レファレンス協同データベース新着事例

御殿を発音する時のアクセントが知りたい。(伊丹市立図書館 本館「ことば蔵」)

・『NHK日本語発音アクセント新辞典』NHK放送文化研究所/編 NHK出版 2016年 p486に掲載。「ごてん」の「ご」にアクセントがあります。

『安城の南吉』(配布用パンフレット)に「南吉が過ごした当時のまち」というページがありその中に「デンマーク会館」という名前の建物があった。 その建物はいつからいつまであったのか。また、どこが運営していたのか知りたい。(安城市図書情報館)

以下の資料を提供した。 ①『安城の新美南吉 改訂版』新美南吉に親しむ会/安城市教育委員会文化財課(AN909/ニイ) ②『ででむしの歌』狐牛会/愛知県安城市立泉小学校(AN909/コギ) この2点から昭和13年~17年頃には建っていたことが分かった。 運営していたところは見つけることができなかった。 回答プロセス:郷土担当がそれぞれ資料を準備し上記の回答資料を提供した。 以下、確認した資料の内容などをまとめた。 ①のP60-61にパンフレットと同様の地図があるため確認したところ②のP18-19に掲載されたものを一部修正したと記されていた。 ②の該当ページに「この略図は昭和13年~17年ごろの安城の街なみを聞き書きによって作成したものである」と記述あり。そのため昭和13~17年には存在している建物だということが分かった。 『南吉が安城にいた頃』(007115827)のP10-11にパンフレットとは別の地図がある。こちらには同様の場所に「デンマーク館(カフェ)」とあり。 「昭和15年頃の南・北明治記憶地図 この記憶地図は、大正から昭和にお生まれで、幼い頃から安城の町にお住いの方々からの聞き取りを元に再現しました。」と記されていた。 次に『新編安城市史 9(資料編 民俗)』を確認したところ、P9に「昭和初年から十年ごろの若い衆の楽しみといえば、カフェーに娘遊びであった。安城駅前の本町通や栄町通には[日輪]、[デンマーク]、[成亀]などのカフェーがあり…」とあったが「デンマーク会館」と関係があるのかは分からず。 また、どの企業や団体が運営していたのか『安城商工名鑑』の当館で所蔵している一番古いもの(1953年)から1958年、1963年、1968年や『安城の地名』、データベース「安城デジタルアーカイブ」を確認したがデンマーク会館の運営について書かれている企業はなかった。 参考資料:安城の新美南吉. 新美南吉に親しむ会 編 , 新美南吉に親しむ会. 安城市教育委員会, 2012.(AN909/ニイ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024034659-00, 参考資料:ででむしの歌 : 新美南吉と安城. 狐牛会 編 , 狐牛会. 愛知県安城市立泉小学校, 1971.(AN909/コギ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001263279-00,

絵画の技法で「黄金伝説」と言われるものがあるがそれについて記述がある本が読みたい。(安城市図書情報館)

以下の資料を提供した。 『黄金テンペラ技法 新版』紀井利臣/誠文堂新光社(724.3/キイ) 『巨匠に学ぶ絵画技法』ガブリエル・マルティン/メイツ出版(724.3/マル) 『ワーグマン日本素描集』ワーグマン,清水勲/岩波書店(723.3/ワグ) 『パウル・クレー絵画のたくらみ』前田富士男,宮下誠,いしいしんじ[ほか]/新潮社(723.3/マエ) 回答プロセス:詳しい内容を聞くと、ルネサンス期(「ルネッサンス期」と聞き取る)における絵画の技法だったとのこと。 業務システムにて「技法 ルネッサンス」NDC72~で検索するがヒットせず。 キーワードを変え「絵画 ルネッサンス」で検索すると何点かヒットし、その結果からNDC724.3の棚をブラウジング。 また、NDC724.3のみで所蔵検索をし、何点かピックアップしご提供した。 参考資料:黄金テンペラ技法 : イタリア古典絵画の研究と制作 新版. 紀井利臣 著 , 紀井, 利臣. 誠文堂新光社, 2013.(724.3/キイ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024435459-00, 9784416713747 参考資料:巨匠に学ぶ絵画技法 : 世界の名画に挑戦 : 豊富なテクニックを完全マスター. ガブリエル・マルティン 著 , Martín i Roig, Gabriel, 1970-. メイツ出版, 2016.(724.3/マル) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027348601-00, 9784780417456 参考資料:ワーグマン日本素描集. 清水勲 編 , Wirgman, Charles, 1832-1891 , 清水, 勲, 1939-. 岩波書店, 1987. (岩波文庫)(723.3/ワグ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001872864-00, 4003355911 参考資料:パウル・クレー絵画のたくらみ. 前田富士男, 宮下誠, いしいしんじ ほか著 , 前田, 富士男, 1944- , 宮下, 誠, 1961-2009 , いしい, しんじ, 1966-. 新潮社, 2007. (とんぼの本)(723.3/マエ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008430620-00, 9784106021534

石川数正が徳川家康のもとを去り、豊臣秀吉に臣従したことにより家康は兵法を変更した。その内容を知りたい。(安城市図書情報館)

以下の資料を提供。  ①『家康家伝3』(289.1/トク/3)  ②『戦国の陣形』(210.4/ナイ)  ③『無敵・武田軍法の研究』(399.1/ド)  ④『甲陽軍艦校注』(399.1/サカ/1) 回答プロセス:Ⅰ.インターネットにて「石川数正」を調べる→出奔が天正13年(1585年)であることがわかる。    ⇒児童書の徳川家康の伝記を読む(確認)。その年が家康の生涯のどのあたりか見当をつけ、NDC289.1の棚をブラウジング。     その中で武田信玄の軍法を採用したことが分かる。 Ⅱ.館内検索機にてキーワードをいくつか変え検索    ・「武田信玄/軍法」で検索→ヒットなし。    ・「武田/兵法」条件「所蔵」で検索→9件ヒット。    ・「軍法」条件「所蔵」で検索→16件ヒット。    ・「兵法」条件「所蔵/図書」で検索→165件ヒット。 Ⅲ.Ⅱの結果資料より目星をつけ中を確認し、上記回答資料を提供。   <追記>     ▼『人物レファレンス事典 武将篇』を調べる→P86より・・・・「?~文禄1(1592)年 箇三寺<かさんじ>安土桃山時代の大名。      信濃松本藩主。 参考資料:大石学 [ほか] 編 , 大石, 学 , 佐藤, 宏之 , 小宮山, 敏和 , 野口, 朋隆. 三河から関東の覇者へ. 吉川弘文館, 2011. (現代語訳徳川実紀, . 家康公伝||イエヤス コウ デン ; 3 ; 逸話編 ; [1]) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007402084-00, 9784642018135 参考資料:乃至政彦著 , 乃至, 政彦. 戦国の陣形. 講談社, 2016. (講談社現代新書, 2351) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008771506-00, 9784062883511 参考資料:土橋治重 著 , 土橋, 治重, 1909-1993. 無敵・武田軍法の研究 : 『甲陽軍鑑』を読む. PHP研究所, 1983. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001631963-00, 4569211046 参考資料:酒井憲二 編著 , 酒井, 憲二, 1928-2012. 甲陽軍鑑校注 序冊. 勉誠出版, 2013. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024202013-00, 9784585220060

安城市(里町付近)の縮尺1万分の1の地図が見たい。(安城市図書情報館)

安城市Webサイト『都市計画情報サービス( http://www.machi-info.jp/machikado/anjo_city/city_plan/tosikeikaku.html )』をご紹介した。 回答プロセス:まず、所蔵している安城市の地図の縮尺を確認。 ・ゼンリン/はいまっぷ:3000分の1 ・安城都市地図(1枚もの):2万分の1 ・愛知県道路地図:3万分の1 ・愛知県都市地図:4万分の1 ・安城市公共施設ガイドマップ:2万分の1 いずれも1万分の1ではなかったため、次に安城市の「都市計画情報サービス」を確認。 地点と縮尺(2500分の1、5000分の1、1万分の1、2万分の1、4万分の1、8万分の1)を選択して都市計画図を閲覧することができるため、こちらをご紹介し、回答とした。 照会先:http://www.machi-info.jp/machikado/anjo_city/city_plan/tosikeikaku.html

ことわざ「舌先三寸」について、1.用例、2.なぜ「三寸」なのかを知りたい。(山口県立山口図書館)

1.下記資料1によると、「心にもないことを平気で言う弁舌をマイナスに評価していう」と説明があり、以下の用例が紹介されている。 ・舌先三寸でまるめこむ ・舌先三寸でまがい物を売りつける ・舌先三寸の世渡りではうまくいくはずがない また、資料2には、「(三寸ほどの小さい舌の意)くちさきだけで心のこもらない言葉。おしゃべり。」と説明があり、以下の用例が紹介されている。 ・舌先三寸で人をまるめこむ 2.資料3には、「三寸」はほんの少しの長さ、と説明されている。また、資料4には「三寸」のことばの意味として、「厚さの薄いこと、長さの短いことなどを比喩的に言う語。」と説明があり、その用例として「舌先三寸」が挙げられている。また、資料5にも、「三寸」の意味として、「物の短いことのたとえ。」という説明がある。 参考資料:1.北原保雄 編著 , 加藤博康 著 , 北原, 保雄, 1936- , 加藤, 博康. 明鏡ことわざ成句使い方辞典. 大修館書店, 2007. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008596141-00, 9784469021103(p237) 参考資料:2.新村出編 , 新村, 出(1876-1967). 広辞苑 : [セット]- 第7版. 岩波書店, 2018-01. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000702067-00, 9784000801324(あーそ p1293) 参考資料:3.田部井文雄 編 , 田部井, 文雄, 1929-. 大修館四字熟語辞典. 大修館書店, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007372737-00, 4469021091(p183) 参考資料:4.講談社. 講談社カラー版日本語大辞典. 講談社, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002080898-00, 4061232746(p804) 参考資料:5.森睦彦 編 , 森, 睦彦, 1933-2003. 名数数詞辞典. 東京堂出版, 1980. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001461796-00, (p125)

前記した字(数字など)と同じ際に使う「〃」について、読みや「〻」との違いや使い分けについて知りたい。(安城市図書情報館)

以下の資料を提供した。 『広辞苑』新村出/岩波書店(813.1/シン) 回答プロセス:「〃」の読みが分からないため、「記号 同じ意味 チョンチョン」で検索。 Wikipediaにて ・「〃」⇒ノノ字点、ノの字点、同じく記号  ・「〻」⇒ニノ字点、ニの字送り、揺すり点   と呼ばれる。 レファレンス協同データベースでも調べることにし、「ノノ字点」で検索。 使用された『広辞苑』を確認したところ、「〃」「〻」は踊り字と呼ばれ、「〃」は数字や語句を繰り返し使う時、「〻」は漢字につけて用いるもの(濁点が由来)と明記されていた。 こちらをご案内し回答とした。 参考資料:広辞苑 第7版. 新村 出/編. 岩波書店, 2018-01.(813.1/シン) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081371586-00, 9784000801317

「芏苡」という語が、大正期の文書に出てくる。読みと意味を知りたい。(山口県立山口図書館)

下記資料1によると、「トイ」と読み、七島藺のこととある。 資料2によると「七島藺」(シチトウイ)は、「七島」(シチトウ)のことで、畳表などの材料とするカヤツリグザ科の多年草、とある。 回答プロセス:『大漢和辞典』によると、「芏」の読みは「ト」または「ツ」で、草の名とし「ゐの一種。莞藺に似てゐる。海辺に生じ、席を織るに用いる」とある。また、「ト」「ヅ」とも読んで、草の名とし「海莧」とある。 また、「苡」については、同じく『大漢和』に「イ」と読んで「芣苡はおおばこ」、また「シ」「ジ」と読んで「薏苡ははとむぎ」、また「クワ」「ワ」と読んで「婆苡室韋は、北狄の別種」とある。 いずれも「芏苡」についての記載はない。 『日本国語大辞典 第2版』には「トイ」「トシ」「トジ」「トクワ(トカ)」「トワ」「ツイ」「ツシ」「ツジ」「ツクワ(ツカ)」「ツワ」「ヅイ」「ヅシ」「ヅジ」「ヅクワ(ヅカ)」「ヅワ」の見出し語で、「芏苡」の字が用いられたものはなかった。 GoogleBook検索にて、完全一致「芏苡」で検索、ヒットした結果に『山口県政史』があり、現物を確認。読み等あり。 「七島藺」について『日本国語大辞典 第2版』で調べる。 参考資料:1.山口県/編 , 山口県. 山口県政史 上. 山口県, 1971. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005656815-00, (p614) 参考資料:2.日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部 編 , 小学館. 日本国語大辞典 第6巻 第2版. 小学館, 2001. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003013601-00, 4095210060(p798-799)

研究のために、滋賀県栗東市で行われている「りっとう無花果コンサート」のような、果物や地域の特産品を活用し、地域活性化や振興を目的とした、コンサートなどのイベントを探している。山口県内に同様のイベントがあるかどうか知りたい。(山口県立山口図書館)

山口県内で、特産品を活用した地域振興(活性化)を目的とした文化イベント(コンサートなど)と思われるものは見当たらなかった。 調査対象を、「特産品(農産品)を活用した地域振興(活性化)を目的とした文化イベント(コンサートなど)」とし、以下については除外した。 地域振興(活性化)を目的とするイベントの中で、その一つとして文化イベント(コンサートなど)が行われるもの 文化イベント(コンサートなど)の中で、特産品の活用(試食など)が行われるもの 確認した資料、情報源は以下のとおり 新聞記事データベース「聞蔵2ビジュアル(朝日新聞)、ヨミダス歴史館(読売新聞)、日経テレコン21(日本経済新聞ほか) ※キーワード「山口県 イベント 特産」「山口県 コンサート 特産」で検索し、2010年までの記事を見出しで確認 山口県ウェブサイト報道発表 https://webnavi.pref.yamaguchi.lg.jp/press/ ※同サイトを、キーワード「特産」で検索し、ヒットした2017年6月から現在までのページの見出しを確認 県文化振興課発行のイベント情報誌「Cul-ちゃ やまぐち」2017.9-2018.3から2020.4-2020.8まで ※2017年9月から2020年8月まで、掲載されたイベントの名称で確認 事前調査事項:りっとう無花果コンサートウェブサイト https://www.ritto-ichijiku-concert.com/

大内義隆が持っていたという「玉堂肩衝」(ぎょくどうかたつき)について知りたい。具体的には、大内義隆が討たれた際、龍福寺の住職であった玉堂和尚がこの肩衝をもって難を逃れた、というエピソードの真偽が知りたい。(山口県立山口図書館)

下記肩衝については資料1に概要あり。また、文化財オンラインにも概要あり。 文化財オンライン:玉堂 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/238408 玉堂和尚の挿話の真偽については不明。 後日追記。資料2に、「大徳寺の玉堂宗条と義隆との関係は深く、義隆から玉堂へ与え、玉堂肩衝の名を生じたものと思われる。」とある。また、出典として「陰徳太平記」一九とある。当該部分は資料3にある。 なお、「陰徳太平記」の成立は正徳2年(1712年)。また、同書では、玉堂が難を逃れる際に、肩衝を割って運び、後に継ぎ合わせた、とある。「陰徳太平記』は国立国会図書館デジタルコレクションにも収録されており、当該部分は以下のとおり。 国立国会図書館デジタルコレクション:陰徳太平記. 合本2(巻19-38) 11コマ目 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772377/11 参考資料:1.林屋辰三郎 [ほか]編 , 林屋, 辰三郎, 1914-1998. 角川茶道大事典. 角川書店, 1990. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002046408-00, (本編p386) 参考資料:2.米原正義 著 , 米原, 正義, 1923-2011. 戦国武士と文芸の研究. 桜楓社, 1976. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001257736-00, (p787) 参考資料:3.香川宣阿 著 , 香川宣阿. 陰徳太平記 上 復刻版. マツノ書店, 2000. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069530235-00, (p301)

伊藤博文の語学力(英語)の程度について知りたい。特に、留学から帰国後に、イギリスとの交渉をした頃の語学力が知りたい。(山口県立山口図書館)

下記資料1に「英語の習得」「実際の英語力」の項あり。最初のロンドンへの留学で、語学力というよりは、「西洋人とのコミュニケーションを図るための度胸」を身につけたとある。 なお、留学中、寄宿先のウィリアムソン夫人に手紙を書き送ったこと、岩倉使節団出発時の英国公使館の報告に「伊藤の英語は流暢」とあること、後には外国メディアと単独で会見したことなどから、総じて英語力が確かだったとしている。 資料2では、「留学中に英語をかなり勉強したようだ」とある。 資料3では、留学から帰ったときにオールコック英国公使と会談した際や、下関戦争後の交渉の様子が記されているが、伊藤の語学力に関する記述は見当たらなかった。(問題なく意思の疎通をしたように描かれているが、通訳のアーネスト・サトーの存在も大きいものと思われる。) 伊藤本人からの聞き書きである資料4も同様。 参考資料:1.瀧井一博 著 , 瀧井, 一博, 1967-. 伊藤博文 : 知の政治家. 中央公論新社, 2010. (中公新書 ; 2051) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010857047-00, 9784121020512(p11-14) 参考資料:2.泉三郎 [著] , 泉, 三郎, 1935-. 伊藤博文の青年時代 : 欧米体験から何を学んだか. 祥伝社, 2011. (祥伝社新書 ; 241) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011199093-00, 9784396112417(p68) 参考資料:3.春畝公追頌会 編 , 春畝公追頌会. 伊藤博文伝 上. 原書房, 1970. (明治百年史叢書) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001228392-00, (p120-121,156-160) 参考資料:4.新人物往来社 編 , 新人物往来社. 伊藤博文直話 : 暗殺直前まで語り下ろした幕末明治回顧録. 新人物往来社, 2010. (新人物文庫 ; 71) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010836227-00, 9784404038395(p150-187)

山口県内に造立されている疫病(明治期のコレラ流行や、1918~1920年のスペイン風邪の流行)に関する石碑(供養碑、慰霊碑、顕彰碑、頌徳碑、記念碑など)の情報が掲載されている資料について知りたい。(山口県立山口図書館)

該当する資料は見当たらなかった。関係する資料として、下記資料1-3を紹介。 資料1に、「疫神信仰」の項があり、防府市内の疫神社について簡単に紹介している。安政5年(1858年)、明治10年(1877年)などのコレラの流行や、慶応元年(1865年)などの天然痘の流行により、疫神・疱瘡神が各地に祀られたことが記されているが、各神社の成立や碑などについての言及はない。 資料2に収録された論文「呪文を掘った石仏」(内田伸 著)は、山口市仁保地区にある、「キシオツ」という厄除けの呪文が掘られた石仏を紹介している。この石仏は安政2年(1855年)に建立されたもの。読売新聞西部版の2020年6月6日夕刊6面に掲載された「地蔵さん頭上 疫病よけ呪文 山口・金坪集落 コロナ収束へ祈り」という記事では、この石仏について「幕末に流行したコレラから住民を守るため、疫病よけとみられる呪文が刻まれており」とするが、資料3では、この石仏に対応する疫病の流行については不明、としている。 このほか、山口県内の石碑等について、広域的に掲載した資料として、下記資料があるが、いずれも中世または近世以前の碑を対象としている。また、目次等により、収録された碑の名称を確認したが、疫病に関係すると思われるものは見当たらなかった。 『山口県風土誌 第14巻 金石文誌』(近藤清石 編 歴史図書社 1975) 『山口県の金石文』(内田伸 著 マツノ書店 1990) 『未指定文化財総合調査報告書 石造文化財編』(山口県教育委員会 1984.3) また、市町別の石碑関係資料について、過去の当館調査で石碑(碑文)を収録していることが判明しているものを中心に、以下の資料を対象として、目次等により、収録された碑の名称を調査したが、疫病に関係すると思われるものは見当たらなかった。(市町村史や地方史雑誌など、関係資料を精読しての調査ではないため、調査漏れが多くあるものと思われる。) 下関市 『石は語る』(瀧本幸朗 著 福本幸夫 監修 瀧本ヨシヱ 2005.2) 『下関の記念碑 旧市内編』(下関市立下関図書館 [編] 下関市教育委員会 1986.3) 『下関の記念碑 山陽地区編』(下関市教育委員会 [編] 下関市教育委員会 1987.3) 『下関の記念碑 山陰地区・補遺編』(下関市教育委員会 [編] 下関市教育委員会 1991.3) 宇部市 該当資料なし 山口市 『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 編集 山口市 2015.3) 『山口市の金石文 阿東・徳地・小郡・秋穂・阿知須編』(山口市 編 山口市 2019.3) 萩市 『萩の史碑』(一坂太郎 著 萩ものがたり 2006.10) 防府市 該当なし 下松市 『下松市の石造文化財 祈りと生活』(下松市教育委員会 編 下松市教育委員会 1981.3) 岩国市 『岩国を中心とする附近に渡る金石文』(上田純雄 編 西山書院 1939.1) 『岩国金石文集』(岩国徴古館 1986.11) 『広瀬町の金石文』(上田純雄 上田純雄 1953.10) 『周東町金石文集成 祈りの日々』(山本武 著 1982) 『玖珂の碑』(岩国市教育委員会玖珂支所 編 岩国市 2007.3) 光市 該当資料なし 長門市 該当資料なし 柳井市 『ふるさとの碑』(柳井市 2003.10) 美祢市 『美祢市史』(美祢市史編集委員会 編 美祢市 1982) 『美東町史 資料編 改訂版』(美東町史編さん委員会 編 美東町 2004.11) 周南市 該当資料なし 山陽小野田市 該当資料なし 大島郡周防大島町 該当資料なし 玖珂郡和木町 『和木村金石文(解説)』(和木村教育委員会 和木村教育委員会 1963) 熊毛郡田布施町 『田布施金石文集成』(林芙美夫 編 田布施町教育委員会 1994.10) 熊毛郡平生町 『ふるさと平生町の石造文化 続編』(平生町郷土史研究会 編集 平生町教育委員会 1996.3) 阿武郡阿武町 該当資料なし なお、以下の資料については、収録点数が膨大であったり、目次等から碑の名称を探すことができなかったりといった理由により、今回の調査から除外した。 『山口市の石仏・石塔 (1) 平川・大歳・吉敷』(山口の文化財を守る会 編集 山口市教育委員会 2002.3) 『山口市の石仏・石塔 (2) 大殿・白石・湯田』(山口の文化財を守る会 編集 山口市教育委員会 2004.3) 『山口市の石仏・石塔 (3) 大内・小鯖』(山口の文化財を守る会 編 山口市教育委員会 2009.3) 『山口市の石仏・石塔 4 宮野・仁保』(山口の文化財を守る会 編集 山口市教育委員会 2012.3) 『山口市の石仏・石塔 5 鋳銭司』(山口の文化財を守る会 編集 山口市教育委員会 2017.3) 『小野田市史 民俗と文化財』(小野田市史編集委員会 編集 小野田市 1987) 『東和町誌 各論編 第4巻 石造物』(東和町 編纂 1986.3) 『ふるさと平生町の石造文化 野辺の石仏と祠をたずねて』(平生町郷土史研究会 編集 平生町教育委員会 1994.3) 『山口県の石造美術』(内田伸 著 マツノ書店 1985.6) 回答プロセス:自館蔵書検索にて、件名「金石文」で検索、うち、郷土資料を確認。なお、広域を対象とした金石文関係資料は、中世・近世以前が対象。江戸期の石仏の類を対象とした資料は少ない。(点数が多すぎるため) また、近代以降の碑文を収録している資料も少ない。 自館レファレンスデータベースにて、「碑」で検索、うち、地域別の碑について書かれた資料を確認。 『防長医学史』で、コレラ、天然痘の記述がある部分を確認 自館雑誌記事データベースで、「疫病」で検索 ※以下は行わなかった。(レファレンスの範疇を超えると思われること、近代以降の碑が載っている可能性が低いことによる。) 地域史関係の雑誌に収録された金石文関係記事の通読調査 目次に碑の名称がない、または膨大な碑を収録しており、内容(碑文)を精査する必要がある資料の調査 金石文が収録されていることが、書名やレファレンスデータベースから判明しない市町村史の調査 参考資料:1.防府市史編纂委員会 編 , 防府市. 防府市史 資料 1 (自然・民俗・地名). 防府市, 1994. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002397735-00, (p409-411) 参考資料:2.内田伸. 呪文を掘った石仏. 山口の文化財を守る会, 2012. ふるさと山口 通巻33号 p. p1-6, 参考資料:3.山口市 編 , 山口市. 山口市史 史料編 民俗・金石文. 山口市, 2015. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026389250-00, (p452-453)

新型コロナウイルスのオープンデータサイト集(国立国会図書館(National Diet Library))

国立国会図書館の「調べ方案内」では、テーマ別に、調べものに役立つ資料や調べ方のノウハウをご紹介しています。 内容については、以下のURLをご覧ください。 URL: https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-1180.php

土地の地番の調べ方が書いてある本はあるか。(千葉県立中央図書館)

下記の3冊に地番の調べ方について記載あり。 【資料1】『所有者の所在の把握が難しい土地に関する探索・利活用のためのガイドライン』(所有者の所在の把握が難しい土地への対応方策に関する検討会[編] 日本加除出版 2017) p8-9「第1章 一般的な所有者情報の調査方法(3)登記記録に記録された情報の確認に当たっての注意点(地番の確認)」に、森林簿、農地台帳、固定資産課税台帳等を確認する方法、登記情報提供サービスで地番検索用地図を閲覧する方法、対象地近くの土地について公図や登記所備付地図を請求し、隣接地番を順番にたどって対象地番を確認する方法を紹介している。 【資料2】『不動産調査実務ガイドQ&A』(杉本幸雄著 清文社 2016) p86-87「Q2-38 地番の調べ方は」に、不動産を管轄する法務局を利用する(電話も可)、ブルーマップで調べる、登記情報提供サービスの地番検索サービスを利用する、自分が所有している土地の場合は、登記識別情報や権利証、固定資産税課税台帳証明書、納税通知書等を見て調べる方法を紹介している。 【資料3】『不動産実務百科Q&A』(杉本幸雄著 清文社 2015) p23-24「Q1-21 地番の調べ方は」に、【資料2】と同じ内容の調査方法の記載あり。 回答プロセス:1 Googleブックスで「登記」「地番」「調べ方」等で検索。『不動産の基本を学ぶ』『いちばんやさしい不動産の教本』『不動産取引の実務』等がヒットしたが、いずれも中央図書館で所蔵なし。 2 自館蔵書検索システムで「件名:不動産」を検索。NDC324.86と673.99に関連資料がありそうだと検討をつけ、該当の書架をブラウジング。【資料1】【資料2】を発見。 3 国立国会図書館リサーチナビを「地番」&「調べ方」で検索。【資料3】の目次情報がヒット。 (インターネット最終アクセス:2020年9月22日) 参考資料:【資料1】『所有者の所在の把握が難しい土地に関する探索・利活用のためのガイドライン』(所有者の所在の把握が難しい土地への対応方策に関する検討会[編] 日本加除出版 2017)(0106586414), 参考資料:【資料2】『不動産調査実務ガイドQ&A』(杉本幸雄著 清文社 2016)(0106537026), 参考資料:【資料3】『不動産実務百科Q&A』(杉本幸雄著 清文社 2015)(2102707972),

那須与一の子孫である那須資明(すけあきら)の絵画作品についてどのようなものがあるか知りたい。(千葉県立中央図書館)

以下の資料に那須資明の絵画作品について記載があった。 【資料1】『那須家資料 栃木県立博物館調査研究報告書』(栃木県立博物館 2003) p32-39「10 資明関係資料」「11 古物写生」に、資明の自画像や絵画、写生図が掲載されている。 p70に「義兄にあたる弘前藩主津軽信明(八代)の肖像など、各地に資明筆とされる絵画が遺されている」との記載があり、その他p70-71で資明の遺した作品についての解説がある。 【資料2】『那須家の芸術と学問 : 平成22年度那須与一伝承館特別企画展』(大田原市那須与一伝承館編 2010)国会図書館、大田原市立図書館所蔵 大田原市HP「展示図録の販売」(https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082765079/)によると、目次に「えがく 那須資明・資礼の絵」、「うつす 那須資明の写生・模写図作成」との記載がある。 また那須資明には「芝山(しざん)」という別名がある。以下は、芝山の名前で残されている作品が掲載されている資料。 【資料3】『青森県史 資料編近世学芸関係』(青森県史編さん近世部会編集 青森県 2004) 巻頭カラーページ3ページ目、「津軽信明像 享和元年(1801) 那須芝山筆」が掲載されている。 【資料4】『青森県史 文化財編美術工芸』(青森県史編さん文化財部会編集 青森県 2010)p92に那須芝山の絵を2点(「花鳥図」「津軽信明像」)掲載。p93に那須芝山と、掲載の絵についての記述がある。 (インターネット最終アクセス:2020年4月4日) 回答プロセス:1 Googleを「那須資明」で検索。岩田書院「地方史情報」(http://www.iwata-shoin.co.jp/local/local-info_103.pdf)p10「歴文だより 78」「那須資明の文化活動」の記載あり。栃木県立図書館の栃木県内図書館横断検索で「歴文だより」を検索し、ヒットした大田原市黒羽図書館に問い合わせ。『那須家資料』に那須資明の写生や模写が掲載されているとの記述があるとのこと。当館蔵書検索システムを「那須家資料」で検索、【資料1】がヒット。 また大田原市HP「展示図録の販売」がヒット。【資料2】の目次を確認。 2『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(荒木矩編 第一書房 1980)を確認。p1181「那須芝山、姓は藤原、名は資明」と記載あり。また、『書画骨董人名大辞典』(常石英明編著 金園社 1975)p327【芝山】の項に「那須資明」と記載あり。 3 Googleブックスを「那須芝山」で検索。【資料3】がヒット。またGoogleを「那須芝山」で検索したところ、那須芝山について紹介しているウェブページ「UAG美術家研究所」(https://yuagariart.com/uag/aomori11/)がヒットし、参考文献として【資料4】があげられていた。 事前調査事項:『国史大辞典 10 と-にそ』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1989)「那須氏」で系譜・名前確認。参考文献『栃木県史 通史編3 中世』(栃木県史編さん委員会編集 1984)『栃木県の歴史 県史 9』(阿部昭著 山川出版社 1998)を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧するも確認できず。『寛政譜以降 旗本家百科事典』(小川恭一編著 東洋書林 1998)p2034に記載確認。 Googleブックスで「那須」「資明」を検索すると『栃木県史 史料編・中世2』(栃木県史編さん委員会編集 1975)がヒット。国立国会図書館デジタルコレクションを確認したが、絵画作品の記載見つからず。 『人物レファレンス事典 美術篇』(日外アソシエーツ 2010)『日本美術作品レファレンス事典 絵画 近世以前』(日外アソシエーツ 1998)『角川絵巻物総覧』(宮次男[ほか]編集 角川書店 1995)『日本美術作品レファレンス事典 第Ⅱ期 絵画篇 近世以前 浮世絵 近現代』(日外アソシエーツ 2006)確認するも見つからず。 参考資料:【資料1】『那須家資料 栃木県立博物館調査研究報告書』(栃木県立博物館 2003)(0105829367), 参考資料:【資料2】『那須家の芸術と学問 平成22年度那須与一伝承館特別企画展』(大田原市那須与一伝承館編 大田原市那須与一伝承館 2010), 参考資料:【資料3】『青森県史 資料編近世学芸関係』(青森県史編さん近世部会編集 青森県 2004)(0105836423), 参考資料:【資料4】『青森県史 文化財編美術工芸』(青森県史編さん文化財部会編集 青森県 2010)(0106225136), 照会先:大田原市黒羽図書館

和歌「弓張の月のやどれる底を見てなるかの海に海士のいるらん」の作者を知りたい。(千葉県立中央図書館)

作者は「平祐挙(たいらすけたか、たいらのすけたか)」。以下の資料に記述があった。 【資料1】『新編国歌大観 第2巻 [1] 私撰集編』(「新編国歌大観」編集委員会編 角川書店 1984) p695 「夫木和歌抄巻第二十三雑部五」、新編国歌大観の番号「一〇三三一」 「家集、上総なるかのうみ 平祐挙 弓はりの月のやどれる底をみてなるかの海にあまのいるらん」 【資料2】『日本伝説叢書 上総の巻』(藤沢衛彦編著 すばる書房 1977) p90に「弓張の月のやどれる底を見てなるかの海にあまの入るらん。(「夫木集」-祐擧)」と記載されている。 【資料3】『千葉県誌 巻下』(千葉県編纂 多田屋書店 1919) p676「勝浦町に在り、夫木集祐擧の歌に、弓張の月の宿れる底を見て奈流迦の海に蜑の入るらん」と記載されている。 平祐挙の概要については以下の資料に記述があった。 【資料4】『国書人名辞典 第3巻 せ-の』(市古貞次[ほか]編 岩波書店 1996)p124「平祐挙(たいらすけたか)」 【資料5】『平安時代史事典 本編下 た-を』(角田文衛監修 角川書店 1994)p1492「平祐挙(たいらのすけたか)」 回答プロセス:1「夫木集」に収録されているという事前情報から、『新編国歌大観』を確認。「夫木集」は私撰集なので第2巻に収録されていた。索引を確認。 【資料1】『新編国歌大観 第2巻 [1] 私撰集編』(「新編国歌大観」編集委員会編 角川書店 1984)p695「夫木和歌抄巻第二十三雑部五」、新編国歌大観の番号「一〇三三一」 「家集、上総なるかのうみ 平祐挙 弓はりの月のやどれる底をみてなるかの海にあまのいるらん」 2 Google Booksをキーワード「弓張の月 やどれる 海」で検索。【資料2】がヒット。 3 Google Booksをキーワード「弓張の月のやどれる底を見て」で検索。【資料3】がヒット。 4 『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編2<1996-2006>せ~わ』(日外アソシエーツ編集部編 日外アソシエーツ 2007)p1581「平祐挙 たいらすけたか」の項に【資料4】に記載ありとのこと。【資料4】の項の参考に【資料5】があげられていたのでこちらも確認。 事前調査事項:『夷隅風土記』(森輝著 千葉県文化財保護協会 1977)p94は確認済み。和歌は載っているが、作者名無し。 利用者から「鎌倉時代に作られた和歌であり、「夫木集(ふぼくしゅう)」にのっているはず。」と情報提供があった。 参考資料:【資料1】『新編国歌大観 第2巻 [1] 私撰集編』(「新編国歌大観」編集委員会編 角川書店 1984)(9102911600), 参考資料:【資料2】『日本伝説叢書 上総の巻』(藤沢衛彦編著 すばる書房 1977)(9200179910), 参考資料:【資料3】『千葉県誌 巻下』(千葉県編纂 多田屋書店 1919)(9200020810), 参考資料:【資料4】『国書人名辞典 第3巻 せ-の』(市古貞次[ほか]編 岩波書店 1996)(0105129672), 参考資料:【資料5】『平安時代史事典 本編下 た-を』(角田文衛監修 角川書店 1994)(9102890500),

江戸時代に、芝居小屋が全国各地のどこにあったか一覧できるような資料が見たい。 広島の厳島神社にも芝居小屋があったらしいが、それがわかる資料はあるか。(千葉県立中央図書館)

江戸時代の全国の芝居小屋の一覧を見られる資料は見つけることが出来なかったが、関連する資料をご紹介する。 【資料1】『決定版番付集成』(青木美智男編 柏書房 2009) p74-75「諸国芝居繁栄数望」1840(天保11)年に版行された、全国の芝居小屋をランク付けした番付。すべての芝居小屋が載っているわけではない。 【資料2】『全国「芝居小屋」巡り』(『サライ』編集部編 小学館 1995) 1995(平成7)年時点で活動中の全国の芝居小屋を掲載。過去に存在した芝居小屋についても全てではないが、紹介されている。 【資料3】『歌舞伎の原郷 地芝居と都市の芝居小屋』(服部幸雄著 吉川弘文館 2007) p52-53 1999(平成11)年に制作された「ふるさとの芝居小屋-全国地芝居(農村歌舞伎)一覧」を掲載。1999(平成11)年時点で存在した芝居小屋の位置が地図上に記載されている。 広島の厳島神社にあった芝居小屋については、「厳島神社」と厳島神社のある「宮島」というキーワードで検索し、以下の資料を紹介した。 【資料4】角田一郎「宮島大芝居劇場考」(『近世文藝』1970 年 18 巻)p47-60(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kinseibungei/18/0/18_47/_pdf/-char/ja) 過去、宮島にあった芝居小屋についての論考。 【資料5】『宮島歌舞伎年代記』(薄田太郎著 国書刊行会 1975) p289-309「付録一 宮島の芝居小屋」に江戸時代初期から明治時代頃の宮島の芝居小屋の歴史について書かれた記述あり。p309に「第115図 宮島芝居推定略地図」が掲載されている。 (インターネット最終アクセス:2020年4月4日) 回答プロセス:1 NDC分類「774」歌舞伎の棚をブラウジングして『歌舞伎事典』(服部幸雄編 平凡社 2000)『最新歌舞伎大事典』(富澤慶秀監修 柏書房 2012)を調査したが、江戸時代の全国の芝居小屋について書かれた資料は見つからなかった。 2 Googleで「江戸時代」&「全国」&「芝居小屋」を検索してヒットした、芦田徹郎「よみがえる芝居小屋」(『甲南女子大学研究紀要. 人間科学編』52号)p79-92(http://id.nii.ac.jp/1061/00001543/)p80の註4に、江戸時代後期に江戸、京都、大阪には複数の常設芝居小屋があったことがわかっているが「地方都市の実態は不明である」との記述あり。 3 レファレンス協同データベースを「芝居小屋」で検索。京都府立高等学校図書館協議会司書部会「「(丹波)むく坂」という芝居小屋がどこにあったか知りたい。文政8年(1825年)に発行された諸国芝居繁栄数望(くにぐにしばいはんえいすもう)という芝居小屋の番付表に記載されている。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000099188)のレファレンス事例がヒット。『諸国芝居繁栄数望』が掲載されている資料として、【資料1】を確認。 4 自館蔵書検索システムを全項目「芝居小屋」で検索。【資料2】【資料3】がヒット。 5 (「宮島」or「厳島」)&「芝居小屋」でGoogleを検索。【資料4】がヒット。 6 国立国会図書館デジタルコレクションを「厳島」&「芝居小屋」で検索。『いつく島の史跡・名勝』(福田直記編著 宮島町 1980)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9574605 42-48コマ目)(国立国会図書館デジタルコレクション参加館限定公開)がヒット。p73-85「32 芝居小屋跡」に厳島の芝居小屋についての記述があり、『宮島歌舞伎年代記』の中の「宮島芝居跡推定略地図」が掲載されていた。『宮島歌舞伎年代記』は当館で所蔵していたのでこちらを提供。 参考資料:【資料1】『決定版番付集成』(青木美智男編 柏書房 2009)(2102285766), 参考資料:【資料2】『全国「芝居小屋」巡り Shotor travel』(『サライ』編集部編 小学館 1995)(9100200735), 参考資料:【資料3】『歌舞伎の原郷 地芝居と都市の芝居小屋』(服部幸雄著 吉川弘文館 2007)(2102028778), 参考資料:【資料4】角田一郎「宮島大芝居劇場考」(『近世文藝』1970 年 18 巻)p47-60(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kinseibungei/18/0/18_47/_pdf/-char/ja), 参考資料:【資料5】『宮島歌舞伎年代記』(薄田太郎著 国書刊行会 1975)(9102826644),

エドガー・ドガが描いた絵、「障害競馬-落馬した騎手」について、解説されている資料が読みたい。 (技法、どの馬から騎手が落ちたのか等)(千葉県立中央図書館)

【資料1】『リッツォーリ版世界美術全集 14 ドガ』(座右宝刊行会日本語版編集制作 集英社 1975)p95にn167の図版と、p96に「167 落馬 ニューヨーク メロン蔵,油彩カンヴァス, 180×152, 1866年 L.140,習作として,n.168と169のほかに木版画(L.143と144)がある」との記述があり、「落馬した競馬騎手」をモチーフにした作品が何点か存在していることがわかった。 問い合わせの絵は【資料1】のn.167と思われるので、こちらの絵について概説や技法などが解説されている資料を以下に記載する。 また関連資料として、他の「落馬した競馬騎手」をモチーフにした作品の解説が載っている資料も紹介した。 なお、どの馬から騎手が落ちたか解説している資料はみつからなかった。 ●n.167の解説が載っている資料 【資料1】『リッツォーリ版世界美術全集 14 ドガ』 p96「落馬した騎手のモデルは弟のアシル.1866年サロンに出展」との記載あり。 【資料2】『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派奇跡のコレクション』(日本テレビ放送網編集 日本テレビ放送網 c2011) p[229]「19 エドガー・ドガ 障害競馬―落馬した騎手」作品の来歴や修正の内容について詳しく記載されている。 【資料3】『近代世界美術全集. 第2巻』(坂崎乙郎, 高階秀爾, 中山公男編 社会思想社 1963)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2467271 100コマ目)※国立国会図書館/図書館送信参加館内公開p162-163 作品解説が1p分掲載されている。 ●n.169の解説が載っている資料 【資料4】『ドガ』(ドガ[画] 日本経済新聞社 1996)p63 6行の解説が掲載されている。 【資料5】『ドガ 踊り子の画家』(アンリ・ロワレット著 創元社 2012)p127 『負傷した騎手』のタイトルの解説あり。「『野外障害物競馬の光景』(1866年)を再びとり上げ、驚くべき作品を制作した」との記載があり、図版などでは確認できないが、制作年代からn.169のことではないかと思われる。またn.167に関してはp54に「1866年の『野外障害物競馬の光景』は、作家エドモン・アブーが「元気で活気のある作品」と批評しただけだった」との記載あり。 【資料6】『現代世界美術全集 第5 ドガ,ロートレック』(座右宝刊行会編 河出書房新社 1966)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8798426 125コマ目)※国立国会図書館/図書館送信参加館内公開 p117 9行の解説あり。 当館未所蔵資料だが、n.167の「障害競馬」が展示されたという展覧会図録の情報を提供した。 ・『ドガ展』(フィリップ・ソニエ 編 横浜美術館 2010)(県外図書館所蔵あり) cinra.netニュース「日本国内では21年ぶりのドガ回顧展、傑作『エトワール』も初来日」(https://www.cinra.net/news/gallery/33495/4)の記事の紹介画像の中に「エドガー・ドガ ≪障害競馬―落馬した騎手≫」があり、横浜美術館で2010年9月18日(土)~12月31日(金)の期間でドガ展を開催していたことがわかる。 【該当の記載のなかった資料】 ・『ドガ』(エドガー・ドガ画 新潮社 1974) ・『ドガ』(エドガー・ドガ[画] 美術出版社 1978) ・『ファブリ世界名画集 29』(平凡社 1970) ・『世界の名画 5』(穴沢一夫[ほか]責任編集 ほるぷ出版 1988) ・『巨匠の絵画技法ドガ』(L.ボウルトン著 エルテ出版 1989) ・『世界の素描 24』(講談社 1978) ・『ドガ』(ドガ[画] 美術出版社 1993) ・『舞台裏のドガ』(ドガ[画] 求竜堂 1998) (インターネット最終アクセス:2019年7月12日) 回答プロセス:1 『西洋美術作品レファレンス事典 絵画篇19世紀印象派以降』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 2005)p585に「落馬した騎手」は【資料6】、「落馬した競馬騎手」は【資料4】に掲載されているとの情報あり。 2 自館蔵書検索システムを、件名「ドガ エドガー」や全項目「Degas」&分類「7」で検索。【資料1】、【資料5】がヒット。【資料1】から、「落馬した競馬騎手」をモチーフにした絵が何点か存在することがわかった。 3 国立国会図書館デジタルコレクションを「ドガ」&「落馬」で検索。【資料3】がヒット。 4 Googleで「障害競馬」&「ドガ」で検索。cinra.netニュース「日本国内では21年ぶりのドガ回顧展、傑作『エトワール』も初来日」(https://www.cinra.net/news/gallery/33495/4)がヒット。横浜美術館で2010年9月18日(土)~12月31日(金)の期間でドガ展を開催していたことがわかる。記事の紹介画像の中に「エドガー・ドガ ≪障害競馬―落馬した騎手≫」があり、「1866年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー Collection of Mr.and Mrs.Paul Mellon 1999.79.10 Photo:Courtesy of the Board of Trustees, National Gallery of Art,Washington」との記述あり。ワシントンナショナルギャラリーで「障害競馬」を所蔵していることが確認できたので、自館蔵書検索システムを全項目「ワシントンナショナルギャラリー」で検索。【資料2】がヒット。 事前調査事項:調査済み資料(掲載なし) 『西洋美術全集絵画索引』(東京都立中央図書館監修 日本図書館協会 1999) 『世界美術全集 12 ルノワール/ドガ』(大島清次執筆 研秀出版 1979) 『グランド世界美術 20 ルノワールとドガ』(富永惣一編集・解説 講談社 1979) 『死ぬまでに観ておきたい世界の絵画1001』(スティーヴン・ファージング編集 実業之日本社 2013) 参考資料:【資料1】『リッツォーリ版世界美術全集 14 ドガ』(座右宝刊行会日本語版編集制作 集英社 1975)(9102670820), 参考資料:【資料2】『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派奇跡のコレクション』(日本テレビ放送網編集 日本テレビ放送網 c2011)(0106317499), 参考資料:【資料3】『近代世界美術全集. 第2巻』(坂崎乙郎, 高階秀爾, 中山公男編 社会思想社 1963)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2467271), 参考資料:【資料4】『ドガ』(ドガ[画] 日本経済新聞社 1996)(2100103292), 参考資料:【資料5】『ドガ 踊り子の画家』(アンリ・ロワレット著 創元社 2012)(東部所蔵 2102561401), 参考資料:【資料6】『現代世界美術全集 第5 ドガ,ロートレック』(座右宝刊行会編 河出書房新社 1966)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8798426),

桜田門外の変で襲撃に加わった薩摩藩士の有村治左衛門について調べている。 1 どんな人物だったか。 2 どういう経緯で桜田門外の変に加わったのか。(千葉県立中央図書館)

有村治左衛門(次左衛門)について記載のあった資料を紹介する。 【資料1】『史説幕末暗殺』(中沢圣夫著 雄山閣出版 1993) 1、2について、p7-86「一 有村次左衛門」で詳しく記載されている。 【資料2】『有村家の人々』(沢田和一著 翼賛出版協会 1944)(国立国会図書館デジタルコレクション参加館限定公開あり) 有村治左衛門含めた有村家について書かれた資料。1、2について詳しく記載されている。 【資料3】『日本近世人名辞典』(竹内誠編 吉川弘文館 2005) p36「有村次左衛門」の項あり。参考文献として『贈位諸賢伝 上』(近藤出版社 1975)、『鹿児島県史 第3巻』(鹿児島県編 鹿児島県 1941)(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可)があげられていた。 【資料4】『幕末維新人物事典 全国版』(歴史群像編集部編 学研パブリッシング 2010) p236「有村次左衛門」家族、来歴などが簡単に記載されている。また桜田門外の変に加わった経緯についても短い記載があった。 そのほか『コンサイス日本人名事典』(三省堂編修所編 三省堂 2009)p65、『日本歴史大事典 1 あ~け』(小学館 2000)p110などにも記載があったが、いずれも短い記載だった。 (インターネット最終アクセス:2019年7月12日) 回答プロセス:1 『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編[1]あ〜す』(日外アソシエーツ 1996)で「有村治左衛門」を引くと、『コンサイス日本人名事典』(三省堂編修所編 三省堂 2009)p65、『日本歴史大事典』、【資料3】、【資料4】に記載ありとのこと。『コンサイス日本人名事典』、『日本歴史大事典』は短い記載だったが、【資料3】『日本近世人名辞典』p36「有村次左衛門」参考文献あり。次項「有村れん」の参考文献に【資料2】あり。 2 Googleブックスを「有村次左衛門」で検索。【資料1】がヒット。 事前調査事項:『日本大百科全書 10 さえ‐しつ』(小学館 1986)p94、『国史大辞典 1 あ-い』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979) p350、『国史大辞典 6 こま-しと』(国史大辞典編集委員会編  吉川弘文館 1985)p327、『日本近現代人名辞典』(臼井勝美編 吉川弘文館 2001)p42で簡単な記述は見つけたが、それ以上の情報が見つからなかった。 参考資料:【資料1】『史説幕末暗殺』(中沢圣夫著 雄山閣出版 1993)(9101962392), 参考資料:【資料2】『有村家の人々』(沢田和一著 翼賛出版協会 1944)(9104962028), 参考資料:【資料3】『日本近世人名辞典』(竹内誠編 吉川弘文館 2005)(0105904443), 参考資料:【資料4】『幕末維新人物事典 全国版』(歴史群像編集部編 学研パブリッシング 2010)(2102314993),

ガクという名前の画家の名字が知りたい。おそらく日本人の画家で、ルドンのような暗めの色彩が特徴。確か日本のミステリー小説に出ていて、小説のタイトルは『○○の部屋』。○○には画家の名前が入っていたと思う。(千葉県立中央図書館)

石田黙(イシダモク)ではないかとお伝えした。 【資料1】『黙の部屋』(折原一著 文藝春秋 2005)で扱われている実在の画家。 【資料2】『美術名典 1979』(美術名典編集部編集 芸術新聞社 1979)p327「洋画家・版画家」の中に「石田黙」が掲載されており、受賞歴等を見ることができる。 回答プロセス:1 Googleを「ガク」「日本」「画家」で検索。該当の画家はヒットせず。 2 自館蔵書検索システムを書名「の部屋」後方一致検索&分類「913.6(日本の小説:近代明治以降)」で検索。ヒットした『黙の部屋』のあらすじに、実在の画家である「石田黙」をめぐるミステリー、とあり。Googleで「石田黙」を検索して、ヒットした作品の画像を見せたところ、該当の画家とのこと。 3 そのほかの検索結果に、Yahoo!知恵袋で「石田黙さんという画家は実在していたのですか?」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1021698790)で『美術名典 1979』に掲載されているという情報があったので、所蔵していた『美術名典 1979』(美術名典編集部編集 芸術新聞社 1979)を確認。p327「石田黙」に概要が掲載されている。 (インターネット最終アクセス:2020年7月19日) 参考資料:【資料1】『黙の部屋』(折原一著 文藝春秋 2005)(2101815142), 参考資料:【資料2】『美術名典 1979』(美術名典編集部編集 芸術新聞社 1979)(9102719081),

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