻が、続くp333-389に「宇都宮県無檀無住廃寺取調帳」が収録されています。p333からの取調帳は、末尾に「明治6年」とあり、「総計334寺」の檀家・住職不在の寺院名を列挙した資料です。

栃木県内の郷土料理で、小麦粉を使った麺類はどんなものがあるか。(栃木県立図書館)

次の資料から記述を確認しました。 1 「にぼうとう」「おきりこみ」の類似料理について 以下の資料に、栃木県内の類似料理についての記述を確認しました。 ・『日本の食生活全集 9 聞き書栃木の食事』(「日本の食生活全集栃木」編集委員会/編 農山漁村文化協会 1988) 2種類の類似料理について記述がありました。 ■ばっとう汁 「那須野ヶ原開拓の食 Ⅰ.四季の食生活」の中に、以下の記述があります。 p.144「夕―おつけかき、こうこ」の項に「味噌汁に打ちたての幅広のうどんを入れたばっとう汁(たっとう汁ともいう)」 p.167「ばっとう汁」の項に「(野菜を入れた)味噌汁を作り、この中に打ちたての幅の広いうどんを、下ゆでしないで入れて煮こむ。うどんをゆでないのが特徴である。」 ■どじょうむぐり 「両毛山地<葛生>の食 Ⅰ.四季の食生活」の中に、以下の記述があります。 p.289-290「夜―どじょうむぐり」の項に「太いうどんを打って、ゆでずにそのまま、大なべにつくっておいた汁の中にいれて煮たどじょうむぐり(煮こみ)にする。」 p.307「どじょうむぐり」の項に「小麦粉に塩を少々入れ、水でこねる。そのあと、ふきんをかけてねかせておく。(中略)ふつうのうどんより太めに切り、打ち粉のついたまま、かつお節でだしをとった味噌味の汁の中に入れて煮る。(中略)醤油の汁にすることもある。」 以下は上記と同一の料理が確認できた資料です。 ページ数と項目のみお伝えします。 ・『47都道府県・こなもの食文化百科』(成瀬宇平/著 丸善出版 2012) p.94-97「栃木県」の中に、p.97「②どじょうむぐり」の項目があります。 2 その他の類似料理について 調査の過程で、具に「小麦粉ほうとう」麺を入れる鍋料理を確認しました。 地域おこしの一環として近年に再現された料理ですが、参考までにご紹介します。 ・『清原50年の歩みと翔く未来 宇都宮市テクノポリス中核点』(清原50年史編纂委員会/編、発行 2003) p.206-208「(3)鬼怒の船頭鍋愛好会」の項に「鬼怒の船頭鍋」が紹介されています。 ページ内の記述によると、「江戸時代に栄えた板戸河岸の船頭たちが食したであろうと考えられる、幻の鍋料理」を地域おこしに役立てるために再現したものであるとのことです。 「平成12年にコンテストを行い、1位となったレシピに改良を加えた」旨の記述があります。 また、「上り鍋」と「下り鍋」の2種類があり、「上り鍋」は味噌味で「小麦粉ほうとう」を入れ、「下り鍋」は醤油味で「蕎麦粉ほうとう」を入れるとあります。 ・『宇都宮大学 FreePaper UUnow Vol.10 07.7.20』(宇都宮大学 2007年7月) p.5「鬼怒の船頭鍋」の項に、宇都宮マラソンのイベントにて振舞われた様子とともに鍋料理について記述があります。 3 県内の代表的な郷土麺料理について 栃木県には、代表的な郷土麺料理として佐野市葛生(旧葛生町)の「耳うどん」があります。 「耳うどん」は下茹でをする麺料理ですが、参考までにご紹介します。 ・『日本の食生活全集 9 聞き書栃木の食事』(再掲) 「両毛山地<葛生>の食 Ⅰ.四季の食生活」の中に、以下の記述があります。 p.306-307「みみうどん」の項に「小麦に塩を少々加えて水でこね、ねかせておく。それをめん棒でのして幅一寸三分、長さ二寸ほどの長方形に切る。これを耳のような形につくり、ゆでる。ゆであがったものは、水に浸しておく」 p.290-291「暮れ―ことのちゃのこは楽しみの一つ」の項にも簡単な解説があります。 以下の資料にも耳うどんに関する解説やレシピが掲載されています。 掲載ページ等は省略いたします。 ・『郷土料理とおいしい旅 4 栃木・群馬・埼玉』(朝日新聞社/編、発行 1984) ・『ふる里の和食 宇都宮の伝統料理』(柏村祐司〔ほか〕/編 随想舎 2015) ・『栃木ふるさとの味四季の味 作って食べよう郷土の味』(下野新聞社 1999) ・『関東の郷土食・伝統食 地域に根ざした特色ある食文化の伝承への取組事例』(関東農政局/編、発行 1999)【館内】 ・『47都道府県・伝統食百科』(成瀬宇平/著 丸善 2009) ・『47都道府県・こなもの食文化百科』(再掲) 4 記述を確認できなかった資料 以下の資料からは、類似の麺料理および耳うどんについての記述は確認できませんでした。 ・『日光市史 中巻 近世』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979) ・『とちぎの物産 1,2』(栃木県東京商工観光事務所/編、発行  1978) ・『ふるさとの味おふくろの味』(栃木県地域婦人連絡協議会/〔ほか〕編 栃木県農業懇談会 1977) ・『食 民俗小事典』(新谷尚紀/編,関沢まゆみ/編 吉川弘文館 2013) ・『栃木県方言語源辞典』(森下喜一/著 落合書店 2002) ・『日本のことばシリーズ 9 栃木のことば』(平山輝男/〔ほか〕編 明治書院 2004)

根本山信仰について資料を探している。(栃木県立図書館)

根本山(根本山信仰)について、歴史や信仰の様子が確認できた資料をご紹介します。 ・『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)』(田沼町/編 田沼町 1982)  p.31-32「第1章 自然と生活 第1節 地形と生活」に「(四)根本山と蓬萊山」の項があり、根本山の地形や根本山神社に関する記述があります。  p.404「第7章 信仰 第1節 神道的民間信仰」に「根本山神社」の項があり、「険しい山であるが、諸願満足、五穀豊穣・養蚕繁栄・水火盗難諸厄ことごとくに効験あらたかな霊場として、関東各地はいうまでもなく、上は江戸幕府の要人から下は一般庶民に至るまで信仰されていた」との記述があります。  p.535-536「第9章 口頭伝承 第1節 伝説」に「根本山神社」の項があります。 ・『栃木県市町村誌』(平井恒重/編 栃木県町村会 1955)  p.793-797「飛駒村」があります。「名所旧蹟」に「根本神社」の項目があり、「当社は天正元年四月一日の創立で世襲の神地霊場である」「始めは信徒等が参詣しようとしても霹靂鳴動して登ることも出来なかつたが、苦練修行の効があつて遂に此の霊場を開き、信心する人々が、容易に登拝することが出来る様になつた」との記述があります。(p797) ・『下野国誌 校訂増補』(河野守弘/著 下野新聞社 1989)  p.193「第四巻 神祇鎮座」に「根本山神(今、根本山神社、通称、根本山大正院と称す)」の項があります。 ・『安蘇郡誌』(著者不明/著 佐野町 全国縮類共進会協賛会 1909)  p.69-70「根本山神社」の項があります。 ・『栃木縣史 第11巻(史蹟名勝編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972) ※下野史談会昭和8~17年刊の複製資料です    p.525-526「根本山」の項があります。 ・『民間信仰の諸相 栃木の民俗を中心にして』(尾島利雄/編著 錦正社 1983)  p.16-18「山里に生きる山の神信仰」の項に「また山の神を祭神とする神社も山村部には多く、中でも葛生町秋山に鎮座する氷室神社と田沼町飛駒の里に鎮座する根本山神社は山の神を祭祀する神社として遠く江戸にまで信仰圏を伸ばしていた」との記述があります。  p.27-30「(2)根本山信仰」の項があります。 ・『栃木百名山の山名由来』(手塚晴夫/著 随想舎 2015)  p.192-193「根本山」の項があります。根本山信仰について、「根本山(根本山神社)は、日本全土の山の支配者「大山祇神」の分霊を祭祀したもので、俗にいう山神として信仰された山である」との記述があります。 ・『日本歴史地名大系 9』(平凡社 1988)  p.697「根本山神社」の項があり「…雨乞・諸願満足・五穀豊穣・養蚕・水火盗難諸厄ことごとくに効験あらたかな霊場として信仰された。」との記述があります。 その他、以下の資料をお調べしましたが、関連の記述は確認できませんでした。 ・『佐野市史資料 3』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市役所 1972) ・『佐野市史資料 4』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市役所 1972) ・『佐野市史資料 5』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市役所 1972) ・『角川日本地名大辞典 9』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984) なお、調査の過程で以下の絵図を確認しました。参考までにお知らせします。 「東京都立図書館TOKYOアーカイブ」(10月17日最終アクセス) ・『下野国安蘇郡根本山御山之図』(歌川芳虎/画) http://archive.library.metro.tokyo.jp/da/detail?tilcod=0000000015-00229171 歌川芳虎(1828頃-1887)画による静止画資料です。

栃木県内の葬式では赤飯をふるまう風習があるのか。(栃木県立図書館)

次の資料から記述を確認しました。 1 『長寿』(板橋春夫/著 社会評論社 2009)の出典資料について 「表 葬式の赤飯使用一覧」(p.212-221)の出典について、p.212に「文化庁編『日本民俗地図』Ⅶ、国土地理協会、一九八〇年より作成」と記載があります。 残念ながら当館ではⅦ(葬制・墓制)を所蔵していませんが、同資料のⅠは所蔵しております。 この凡例によると、『日本民俗地図』の基礎資料は、昭和30年代後期から国庫補助事業として実施した「民俗資料緊急調査」の調査票とのことです。『日本民俗地図』自体は、調査結果の全文が確認できるものではありませんが、調査要項が収録されており、「赤飯・餅・だんごはどのようなときに作ったか」という調査項目があることが確認できました。 なお、栃木県の調査結果の全項目は、次の資料から確認できます。 ①『栃木県の民俗 民俗資料緊急調査報告書Ⅰ(県北編) 栃木県民俗資料調査報告書 第5集』(栃木県教育委員会/編、発行 1969) ②『栃木県の民俗 民俗資料緊急調査報告書Ⅱ(県南編) 栃木県民俗資料調査報告書 第7集』(栃木県教育委員会/編、発行 1971) ③『関東の民俗 栃木県編 日本民俗調査報告書集成』(大島暁雄/〔ほか〕編著 三一書房 1994)【館内】 ※③は「栃木県民俗資料調査報告書」第1~8集をまとめて復刊したものです。上記①②も収録されています。 ご参考までに、「7.赤飯,餅,だんご」の項目を中心に確認したところ、以下の事例が確認できました。 資料全体の精読は行なっておりませんので、県内全域の調査結果は本文を直接ご確認ください。 ①『栃木県の民俗 民俗資料緊急調査報告書Ⅰ(県北編)』より  p.47-54「6.黒磯町大字寺子字蛇沢」 「(2)赤飯(餅米に小豆を入れてむすもの)」に「…その他祝儀,不祝儀に作る。」との記述があります。(p.49)    p.62-57「8.那須郡湯津上村蛭田」 「(1)赤飯」に「…その他,葬儀・年忌の時も炊くが,白い強飯で,仏に供えまた出席者一同に出す。」との記述があります(p.65) ②『栃木県の民俗 民俗資料緊急調査報告書Ⅱ(県南編)』より  p.44-54「16 那須郡烏山町大字大木須」 「(1)赤飯」に「…葬式(白ふかし)」との記述があります。(p.49)    p.113-122「25 栃木市惣社町」 「(1)赤飯」に「…オコワは田植や家の祝い事,葬式(神葬祭の時)にたかれ…」との記述があります。(p.119) <備考> 調査中に、他の調査項目からも関連の記述を確認しましたので、ご参考まで書き添えます。  p.153-161「31.足利市高松」の「14.一生の儀礼」の項 「(3)葬送」に「帰り念仏 死者の家に対しては、…赤飯1斗を蒸かし…これは次第に白米に代わり現在はさらに現金に代った。」との記述があります。(p.160) 2 その他、お調べした資料(記述は確認できませんでした) ・『栃木県民俗地図 民俗資料緊急調査報告 栃木県民俗資料調査報告書 第10集』(栃木県教育委員会/編、発行 1973) ・『栃木県の強飯 栃木県民俗資料調査報告書 第12集』(栃木県教育委員会/編、発行 1977) ・『関東の民間信仰』(日向野徳久/〔ほか〕著 明玄書房 1973) ・『関東の葬送・墓制』(池田秀夫/〔ほか〕著 明玄書房 1979) ・『栃木の冠婚葬祭』(下野新聞社/編 下野新聞社 1991) ・『新栃木の冠婚葬祭』(下野新聞社/編集 下野新聞社 1998) ・『栃木県の葬儀と法要 完全保存版』(下野新聞社 2009) ・『栃木の葬儀・法要・相続手続きとマナー』(ニューズライン 2015) ・『お葬式 死と慰霊の日本史』(新谷尚紀/著 吉川弘文館 2009) ・『烏山町史』烏山町史編集委員会/編 烏山町 1978) ・『湯津上村誌』(湯津上村誌編さん委員会/編 湯津上村 1979)

東京オリンピックの聖火リレーについて。栃木県内の映像資料はないか。(栃木県立図書館)

所蔵する視聴覚資料「栃木県ニュース」」(ビデオテープ、VHS資料)から職員が目視で確認したところ、次の映像が確認できました。 いずれも5分程度の短い映像です。 59号 「さあオリンピック」 ・聖火リレーの予行演習の様子  →宇都宮市内、県庁周辺での走行中の選手たちと沿道で応援する人々を映したもの。  (走行映像中のアナウンスは「国道4号線」とあるが、どの市町を切り取った場面かは不明。) ・県内各地の受入準備の様子  (今市市:オリンピックフラワーロードの整備   日光市:ホテルの英語対応準備、第2いろは坂の整備、駐車場、トイレ等の整備 等)  ※選手の映像なし。聖火リレーに限定せず、オリンピック開催全体に係る本県の受入準備を記録した映像のようです。 60号「聖火本県にはいる」 ・「県民の集い」の様子  →宇都宮市内の「栃木会館」で実施した関連式典を映したもの。選手映像あり。 ・福島県からの聖火引継の様子 ・リレー本番の様子  →県北~宇都宮市内~県南へと走行中の選手たちと沿道で応援する人々を映したもの。  (走行映像中のアナウンスは「那須路」「国道4号線」とあるが、どの市町を切り取った場面かは不明。) ・県庁周辺の歓迎の様子  (横断幕、集まった人々、到着する選手たち)

栃木市内の石碑「聖駕駐蹕記念碑」「聖駕駐蹕記念之碑」の情報を探している。(栃木県立図書館)

1.「聖駕駐蹕記念碑」について 以下の資料に記述を確認しました。 ・『栃木縣史 第16巻(皇族編・系圓編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972) p.232 〇栃木城内 聖駕駐蹕記念碑 栃木城内の御野立所 ・『栃木市史 史料編 近現代1』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1981) p.467「皇族 伏見宮貞愛親王殿下 町名:大字栃木城内 舎主氏名:金物商望月磯平別荘 備考:御見合セニナリタルヲ以テ十一月十六日ヨリ十八日マデ皇太子殿下久邇宮殿下李王世子殿下ノ御休憩所ニ充テラレタリ」 2.「聖駕駐蹕記念之碑」について 以下の資料に記述を確認しました。 ・『栃木縣史 第16巻(皇族編・系圓編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972) p.233 〇栃木第二尋常高等小學校庭 聖駕駐蹕記念之碑 ・『現代之栃木』(松下吉衛/編著 栃木商業会議所 1911) p11-12「住民 三、教育」の項に「◎町立栃木第二尋常小學校」について「尚校庭に御臨幸記念碑あり。」との記述があります。 次に、栃木第二尋常高等小學校の所在地についてお調べしました。 以下の資料から当時の小学校の所在地が確認できました。 ・『栃木県教育史 3巻』(栃木県教育史編纂会/編 栃木県連合教育会 1957) p.454 第二章 小学校沿革史「栃木市立第二小学校」の項に 所在地:栃木県入舟町二番地 沿革:「栃木尋常小学校から分離し…明治四十五年四月 栃木第二尋常高等小学校と称す…」とあります。 ・『明治大正日本都市地図集成』(地図資料編纂会/編 柏書房 1986) p.62に明治39年10月の栃木町の地図が掲載されています。 地図内に「栃木第二尋常小學校」を確認しました。 番地番号の表記までは確認できませんでした。 上記資料の情報を元に『ゼンリン住宅地図 栃木市1(栃木) 201710』を確認したところ、「栃木第二尋常小學校」の位置には現在「栃木市立栃木中央小学校」があります。 栃木市立栃木中央小学校ホームページの学校概要によると、「栃木第二尋常小學校」が何度かの名称変更や合併をしたのち、2010(平成22)年に「栃木市立栃木中央小学校」になったとのことです。 ・『学校概要』(栃木市立栃木中央小学校ホームページ) http://tm2.tcn.ed.jp/tochigi-chuo/about/?action=common_download_main&upload_id=4978(最終確認日:2018年4月19日) 3.その他 「聖駕駐蹕」が「天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること」であることから、大正天皇の行幸等に関する資料をお調べしましたが、石碑に関連する記述は確認できませんでした。 ・『大正天皇 一躍五大洲を雄飛す』(F.R.ディキンソン/著 ミネルヴァ書房 2009) ・『大正天皇』(古川隆久/著 吉川弘文館 2007) ・『皇室事典』(皇室事典編集委員会/編著 角川学芸出版 2009) ・『大正七年陸軍特別大演習記録』(下都賀郡栃木町役場 1919) p26-27「一、皇族御旅館外國武官及陪観者統監部付員ノ宿舎」に「皇族御旅館」の項があります。 こちらは、先に紹介した『栃木市史 史料編 近現代1』と同じ内容です。 ・『下都賀郡小志 : 特別大演習記念』(栃木県下都賀郡 編 栃木県下都賀郡 1918)  国立国会図書館デジタルコレクション  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953205(インターネット公開) 以下の資料からは、記述は確認できませんでした。 ・『栃木のいしぶみ』(海老根功/著 栃木県護国神社 1986) ・『栃木市野仏の風景』(中島昭/著 中島昭 1992) ・『目で見る栃木・小山・下都賀の100年』(小森谷昭平/〔ほか〕編集 郷土出版社 2000) ・『下野の板碑 下野板碑年表解説』(今立鉄雄/編 東京史蹟めぐりの会 1971) ・『栃木市指定文化財要覧』(栃木市文化財保護審議会/〔編〕 栃木市文化財保護審議会 1977) ・『栃木市史 史料編 近現代2』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1983) ・『栃木の町並み景観 平成17年観光資源保護調査』(日本ナショナルトラスト/編 日本ナショナルトラスト 2006) ・『栃木県の近代化遺産』(栃木県教育委員会文化財課/編 栃木県教育委員会文化財課 2003)

栃木県内に「おもちゃのまち」があると聞いたが、どんなところか。(栃木県立図書館)

「おもちゃのまち」は栃木県下都賀郡壬生町の地名で、東武鉄道宇都宮線には「おもちゃのまち駅」があります。当館の所蔵の関連資料は次の通りです。 1 おもちゃ団地の歴史に関する資料 ・『おもちゃのまち』(輸出玩具工場団地協同組合/編、発行 <出版年不明>)【館内】  出版年の記載はありませんが、巻頭に「1976年の新春とともに、わがおもちゃ団地も満十周年を迎え(後略)」とあるため、その頃に出版された資料と思われます。 おもちゃのまちのあゆみや主な施設、事業所の紹介などが記述されています。 ・『おもちゃ団地三十五年のあゆみ』(おもちゃ団地協同組合/著,グラパックジャパン/編 おもちゃ団地協同組合 1996) ・『おもちゃ団地協同組合創立50年史』(おもちゃ団地協同組合創立50年史編集委員会/編 おもちゃ団地協同組合 2012)  組合の歴史や写真が掲載されています。 2 壬生町の観光案内 町内にあるおもちゃ博物館、おもちゃのまちバンダイミュージアムの案内が掲載されています。 ・『壬生町ガイドマップ』(壬生町/編、出版 2005) ・『とちぎ旅物語 まるわかり観光ガイド vol.4』(下野新聞社 2009)  p.154-157「壬生町」 ・「twin 27巻3号(292)2013年3月」(ツインズ)※本県のコミュニティ誌です。  p.20-21「おもちゃのまちBANDAI MUSEUM」  p.24-25「壬生町 おもちゃ博物館」 3 「おもちゃのまち」を考察する資料 ・『栃木「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない栃木県の歴史を読み解く!』(篠崎茂雄/監修 実業之日本社 2014)  p.176-177「なんともユニークな地名「おもちゃのまち」はどんな経緯で生まれた?」 ・『これでいいのか栃木県』(岡島慎二/編,鈴木士郎/編 マイクロマガジン社 2018)  p.184-189「地元愛溢れる町・壬生の街おこしは攻めから守りへ」 ・『栃木のおきて トチギを楽しむための51のおきて』(栃木県地位向上委員会/編 アース・スターエンターテイメント 2014)  p.146-147「「おもちゃのまち駅」という駅名に心ときめかせる」

宇都宮藩主戸田家の家譜、系譜を知りたい。(栃木県立図書館)

戸田家の家譜、系譜、及び家臣帳の掲載を確認した資料は次のとおりです。 ※以下、原文をそのまま活字化している資料に、【翻刻】と記しています。 (明らかな誤植等については著者が註釈や補記を加えている場合があります。) なお、著者による解説付きの系図はありましたが、純粋な読み下し文(漢文調等の原文を最小限に現代語訳したもの)は見つかりませんでした。 1.家譜、系譜類 ・『史料 宇都宮藩史』(徳田浩淳/編 柏書房 1971)【翻刻】 p.1-8「一、戸田氏系譜」の項があり、二章以降は編年体の翻刻が続きます。 凡例に、「本書は、宇都宮藩戸田氏の系譜を中心に、戸田氏の発生から明治四年廃藩に至るまでの藩主の事跡並びに藩政の大要を、おおむね編年体で叙述した史料である。」「史料は原書の通り転記した(後略)」「原書は片カナまじりで叙述されている(後略)」とあります。 序言によれば、「原典は、宇都宮藩士松井一郎の嗣子松井恒太郎翁が、旧藩主戸田子爵家の家扶奉職中、戸田家の依頼により編纂せる「御家記」全五巻であり、これに若干の改訂補足を行い「宇都宮藩史」と解題したものである。」とのことです。 ・『宇都宮市史 第4巻 近世史料編1』(宇都宮市史編さん委員会/編、宇都宮市 1980)【翻刻】 p.32-73「第一章 領主と藩士」の項に「戸田家系図(宇都宮城主)」があります。 原史料の所蔵先として「栃木県立図書館」(当館)とありますが、所蔵調査の結果、現在は栃木県立文書館に移管されていることがわかりました。 ・『幕臣戸田一族の系譜』(戸田博亘/著 サツキプロセス 1984) p.95-161「第六章 第三節 宇都宮藩主戸田氏」の項に「(2)系譜並びに代々の事蹟」が記載されています。 系図の形をとりつつ、それぞれの人物について著者の解説が付されています。 ・『宇都宮藩主戸田氏 その歴史と文芸』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 2016) p.15「宇都宮戸田氏略系図」があります。 複数の原史料を元に編者が作成した図で、解説等がほぼついていない簡易な系図です。 出典として「『戸田家系譜』(栃木県立文書館蔵)」、「『新訂 寛政重修諸家譜』(十四巻)」等が挙げられています。 ・『系図纂要 第5冊 下 新版』(名著出版 1992)【翻刻】【館内】 p.617-628「藤原氏 二七」「戸田 下野宇都宮」の項があります。 原史料は国立公文書館等が所蔵しています。 ・『藩史大事典 第2巻(関東編)』(木村礎/〔ほか〕編 雄山閣出版 1989) p.180-181 「藩主の系図(姻戚関係)」に「⑨戸田家(第一次)」「⑪戸田家(第二次)」があり、戸田家が宇都宮藩主だった期間の系図が記載されています。 出典として『寛政重修諸家譜』が挙げられています。 ・『新訂 寛政重修諸家譜 第十四』(堀田正敦/〔ほか〕編 続群書類従完成会 1965)【翻刻】【館内】 p.332-343「寛政重修諸家譜巻第九十六 藤原氏支流 戸田」に宇都宮藩戸田家の記述があります。

那須町の民謡について知りたい。(栃木県立図書館)

以下の資料を確認しました。 1.那須の民謡に関する資料 ・『日本民謡大観 関東編』(日本放送出版協会/編 日本放送出版協会 1944) p.78-79 「那須湯もみ唄(その一 ドッコイショ)(その二 ヨホホイ節)(その三 ヨサホイ節)」 p.88-90「那須温泉神社獅子舞(その一 舞がゝり)(その二 四方堅め)(その三 立唄のイ)(その四 立唄のロ)」 について、それぞれ楽譜、解説や歌詞などの記載があります。 ・『栃木県民俗芸能誌』(尾島利雄/著 錦正社 1973)【館内】 p.393-421「民謡と童唄」の項があります。 「1 民謡」には、 「②庭唄」として「ドズルス唄(那須郡那須町大畑地方)」(p.398) 「④山唄」として「那須町大畑の草刈唄(那須町)」(p.400) の項があり、解説、歌詞の記載があります。 「2 童謡」には、 「①手まり唄」として「那須地方」(p.410) の項があり、歌詞の記載があります。 ・『日本民謡全集 3』(今瀬文也/著 雄山閣出版 1975) p.30-44「栃木県」の項があり、 「苗取唄」(p.32) 「那須湯揉み歌」(p.41)とその解説(p.37)が記載されています。 ・『しもつけの唄』(下野新聞社/編 下野新聞社 1980) p.3-5「那須湯もみ唄」 p.6-8「那須馬喰唄」 p.213‐215「那須音頭」 の項があり、解説、歌詞、関連写真などの記載があります。 なお「那須音頭」では、昭和50年代に発行されたレコードの写真や情報が記載されています。 ・『栃木県の民謡 民謡緊急調査報告書』(栃木県教育委員会事務局文化課/編 栃木県教育委員会 1983) p.169-205「7 北那須地域の民謡」の項があり、以下の解説や歌詞の記載があります。 p.178 那須町伊王野の「苗取唄」「田植唄」 p.179 那須町横岡峯岸の「田植唄」 p.186 那須町横岡峯岸の「謡(高砂・四海波・鶴亀・玉の井・おつもり)」 p.191 那須町伊王野の「餅つき唄」 p.191 那須町横岡小字峯岸の「熊野講の餅つき唄」 p.191 那須町横岡峯岸の「ドウヅキ唄(胴突き唄)」 ・『那須温泉史 写真と絵葉書で見る温泉の歴史』(那須町教育委員会事務局生涯学習課文化財係/編 那須町教育委員会 2005) p.403-416「第13章 民俗 4民謡」の項があり、「湯もみ唄」「那須音頭」等の解説、歌詞の記載があります。 ・『那須の文化誌 自然・歴史・民俗を読む』(那須文化研究会/編 随想舎 2006) p.246-249「里山に響く生活の歌 北那須の民謡」の項があり、「田植唄」や「木挽き唄」 「木流し唄」などの解説や歌詞が記載されています。 本書で紹介されている民謡は、前出の『栃木県の民謡 民謡緊急調査報告書』からの引用とのことです。 ・『那須地区の郷土芸能』(那須地区の郷土芸能作成委員会/編 那須地区文化協会事務局 2007)【館内】 p.32「7 伊王野の千本杵餅つき(那須町伊王野地区)」 p.33「8 峯岸熊野講餅つき(那須町大字横岡地区)」 p.37「12 本郷八木節(那須町大字高久甲(本郷地区)」について、それぞれ解説、歌詞の記載があります。 ・『鹿の湯ものがたり』(那須温泉株式会社/編 那須温泉株式会社 2014) p.160-184「第三章 湯治の歴史 (3)那須湯本温泉の民謡」の項があり、那須湯本温泉の民謡について解説や歌詞の記載があります。 ・『那須町の年中行事と民謡 町制施行六十周年記念』(那須町教育委員会事務局生涯学習課文化振興係/編 那須町教育委員会 2015) 口絵に「那須大谷開拓音頭」「那須小唄」「芦野小唄」について、それぞれの楽譜、歌詞の記載があります。 また、p.76-126「二 民謡」の項があり、那須町の民謡についての解説や「仕事唄(作業唄)」「田植え唄」などの歌詞が記載されています。 2.那須町の民謡に関する音源資料 ・『栃木路の民謡(うた)』(増渕貢風  2011)【CD】 「② 那須餅搗唄(那須地方)」「⑥ 那須馬喰節(那須地方)」「⑱ 那須湯もみ唄(那須町)」が収録されています。 ・『新版 栃木の民謡大全集 1』(増渕貢風 CRT栃木放送 2013)【CD】 Disc1に「1 那須松坂/増渕貢風」「2 那須湯もみ唄/岡田千恵子」「3 那須馬喰節/矢野満」「6 那須餅搗唄/青木昌子」「9 那須めでた/辻長生(〔補足〕辻は1点しんにょう)」が収録されています。 このほか、国立国会図書館の「歴史的音源」(http://rekion.dl.ndl.go.jp/)から、キーワード「那須」が含まれる音源を検索したところ、19件がヒットし、このうちには民謡等も含まれていました。(確認日:平成30年8月8日) <該当する民謡の例> タイトル :栃木縣 田植唄 作詞・作曲・編曲・実演家 :那須郡烏山町有志 製作者(レーベル) :コロムビア(NHK) 発売年月日 :1942-07 URL :http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3578585 3.その他、お調べした資料(那須町の民謡に関する記述は確認できませんでした) ・『下野民謡物語』(泉漾太郎/著 丸ノ内出版 1979) ・『日本民謡事典』(長田暁二/編著,千藤幸蔵/編著 全音楽譜出版社 2012)【館内】 ・『田植え唄と日本人』(竹内勉/著 本阿弥書店 2006) ・『那須町の文化遺産』(那須町教育委員会/編 那須町教育委員会 2007)【館内】

栃木県立美術館の建築について。建築家や当時の状況を知りたい。(栃木県立図書館)

次の資料から記述を確認しました。 1 当館資料 ・『建築文化 315号』(彰国社 1973) p.123-136 「栃木県立美術館」の項があります。 巻頭に「設計/川崎 清+財団法人建築研究協会」とあり、 それに続き、協力事務所、協力デザイナー、施行、構造、工期、所在が記載されているほか、図面、建物外観内観の写真付きで解説されています。 また、設計者による寄稿があります。 p.135-136「開かれた美術館」(川崎 清/著) ・『建築文化 429号』(彰国社 1982) p.115-124「栃木県立美術館常設展示場増築」の項があり、設計監修、施行、構造、設計期間、施工期間、所在が記載されています。図面、建物外観内観の写真付きで解説されています。 このほか、設計者による寄稿等の関連記事があります。 p.120-121「開かれた美術館の展開」(川崎 清/著) p.123「新館の設計に参画して」(栃木県立美術館館長 大島清次/著) ・『清水建設二百年 作品編』(清水建設/編、発行 2003) p.209「栃木県立美術館」の所在地・竣工年・発注者・設計者が建物外観の写真付きで記載されています。 2 国立国会図書館所蔵資料 「国立国会図書館デジタルコレクション」から、次の資料を確認しました。 いずれも当館未所蔵の資料です。(『教育とちぎ』は、残念ながら該当の号が欠号しています。) ・『教育とちぎ 266号』(栃木県教育委員会/編、出版)【図書館送信参加館内公開】 【国立国会図書館/図書館送信参加館内公開】 「栃木県立美術館の開館にあたって / 福山正道 / p4~5 」 「楽しい憩の場 美術館への招待 / 県立美術館 / p6~10 」 「県立美術館の基本的運営方針 / 大島清次 / p12~13 」 「県立美術館の開館を迎えて / 錦織善市 / p14~19」 「県立美術館新設に思う / 高内壮介 / p20~22 」 (コマ番号4-13) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2231123(確認日:2018.9.23) このほか、次の資料に関連の記述があると思われます。 (国立国会図書館の蔵書検索から目次のみ確認しました。) ・『近代建築 27(2)』(近代建築社 1973)【国立国会図書館内公開】 p.71-80「栃木県立美術館」(川崎清十建築研究協会) ・『新建築 48(1)』(新建築社 1973)【国立国会図書館内公開】 p.199-214「栃木県立美術館」(川崎清十建築研究協会) p.199-210「作品 栃木県立美術館」(川崎清) p.214「星と人間の間に--栃木県立美術館シンボル彫刻」(飯田 善国) 3 その他 以下の資料は、記述を確認することはできませんでした。 ・『栃木県立美術館運営準備委員会資料』(栃木県立美術館運営準備委員会事務局/編、発行 1971)  ※委員名簿や開館記念展に関する情報は掲載されています。 ・『栃木県の美術 栃木県立美術館開館記念展』(栃木県立美術館/編、出版 1972) ・『栃木県立美術館紀要 1』(栃木県立美術館/編、発行 1973) ・『栃木県の文化施設』(栃木県教育委員会/編、発行 1980) ・『設計とその表現 空間の位相と展開』(川崎清/〔ほか〕編著 鹿島出版会 1990) なお、県立美術館のホームページには、建設までの沿革をまとめたページがあります。 「美術館について」(栃木県立美術館) http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/about/index.html (確認日:2018.9.23)

昭和20年代に小金井-小山間でおきた脱線事故について。何か情報はないか。(栃木県立図書館)

次のとおり情報を確認しました。 1 データベースによる検索 新聞記事検索データベースを調査したところ、お探しの記事を確認することができました。 (下野新聞のデータベースは収録範囲が2001年以降となるため、今回は検索を行っておりません。) ①ヨミダス歴史館(読売新聞) 以下のキーワードで検索したところ、お探しの事故の日付を特定することができました。 検索キーワード:「小金井」+「衝突」   検索期間:1945(昭和20)年から1965(昭和40)年 ・読売新聞 昭和24年8月22日 朝刊 2面 「13名が死傷 進駐軍列車とトラックと衝突」  昭和24年8月21日に「東北本線小金井駅構内南方結城街道踏切」にて衝突事故があり、電車が脱線したという内容の記事です。 ②聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞) 「ヨミダス歴史館」にて日付(1949年8月22日)が特定できたため、日付を指定して検索しました。 ・朝日新聞 昭和24年8月22日 朝刊 2面「東北線で脱線・轉覆 トラックと衝突、死傷九名」 2 下野新聞マイクロフィルムによる調査 データベースの検索にて特定した日付のマイクロフィルムを調査したところ、以下の記事を確認しました。 ・下野新聞 昭和24年8月22日 2面「進駐軍列車・トラックと衝突 脱線・転覆して死傷九名」 上記3件の記事は、当館所蔵のマイクロフィルムからそれぞれ複写することができます。 3 その他 当館所蔵の図書資料もお調べしましたが、事故に関する記述は確認できませんでした。 ご参考までに調査した資料の情報をお知らせします。 ・『年表による栃木県鉄道史』(萩原恵一/著 出版者不明 1982) ・『栃木県鉄道史話』(大町雅美/著 落合書店 1981) ・『とちぎ20世紀 上巻』(下野新聞「とちぎ20世紀」取材班/編 下野新聞社 2000) ・『とちぎ20世紀 下巻』(下野新聞「とちぎ20世紀」取材班/編 下野新聞社 2001) ・『宇都宮駅100年史 宇都宮駅開業100周年記念』(宇都宮駅100年史編集委員会/編 日本国有鉄道宇都宮駅 1985) ・『栃木・小山・下野・下都賀の昭和 写真アルバム』(いき出版 2018) ・『栃木県史 通史編7』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982) ・『栃木県警察史 下巻』(栃木県警察史編さん委員会/編 栃木県警察本部 1979) ・『「下野」世相100年』(「下野」世相100年刊行委員会/編 下野新聞社 1984)

宇都宮市の戦前の花街について資料を探している。写真も見たい。(栃木県立図書館)

以下の資料に、「宇都宮市街地の花街の様子」 について記述が確認できました。 ・『最新 宇都宮誌 全』(宇都宮市教育会/著 内田濱吉 1908) p.88-89「第十二章 遊楽場、旅舎、料理店、花柳巷」の項で「花柳巷」について記述があります。(p.89) ・『宇都宮市史 第8巻 近・現代編2』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981) p.693-695「第7章 世相の推移 附文化 第一節 文明開化 明治十二年~明治十五年」の項で、「三月、伝馬町・池上町の花街も客足も稀になり、寂寥たる有様、…「娼婦に店を張らす」ことに一決した(「栃木新聞」)。」との記述があります。(p.694) ・『栃木県警察史 上巻』(栃木県警察史編さん委員会/編 栃木県警察本部 1977)  p.648-703「風俗営業と取締り」の節があり、明治32年9月に定められた「遊郭設置規定」が掲載さいれています。「第二条 遊郭ハ左ノ地域内ニ置く」に続く地域名で、「宇都宮市 河原町下河原町」と記載されています。(p.659) ・『宇都宮繁昌記』(春圃居士/著 山内港三郎 1898) 「紅綠街」(p.75-77)、「龜廓」(p.77-81)について、それぞれ記述があります。 ・『栃木県史 通史編6』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982) p.457-463「四 廃娼運動と政治」の項があり、「遊廓問題で県会波乱」では、「宇都宮市内には池上、伝馬町に貸座敷業者が他の商店と軒を並べており、風紀上まずいとして河原町に一廓を設けて移転させた。」との記述があります。(p.458)また、「宇都宮市の遊廓「亀廓小松楼」(『宇都宮繁昌記』)」の写真が確認できます。(p.459) ・『宇都宮城下史』(福田徳重/編 教育情報協会 1987)(昭和8年3月宇都宮城下史編纂所発行の復刻版 ) p.103-105「遊廓の跡」に、傳馬町、池上町、材木町に存在した遊廓について記述があります。また、「右の内明治二十七年迄存在せしものは同年現在下河原町へ移轉す、…」と記述があります。 ・『うつのみやの歴史』(宇都宮市/編 改訂 宇都宮市 1992) p.283-284「町勢躍進」の項で、「明治二十七年一月に池上町・伝馬町・材木町にあった貸座敷が「新地」(現河原町)に移された。…移転後の池上・伝馬・材木の三町は一変した。」と記述があります。 ・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編 栃木県大百科事典刊行会 1980) p.39-40「池上町」の項で、「町内には江戸時代まで宿場町に付随した歓楽街があったが、明治以降になって新地に移転した。」と記述があります。 p.490「伝馬町」の項で、「江戸時代は本陣、脇本陣、旅籠、遊廓、商家が軒を並べ、…城下で最も賑やかな場所であった。」と記述があります。 ・『日本歴史地名大系 9』(平凡社 1988) p.401「池上町」の項があり、「…町並両側に揚屋五軒、遊廓二〇軒ほどが並ぶ。」と記述があります。 p.405「材木町」の項があり、「両側に米穀商や旅館のほか遊廓が一五軒ほど並び、東側に色町の信仰仏歓喜天が祀られる。…同二七年遊廓が旧城跡の南館に移転した。」と記述があります。 ・『日本花街史』(明田鉄男/著 雄山閣出版 1990) p.181-183「天保の「遊所番付」」の項に、一覧表があり「下野(栃木県) 宇都宮…」(p.182)と記載あり。 p.496-504「昭和初期の全校有名芸者一覧」があり、〔栃木県〕の項に「宇都宮(芸者一五〇人) ぽんた、鯉、…」(p.497)と記載があります。 p.505-508「昭和初期の全国遊廓名と娼妓数」があり、「栃木県」(p.506)の項があります。 ・『近代庶民生活誌 14』(南博/責任編集 三一書房 1993) p.26-27「全国遊廓案内 栃木県の部」に「宇都宮遊廓」について記述があります。 以下は写真資料です。 ・『目で見る宇都宮の100年』(大町雅美/〔ほか〕編集 郷土出版社 2000) p.25-32「明治時代 二、第一四師団設置と町の動き―軍都にみる賑わい」の項で「新地遊郭の入口」「新地遊郭の建物」の写真と解説が確認できます。(p.40) ・『ふるさとの想い出写真集 明治・大正・昭和 宇都宮』(徳田浩淳/編 国書刊行会 1979) p.125-129「歓楽街と桜花・公園」の項で「亀廓大門」「亀廓小松楼」「亀廓佐々木楼」の写真と解説が確認できます。(p.125) ・『写真でつづる宇都宮百年』(記念出版編集委員会/編 宇都宮市制100周年記念事業実行委員会 1996) p.38-41「特集2 川上澄生の宇都宮」の項で「宇都宮新地風景」の木版画が掲載されています。(p.40) ・『「下野」世相100年』(「下野」世相100年刊行委員会/編 下野新聞社 1984) p.116-117「亀廓佐々木楼」「亀廓小松楼」「亀廓大門」「亀廓尾張楼」の写真が掲載されています。 p.338-339「花街の時間短縮 四月から実施」で「時局下止むを得ず(15・3・9)」の記事が掲載されています。

栃木の地質について調べたい。(栃木県立図書館)

以下の資料に関連の記述を確認しました。 ・『日曜の地学 9 栃木の自然をたずねて』(「栃木の自然」編集委員会/編 築地書館 1997) p.5-11 「Ⅰ 栃木の自然」に「2.栃木の地質」という項があります。 その他「Ⅱ 足尾・日光・奥鬼怒」「Ⅲ 那須・塩原の自然」「Ⅳ 八溝・益子の自然」「Ⅴ 宇都宮・喜連川の自然」「Ⅵ 渡良瀬遊水地の自然」の中でも各地質についての項があります。 また、付録では「栃木の自然を知るための資料」として「1.栃木の自然についての文献」「2.栃木の自然についての展示館,資料館,博物館」が紹介されています。 ※本書は『日曜の地学 9 栃木の地質をめぐって』(下野地学会/編 築地書館 1979)を全面的に改訂したものです。 ・『とちぎの地形・地質(文献目録) 栃木県自然環境基礎調査 2002』(栃木県自然環境 調査研究会地形・地質部会/編 2002) p.2-10 「Ⅰ 栃木県の概要」「1 栃木県の地形・地質」の中に「(2)栃木県の地質」の項があり文献も記載されています。 「Ⅱ 栃木県地学文献目録」では文献が確認できます。 p.19-67 「本編(収録文献一覧)」 p.69-87 「地質一般」 ・『レッドデータブックとちぎ 栃木県の保護上注目すべき地形・地質・野生動植物 201 8』(栃木県環境森林部自然環境課/編,栃木県立博物館/編 栃木県環境森林部自然環境課 2018 随想舎(発売)) p.8-10 「Ⅰ 概説」「1 とちぎの自然」の中に「① 地形・地質の概要」がありカラーで栃木県の地質が掲載されています。 ※『栃木県自然環境基礎調査』「Ⅰ 栃木県の概要」「1 栃木県の地形・地質」をもとに作成されています。

東照宮所蔵「三十六歌仙絵」が収録された資料を探している。(栃木県立図書館)

以下の資料に東照宮所蔵の三十六歌仙絵(土佐光起/作)の画像を確認しました。 ・『日光東照宮の宝物』(日光東照宮社務所/編,発行 1985) p.49「国宝・三十六歌仙勅額」の項に、「小野小町」、「小大君」、「伊勢」、「中務」、「中納言家持」、「忠納言敦忠」、「忠峯」、「素性法師」、「赤人」、「躬恒」、「貫之」、「斎宮女御」、「公忠朝臣」、「柿本人麿」の14枚がカラーで掲載されています。 ・『聖地 日光の至宝 世界遺産登録記念』(NHKプロモーション/編,発行 2000) p.110-111「二、東照宮と大猷院の荘厳 142.三十六歌仙勅額 伝 土佐光起 筆 東照宮」の項に、「柿本人麿」、「小大君」、「斎宮女御」、「中納言家持」、「中努」、「素性法師」、「伊勢」、「貫之」、「赤人」、「小野小町」の10枚がカラーで掲載されています。 絵のみで額は掲載されていません。 ・『東照宮宝物誌』(別格官幣社東照宮社務所/編,発行 1927) p.134とp.135の間に第十七図「三十六歌仙扁額」(三十六枚ノ内)として2枚がモノクロで掲載されています。 2枚とも説明が付されていませんが、上記『日光東照宮の宝物』にも掲載の「躬恒」、「柿本人麿」と同じものです。 絵のみで額は掲載されていません。 ・山作良之/著「日光東照宮蔵三十六歌仙扁額製作の経緯」(『大日光 79』(日光東照宮/編,発行 2009)p.95-103所収) p.99に小さいですが3枚がモノクロで掲載されています。 3枚とも同ページ内に説明はありませんが、上記『日光東照宮の宝物』にも掲載の「忠納言敦忠」「公忠朝臣」「中務」と同じものです。 以下、お求めの画像は確認できませんでした。 ・『国宝大猷院霊廟本殿』(日光二社一寺文化財保存委員会/編 日光山輪王寺 1966) ・『日光 その美術と歴史』(岡田謙/〔ほか〕著 淡交新社 1961) ・『日光東照宮百話』(別格官幣社東照宮社務所/編,発行 1925) なお、調査過程において、日光東照宮と三十六歌仙扁額に関する新聞記事を確認しました。 ・下野新聞 2016年8月29日 1面「日光東照宮拝殿  三十六歌仙  扁額 狩野一派作と推定  国宝追加指定の可能性」

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